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75 天使様の逡巡 その11


 テーブルの上には、象牙色のドレスが広げられていた。裾のフリルを縫い付ける位置に印をつけたところで止まった状態だ。この後フリルを縫い付け、裾を上げて、背中のボタンをつけなければならない。


「そのドレスって多分、アレンの目に色に対比させてたんだよね。リリアがさっさと外しちゃったけど、胸元のリボン濃紺だったもんね。……人の心は思うようにならないねぇ。自己暗示の効果ってすごいな」


 トマスがドレスを見ながら力なく呟いた。濃紺の細いリボンはリリィの目に触れないようにすでに片付けられている。


「リリアさまがリボン外したのは、ソフィーさまからの指示があったからですよ。アレンさまを彷彿させる色を纏うと、また話がややこしくなります」


「でも、誰かがラーセルテートの呪い引き受けにいかないといけないよね……どうするんだろう? リリィはアレンと一緒には行きたくないって言うだろうし、リリィが一緒に行かないならアレンは行かないって言いそうだし、何でこうなった……」


 トマスは眉間に皺を寄せてうんざりした顔になった。このドレスがいつ注文されたものかはわからないが、ダージャ領での二人のお披露目を想定して作られたものであることは間違いない。


 リルド領に隣接する華やかな観光地は、何度創設されても領主が一代で途切れる呪われた地でもある。

 東洋風の建造物群で暮らすのは、遠い異国の血を引く者たちだ。

 遥か昔、海の向こうの異国から流れ着いた者たちを、ラーセルテートの領主は彼等の持つ『物語』ひとつと引き換えにこの地に住まわせた。政敵に敗れて海に流された王族や、嵐に巻き込まれ遭難した異国の漁師。或いはもう戻る国のない使節団……かつてはそんな帰る場所を持たない者たちが隔離されて暮らす地だったのだ。

 異国の民は不治の病を持ち込むことがある。実際ラーセルテートでは伝染病が何度も流行していた。それが死の呪いの正体だとする説もある。


 だからだろうか。異国の物語と共にその地に流れ着いた『夜と死を司る女神』は生贄を要求するとされている。


 ランタンに照らし出される夜のダージャ領はどこか退廃的で恐ろしくも美しい。死の国を彷彿とさせるような幻想的で独特の雰囲気に魅了される者も多いのだ。

 多国籍な文化が混ざり合っているという点では同じなのに、開放的で日の光が似合うキリアとは対照的だ。


 多分……あの地はリリィの性格に合っている。行けば行ったで気に入るだろう。

 しかし、アレンとは行きたくないと彼女が訴える気持ちもわからなくはないのだ。心配なのはわかるが束縛しすぎだ。

 

 ルークはため息をついてリリアを見下ろす。少女はびくっと肩を震わせて顔を上げると、『そろそろ離れないとダメ?』というように、じわぁっと目に涙をにじませた。完全な脅迫だ。しかもこちらの許容のギリギリをしっかり見極めてくる。頭を撫でてやると幸せそうに笑ってまたぎゅうっとしがみつく。キースが呼びに来るまで離れる気はないということはよくわかった。


「明日の舞踏会に合わせて、ガルトダット伯爵家の娘とアレンの結婚を発表する予定だったんだろうなぁ。上手くいかないものだねぇ。本当に何でこうなった……」


 トマスはぼやきながら窓に向かって歩き出す。彼には丁度庭の木陰で昼寝をしている少女たちの様子が見えているはずだ。

 グレイスが目を覚ましたのも、ヒューゴが額に痣を作ったのも想定外だが、きっとこれでよかった。心に余裕がないヒューゴを、舞踏会という女性が沢山いる空間に連れて行くのは非常に危険だ。舞踏会には外国からの招待客も多数参加する。うっかり『異民族』などと口走れば、一瞬にして場が凍り付くだろう。


 ……だから早く嫁をもらえという話になる。


 社交的な妻が会話を一手に引き受けてくれるのならば、夫は添え物のように黙って突っ立っていても何とかなる。……と、先日この国の宰相閣下がこめかみを押さえながら言っていた。

 金の髪で青い瞳で社交的な性格。その上、フェレンドルト家の後継ぎを生まなければならない重責に耐えつつ、繊細なヒューゴの面倒をみてくれる心優しい女性が……この国のどこかに一人くらいいるかもしれない。


「オーガスタお姉さま来るとなると舞踏会は相当ギスギスしそうだよね。でも、こっちはこっちで何が来るかわかんないし。……ルークは屋敷に残るんだよね?」


 トマスがルークにしがみついたままのリリアを見て、不安そうな顔になった。

 再度襲撃があるのなら明日の夜だ。ガルトダット伯爵家に普段派遣されている護衛騎士たちも明日は王宮の警備に回る。道路は王宮に向かう馬車で大渋滞となるため、騎士団本部に救援を求めることもできない。


「そうですね。……殴る蹴るに参加されると困るので」


 少しだけ体を離したリリアは、強く訴えかける目でルークを見上げた。


「ルークさまのお手伝いをするのです」


 やっぱりこうきたか。と、トマスとルークが同時にリリアから視線を逸らした。涙に濡れた瞳はやる気に満ちていた。


「お気持ちだけいただきておきま……」


「ちゃんとお手伝いできるのですっ」


 リリアが頬を膨らませて、非常にわかりやすく不満を訴えている。

 トマスにあっさり動きを封じられてしまったことが悔しいのはわかるが、実戦で腕試しをしようというのは何かが違う。それはお手伝いとは認められない。ルークが膨らんだ頬をつつくと、リリアは幼い子供のように嫌がって首を振った。


「クインさまのお側にいてあげてくださいね」


「ヒューゴお兄さまが責任もって、クインさまをお側でお守りするべきなのです!」


 しれっとリリアは言い切った。今までさんざん妨害してきたのは誰だったろう……


「ヒューゴは何の役にも立ちません。だからクインのことはリリアが守ってあげてね。ヒューゴのこともついでに何とかしてもらえると助かるなー」


 トマスがそう言って穏やかに微笑みかけた瞬間、「ついで?」と口の中で呟いたリリアの目が完全に据わった。

 あ……本気で怒った。トマスとルークは顔を引きつらせた。


「あ……うん、最後のなし。ごめん。言い方が悪かったよね。もう一人のことは放っておいていいから、クインのことだけ守って欲しいなーって……」


 必死に笑顔を浮かべてトマスはすぐに言い直したがもう手遅れだ。リリアの機嫌は急降下し、眉間に深い皺が寄っている。


「トマスさまさっき、『思い知ればいい』って言いましたよね。だから私もキースお兄さまも、あの人にはしばらく関わりません!」


「僕そんなひどいこと言ったかなぁ?」


 ははははーと、引きつった笑い声をあげて誤魔化したトマスは、リリアの表情をちらりと窺い見た瞬間、びくっと体を震わせて「言ったね。……うん、言った」と慌てて何度も頷いた。


「外開きのドアは絶対に破られないのならば、私いなくても大丈夫ですよね?」


 一度目を閉じてすうっと息を吸うと、リリアは可愛らしくにっこりと笑う。ルークとトマスはそっと目を逸らした。絶対に破られない訳ではないと言えば、「じゃあどうやるのですか?」と聞き返してくるに決まっている。


「……あのね、万が一部屋に侵入されてしまった場合、ヒューゴではクインを守れないんだよねー」


「部屋に侵入された時点で、味方は全滅したと考えるべきですよね? なので、部屋に私がいてもいなくても結果は同じです。私一人で対抗できるとは思えません」


 ぼんやりとした目で天井を見上げながら「そこは冷静に考えられるんだね……」と、トマスが呟いた。


「私はもう十分ヒューゴお兄さまを手助けしたと思うのです。クインさまがこの屋敷にいらっしゃってから一週間経過しています。考える時間は十分ありました。エミリーさまだって一週間で気持ちを切り替えられました。ヒューゴお兄さまもアレンさまと同じくさっさとフられてしまえばよいのです!」


 トマスが慌しく開け放たれていた窓を閉め始めたのに合わせて、ルークもリリアを引きずりながら入り口まで移動してドアを閉める。アレンは……今どこにいるのだろう。聞こえていないと良いのだが。

 リリアも睡眠不足で気持ちにゆとりがない。前も思ったのだが、眠いならさっさと寝ればいいのに、どうして皆、何か文句を言わないと気が済まないのだろうか……


「ヒューゴお兄さまは初対面の印象で、クインさまが誰かに手を引かれないと歩き出せないような弱々しい女性だと思い込んだのですよね? でも、食事も睡眠も与えられなかったら誰だって弱りますから、それが本来の姿であるとは限りません」


 青ざめたトマスがカーテンを閉め始めた。多少の防音効果はあると信じたい。庭で眠っている二人の所にまでリリアの声が届くようなら、ダニエルが何らかの合図を送ってくるだろうから、きっとそこまでは届いていないのだ。

 さすがにこれをグレイスに聞かせる訳にはいかない……

 彼女はユラルバルトの舞踏会から自分を救い出してくれたヒューゴに強い憧れを抱いている様子だった。それはもしかしたら幼い恋心のようなものなのかもしれない。

 リリアはきっと……その純粋な気持ちを守ってやりたかったのだ。だから、ヒューゴがグレイスを幻滅させたり傷付けたりするようなことがないように目を光らせていた。グレイスが見なくていいものを見ないで済むように、ずっと隠していたのだ。


 ……しかし今、リリアは完全に匙を投げた。多分トマスが余計な事を言ったせいで。


「相手と向き合おうともしないで、勝手に理想を作り上げて、いざ直接言葉を交わしてみたら、これはちょっと思っていたのと違うかもしれないと気付いた。そうしたら今度は現実を受け入れずに引きこもるって何なんでしょう?」


 そうは言っても、ヒューゴはその辺り無自覚だ。

 リリアは相手の態度や表情から人の気持ちを察するのが上手い。相手が意識していない部分にまで気付いてしまうことがある。……その結果、色々気を使いすぎて疲れ果ててしまう。

 その辺りが欠落しているリリィとアレンに、何とかしてその能力を分け与えることができないものだろうか……


「ごめんリリア、お兄さまが悪かったです。正論すぎて耳が痛い。そうだよね。全部ヒューゴが悪いよね。うん、僕もそう思うよールークお願い何とかしてー」


「こうなるともう無理ですね……」


 ルークは力なく首を横に振った。これを本人の前でぶちまけなかったのだから、よく耐えたと褒めるべきなのだろう。……きっと。


「自分がクインさまに嫌われるのが怖くて仕方なかったくせに、クインさまも同じように考えているかもしれないって、想像もできないんですかね? どれだけ自分がクインさまを傷付けたかわかっているのでしょうか? 結局ヒューゴお兄さまっていっつも自分のことばっかりですよねっ。そういうところがきらいです。きらいだって言ってるのに全然態度改めないところがほんときらいっ」

 

 リリアは、ヒューゴが自分に結婚を申し込んだ理由を、本人よりはるかに深く理解しているから厄介なのだ。

 リリアと結婚すれば、イザベラの『息子』となり、トマスやキースの『兄』にもなれる。

 そういう打算があることはヒューゴ本人も自覚していた。

 でも実は、本当の問題はそこではない。……本人が意識していない部分で、ヒューゴは何でも察してくれるリリアを、自分専用の通訳として都合よく使おうと考えてしまっているところがある。


 ――大人しくて従順で物分かりが良い女性というのはつまり、自分が支配できる相手ということだ。


「うん、リリアわかったよ。わかったからもうそのあたりにしとこう? 明日お城の舞踏会なの。一緒に仲良くお留守番してもらわないと困るの。明日までもう少し我慢してー。舞踏会終わったら一度蹴り飛ばしていいから」


「よくないですからね?」


「じゃあ僕が殴っとくから」


「やめて下さい」


 とんでもない事を言い出したトマスを慌てて止める。目が本気だ。トマスもキースもヒューゴの相手をするのにうんざりしている。……リリィはアレンの相手をするのにうんざりしている。


「でも本当にリリアの言う通りだよね。いい年した大人がいつまでもうじうじうじうじ……」


「トマスさまは明日の準備してきて下さい」


「仲良くお留守番なんて無理です。明日は私がガルトダット家長女として舞踏会行きます! そうすればドレスも直さなくていいし、これですべて解決です! もう私絶対ドレス縫わないっ」


 自棄になったようにリリアが叫んだ。しんっと室内に沈黙が落ちる。

 怒り疲れて……拗ねた。彼女はやらないと言ったらやらない。


「……じゃあ、僕、明日の準備してくるから」


 トマスは空気を読んでさっさと部屋から逃げた。すべての元凶はトマスの発した余計な一言だったような気がしなくもない。

 ルークは大きく肩を上下させているリリアを体から無理矢理引きはがすと、ひょいっと持ち上げてベッドまで運ぶ。


「そこまでにしましょうか。リリィお嬢さまのドレスも完成させないといけませんしね。……疲れましたよね」


 リリアは膝の上でぎゅっと拳を握りしめて、俯いたまま「縫わないもん」と呟く。握りしめた拳の上に涙の雫が落ちた。

 肩が震えはじめたことに気付いたルークは、床に両膝ついてリリアを慌てて抱きしめる。その途端にリリアはわあっと大声を出して泣き始めてしまった。


「……私は……ルークさまにあんな態度取られたら……もう……きっと怖くて声をかけることもできない……」


 ルークはその場にいなかったから、ヒューゴが鍵をかけて部屋に閉じ籠ったとしか聞いていない。閉じ込めたり閉じ籠ったりはいつものことだ。だからその部分をあまり深刻に受け止めていなかった。


「クインさまが、すごく哀しそうでっ……必死に前を向こうとしている人に、あんな顔させるなんてひどいっ。傷つけることしかできないなら、もう関わらないでって思ったんです」


 震えが止まらない背中を何度も何度も撫ぜる。何が彼女の心に引っかかって傷をこじ開けたのかがわからない。


「……でも、私もルークさまに対して同じ事をやったんです。ドアに鍵をかけてっ、ルークさまが必死にドアを叩いていて……でも、私はっ」


 ルークは思わず奥歯を噛みしめて顔を顰める。閉ざされたドアにリリアが何を重ねたのか……

 ああもう本当に、いつまでもいつまでも尾を引く。




『……どうしてだろうな、いつもエンディングで間違う。だから俺は、女王を守れない』


 真っ先に脳裏に思い浮かんだのは――()の女王だった。

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