57 墓守の元王族 その1
遅くなって申し訳ございません
今回と次回は天使様から話が逸れます……
「そもそも、倒すって何? ロバートみたいに膝をつかせればいいのかな?」
トマスが難しい顔をしてまたお茶を一口飲む。
「どうなんでしょうね? トマスさまならできます? 俺、勝てる気しません」
「僕だと怪我させちゃうと思う。……リリアの安全を考えるならルークに頼むしかないよ。でも絶対断られる」
「一瞬で勝負つくでしょうけど、リリア悔しがって泣くでしょうからね……」
余程の理由がない限り、ルークはリリアが泣くとわかっている行動を取らない人だ。そこはもう昔から徹底している。
「その後絶対毎日挑まれるよね。だからルークもやりたがらないと思うよ」
リリアは思い込みが激しい上にかなりの負けず嫌いだ。一度こうと決めたら譲らない。だから、クインにヒューゴを会わせないと言ったら会わせない。
「……アレンさまに頼みます?」
「リリアに傷ひとつでもつけたら、今度こそアレンの人生終わるけど? 唆した僕らもただでは済まないと思うよ?」
トマスがふっと皮肉気に笑った。そしてお茶をもう一口飲んで小さく息を吐く。
「でもさ、なんでリリアあそこまで抵抗するだろ? 最初はヒューゴがクインから逃げ回っていることに対して怒ってたよね。『今更』って言うならそうかもしれないけど、ヒューゴがクインのことすごく心配してるのわかってる筈だし、あの子らしくないなとは思うんだよね。……僕に冷たいのはいつものことだけど」
「今までの仕返しだっていうのは確実にあるんでしょうけど、それだけじゃないような気もしますよね。扉の隙間から数秒間様子見せるくらい問題ない筈ですから。……トマスさまに対してはいつも通りの感じでしたね」
トマスとキースは不思議そうに顔を見合わせた。
「単なる嫌がらせで、ああいうことする子じゃないよねぇ」
トマスはどんよりとした顔でお茶を飲んでいるヒューゴを見つめた。キースもつられて視線を動かした。
「……イザベラさまが止めなかったんだから、ちゃんとした理由があるのかもしれませんね」
二人の視線に気付いたヒューゴが、「何だ?」というようにのろのろと顔を上げた。眉間に皺はないが、目の下にうっすら隈ができている。ここ数日あまり眠れていないようだった。
……これ、なんかいつもと違う。でも何が? トマスとキースは揃って首を傾げた。
士官学校に入学して離れていて暮らすようになると、毎週のようにリリアから手紙が届くようになった。書かれているのは些細な日常の出来事だ。
オムレツが焦げたこと。園丁が指先を薔薇の棘で怪我したこと。庭に遊びにくる鳥が卵を産んだこと。リリィが今読んでいる本のこと。トマスやキースのちょっとした失敗話。
『みんな元気にしているので心配しないで下さいね』
必ず最後はそう結ばれていた。
読み終わった手紙は必ずその場で燃やした。丁寧に書かれた文字。思いのこもった手紙が灰になる。
そうしなければならない自分の立場とやらにひどく腹が立った。
何より我慢ならなかったのは、母国の人間がリリアの心に深い傷を負わせたことだ。
どこの国にも必ず一定数はわかりやすい見た目を好む人々が存在するらしい。
異国人だった祖母に大火傷を負わせ、祖父の命を奪い、違う色を持って生まれてきた子供たちを国から追放し……その上さらに両親と妹たちを誘き寄せて海に沈めた。そんな者たちが治める国に好感など抱けるわけがない。自分と同じ髪と目の色を持つ人間が住んでいるからといって、それが何だというのだろう。
――墓守をするから二度と戻らない。
「それは我が儘だ」だの、「愛国心はないのか」だの、まるでこちらに非があるかの如く責め立てられた。
茶色の髪を持つ従兄たちにはさっさと継承権を放棄させたくせに、銀の髪を持って生まれてきた子供には、飾り物の王家の一員として国に尽くせと傲岸不遜に命じる。呆れを通り越して笑いがこみあげた。
暴力に訴えるとロバートやレナートのように拘禁されるので、自称友人を通してしかるべきところにお願いし、力業でねじ伏せてもらった。
その国でも、ちいさな王女さまと護衛騎士の物語は大人気だというのだから、皮肉なものだ。
祖母は異国での差別に苦しみながらも弱き者たちに寄り添い続けていた。当時笑顔で手を振っていた子供たちが大人になったと……そういうことなのだろう。
ちいさな王女さまのお陰で、墓守の元王族はそれなりに支持を得ているらしい。
一週間ほど前、母国に残っている母方の祖母から手紙が届いた。見るのも不快な紋章入りの手紙が一緒に添えられていた。
キリアルト家と揉めに揉めた家の一人娘が、とうとう世継ぎの男子を産んだ。どうせその関連だろうと思っていたが、もう少し話は複雑だった。
『あなたからの贈り物のお陰だと噂になりつつあります。面倒なことになるやもしれません。気をつけなさい。……あと、一緒に届ける手紙は必ずお読みなさい。リリアにも関わる事です。許せとは言いませんが、過度の報復をしたということは忘れないように』
最後にそんな一言が書き添えられていた。……報復をしたのはレナードだ。
――贈り物などした覚えは全くないがどういうことだろう。
たまに思う。リリアは手が空くといつも手紙を書いているのだが、一体どこにばら撒いているのだろうかと。イザベラとダニエルが目を通しているので問題はないと思うのだが。
「怒らないんですか?」
「何か怒られるようなことをしたんですか?」
ルークが穏やかにそう返すと拗ねた顔で押し黙る。色々やっている自覚はあるのでどれかわからないのだろう。
満天の星空だ。夕方風が強く吹いて上空の雲を吹き飛ばした。
「空の方に落ちて行きそうで怖いですね」
不安げな顔で胸にしがみ付いてくる。それでは星が見えないだろうに。
彼女が好きなのは高く澄んだ青空と白い月だ。指先を必死に伸ばして月に触れようとする。その時足元など見ていない。人間には翼がないのに、彼女は時折本気で自分が飛べると何の根拠もなくそう思い込む。そういう時の彼女の目はキラキラと輝いていてとても楽し気だ。見ている方は気が気ではないのに。
「……せっかく屋根にまであがったので星を見ませんか?」
胸にしがみ付いているリリアが涙目で見上げてくる。大変悲し気だ。第二王子からリリアにもご褒美が届いたため、昼まではあんなに機嫌が良かったのに。
「明るい時にのぼりたかったのです」
どうせ何を言っても嘘つきだと責められるのはわかっている。昼間の内に敷物とランタンは屋根に上げておいた。ルークはにっこりと笑って、リリアを胸から引き剥がすと、その場に腰を下ろした。
「昼間に屋根に上がると、こちらの心臓がもたないので。……星の位置を覚えないと、船には乗れませんよ。星座を探してみましょうか」
寝転んで星空を見ると、リリアの言う通り天と地のがひっくり返ったような感覚に陥る。こんな風にゆっくり空を眺めるのは久しぶりだ。伸ばした指先が、幼い頃に教え込まれた星座をなぞる。
「子供の頃、こんな風に庭で寝転んで、星を見たことがありましたね。あの時はレナードお兄さまが来ていました」
ため息をついて隣に座ったリリアが星空に向かって手を伸ばす。
ロバートがお土産としてリリィに星座の本を渡したのだ。それで彼女が星を見たいと言い出した。丁度レナードが来ていて……四人で庭で寝転んで、夜空を眺めた。
レナードと知っている限りの星座の名前を次々と言い合っている内に、気付けば二人の少女は眠ってしまっていたから……そのまま押し黙って星空を見ていた。胸に去来したのは静かな悲しみだったように思う。
しばらくしてから、ゴンっという音と共にレナードがうめき声をあげた。
「……いってぇ」
当時相当寝相が悪かったリリィが、傍らに寝転ぶレナードを容赦なく蹴り飛ばしていた。
「ルークさまとレナードお兄さまが次々と星座の名前を言っていたのを、何となく覚えています」
「その後レナードがリリィお嬢さまに脇腹蹴られてましたね」
「リリィお嬢さま、寝相悪かったですからね」
ふふっと笑ってリリアは目を細める。
「あの後すぐでしたね。クラーラさまが訪ねてきたのは」
その言葉を聞いた途端にリリアの顔から表情が消え失せる。しかし、彼女はすぐに取り繕うように微笑を浮かべた。
「先日お手紙が届きました。とても元気な男の子だそうです。……ほっとしているのです。本当に、苦しそうでいらっしゃった」
「何を贈ったのですか? 向こうでは随分噂になっているようですが」
「柔らかい布で作ったひざ掛けですよ? オルガさまに教えてもらった魔除けの図案を目立たない場所に刺繍してありますが。でも噂って……」
少し考え込むような目をしてから、はっとしたようにリリアがルークを見下ろす。
「……待ってください。まさかあれのお陰でどうのこうのという話になっている訳ではないですよね?」
「男子が生まれたのはそのひざ掛けのお陰だという噂が。しかも私が贈ったことになっているようですね」
ため息をついてそう告げると、彼女の顔から血の気が引いた。
「……あの魔除けは人々の言葉の悪意を祓う効果のあるものです。クラーラお姉さまが心穏やかにお過ごしになれるようにと刺したものです」
握りしめた拳が震えていた。悔しそうに唇を噛む。どうして……と。彼女はちいさく呟いた。
「……私のせいですね。私がクラーラお姉さまに違う悪意を引き寄せた」
やはりそう捉えるのだなと思った。祖母はそれをとても心配していたのだ。
リリアは何年も子供ができずに苦しんでいる友人を、口さがない人々から守ろうとして魔除けの模様を刺繍したひざ掛けを贈ったのだろう。リリアも社交界にデビューしてから心無い言葉に随分傷付けられてきたから。
しかし、そのひざ掛けを使うようになった途端に懐妊し、しかも生まれて来たのが元気な男の子だったとなれば。……しかもそのひざ掛けを贈ったのが元王族となれば意味が変わってくる。
それは一体誰の子供だ……と。
男児を産まなければ責められ、産んだら疑われる。本当にどうしようもない。
「彼女はあなたからの贈り物をとても喜んで、常に持ち歩かせていたそうです。だからこそ、こんな噂が立ってしまったのだろうと。……泣かないで下さい。あなたからの手紙が彼女の支えになっているから、どうか手紙のやり取りだけは許して欲しいと書かれていました。……私はどこまで心の狭い男だと思われているんでしょうね。確かにあの紋章見た瞬間に、読まずに破り捨ててやろうかとは思いましたが」
「あの方たちは何も間違ったことは言って……」
その先を聞きたくなくて無理矢理遮る。
「それに関しては、あなたが何を言おうと許すつもりはないので聞きたくありません。……でも、彼女だけは、あなたに対して最初から最後まで誠実でした。それは認めています。『国のために命をかけられないような男性と婚姻関係を結ぶつもりはない。私をバカにするな!』彼女は泣きながら周囲に対してそう啖呵を切ったんです」
リリアは遠く離れた友人の姿を思い出したのか、小さく笑った。
「自分が男に生まれていたら、議会を制圧しようとしてとっくに処刑されているなと、クラーラお姉さまは常々手紙に書いていらっしゃるのです。国を想う気持ちが誰よりも強い方です」
何故そんな物騒な手紙をわざわざ送って来るんだとルークは呆れた。でも愚痴りたくなる気持ちもわからなくもない。
本当にあの国はどうしようもないのだ。前王は相当な女好きだった。子供が多すぎて継承争いが勃発し、それが周辺国を巻き込んだ戦争にまで発展した。唯一戦火を生き延びた現国王は、父親の悪い部分を受け継いだのか、議会に政治を丸投げした挙句、このご時世に異母妹との結婚を強行してしまった。
その一人息子がクラーラの夫なのだが、彼は大変病弱な王子様なのだ。結婚して七年経っても子供に恵まれず、果たして世継ぎは生まれるのだろうかという不安が国内に広がり始めていた。そんな中での健康な男子の誕生である。
……疑う人間が出てくるのはわかる。でも相手が自分であるというのがどうしても納得がいかない。
二国間には海があるから、もし裁判にでもなるようなら、国から出ていないと証明すればいいだけの話ではある。ルークが自分自身の疑いを晴らすことはそれ程難しくはない。
「彼女は国を出ていませんし、私も国から一歩も出ていないという証明はできます。ただ……墓守の元王族は一人ではない」
「それでアーサー殿下がレナードお兄さまを探していらっしゃるのですね」
リリアが暗い声でそう返した。
「……国を守るためなら、彼女はなんだってやるでしょうね。そしてレナードは金のためならなんだってやる」
ちがうっ、と反射的にリリアが声をあげた。
「さすがにお二人ともそこまではしませんっ」
瞳にはっきりとした怒りの色が浮かんだ。二人を貶めるなと、抗議するように身を乗り出した体を抱えて屋根の上に押し倒す。頭を打たないように片手で支えたが衝撃はあった筈だ。
「いった……」
右手の手首を頭の上で押さえつけられ、左手は背中の下だ。リリアはこれでもう身動きが取れない。ルークの右手はリリアの心臓の上を押さえている。
一瞬にして背中を地面につけられたリリアは何が起こったのかわからないというように息を飲んでいる。手のひらに伝わる鼓動が早くなってゆく。
「手紙を書くなとは言いません。でも、こういう状況なので、内容には十分気を付けて下さい。私に読まれるのが嫌なら、必ずダニエルに確認してもらってください」
「読まれるのが嫌なんてことはありません」
負けず嫌いの彼女は、怒りに輝く瞳でルークを睨みつける。
「このせいで明日から忙しくなります。できるだけ戻って来るようにしますが、遅くなるので先に休んで下さい。ダニエルをあなたにつけます。クインさまのこともあります。絶対に一人で外には出ないと約束して下さい。どうしても行きたい場所があるなら、必ずダニエルに同行を頼んで下さい。他の人間では意味がない。……こういう脅し方はしたくないのですが、あなたは本当に自己過信が過ぎる。後で殴るなり蹴るなり好きなだけ報復してくれていいですが、ここでは危ないので地上におりてからにして下さい」
栗色の瞳に涙が盛り上がる。『雷避け』という言葉が一瞬脳裏を掠める。彼女は何でも素直に手紙に書いてしまうから、今夜のこれもオーガスタには伝わるだろう。
でも、ここまで来たらもう引き下がれない。
どうせ同じようなことをレナードもやったに違いないのだから。