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61 天使様たちの憂鬱 その3



「……よかったんですか?」


 走り去ってゆく馬車を見つめながら、アレンが困惑気味に傍らに立つリリィに尋ねる。当主が出掛けるというのに見送りはリリィとアレンのみだ。


「少しずつ私たちは天使様から人間になるべきなのよね。明らかに美化されすぎだもの。トマスお兄さまが率先して情けない姿晒してくれてるんだから、お任せしとけばいいわよ」


 リリィはのんびりとそう言って、踵を返して玄関ホールに向かって歩き出す。アレンが油断なく周囲を見渡してから後に続いた。リリィの姿が外から見えないようにさりげなく体で隠す。


「理想の姿を押し付けられて、その通りに行動しろと求められるのって、息苦しくならない? アレンお兄さまもそうでしょう? 無駄に外見がいいと苦労するわよね」


 リリィはアレンを見上げて悪戯っぽく笑う。常に女性たちから理想の王子様像を重ねられているアレンは、曖昧に笑って誤魔化した。そのまま玄関ホールに戻って来ると、アレンは門の外の様子を一瞥してから扉を閉める。


 クインがこの屋敷に運び込まれた翌日の午後から、怪しげな男性が屋敷の外をうろつくようになった。わかりやすい行動を取ってもらえると、こちらとしても対処しやすいのでありがたい。


「通行人は一人。例の探偵だ」


「本っ当に、毎日毎日暑い中ご苦労様ですね」


 玄関ホールで待っていたダニエルが皮肉気な笑みを浮かべる。彼は夜明け前、人目を避けるようにしてガルトダット伯爵家の街屋敷に戻ってきていた。


「相手を侮らせるのは、トマスさまの常套手段です。外から中の様子を覗き見ていた方々は、きっと今頃気持ちが大きくなっていることでしょうね。さっさと仕掛けてきてくれると、こちらとしても大変助かるんですけど」


 毎日監視している彼らは知っているのだ。『グレイス』が保護されているこの街屋敷の中には今現在、イザベラとリリィとリリア、そしてアレンと年老いた使用人しかいない。 

 近衛騎士団は来週に迫った王宮舞踏会の準備で忙しいため、ガルトダット伯爵家に派遣されている護衛騎士は門衛のみだ。ルークはヒューゴを連れて朝から仕事に出掛け、当主は先程無理矢理馬車に詰め込まれて街屋敷を後にし、いかにも荒事に慣れていなさそうな近侍は都合よく納屋に閉じこもった。

 厄介なのはアレンだが、人質を取りさえすれば何とでもなる……という状況。

 

「ここまでわかりやすい罠にかかりますか?」


 リリィと全く同じドレス、同じ髪型をしたリリアが大階段を降りて来る。隣には黒い軍服を着た小柄な青年が付き添っていた。印象に残り辛い平凡な顔立ちをしており、年齢も性別もはっきりしない。歩き方や仕草は女性そのものだ。


「花嫁を取り戻したい花婿さんは短気な方のようですからね。探偵さんも随分とせっつかれているとは思いま……」


「クインの嫁ぎ先ってもうわかったの? どうやって?」


 ダニエルの言葉尻に被せるように、リリィが驚いたように声をあげた。


「……エラさんがかなりがんばって情報を集めてくれたんですよ。人や土地の名前が出たら必死に頭に叩き込んで、監視の目を盗んでは縫い針で皮膚に傷をつけてメモしていたんです。結局使用人の口は完全には塞げない。どこにでも噂好きの人間はいるということですね」


 ダニエルは躊躇う様子も見せたのだが、落ち着いた声でそう二人に説明してくれた。


「痕が残るようなことはないと聞いていますよ。すでに回復されていますのでご安心下さい」


 リリィとリリアの顔から血の気が引いたことに気付いたダニエルは慌てて付け加えた。

 何故エラがユラルバルト家にいたのか。その経緯をリリィはまだ教えてもらっていない。クインと同様に食事も睡眠時間も満足に与えられていなかったと聞いていたが、まさか自分の体に傷をつけるような事までしていたとは……


「エラは……戻って来るつもりだったんだ」


 それが分かっただけで、今は十分。そうリリィは自分自身に言い聞かせてぎゅっと拳を握る。きっともうすぐ会える。その時に本人の口から話してもらえばいい。


「私たちも舞踏会の後片付けをしなくちゃいけないのよね。……みんなでまたお買い物に行くためにも早めに終わらせなくちゃ」


 エミリーとジェシカと約束したのだ。ユラルバルト家の舞踏会が終わったら()()()で一緒に買い物に行こうと。

 二人の伯爵令嬢は目を合わせてしっかりと頷き合う。

 俄然やる気になったリリィとリリアを見て、ダニエルが顔を引きつらせ、「……良くないかも、この感じ」と、リリアの隣に立つ青年が口の中でぼそりと呟いた。


 その時、使用人棟の方からバタバタと派手な足音が聞こえて来た。


「探偵が手鏡で光を反射させて誰かに合図送ってる。裏から侵入してくるかも」


 玄関ホールに駆け込んできたキースが一息に捲し立てた。全員の顔に緊張が走る。

 ここまでわかりやすい罠に自ら飛び込んでくるというのだから、その探偵も依頼人に容赦なく急き立てられて、冷静な判断力を失っているのかもしれない。


「アレンさま行きますよ。こっちはブレアさんがついているので大丈夫ですから」


 そう言い置いて、ダニエルがアレンの腕を引っ掴むと使用人棟に向かって走り出す。


「いいですか、絶対に……絶っ対に喧嘩を売らないで下さいねっ!」


 アレンは一度だけ振り返ると、真剣な顔でそう言い放った。リリィとリリアはむっとした顔になる。……それはどういう意味だ。


「最近まともな事言うようになりましたね……アレンさま。成長したなぁ」


「みんな同じ事言いますね……」


 息を整えたキースが、肩にかけていたロープをブレアと呼ばれた青年に渡した。『まともな事』って、それはどういう意味だ。


「手の内を明かさないためにも余計なことは言わない。大切なことですよ」


 ブレアは少女のように軽く首をかしげて二人の顔を順番に見た。余裕のある態度や言葉の選び方から、彼も実際の年齢より若く見える人なのかもしれないとリリィは推察する。さすがにエメラルドグリーンの目をした王族程ではないだろうが。

 

 ブレアがすっと外に続く扉に視線を流した。玄関ホールに沈黙が落ちる。


 キースが服の乱れをさっと整え扉に歩み寄る。ブレアはロープを持って銅像の台座の陰に身を隠し、リリィとリリアは大階段の前に並び立つ……


 今は社交界シーズン中だから、貴族たちは顔を売り人脈を広げるために毎日毎日知り合いの貴族の街屋敷を訪ね回っている。有力貴族の屋敷の呼び鈴は鳴り続け、ひっきりなしに訪問客が出入りしているはずだ。


 しかし、ガルトダット伯爵家に客が訪れることはない。没落して醜聞にまみれているし、敷地内に入ると呪われる。

 去年までは冷やかし程度に訪れる者もいた。社交界デビューした長女に対する結婚の申し込みもそれなりにあった。でもそれは、愛人騒動が再び掘り返される前までの話だ。今年は見事に誰も来ない。「あそこは街屋敷ではなく墓場だ」とまで揶揄されている。


 ――墓場に住む伯爵が、墓守と死神と幽霊を連れてユラルバルト伯爵家の舞踏会に参加した。


 その舞踏会は招待客全員が逃げ帰るという大惨事となった。舞踏会には王子二人が参加していたから、これはもう取り返しのつかない大失態だ。ユラルバルト伯爵家は没落への一歩を踏み出した。


 ……しかし、それもどういう訳だかガルトダット伯爵家の呪いのせいになったようなのだ。


 ガルトダット家の呪いは関わる家をどんどん没落させてゆくらしい。

 何でもかんでも呪いのせいにするのは本当にいかがなものだろうか。噂をばら撒いている方々は、リルド侯爵家もフェレンドルト公爵家もキリアルト家もその内没落するとでも言いたいのだろうか。

 

 階段をのぼる足音がして扉の前で誰かが立ち止まった。

 キースが扉の取っ手に手をかけ、相手が呼び鈴を押す前にドアを開ける。訪問客はフロックコート姿の中年紳士だ。突如開かれた扉に驚愕し、さらにキースの姿を目にした途端、幽霊を見たような顔つきになった。

 ついさっき庭に向かって走り去った青年が、目の前でにこやかに立っている。キースは普通に走って戻って来ただけだが、混乱した相手はそんな当たり前の結論に辿り着けない。


「当主は不在です。呪われる覚悟がおありならどうぞお入りください」


 最上級の笑顔を浮かべ、慇懃無礼にキースはそう挨拶をする。

 顔色を悪くしながらも、男は招かれるまま玄関ホールに足を踏み入れた。いかにも恐る恐るといった様子だ。背後でキースがわざと大きな音を立てて扉を閉める。男は大きく体を震わせた。手に持っていたステッキが派手な音を立てて床に倒れたが、それに気づく余裕もないようだ。


「いらっしゃいませお客様。呪われたガルトダット伯爵家へようこそ」


 大階段前に立つリリィとリリアが声を揃え、二人は同時にスカートを持ってお辞儀をする。まるで鏡に映ったように全く同じ動作、同じ表情だ。男は大きく首を振るようにして忙しなく二人を見比べる。

 二人はとても良く似ているが顔が全く同じという訳ではない。でも、外の人間が二人を見分けられるはずがない。

 

「わたくしたちのどちらに会いにいらしたのですか?」


「わたくしですか? それともわたくしではない方ですか?」


 顔が違うから当然声も違う。でも仕草と表情はまるで同じ……

 訪問客は首を振り続けながら半歩下がった。その様子は二人を見比べているというより、閉じ込められた悪夢から必死に目を覚まそうとしているようにも見える。


「それとも、見分け方を見つけてこいとでも依頼されましたか?」


「でも、それは、難しいと思いますよ?」


 二人は作り笑いを浮かべ、切れ目なく交互に言葉を続ける。


「わたくしたちは、自分でもどちらがどちらなのか、はっきりわかっておりませんから」


「わたくしたちは、すべて半分ずつ分け合っておりますので」


 二人の伯爵令嬢は一旦言葉を止めて、同じ角度で首を傾げた。そのままゆっくりと訪問客に歩み寄ってすぐ目の前で立ち止まる。腕の振り方や歩幅、足を止めるタイミングまで全く同じ……

 訪問者は自棄を起こしたように右側にいる少女の腕を掴む。その途端男は自分が何故こんなことをしたのかわからないというように、愕然とした顔つきになった。二の腕を掴まれた少女は何の抵抗もしない。それどころか慈悲深い笑みを浮かべてみせる。


「ほんとうにわたくしでよろしいのですか?」


 少女は自分を捕らえた男の目をまっすぐに見て、試すようにそんな事を言った。男の顔に焦燥感が浮かぶ。追い詰められ混乱した男はもう、自分が何をしているのかよくわからなくなっている。


「ほんとうにわたくしでなくてよろしいのですか?」


 すぐ隣に立つもう一人がそう尋ねる。男は怯えた目をしながら、もう一人の腕も掴む。彼女もまるで抵抗する様子を見せない。ふたりは揃って憐れむような目を男に向けた。


「短絡的ですわね」


「両手が塞がってしまいましたね。あまりよろしくない状況なのでは?」


 足元でこんっという軽い音が響いた。駆け寄って来たキースが大きく開かれた男の口の中に容赦なく折りたたんだ布を押し付ける。


「大きな声を出さないで下さいねー。病人がおりますので」


 絶叫はすべて布が吸収した。キースは限界まで目を見開いて崩れ落ちる男を羽交い絞めにしてリリィとリリアから引き離す。男は痛みに耐えるのが精一杯で、抵抗らしい抵抗をしなかった。……と思ったら蒼白な顔で意識を失っていた。


「あ……」


「え?」


 キースとリリアの顔から一気に血の気が引く。ブレアが台座の後ろから飛び出してくると、男の首に指を当てて脈を確認した。


「大丈夫です。多分酸欠ですね。口をおさえすぎたかもしれません」


「……殺人犯は嫌だわ」


 リリィはやっとのことで掠れた声を絞り出した。心臓が嫌な感じで走っていた。リリアとキースは床に膝をついて転がっている男を茫然と見ている。


「リリアさまにはいい薬になりましたね。こういうことは現実に起こり得るんです。どうか心に留めておいて下さいね」


 真っ青な顔をして震えているリリアの隣にしゃがみ込むと、ブレアは優しく声をかけた。


「だからできれば安全な場所にいて欲しいなって思う訳なんです」


 場を和ませるような笑顔を浮かべながらも、彼は手慣れた様子で男をロープで縛り上げていた。

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