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48 天使様たちの大迷走 その3

今回まで少し暗めです……



「一言一句よく覚えてるよね、リリア。うん、まさにあんな感じだった」


「箒で追い払う云々はルークさん言ってませんでしたけどね」


 扉の僅かな隙間から二人の様子を窺っていたトマスとキースがぼそぼそと会話をしている。そして音を立てないように扉を閉めると、背後を振り返った。気まずそうに立っていたヒューゴに無言で歩み寄ると、腕を掴んで引きずるようにして大階段前に連行する。


「ホント役に立たないよね君」


 ヒューゴに向けられたトマスの笑顔は非常にわざとらしかった。


「彼女が悲鳴あげて目を覚ました途端に、部屋から逃げるって、どうなんでしょうね」


 キースが、底冷えのする声でそう続けた。


「わ、若い未婚の女性の部屋にだな……」


 オロオロとしながら、ヒューゴが必死に言い訳をしようとするが、


「あの子今、男の子ってことになってるよね」


「ヒューゴさまもそこは納得してましたよね」


 容赦なく二人はヒューゴの言葉を途中で遮った。ヒューゴは俯き加減で「でも女性だし」……と、口の中でもごもご言い訳をし始める。


「あの子、どういう訳だか君をものすごく頼りにしてるよね。さっきのはその信頼を裏切る行為だって自覚ある? 悲鳴あげて起きた子見捨てて普通逃げる? 君があんな感じだった頃、ルークとキースがずっと側についてたよね?」


「ちょっと違います。ああいう目覚め方した時って、毎回ヒューゴさまは泣きながらルークさんに罵声浴びせかけて物投げつけてました」


 キースが冷ややかな声で暴露した。ヒューゴの肩が小さく震えた。


「そこ今は関係ないのでやめてあげて下さい。……罵声という程のものではなかったです。それに、飛んできたのはクッションです」


 後から三人を追いかけて来たルークが、困惑気味に窘める。


「だからなんでルークはヒューゴを甘やかすかな。あれを許したせいで今、こんな風になってるんだと思うんだけど!」


「自分ああいうことやったくせに、逆の立場になったら速攻逃げるってどうなんだろうって思うんですよね!」


 二人はヒューゴに対する不満をルークにぶつけ始める。つい先日もこんな会話をしたなとルークは思い出した。この先辿り着くところも同じだろう。


「キース君、その話を持ち出してくるのは、別に今じゃなくても……」


「そういうのは良くないですっ! ちゃんと叱るべきです」


 キースは断言した。


「……お腹すいてきたんですね」


「ルークは怒っていいと思うんだよね!」


 トマスが真剣な目でそう訴えた。そういえば、数日前に同じような事をリリィが言ったなと思い出す。


「……便乗するのやめましょうね」


 またこれかとルークは深いため息をついた。仕方がないので、ちらっと窓の外に視線を投げてから、声を少し落とす。


「……私はもっと酷かったはずです。あの頃の記憶は曖昧なんですけど、ロバートたちに聞けば、色々話してくれると思います」


 そういえば、ここにいる三人には話したことはなかった。隠すようなことでもない。機会がなかっただけだ。丁度いいかもしれない。


「例の事故の後、しばらくオーガスタの店に預けられたんです。そこでレナードと大喧嘩になって、まぁまぁ派手にやって店に損害を出してしまって、激怒したオーガスタにロープで屋外の木に縛り付けられて放置されました。ウォルターが気付いて助けてくれたんですが、すでに冬だったので、二人とも風邪をひいて熱を出して寝込んだんです」


 当時、伯父夫婦は座礁した船の賠償責任を果たすために忙しく、ロバートも事故の後処理で現地に行っていた。

 ルークは食事も睡眠もまともにとらずに締め切った部屋にずっと引きこもっており、我慢の限界がきたレナードが扉を蹴り開けて無理矢理外に引きずり出したのだ。


『おまえひとりが悲しいと思うなよっ! 自分だけが不幸みたいな顔しやがって。ふざけんなっ』


 非常に彼らしい、傲岸な声が耳に蘇る。……そこから殴り合いの喧嘩になった。


「熱が下がった後、オーガスタが『夜空にきれいなお星さまが二つ並んだかもしれなかったわね』って、笑顔で脅しをかけてきたことはしっかり覚えていますね。家族とならともかく、レナードと星空に並ぶのだけは絶対嫌だと思ったんですよね……」


 衝撃的な思い出話に、その場にいた全員の顔が引きつった。


「……ひょっとしてルークさんって、それでリルド領に預けられたんですか?」


 恐る恐るといった感じでキースが尋ねる。


「……ふと気付いた時には、借金背負っておじいさまの所に預けられていました」


「……借金?」


 トマスが訝し気な声を出した。


「売り物にならなくなった商品は、レナードと私がオーガスタから借金する形で買い取らされたんです。あとは店の修繕費用ですね。アレンさまの近侍になるとお給料出るって言われたんで、これはもう働いて返すしかないかなと」


 キリアルト家には何だか意味の分からない独自の通過儀礼がある。『マストに登れ』『この航路を帆船で往復せよ』『敵の海賊船に乗り込み、宝を奪って生還せよ。それをもって成人の証とする』等々、遥か昔海賊だった頃の名残が色濃く残っているものばかりだ。

 因みに成人の儀に必要な海賊はもういないから……身内の船を襲う。挑むほうも挑まれる方も本気だ。十数年に一度のお祭り騒ぎのようなものだが怪我人は山のように出る。

 誰もやめようと言い出さないからそれが今でも続いており、その通過儀礼のためにオーガスタを含めキリアルト家の子供たちは全員幼い頃から体を鍛えていた。

 海賊と対等に渡り合うという目標を持って育てられるキリアルト家の少年たちが本気で喧嘩をすると、クッションが飛んでくるなどという平和な感じでは終わらない。

 壁に穴が開き、窓ガラスは割れ、商品は壊れた。


「数年で完済しましたよ? おじいさまの所にいたので、衣食住に関する費用は一切かかりませんでしたから、お給料のほとんどを借金返済にあてました」


「その頃ルーク十歳くらいだよね。家族一度に亡くして憔悴している従弟に借金背負わせる?」


「……こわっ。キリアルト家こっわっ」


「商人なんてそんなものです。ロバートは、その借金のせいでレナードの人生狂ったとか言ってますけどね」


「……え? レナード借金まみれなのって、そのせいなの?」


 厳密に言うと少し違う。その借金を楽して返そうとしたからああなった。真面目にコツコツ働くという概念があの男にはない。


「あの事故のせいで全員心が荒んでて、オーガスタは結婚話が壊れた腹いせに相手の商会潰すし、現地にいたロバートは担当高官殴り飛ばして拘禁されるし、ウォルターは降霊会にはまり込んで、怪しげな施設に監禁されたし、キリアルト家は内部崩壊状態だったんです。それがガルトダット伯爵家の愛人騒動と重なっていたので、おじいさまは本当に大変そうでした……」


 一番面倒臭いことになっていたのがロバートで、彼を取り戻すためにリルド侯爵は海を渡った。つまり、キリアルト家のせいで、ガルトダット伯爵家の愛人騒動への対応が後回しになった部分はあった。


『でもあの時こっちを優先していたら、ロバートは裁判にかけられて確実に収監されていたわ。だから、お義父さまの判断は間違っていなかったとわたくしは思っています』


 そうイザベラは笑ってくれるけれど……

 キリアルト家の人間は全員、ガルトダット伯爵家……というかイザベラに頭が上がらない。


「うちの人間全員そんな感じで迷惑をかけまくっていたので……クッション投げたくらい大したことないです。ヒューゴさまは気にする必要ないですよ」


 それできれいに終わらせようと思ったのだが、


「いや気にしろ!」


「そうだそうだ」


 トマスとキースは納得してくれなかった。


「だから何でそうなるんですか」


「キリアルト家は特殊すぎるんだよっ」


 ……そこは否定しない。

 要するにこの二人の中にはヒューゴに対するというか、ヒューゴを甘やかすルークに対する不平不満が溜まっているのだ。ルークにヒューゴをきちんと叱るように求めているのだろう。

 でも、ルークはやりたくないのだ。今は抱えている仕事が多すぎてヒューゴやアレンの面倒までみていられない。


「……お客様のお食事を用意しましょうか。トマスさまとヒューゴさまは、お客様がお目覚めになったとイザベラさまに報告お願いしますね。キース君行きますよ」


 そう言って、ルークは使用人階段に向かって歩き出した。


「えー」


 キースが不満げな声をあげる。


「トマスさまと一緒に置いていくとまだ何か言うでしょう? 紅茶を淹れますから、殿下から届いたお菓子を食べて待っていて下さい」


「え、ルークさんが紅茶淹れてくれるんですか? なら行きます!」


 ころっと機嫌を直したキースが、笑顔になって歩き出した。幽霊役をこなしたキースには、ご褒美として第二王子から大量のお菓子やパンが届けられているのだ。


「……キース君の淹れた紅茶の方がずっと美味しいですよ?」


 どうしてキースがそんなに嬉しそうになるのかわからず、ルークは戸惑う。


「ひとつくらいは勝たせてくださいよ。……でも、やっぱりルークさんは、ポット持ってる姿勢とか、手の動きとかが綺麗なんですよね。何かすごく特別感があるんです」


「……自分の姿は見えませんからね」


 ルークは思わずキースを見て小さく笑ってしまう。実際は、紅茶を淹れるのはキースの方がずっと上手だ。動きも丁寧で無駄がない。

 ルークは紅茶を淹れるのは好きではない。だからきっと自分の淹れる紅茶は美味しくない。


「キース君のように美味しく淹れられるように努力はしてみますよ」


「ルークさんの淹れる紅茶、美味しいですよ?」


 キースが不思議そうな顔をしている。ルークは曖昧に笑って誤魔化した。






 ポットに残っていた紅茶を飲み干して、首を傾げるという意味のない事をしている。

 絶対にキースが自分で淹れた方が美味しいのだが、彼はルークが淹れた紅茶を大変喜んでくれた。ご褒美のクッキーを食べて、紅茶を飲んで、幸せそうに仕事に戻って行ったからよしとする。テーブルの上には、クッキーが数枚残してあった。キースがもらったものなのだから、全部独り占めしていいと言ったのに。

 せっかくなので、もう一度きちんとした手順で紅茶を淹れてみようかと思って立ち上がる。ポットを持つのは随分久しぶりだった。最近はキースやメイジーに任せきりにしていたから。


 先代がまだ生きていた頃。キースはまだ幼くて……紅茶を淹れるのはルークの仕事だった。


 先代伯爵は、物静かで真面目で、融通の利かない人間だった。でも、彼は『鎮静剤』が切れると豹変した。

 そうなるとルークは慌ててリリアとリリィを自分の部屋に隠し、家具の陰に隠れて二人を抱きしめながらじっと息を殺していた。


『私が必ず守ります。だから、安心して下さい』


 すべてが手探りだった。不用意な一言や態度が彼女たちの傷に触れて、一瞬にして笑顔を奪う。

 栗色の瞳に涙が盛り上がる。一人が泣けば両方泣く。上手くいったことなんてほんの僅かだ、失敗して無力感に苛まれることの方が多かった。

 悔しくて壁を殴って、手が傷だらけになった。手袋で隠れるからと油断していたら、やはりすぐに見つかって大人たちに叱られた。


『自分を傷付けるような者には誰も守れない』


 ライリーにそうはっきりと言われて、何の反論もできなかった。

 どうしてもっと上手く立ち回れないのだろう。どうやったら彼女たちの心を守れるのだろう。

 

 ――泣かないで。笑って? そのためにできることは何だってするから。


 みっともないくらい必死に足掻いていた自分の姿が……リリアの記憶の中には綺麗な形で残っていたのだと今日初めて知った。


 実際はあんな風ではなかった。

 小さな体を抱きしめて、必死に懇願していた。

 どんなに言葉を尽くしても、どんなに必死に守ろうとしても……悪意を羅列しただけの意味のない言葉に勝てない。


 先代伯爵に咳止めと称してラウダナムを渡したのは狩猟仲間だったと聞いている。あれは確かに薬ではあるけれど、原料が原料であるだけに、用量を守らないと大変危険な代物だ。

 常習させないようにリルド侯爵が常に監視していたけれど、王宮までは目が行き届かなかった。


 向こうはどんな手を使っても、第二王子派のリルド侯爵家とガルトダット伯爵家を潰すつもりだった。……それは随分後になってから、アーサーによって解明されたことだ。

 当時はどこでラウダナムを摂取しているのかどうしてもわからなかったのだ。


 中毒症状がでていた先代は、『鎮静剤』が切れると耐え難い程の虚脱感と不安感に襲われる。そうなると暴言を吐きながら、鞭を鳴らして館内を徘徊した。

 

 ルークの心の中では二人を傷つけ続ける男に対する憎しみだけが渦巻いていていた。ひどい顔をしていたに違いない。伯爵家の子供達の前では、必死に取り繕って笑顔を浮かべていただけだ。

 どろどろとした黒いものに満たされた自分の心の醜さに吐き気すら覚えた。


 ――紅茶に毒を。


 そんな事を考えたのは一度や二度のことではない。でも、きっとそれは皆同じだった。屋敷の人間全員が、お互いを監視していた。誰かが間違いを犯さないように。全員が一丸となって、必死に見えない相手からの悪意に抗っていた。


 呆気なく……本当に呆気なく終わりは訪れた。全員が悲しみより安堵を感じていた。


 誰も手を汚さずに済んだことに――


 それでもやはり、子供たちの心に傷は残った。誰もが皆それを癒そうと躍起になっていた。

 多少アレンをないがしろにした自覚はある。その結果が『あれ』だと言われるともう……返す言葉もないので、責任を持って面倒をみている。


 そんな事を考えながら銀盆にポットを乗せた所で、リリアの足音が聞こえてきた。このまま使用人ホールに駆け込んでくるつもりだ。ルークが身構えた途端、どんっと体当たりをするようにしがみ付かれて、衝撃に視界がブレた。何も持っていなくて良かった。中身が入ったカップでも持っていたら悲惨なことに……


「リリアさま、お客様のお食事はどうなりましたか?」


 背中にぴったりとくっついているリリアを振り返りながら、動揺を隠して笑顔で尋ねる。何だかとても……嫌な予感がする。


「ルークさまは嘘つきですっ」


 涙目で睨みつけられた。……どれだ? と少し遠い目になって考えてみるが、心当たりが多すぎてわからない。


「……否定はしませんけどね。ところで、お客様のお食事には、誰がついていますか?」


 先程、グレイス改めクインの食事をキースが客間まで運んで行った。野菜のスープとパン。天国の食事にしては質素だが、それしかないので仕方がない。突発的な夕食会のせいで、今月の食費がもう底をついている。


「おかあさまがお食事の介助をされています。ヒューゴお兄さまは、また逃げましたっ」


 リリアは頬を膨らませた。ヒューゴに全部丸投げされることを怒っているのだ。でも、今はメイジーがこちらにいないので、クインのお世話係をやれるのはリリアしかいない。


「天使とまで言われてしまったので……その印象を壊さないように振る舞える自信がないんだと思いますよ……」


 ただでさえ、自信のないところにもってきて天使様だ。逃げ出したくなる気持ちもわからなくもない。……正直、王子様も結構大変なのだ。


「ヒューゴお兄さまなんてどうでもいいのですっ」


 どうでもいい……どうでもいい……は、ちょっと困る。

 お皿の上のクッキーを一枚つまんで、リリアの口に放り込んでみる。それを食べている間に、カップを洗いに行こうと思ったのだが、やはり離してもらえない。涙目でもぐもぐ一生懸命クッキーを食べているリリアは大変可愛らしい。軽く頬をつついてみたら首を振って嫌がられた。


「紅茶淹れてみますけど、飲みますか? 飲むなら離してくだ……」


「ルークさまずっと一緒にいてくれるって言いました」


 口の中のクッキーを食べきったリリアが、庇護欲に訴えかける顔でルークを見上げた。この場合のずっとは、二十四時間という意味に取るべきなのだろうか……


「仕事には行かせてください。養えないので。……で、紅茶はどうします?」


「うそつきですっ」


 ぼろぼろと栗色の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。リリアは絶対に離すものかという感じでルークの背中にしがみ付く。色々思い出して多少不安定な状態にはなるだろうなと思っていたが……多少ではなかった。背中だと剥がすのにも手間がかかる。わかってやっているのだろうけれど。


 もう少しヒューゴにはしっかりしてもらわないと、先が思いやられる。

 

……さて、このお姫様をどうしようか。ルークはため息をついた。明日からは仕事に行きたい。

次か……次くらいからは元の感じに戻ります。

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