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7 「がんばって会いにおいで」 その3


 先に降りた第二王子の手を借りて馬車から降りる。そうしてリリィは改めてアイザックと呼ばれた騎士と相対した。

 背が高くて体格も良い男性だ。第二王子と並び立つと、身長差もあるため大人と子供のようにも見えるが、年齢は同じくらいなのだろう。

 船から木箱を運び出している騎士たちが、ちらちらとこちらの様子を気にするので、第二王子と副官が並び立ち、リリィの姿を彼らから隠している。


「カラム・アイザックと申します。殿下からはカラムと呼ばれる事の方が多いので、お嬢さまもどうぞカラムとお呼び下さい。王宮でのお嬢さまの警護は私が担当することになっております」


「申し訳ございません……私はまだ自分の名前を持っておりません」


 リリィは今は名前がない状態だ。社交界におけるガルトダット家長女リリィは、身代わりのリリアが務めている。来年度社交界にデビューするのは次女の病弱なリリアだ。彼女はさっさと結婚式を挙げて療養のためリルド領に移る。どの段階で二人が入れ替わって本来の名前を名乗るのかはまだ決められない。すべてはリリィ次第だ。


 リリィが第二王子に宣言したように、リリアより完璧な令嬢となっているならば、彼女は本来の立場である『ガルトダット家長女リリィ』として妹のデビューを見守ることができる。

 もし……できなかったなら、


(私はリリアとして社交界デビューすることになる。でも、それではきっとダメだ)


 アーサーは「考えてあげる」と言ったにすぎない。……恐らく、リリアがリルド領に移るのにあわせて、リリィはアレンと結婚させられてダージャ領に送られてしまうだろう。


「来年には、長女リリィとして、お二人の前に立ちます」


 二人の前で声に出して、自分自身に言い聞かせる。


「わかりました。では、先程までと同じように、お嬢さま……と」 


「はい。よろしくお願いいたします。カラムさま」


「敬称なしが望ましいんですけどね。どうします?」


「リリィ、カラムさんって呼んでみてごらん」


「カラムさん?」


「そっちの方が自然な感じでいいんじゃない?」


「ではそれでいきましょう」


 そんな会話を交わしながら待っていると、運河の方から「キリアルトが戻りました」という声がかかった。


 目の前で壁になっている二人の男性が、少し横にずれると、ルークがメイジーと御者を連れて歩いてくるのが見えた。


「ルーク!」


 駆け寄ってルークにしがみつこうとして、リリィはドレスが濡れていることに気が付いて立ち止まる。ルークの後ろに立っていたメイジーと御者は、無事なリリィの姿を見てその場で泣き出した。


「重いですけど我慢して下さいね」 


 ルークは手に持っていた外套をリリィに羽織らせる。そして、とんっ、と、軽くメイジーの方にリリィの背中を押した。


「メイジー!」


「おじょうさまぁ……ご無事で……よかった……」


 絞り出すような声だった。駆け寄ったリリィをメイジーが抱きしめる。


「お守りできず、本当に……本当に申し訳ございませんでした……」


 年老いた御者は、腕で顔を隠しながら声もなく泣いていた。


「……私は大丈夫。二人が怪我しなくて良かった」


 相手は騎士だった。本物かどうかはわからないが、リリィを抱え上げて運べるだけの力はあった。もし抵抗していたら二人は大怪我をしていたかもしれない。そんなことになっていたら、リリィはもう二度と屋敷から外に出なくなっただろう。


「ロバートの店に戻りましょう。無事だとは伝えておきましたが、とても心配していました。……よろしいですか?」


「いいよ。事情は聞いたし、もう落ち着いたみたいだしね。後で伯爵家にソフィー行かせるから、わかったことは彼女から説明させる。カラム、若いのを一人御者としてつけてやってくれ」 


「わかりました。では、参りましょうか」


 そう言われて、リリィは慌ててアーサーを振り返る。


「今度は王宮においで? またね、名前のないお嬢さん」


 第二王子は微笑んでいる。リリィは濡れたドレスの上に外套を羽織っているからお辞儀もできない。 ルークが背中を押して促すから、リリィはカラムの後について歩き出す。その後ろにルークとメイジーと御者が続く。だからもう、振り返ってもアーサーの姿は見えない。

 先程まで手を握ってくれていたのに、まだまだ遠い場所にいる大人の男の人。今彼はどんな顔をしているのだろう。去ってゆくリリィたちの方を、もう見てさえもいないかもしれない。そう思うともう怖くて、不安になって思わずルークを見上げる。


「不相応なのかな……」


 毎回軽くあしらわれてしまう。ついついそんな弱音が口から零れ落ちる。


「アイザックさまが止めなかったのでしょう?」


 ルークはリリィと一度目を合わせて微笑んでから、前を歩くカラムの背中に視線を移した。


「彼はあなたに優しかったですか?」


 尋ねられて、大きく頷く。カラムは、最初からリリィにとても親切だった。


「なら、大丈夫です。彼は誰にでも優しい訳ではないですからね」


「君程ではないな? キリアルト」


 振り返ったカラムがにやりと笑う。


「私はさすがにご令嬢を切り捨てようとしたことはありませんね」


 にこやかにルークがそう返す。……その切り捨てるは。何かの例えなのだろうか。


「あれは……まぁ、あまりに場を弁えない方だったので、ちょっと脅しのつもりで? イラっときてたから、勢い余って額の辺りをサクッといったな……」


 大したことでもないように、カラムは言った。


「いきましたね。……さすがに驚きました」


「あれからものすごく静かになったな……困ったら君もやってみるといい」


 つまり本当に剣で切ったのだ。リリィは説明を求めてルークを見上げた。ここでうやむやにすると気になって眠れなくなりそうだから、はっきりさせておいた方がいい。


「ああ……大丈夫ですよ? 少し血が出たくらいで。跡が残るようなものでもありませんでしたし、そんな問題にもなりませんでしたね」


 ルークは平然として答える。軍人の感覚では、傷が残らなければ問題ないということのようだ。

 カラムが歩調を緩める。リリィの左手側にはいつものようにルークが、右手側にはカラムが並んで歩くかたちになった。


「お嬢さま、私が怖いですか?」


 軽くからかうような声音だった。リリィは首を横に振って、右側を歩くカラムを見上げる。


「怖くないです」


 カラムは、リリィに対して敵意を抱いてはいないということを、最初からわかりやすく態度や言葉で示してくれている。誠意にはこたえなければならない。

 リリィは幼い子供ではないのだから、相手の体が大きいという理由だけで怯えるのはとても失礼なことだ。


(……ナトンさんのお陰だ)


 以前のリリィだったらきっと、怖くて顔も見られなかったのだろう。でも、ナトンが少しずつ少しずつ慣れさせてくれたから、今リリィはカラムの顔をちゃんと見ることができる。


 ――大柄な男性が、誰でもいきなり鞭をふるって怒鳴りつけてくる訳ではないのだから。


(でも、切りつけたのか……)


 この人を怒らせたという令嬢は、一体に何をやらかしたのだろうか。そちらの方が気になった。


「……その方は余程のことをなさったのですね」


「いきなり抱き着こうとなさいましたので、ひっぺがしてサクッと」


 それを聞いてリリィは青くなった。リリィはアーサーと初対面の際、ぶつかって下敷きにして抱き着いて泣いた。


「私……やりました」


「ソフィーから聞いてますよ。でも、それで結婚迫ったりはなさらないでしょう?」


「……迫りました」


 側室で良いですとまで言った。ますますリリィの顔が青くなった。


「ああ、そうでしたね。……是非私もその場で見たかったですね。一生懸命な様子がとても可愛らしかったとソフィーが言っていましたよ」


「やっぱり……私もサクッと?」


 あの場にカラムがいたら、自分も切り捨てられていたのかもしれない。恐る恐る尋ねるリリィを見て、彼は不思議そうな顔をした。


「しませんよ。問題があればソフィーが止めていましたから大丈夫です。あいつも誰にでも優しい訳ではありませんからね?」


 確かに王宮で会った時のソフィーは、取り澄まして声をかけるのも躊躇うような雰囲気の侍女だった。今は時間がある時伯爵家に来てマナーを教えてくれる、優しいお姉さんのような存在だ。

 ソフィーが問題ないと判断したのならば、大丈夫ということなのだろうか。

 同じようにアーサーに結婚を迫ったようなのに、一体何が違ったというのだろう。


「……でもそうか、他の貴族令嬢を見たことがないお嬢さまには理解できないのか」


 カラムは少し考え込むような表情になった。


「……そうですね、例えば、殿下がアレンさまと同じ立場になって、王宮にいられなくなっても、お嬢さまは殿下に会いに行かれますか?」


「あんまり遠いとちょっとまだ不安です。……汽車とか大きな船とかは乗ったことがないので……でもがんばります。ルーク……一緒に行ってくれる?」


 そう答えながらも不安になって、つい、いつものようにルークに頼る。彼はとても優しく微笑んで頷いてくれるから、リリィは安心して笑うことができる。ルークが一緒ならリリアも勿論一緒だ。三人で汽車や船に乗るのなら、きっと怖くない。ちゃんと王子様に会いに行けるだろう。

 二人の様子を見て、カラムが声を上げて笑い出す。何がそんなに面白かったのかリリィにはわからないのだが、カラムは楽しそうだ。


「……殿下の恋敵は結局、アレンさまではなくて、君か。なるほど、私は君をお嬢さまから引き離す役目を負った訳だな。それは……確かに私でなければ無理だな」


「やりにくいですね」


 穏やかにルークは言ったのに、何故だろう。寒い。


「そこはお互い様だな」


 カラムは笑顔なのに目が笑っていない。


「お嬢さま、覚えておいてください。私にとってキリアルトは敵です」


「何故そうなるの」


 驚きのあまり敬語が飛んだ。


「この男はあなたが望めば王族だろうと簡単に裏切ります」


 その声はいたって真剣だった。


(そんなことはない……とは言えない)


 リリィは否定できずに黙り込む。カラムの言う通りだ、ルークは王命よりリリィとリリアの幸せを選ぶ。そのくらい大切にされているという自覚はある。彼は決して自分たちを裏切らない。今までも……これからも。


「アイザックさまは殿下のためなら何でもしますよ。だからやりにくいんですよね」


 ルークは苦笑している。つまり、同類ということか。しかし、こうして会話をしている様子を見る限り、お互いに牽制し合ってはいるが仲が悪いという印象は受けない。

 この二人が無駄に争わないために、リリィができることは何だろう。これはちゃんと聞いておいたほうがいいかもしれない。


「すみません。私はどうすれば良いのでしょう……?」


「アレンさまとダージャ領に行くのが一番安全ですね」


 にっこり笑ってルークは即答した。


「……そうですね。やっぱりダージャ領行くのが一番平和ですかね。婚約者殿と……」


 カラムは少し考える素振りをしてからそう答えた。二人の意見は一致していた。


「どうして、みんな私にアレンお兄さま押し付けようとするの……」


 ムッとしてリリィは呟く。

 アレンは最近しっかりしてきた。リリィが起こさなくても自分で起きる。体重も増えすぎないように自己管理もしっかりしているし、仕事もがんばっているとダニエルが褒めていた。そうすると、彼はやっぱり優しくて素敵な男性だ。……でも、リリィはもう彼の隣に並び立ちたいとは思わない。「素敵な失恋をありがとうございました」そう口にした瞬間に、幼い恋はすべて砕け散ったから。

 それなのに、周囲はリリィにアレンと一緒にダージャ領に行けと勧める。おもしろくない。アレンは兄だ。トマスと同じだ。兄とは結婚できない。


「でも、行きませんよね?」


「……行かれませんよね?」


 ルークとカラムは確認するようにリリィに尋ねるが、二人の中で結論は出ているらしく、リリィの答えも聞かずにあっさり前を向いてしまった。


「……どうしろと」


 行けと言ったり、行くなと言ったり。本当に意味がわからない。

 落ち着きを取り戻したメイジーと御者が、微笑ましいというように、困惑しきった顔をしているリリィを見つめていた。




 店に入って来たリリィを見た途端に、ロバートは魂が抜けたような顔をして椅子に座り込んだ。一心不乱にショーケースを磨いていた店長が手を止めて天井を仰ぎ、箒で店内を掃いていた顔なじみの女性店員たちは、掃除道具を投げ捨ててリリィに駆け寄ってくると、涙目で無事を喜んでくれた。


「もうおつかいは諦めて下さいね。……貴族のお嬢様はそんなことしませんからね」


「私たちが何でもお届けしますからね。大丈夫です。……それが普通ですからね」


 普通って何だろう? リリィは思った。よく考えてみたら、自分は普通を知らないのかもしれない。没落した伯爵家での生活は普通ではない。そろそろ親戚回りなどして、他の貴族令嬢というものがどういう生き物なのか、生態を観察した方が良いかもしれない。

 きっとリリアも普通ではない。それくらいはさすがにリリィにもわかる。普通の貴族令嬢は身代わりなど申し出ないし、屋敷の掃除もしないし、人の殴り方や蹴り飛ばし方を学ぼうとはしない。


 ナトンの姿が見えないと思ったら、馬車を傷付けられたと騒いでいた一団と大喧嘩をして……騎士団詰め所に連行されてしまったのだそうだ。後で迎えに行っておくからとロバートが言ったので任せることにした。

 馬車を奪った弱々しい男性も、運河に落ちた騎士かどうかわからない男も、ナトンと一緒に連れて行かれたのだそうだ。後でソフィーが伯爵家に来てくれるようなので、きっとその時にわかったことを教えてくれるだろう。


 店の前で馬車を奪われてからリリィが運河で救出されるまで、実際には三十分程だった。大変密度の濃い時間だった。……結局グレイスとは誰なのだろう。



 伯爵家に戻ると――イザベラは寝込んでいた。泣きじゃくるリリアとエミリーに抱きしめられながら、……あ、これ多分、しばらく外出させてもらえないなとリリィは思った。

 気疲れしたので、今日は久しぶりに日がある内に眠ってしまおうと思ったのに……


 ――挨拶回りに出ていたトマスとキースが、大変面倒な人を連れて来たのだった。

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