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59 天使様たちの憂鬱 その1




「……どうしてだろう、きれいなお星様の下で恋人同士が愛を語り合うようなことには絶対なってない気がする」


 執務机で手紙を書いていたトマスが、ペンを止めると、何気ない感じで天井を見上げた。


「『殴るなり蹴るなり』の辺りからルークさんため息いてましたねそういえば……。何でも暴力で解決しようとする思考はよくないですしね」


 傍らで手紙の整理をしていたキースも手を止めて天井に目を向けた。


「でもさー、オーガスタお姉さまって、そういうところあるよね?」


 トマスは恐る恐ると言った感じで『オーガスタお姉さま』という言葉を口にした。うっかり声に出すと、何か災いがふりかかるのだとでも言うように。


 オーガスタは『オーガスタお姉さま』と呼ばなければならないという不文律が存在する。本人がいない所では呼び捨てにしているキリアルト家の弟たちも、本人の前ではきちんと『お姉さま』をつけている。「もうお姉さまって年じゃないよなぁ」とぼそりと言ったロバートは、船首像のように船の穂先に括りつけられたのだそうだ。

 船はそのまま出港しようとしたらしい。足元に何もない恐怖よりも、「こいつら今時何やってるんだ」と言いたげな周囲の目が痛かったのだと本人が語っていた。


「……単純に、ああなって欲しくないんでしょうね。でもリリアが目指してるのはオルガさまの方ですよ」


「オルガさまはかっこいいよねぇ」


 トマスの声が明るくなった。……オーガスタの時とは表情がまるで違った。


「レーシャさま、大きくなったでしょうね。前会った時は四歳でしたっけ?」


「……おにーさま、おにーさまって可愛かったなぁ。あれこそまさに『天使様』だったよね」


 トマスが締まりのない顔になって、ふにゃりと笑う。レーシャは素直で人懐っこい、愛らしさだけを集めて作られたような女の子だった。


「……かわいかった」


 書類を確認しながらぼそりとヒューゴが言う。そういえばこの人もいたな、とキースは思い出した。


「後ついて回られてましたね。懐かれてましたよね。将来が心配だとロバートさんが頭抱えてましたけど」


 にやにやしているキースを一瞥して、


「向こうはこの髪と目の色の人間が多いからだろう?」


 そっけなくそんな事を言いながらも、ヒューゴの口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。今の所、レーシャはヒューゴが躊躇わず抱き上げることができた、たった一人の女性だ。


「そうえば、ロバートって、キリアに帰ったんだっけ? 毎回、いなくなってしばらくしてから気付くんだよね」


「見送られるの嫌がりますよねー。もう出港しているかもしれませんね。リリアと約束したから、戻る時にはオルガさまとレーシャさま連れてきてくれるって言ってました。楽しみですね」


 声が弾んでいるのが自分でもわかる。レーシャに会うのは三年振りだ。びっくりするくらい大きくなっているだろう。


「……僕ら全員確実に忘れられてるよね。三年って長いよね。リリアはアレンの存在をすっかり忘れ去ったしね」


 自虐的なトマスの言葉に、場の空気が凍った


「……はじめましてでも別にいいじゃないですか。秋くらいかな。楽しみですね!」


 しばらくの沈黙ののち、キースは何かを吹っ切ったように笑う。「そうだな」と落ち着いた声音でヒューゴが同意した。


「なかなかのお転婆に育ってるみたいだけどね。楽しみだねーという訳で、明日おじいさまと会わないといけないからもう寝る。あーやだなー」


 肩を押さえてトマスが長い長いため息をつく。


「自分の言葉には責任持って下さいねー」


 他人事の気楽さでキースがそう言うと、トマスは恨めしそうな顔をした。


「何も報告できることなんてないって。おじいさまなんか期待してるみたいだけど、ヒューゴとクインって、まだまともに顔も合わせてない訳だし……さ……」


 頬杖をついてぶつぶつ言っていたトマスが、ふと何かに気付いたように中途半端に言葉を止める。


「そうですねー。クインさまが最初に目を覚ました時に、ちょっとだけ顔を合わせただけですもんね。……期待されているような展開になるかどうかは……まだ……わか……」


 キースの言葉尻も口の中に消えた。はっと二人は顔を見合わせる。


「……リリアがクインにヒューゴを会わせるの渋り出したのって、僕が明日おじいさまと会うって話を聞いた後からだよね。……うわぁ、そっか、リリアが怒った理由はそれか。となると、しばらく許してくれないな。当分あんな感じかぁ……つらい」


 ごんっと、トマスが執務机に額を打ち付けてそのまま動かなくなった。


「……多分そういうことでしょうね。冗談でも『駆け落ち』はまずかったですね」


 キースが苦い顔をする。額を赤くした主が、執務机に片頬をつけて死んだ魚のような目をしている。


「あの時はまだあの子がどんな子かわからなかったの。それに誘拐犯になるの嫌だったんだよ……。うん。明日しっかり訂正してくる。でもおじいさまも本当はわかっていると思うんだけどなー」


「イザベラさまにどんどん再婚話持ってくる程度に空気読まない方ですよ。……それでイザベラさまもリリアの方についたのかぁ」


 キースがそう告げると、トマスは執務机に片頬をつけたまま、頭をずるずると動かしてソファーに座っているヒューゴに視線を向けた


「……ヒューゴ。君やっぱりこのままクインに会わずに帰りな? 僕たちも天使様なんて言われて悪い気がしなかったし、しかもクインが可愛かったから舞い上がってた。……そうだな、手紙を書いてあげるといいよ。それでお互いに相手のことを忘れよう」


「そうですね、あまりに現実離れした設定だったから、全員ちょっとおかしくなってましたね……」


 『おにーさま、おにーさま』と慕ってくれたレーシャと同じなのだ。ちいさな存在が可愛くて、『天使様』と頼られることが嬉しくて、トマスとキースは少し調子に乗っていた。


 ヒューゴは意味がわからないというように眉間に皺を寄せている。不快そうな表情を見てキースはこれはまずいぞとようやく危機感を抱いた。

 あの子は、彼の初恋の少女と雰囲気が似ている。絶対に面倒なことになる。リリアはいち早く気付いていたのかもしれない。


 ヒューゴが逃げ回っているのは、今度は失敗したくないからだ。それはつまり、クインに嫌われたくない……好かれたいと思っている証拠でもある。


『あなたの運命の人はちゃんと別にいるのです。可愛くて大人しくて優しくて絶対暴力をふるわないお嬢さんが、もうすぐヒューゴさまの前に現れます』


 キースは、夕食会の夜にヒューゴに言い聞かせた言葉を思い出して、心底後悔した。もしあれが影響しているとしたら……どうしよう。

 救いを求める目を当主に向ける。視線に気付いたトマスはのろのろと執務机から顔を離した。ちいさく息を吸って吐いて、非常に嘘くさい笑みを浮かべる。


「ヒューゴ、君がいるとその分食費と燃料費がかかるから、帰ってくれないかな?」


「……いやだ。後でまとめて請求すればいいだろう?」


 やはりここで渋るのかとキースは固く目を閉じる。トマスの顔が一瞬歪んだが、すぐに何の感情もない社交用の笑顔に切り替えた。

 まだヒューゴは気付いていない。……だったら、気持ちが育つ前に離れた方がいい。


 黒い髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ王様と、金の髪に青い瞳の宰相。

 伝統と言われるようになる前に、どこかで断ち切るべきだったのだと当事者全員が思っている。フェレンドルトの一族に嫁入りした娘にかかる重責は……筆舌に尽くしがたい。


「自分の屋敷に帰った方が美味しい物食べられますよ? ここ、野菜スープしか出ませんしねー」


 にこにこと愛想よく笑って帰宅を促すと、ヒューゴがムッとした顔になった。帰れ帰れと言われて彼は傷付いたのだ。不貞腐れたヒューゴはテーブルの上の書類をかき集める。


「別に野菜スープで構わない。でも一度戻らなければならないと思っていたから、明日帰る。三日経ったらまた来る。……王宮の舞踏会の準備ちゃんとしておけよ」


 ……もう戻って来なくていいから。そして余計なことも言わなくていいから。


 トマスとキースは心の中でそう言い返した。それを声に出してしまうと、ヒューゴは落ち込んで眠れなくなる。彼は傲慢そうな見た目に反して繊細で非常に傷付きやすい。

 ヒューゴは乱暴に書類を纏めると立ち上がり、暗い声で「部屋に戻る」と一言い置いて去って行った。間違いなく拗ねていた。ぱたんと扉が閉まったのを確認して、トマスが執務机に突っ伏す。


「キース……悪いけどルーク呼んできて。多分まだ屋根だから」


 なにもかもが嫌になったという感じの、くぐもった声が聞こえて来た。


「……俺に、星空の下で恋人同士が語らい合っているのを邪魔しに行けと?」


 作り笑いを浮かべたまま、キースは軽口を捻り出した。


「絶対そんな素敵なことにはなってないから。どうせ殴る蹴るの話しかしてないよ。……そうだねあったね。ユラルバルト家の舞踏会のせいで終わった気になってたな。リリィ覚えてるのかな」


 ははは……と、トマスは力なく笑った。

 来週、社交シーズンの終わりを彩る王宮の舞踏会がある。当初はリリアが身代わりとして参加する予定だった。まだリリィお嬢さまがダンスを踊れなかったためだ。

 ガルトダット家としては、今シーズンは最後までリリアにガルトダット伯爵家長女の『役』をこなしてもらうつもりでいた。途中で入れ替わると、気付かれてしまう可能性が高い。

 なのに、リリィお嬢さまが運河を流れた日、突然短気な王子様が言い放ったのだ。『今日から身代わり禁止』と。

 そのため、夕食会には、リリィお嬢さまが本人として参加することになった。勿論あの夕食会を開催しろと命令したのは、癇癪持ちの王子様だ。理由なんて教えてくれる訳がない。


 リリィお嬢さまはやはり『やればできる子』だった……


 これなら王宮の舞踏会も何とかいけるかも。と、関係者全員少し希望を持った。

 ……しかし、食事の後、彼女は誰彼構わず喧嘩を売りだした。

 これ、やっぱり舞踏会ちょっと無理かも。と、誰もがそう思い直した。この時点ですでにリリィお嬢さまを何とか踊れるようにしようとする意欲を、全員失っていた。

 

 さらに、リリィお嬢さま本人がリリアに対して『保留』と言い切った事で、ドアの外で固唾を飲んで見守っていた者たちは胸を撫で下ろした。

 リリィお嬢さまはその場で現王族を選ばなかったが、元王族も当然選ばなかった。選択肢を増やす提案にも頷かなかった。

 つまり、現状維持を希望するということなのだ! 『保留』という言葉の意味を、ガルトダット伯爵家の()()()は都合よくそう解釈した。

 例えリリィお嬢さまがこのまま誰かを選ばなかったとしても、リルド領でルークが『義妹』の面倒みるから何にも問題はない。()()()にとってそれが一番幸せだ!


 全員楽な方に逃げた。一ヶ月間ルークが執事をやったせいで堕落していた。


 リリィお嬢さまが踊れないなら踊れないで仕方がない。『怪我をした足が痛むので、まだ踊るのはちょっと……』で誤魔化そう。このまま全部有耶無耶にして逃げ切ろう! そうだそれがいいぜひそうしよう眠いし!

 そう結論付けて寝て起きたら、突然押しかけて来た真っ黒な王子様に、ユラルバルト家の舞踏会への参加を笑顔で命じられた。……このまま堕落させておいてくれるつもりはなさそうだった。没落したのは仕方ないが、堕落するのはダメらしい。


 残念ながら、リリィお嬢さまはやはり『やればできる子』だった……三日でちゃんと踊れるようになってしまった。

 そして、ユラルバルト伯爵家の舞踏会でも、彼女は誰彼構わず喧嘩を売りまくった。

 温室育ちの少女は、本当に怖いもの知らずだった。だから、王宮の舞踏会に行っても、きっと大丈夫!


「あれのお陰で全員踊れるようになったので、よかったですよね。……王宮の舞踏会って人が多いから色々誤魔化せますよ、頑張って行ってきてください……」


「リリィちゃんと大人しくしていられると思う? ユラルバルト家でやりたい放題だったんだけど。あれ王宮でやられるとすごく困る……」


 反対側の頬を机につけて、トマスはどこか遠くを見ていた。キースの位置からはトマスの背中しか見えないが、その背中は泣いていた。不安になる気持ちはわからなくもないが、キースには参加資格がないのでどうすることもできない。……良かった。平民で。

 こんなに落ち込んでいる主を元気づけるために、自分に何かできることがあるだろうか?

 キースは少し考えてみる。そしてふと気付いた。

 ……落ちるところまで気持ちが落ちれば、反動で浮上するかもしれない。もっと大きな危機が差し迫っていることを知れば、このくらい些細なことだと思えるだろう。


 今、ここで告げるべきなのだ。今まで彼には隠されていたことを。


 キースはぐっと拳を握りしめて、覚悟を決めた。こういうのは勢いが大切なのだ。……よし、言う。


「……仕方がないから、オーガスタお姉さま呼ぶってルークさん言ってましたよ」


 できるだけ平常時の声を出すように心掛けたつもりだ。「明日手紙が届きますよ」くらいの気持ちで。


「だから、リリィお嬢さまが何やっても、誰の目にも留まりませんて……」


 トマスを元気付けるためにそう続けてみた。どうせ大した効果はないだろうなと思いつつ。


「…………みんな知ってたの? なんでまた僕だけ知らないの?」


 返って来たのは、聞いているとこちらも悲しくなるような、弱々しい声だった。

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