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64 天使様たちの憂鬱 その6



「ある意味、ちいさな王女さまと護衛騎士のイメージ低下させることには成功してたんじゃないのかなぁ……あの二人」


 ぼそりとキースは呟く。でも恐らくそこは第三王子の意図したところではなかっただろう。病弱な王子様は、自分大好き! らしいから。


「まぁそんな訳で、『おまえは似ても似つかない偽物だ』とアーサー殿下はフェリシティに言い放ち、さらに『本物』を用意して二人を対比させたんです。格の違いは歴然としていましたね。招待客の目には野薔薇の姫君がさぞかし野暮ったく映ったことでしょう。……憂さ晴らしというか、完全に嫌がらせでしたよね、あれ」


 ざまあみろとでも言いたげな顔でダニエルは笑っている。


 キースはウォルターと共に馬車の中で待機していたので実際のところはわからない。でも想像はできる。何も知らない招待客たちには、リリアとルークの姿を見て、仲の良い恋人同士が愛を語り合っていると思い込んだだろう。……だが実際は、異国語でその後の潜入の手順について確認し合っていた。要するに殴る蹴るの話しかしていなかった。


 初の実戦を前に目を輝かせて大興奮している妹を、ルークは必死に宥めていたのだそうだ。心臓の音でも聞かせておけば多少は落ち着くかもしれないと抱きしめてみたら、条件反射でリリアがうつらうつらし始めて……ようやく人心地ついたのだと言っていた。

 幸せそうな二人の様子を目の当たりにして、野薔薇の姫君が何を思ったのかまでは、キースにはわからない。


「……でも」


 そこで一旦言葉を切って、リリィお嬢さまが顔を顰めて考え込む。しばらくしてからまっすぐにダニエルの目を見つめた。


「アーサー殿下が舞踏会に参加するとなった時点で、第三王子はこうなると予想できたはずよね。『野薔薇の姫君を舞踏会に参加させない』という選択肢を選ぶこともできたはず。そうすれば野薔薇の姫君も、ユラルバルト伯爵家も無傷で済んだ」


 挑むような声でそう告げたリリィお嬢さまに、ダニエルは意味ありげな微笑を返した。それで確信したのだろう。黙り込んで目を閉じて……眉間に皺を寄せてたっぷり五分は熟考していただろうか。


「……つまり、あの舞踏会は、第三王子が用意したフェリシティの処刑場だったってこと? 私たちまんまと利用されたの?」


 ダニエルはしっかりと頷き、リリィお嬢さまは不味い物を食べたような顔になった。

 着飾った貴族たちが笑いさざめくきらびやかな舞踏会は、第三王子がユラルバルト伯爵家と野薔薇の姫君のために用意した美しい処刑場だった。派手好きの王子様は演出効果に凝りまくった訳だ。……登場人物が豪華すぎて誰も第三王子なんて見てなかっただろうけれど。皆鬘にばっかり目がいっていたらしいし。

 

 何故? とリリィお嬢さまがダニエルに目で問う。


「彼女は致命的な失敗を犯したからです」


「……失敗?」


「キリアルトさんとの結婚許可書を承認させられなかった」


「……そこなの?」


 想像もしていなかった答えに、リリィお嬢さまは大きく目を見開いた。

 キースは気付かれないように小さくため息をつく。


 エミリーの求婚者たちが押しかけて来た日に、リリアとルークの目の前で第二王子が広げた結婚許可書。美しい装飾が施された紙にずらりと並ぶサイン――

 あれに関わったことが、野薔薇の姫君にとって『終わり』のはじまりだった。

 アーサーが持って来たのは偽物だ。本物など自分たちに見せられる訳がない。二人の結婚式は来年ということになっているが、すでに国も教会も彼らは夫婦であると認めているはずだ。『リリア』と『ルーク』の結婚許可書は確実にどこかに存在している。


 ――でもそこに()()()()()()()()()()()()()()は、知りようがない。


 裁判を起こさせて本人に証言させるのには失敗した。ふたりはさっさと結婚し、本物の結婚許可書はどこにあるのかわからない。サインを確認できる唯一の機会は失われた。

 

「エラさんの話を聞いていると、どうやらフェリシティは何も知らずに、純粋にキリアルトさんと結婚したかっただけみたいですけどね。第三王子の目的は別にあったんです。チャンスは一度しかなかったのに、彼女は失敗してしまった」


「意味が……わかんない」


「これ以上は私の口からは話せないんです。キリアルト家に関わる事なんですよ。うっかり喋ったりしたら、逆さ吊りにされる……」


 顔色を悪くしてダニエルが申し訳なさそうにリリィお嬢さまにそう言った。


「振り子のように揺れるダニエルを眺めながら、楽しそうにワインを飲むオーガスタお姉さまの姿がはっきりと見える……」


 にやにや笑うキースを見て、ダニエルが焦った顔で首を横に振った。隣に座るアレンの顔色も悪い。


「……不吉な予言はやめて。やるから。あの方本当にやるから!」


「……うん、やるわね」


 確信を持った声でそう言った後「だから聞かないでおくわ」とリリィお嬢さまは続けた。ダニエルは露骨に安堵した顔になり、カップに残っていた冷めきったお茶を飲み干す。

 ……オーガスタの名前が出るだけで、顔色を変える人間が多いなとキースは思う。もうすぐキリアから襲来するのだが、大丈夫なのだろうか。


「あとは……そうですね。彼女は闇の深い場所に入り込みすぎたということもある。そこは犯罪者たちの生きる場所とでも言えばわかりやすいですかね。最初は慎重だった彼女も、上手くいくにつれどんどん調子に乗って、とうとうそこの住人に目をつけられてしまった。第三王子もさすがにこれはまずいと思ったんでしょう。アーサー殿下と軍部を利用して、フェリシティを片付けることにしたんです」


 ガルトダット伯爵家の長女が運河を流れた時にはすでに、第三王子のシナリオは半分以上進んでいた。あの誘拐未遂に関わった男たちを唆した謎の女の名前は『グレイス』だ。これみよがしに実在する子爵家の娘の名前をわざわざ使っている。ここにいけばすべての証拠が手に入るぞとでも言うように。

 

「間もなくフェリシティは、堅牢な城壁と鉄格子と騎士たちに守られた『安全な場所』に連れていかれることになるでしょうね」


 さっさと捕縛しろとでもいうように、差し向けられた侵入者たち。ダニエルの言うように、結局自分たちは第三王子とその背後にいるルイーザ妃にいいように使われている。


「男爵令嬢なんでしょう、彼女? なんでそんなことに……」


 リリィお嬢さまが固い声で呟いた。


 犯罪者たちが暮らす世界も、この先連れていかれるのであろう鉄格子に守られた石の部屋も、貴族の娘がひとりで辿り着けるような場所ではなかったはずだ。

 直接対峙したリリィお嬢さまが、フェリシティは頭は良さそうだけど、複雑な事態に陥ると直観で行動してしまうタイプかもしれないと言っていたのを思い出す。「私も似たような所があるから」と苦笑いしているお嬢さまを眺めながら、キースはふと思ったのだ。 

 物事を始める前にまず予定や計画を立てて、代案を用意して不測の事態に備える……などというのは、日常生活の中で自然に身につくものだろうか? 日々の暮らしを生きるので精一杯の者たちは、先のことなど考えられない。その場その場で次に何をするのか決めながら生きてゆく。

 きっとフェリシティは、『常にその場で決める』という生き方しか知らない。リリィお嬢さまには与えられたけれど、彼女には与えられなかったものがあった……


 幽霊を見て恐怖で気絶するのだから、きっとフェリシティはごく普通の感覚を持った女性なのだろう。

 彼女がエミリーに対して行ってきた嫌がらせは、勿論許されることではないけれど、理解できない行動という訳ではないのだ。社交界ではそこかしこで平然と行われている。


 しかし、『グレイス』に対して行っていたことは、『普通』の感覚でできることではない。あれは犯罪だ。彼女がすべて思いついたものなのか、それとも唆されただけなのか。それはわからない。


 キースは隣に座るリリィお嬢さまをちらりと一瞥する。頭の良い女性だと勘の鋭いお嬢さまが言うのだから、実際にそうなのだろう。

 自分をしっかり持った貴族の娘が、自ら選んで暗い道を進んで行ったのだろうか。彼女は一度も引き返そうと思わなかったのだろうか。


 ……それ相応の覚悟はしていたはずだ。自分がやっていることの意味はわかっていただろうから。


「…………王子様にもう一度会うため、だったのかもしれません」


 ダニエルは声を落としてそう呟くと、不意に走った痛みをやりすごすように曖昧に笑った。リリィがはっと顔を上げて勢い込んで尋ねる。


「フェリシティは、アーサー殿下に会った事があるの?」


 え? と思わずキースは口に出していた。どうしてそうなるのかわからない。アレンも驚いた顔をしている。


「どうして『王子様』がアーサー殿下だと思うんですか?」


 感情の読めない微笑を浮かべて、ゆっくりとダニエルが質問を返す、リリィお嬢さまは目を閉じて胸に手を当てて心を落ち着かせようとするように一呼吸した。


「舞踏会でフェリシティは……リリアではなくて、私を睨みつけていたのよ。だから彼女の『王子様」は第三王子でもルークでもなく……アーサー殿下なんだろうなって。その感情がどんな種類のものかまではわからないけどね」


 そして目を伏せて小さく笑う。


「でも、それで納得した。だからナトンさんは、リリアではなく私を運河に流したのね」


 ナトンという名前を聞いた時、ダニエルの顔が一瞬歪んだことにキースは気付いた。だが彼はすぐに取り繕って穏やかな声で話し始める。


「私たちはギリギリまで勘違いしていたんです。狙われているのはリリアさまの方だとばかり思っていた。だからあれは、あの時ナトンさんができる精一杯の警告だったんです。裏の侵入口に関してもそうです。確かに忍び込むにはもってこいの位置です。姿を隠せる場所も多いし中の様子も見渡せる。でも、いざ逃げるとなった時には、石垣を乗り越えなければならない。誰かを抱えながら乗り越えるのはまず無理ですね」


「崩れるわね」


「実際崩れました。……つまりそういうことです」


「……ナトンさんは無事?」


 恐る恐るというようにリリィが尋ねる。ダニエルは目を細めて微笑んだ。


「……エミリーさんたちがずっと交代でついていらっしゃいます。ひとつだけ信じて欲しいのは、彼はガルトダット伯爵家に敵意を持った人間ではなかったということです。クインさまの件ももうすぐ片付くので、またみんなで出掛けられますよ」


「……うん」


 ダニエルの言葉にほっと安堵したようにリリィお嬢さまは頷いた。


「リリィさま、そろそろピアノの練習の時間ではありませんか?」


 アレンの言葉に、リリィお嬢さまは心底嫌そうな顔になる。一緒に来るの? と目で問われたアレンは当然のように「さあ行きましょう」と言って椅子から立ち上がった。救いを求めるような目をキースとダニエルに向けるが、二人はひらひらと手を振る。


「私、リリアさま担当なんで」


「俺、ここ片付けないといけないんで」


 二人を軽く睨みつけてから、リリィお嬢さまはすべてを諦めた顔でため息をついた。そして、仕事に出掛ける時のトマスとそっくりな表情で、アレンに連れられて使用人ホールを出て行く。背中に重たいものを背負っているかのような歩き方だった。……あれはもう限界だ。

 

 リリィお嬢さまには申し訳ないが、アレンが連れ出してくれて正直ほっとした。足音が遠ざかるのを待って、改めてダニエルに尋ねる。


「……本当の所は?」


「一命は取り留めた。でも意識が戻らない。エミリーさんたちはずっと泣いてる……」


 ダニエルは両肘をテーブルについて頭を抱える。


「……もう一杯お茶淹れようか?」


 そう言ってキースが立ち上がりかけると、ダニエルは項垂れたまま首を横に振った。


「キースは『聖ナル目ノ教会』についてウォルターさんたちからどこまで聞いてる?」

 

 左肘をテーブルについて、疲れ果てた顔半分を隠すようにしながらダニエルは尋ねた。


「十年くらい前にキリアに来て孤児院やってたって話と、教祖が詐欺師って話と、ラウダナム作ってたってことくらい」


 そっか、と短く答えて、虚ろな目でダニエルはテーブルを見つめた。リリィお嬢さまとリリアの前では決して見せなかったが、随分疲弊している。

 一命を取り留めたと言っても楽観視できる状態ではないのかもしれない。私邸でナトンのそばについているエミリーたちも、きっと疲れ果てている。


 ダニエルはアレンについてキリアに行っていたから、エミリーの護衛のナトンとはその頃からの付き合いだ。当時は胃に優しい食べ物を教え合う間柄だったのだそうだ。それが一緒にガルトダット伯爵家に滞在することになって、一気に親しくなったのだと聞いている。アレンを痩せさせるため、一緒に走ったり鍛錬に付き合ったり、時にはふざけ合ったりして随分と楽しそうだった。


「ナトンさんは孤児でさ……元聖眼教会の信者なんだよ。キリアにいた時に教会から離れてる」


 キースは空になった食器を片付けながらダニエルの話に耳を傾ける。多分、ダニエルはただ聞いてほしいのだろう。自分の胸に留めておくことがもう苦しすぎて。


 ウォルターたちは、『聖ナル眼ノ教会』は移動先で孤児を集めて世話をして、数年後に再び移動する時には信者になった子供だけを連れてゆくのだと言っていた。でも、置いて行かれるとわかっていたら、嘘でも信者になると言うのではないだろうか。置き去りにされたくなくて、歪んだ信仰でも何でも受け入れるのではないだろうか……

 そうやって孤児だったナトンも信者になったのかもしれない。


「信者の中でも一部の人間しか知らない、特別な技術を引き継いでたらしい。職人技みたいなものなんだろうな。聖眼教会の教祖が死んだ時多くの信者が後を追ったから、今現在その技術を持った人間は二、三人しか残っていない。……でも、ナトンさんは二度とラウダナムの精製に関わるつもりはなかった」


 指先から滑り落ちたカップが、受け皿に当たって、カシャンと音を立てる。ラウダナムはこのガルトダット伯爵家の人間にとっては因縁深いものだ。


 ――清貧を美徳と考える、穏やかで心優しい人間ばかりだった。


 ――それが神様の望みならと何の疑いもなく製造していた。


 その言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻き始める。


「全部が全部自分が作ったラウダナムのせいだと思ってたみたいだ。ガルトダット伯爵家が没落したことも、リリィさまとリリアさまが心に傷を負ったことも。暗い場所に導かれてしまったフェリシティのことも全部」


 ダニエルは力なく椅子に凭れかかって、天井を見上げて顔の前で両手で交差させる。


「ナトンさんは自分の持つ技術の価値を知ってた。それはつまり自分の命の価値だ。だから……命と引き換えにして、全部片付けようとしたんだ。自分が生きている限り同じ事が繰り返されるって……言ってたって……ごめん、ちょっと疲れててさ……」


 ダニエルの声が震えはじめる。私邸では弱音を吐く事もできなかったのだろう。泣いている少女たちがいるから。


「俺さ、キリアで結構あの人に助けてもらってたんだよ。随分年上なんだけど、俺みたいな若造にも丁寧に接してくれて、穏やかで優しくて……面倒見が良くて歌が上手くて。二人して、アレンさまとエミリーさまに振り回されてさ。いっぱい愚痴とか聞いてもらって」


 声がだんだん力なく掠れてゆく。胸の内に溜め込んでいたものを少しずつ少しずつ吐き出すように。


「割に合わないだろ。なんで……なんで自分のせいだなんて思うかな。絶対違うだろ。あんな身勝手でどうしようもない女、勝手に自滅させとけば良かったんだ……」


 最後の方はもうほとんど聞こえない……

 キースはかける言葉を見つけられず、眠るようにテーブルに突っ伏した友人から目を逸らす。そして、その場で硬直した。


 ……使用人ホールの入り口にブレアが凭れかかるようにして立っていたからだ。

 

 幽霊みたいな人間が多くて大変困るなと、そんな風に考えて無理矢理口元に笑みを浮かべる。何か不測の事態でも起きたのだろうか。本当に次から次へと息つく暇もない。でも、忙しい方が気が紛れてダニエルのためには良い事なのかもしれない。


 しばらく沈黙が落ちた。

 

「…………深刻な空気の所悪いんだけど」


 もうどうしようもないくらい申し訳なさそうな顔をして、ブレアが()()()()()()()()力なく笑った。その時点で何となく察した。


 ――あー帰って来るな、あの人……と。

……帰ってきます。

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