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44 子うさぎの舞踏会 その11



 絶叫して意識を失ったメイドが床で頭を打たないように、駆け寄って慌てて抱き留める。

 彼女をそのままゆっくりと床に横たえると、他の人に踏まれないように廊下の隅まで引きずって行った。お互いに寄り添う合わせるようにして、三人のメイドを壁に凭れかからせる。


「次あっちです。ランプ消えたら行きましょう」


 背後の壁の陰から指示が飛ぶ。

 キースの手の先は真っ黒、二の腕は真っ白に塗られている。頭の上には真っ黒な布で作られた袋状の布を被っていた。目の部分だけ少し開けられている。念のためと目の周りも黒く塗られる徹底ぶり。

 これ、ちゃんと洗えば落ちるんだろうか……

 白いボロボロのドレスを身に纏ったキースは、暗澹たる思いで幽霊役をこなしていた。

 遭遇した途端に悲鳴をあげて逃げ去る者、眠るように失神する者。

 ウォルターやトマスならばこの状況を心の底から楽しむのだろうが、キースはそんな気分にはとてもなれない。

 彼らが何か悪い事をしたのだろうか……いやしていない。ユラルバルト家に雇われていただけだ。

 とにかく怪我をさせないようにだけは気をつけなくては! キースは決意を新たにした。


 ……さすが第二王子。よくもまぁ次々と嫌がらせを思い付くものだ。


 手は手袋で隠れるから別にいいけれど、目の周りの炭が落ちなかったらどうしよう。キースは深くため息をついた。そして、死神役のウォルターはどこをほっつき歩いているのだろう。館のあちらこちらから断続的に悲鳴は上がっているから、きっと楽しく徘徊しているに違いない。


「あ、消えましたね。さあ、行きますよ」


 あーもうほんとやだなーと、キースは足を引きずるようにのろのろと歩き出した。ドレスから出ている脛の部分は真っ白。足首から下は真っ黒に塗られており、黒く染められた靴を履いている。だから暗闇の中では白い女性が浮いているように見えるのだ。


「……もう少しです。もう少し頑張って下さい」


 露骨にやる気のないキースを、黒い軍服を着た男性が慰めた。


「結局本物出たんだし、俺これやる必要あったのかなぁ……」


「不確定要素はできるかぎり排除したかったので、仕方ないですよ」


「いやでも俺がやる必要性全くないですよね……」


「まぁ……そうですよねぇ……」


 男はどこか遠い場所を見ながらそう言った。

 何故キースがこんな姿をさせられているかといえば、「妹もがんばるんだから君もがんばろうね」と笑顔で第二王子に命令されたからだ。ルークだけは最後まで反対してくれたのだが結局上官命令の一言で押し切られた。

 おかしい。自分はただの民間人だ。第二王子の私兵に加わった覚えは全くない。

 廊下の向こうからバタバタと誰かが駆け寄って来る音が聞こえて来た。キースと男性の顔に緊張が走る。

 トトトン、という足音。片足跳びで床を鳴らしたのだ。つまり味方だ。近寄って来たのは年若いスカラリーメイドだった。


「救出は完了しました! ウォルターさん拾って戻りましょう。音を頼りに探せばいいと」


「いやだ。俺、もう絶対にあの幽霊見たくないっ」


 キースは首を横に振って断固として言い張った……が、当然そんな我が儘は許してもらえなかった。「もう出ませんって」「そうそう」と適当な事を言う二人に両脇からがしっと腕を掴まれ後ろ向きに引きずられる。ルークさん助けて。キースは死んだ魚の目をしながら心の中で呟いた。






「偽物だったら確実に見抜かれたろうから、まぁ本物が出て良かった」


 キースも以前招かれた事のあるアレンの私邸。

 居間のソファーに座ってのんびりと紅茶を飲んでいるウォルターは非常に満足そうではあった。それはそうだろう。本物の幽霊はちゃんと出たし、幽霊を見た人間たちがどんな反応を示すのかもしっかり観察したし。

 

 フェリシティたちに対峙した際、幽霊に扮したキースは黒いローブを着たウォルターの背後に隠れていた。本物の幽霊が出ればよし。出なければ、キースが代わりに彼らを驚かすことになっていたのだ。


 ――幽霊は出現した。フェリシティのすぐ目の前に、ふわりと浮いた状態で。


 先のない手を頬に向かって伸ばし、存在しない顔でフェリシティの顔を覗き込むと、そのままふっと消えた……らしい。キースはその時固く目を閉じていたので、これは後からウォルターに聞いた話だ。

 フェリシティは絶叫して気絶し、小柄な男性使用人が慌ててその体を支えていた。転がした腕輪は単なる小道具だ。本物はずっとウォルターが持っていた。

 すぐにその場を立ち去ったから、二人がどうなったかはわからない。


 その後は、屋敷内に潜んでいた味方が廊下のランプをどんどん消してゆき、暗闇の中死神と幽霊に扮したウォルターとキースが、運悪く居合わせた人間を脅かして回っていた訳だ。ユラルバルト家の人々はガルトダット伯爵家の人々と違って幽霊に慣れていなかった。多分これが普通の反応なんだろうな……とキースは少し安心した。


 ガルトダット家のおじいちゃんおばあちゃんたちはもう慣れ切ってしまっている。ああ羽虫が飛んでるな程度に、ちらっと幽霊を一瞥して終わりだ。

 大階段の幽霊のように、一定周期で現れるようなものは、時計やカレンダー代わりにされている。見事な共存関係だ。


 それでも、三階のあの幽霊だけは、あまり良いものではない気配がするので遭遇したくないのだそうだ。確かに纏っている空気が禍々しい。見たら呪われそうというのか……。

 昼間は全員平気だが、夜になると誰も三階にはあがらない。「呪われてもせいぜい風邪ひくくらいじゃない?」とか、トマスやリリィお嬢さまなどは平然とした顔で言ってのけるのだが。


 ――ガルトダット伯爵家の人間は呪われ慣れていた……


 つまり「怖がりだ怖がりだ」とガルトダット伯爵家の皆に散々言われているキースも、世間一般から見れば普通なのだ。

 自分は普通。周囲がおかしい。それがわかったので良しとしよう。キースはそう結論付けた。


「俺は、目の周りの炭がちゃんと落ちたことに心底安堵してますね」


 いつものお仕着せ姿のキースは、テーブルの上に焼き菓子を置きながらそう言った。


「特別に調合してあるから大丈夫だとルークが言ってたろうに」


「そう言われても初めて使うから不安にもなりますよ。……ところで、なんでですか? 確実に見抜かれるって」


「フェリシティとかいう女の隣にいた男は手品師だからだ。本職は騙せないだろうからな」


 ウォルターはちらりとキースを一瞥してから、焼き菓子に手を伸ばした。さすがに疲れたのか、彼にしては口数が少ない。


「あの男はね、田舎の貧しい村人たちに『自分は神の使いである』と称して手品を見せて回っているんだ。手の中のコインをどんどん増やしたり、動物を生き返らせてみせたりする。そうやって神の存在を信じ込ませてから布教活動を行うんだ」


 ウォルターと向かい合うように座っているフランシスがそう続けた。フランシスの隣では帝国軍の軍服を着た女性が優雅に紅茶を飲んでいる。平然とした顔をしているが、頭と額から右目にかけて包帯が巻かれ。頬には青痣がはっきりと残っているという痛々しい姿だ。

 年齢も性別もバラバラなこの三人がどういう関係なのかは説明してもらっていないので全くわからない。旧知の仲であることは様子をみていればわかる。医者と元王族と帝国軍人。普通に考えれば帝国繋がりだろう。ウォルターは医者になるために帝国に長く留学していた。


「……そういうの、絶対に猊下は許さないですよね。この国の人たちあんまり信仰心強くないから、不祥事起したら教会の権威あっという間に失墜するっていつも言ってますし」


 キースは不快そうに顔を歪めた。それは布教活動ではなく単なる詐欺だ。


 この国は諸外国に比べると教会の権力が弱いのだ。

 数代前から大司教が、組織としての透明性と信頼性を高めることに尽力してきた結果、現在聖職者には清廉潔白という非常に良いイメージがついた。しかし、教会への信頼がそのまま強い信仰心へと結び付かない。


「ここは呪いと幽霊の国だからなぁ……どれだけ祈っても救われる気配ないから、国王がもうずっと教会とは距離を置いてるし、そもそも『外れくじ』を引いた奴らはとことん神を恨む。……で、大司教にぐちぐちぐちぐち嫌味を言う」


 フランシスは一度固く目を瞑り、目を閉じたまま無理やり笑みを浮かべてみせた。自分の言葉と共に胸に去来した感情を振り払おうとするかのように。


 ――どうしてこの国の王族にのみ、エメラルドグリーンの瞳の子供が生まれるのか。


 それこそ『神の子だからだ!』という話にすれば良いのだろうが、フランシスの言うように、代々の国王たちはそれを頑なに拒み続けていた。


「当たりくじ引いた人は余裕ですねぇ」


 低く艶のある声で、女性軍人が意味ありげにふふふっと笑った。


「そうでもないさ。『外れくじ』組に恨まれて国内にはいられなくなったからねぇ。私としてはダージャ領行っても良かったんだけどな」


 ふふふふふ……と笑い返したフランシスの目はどこか暗かった。王族からすれば、エメラルドグリーンの瞳は『外れくじ』ということなのだ。


「因みに、キースの言う教会とは別の宗教だ」


 横道に逸れていた話をウォルターが元に戻した。


「かつて存在した『聖ナル眼ノ教会』とかいう宗教です。三十年程前に帝国で生まれた信仰で、教祖本人が神を名乗っていました」


 軍人の女性が何かを憂うように目を伏せた。名前からして怪しすぎる。もう嫌な予感しかしない。


「キリアに信者たちが現れたのは十年くらい前か。山の麓にある空き家を自分たちで修繕して、孤児院のようなことを始めたんだ。子供たちはちゃんと世話をされていたようだし、信者たちも誠実で優しく礼儀正しい人ばかりで、近所付き合いもそれなりにあった。何より彼らは一切宗教的な勧誘活動をしなかったんだ。質素ではあるが穏やかに暮らしているように見えた。だから周囲も安心しきっていて特に危険視はしていなかった」


 ウォルターはそこで一旦言葉を切って、古い記憶を探るような顔をしてからゆっくりと紅茶を飲んだ。


「俺もお祭りがあるとか聞いて、どんなものかと見に行ったことがある。まぁ普通だったな。孤児たちも身ぎれいにしていた。屋外のダンスパーティーで、信者たちが楽器を演奏して、客が孤児たちと一緒に輪になってダンスを踊る。勧誘もされなかった。……特に何か大きな問題を起こしたこともなかったんだが、三年くらい経った頃、祭りの数日後に信者全員いなくなった。どうやらそういう事を各地で繰り返していたらしいんだ」


「四年くらい滞在すると、別の場所に移動するんですよ。そこでまた孤児院やり始めて、四年くらい経ったらまた移動。信者六人くらいで一つのグループを作って、各地でそんな事を繰り返していたんです」


 その後を続けた女性軍人は、キースを見て物憂げに微笑んだ。


「……え? その孤児院にいた子供たちはどうなったんですか?」


 嫌な予感がして思わずキースは尋ねる。これで全員行方不明とかだったらすごく嫌だ。


「信者たちと一緒に去って行った子供もいるし置き去りにされた子供もいる。全員行方不明とかよりは遥かにマシだけどな。要するに信者となった子供は連れて行かれ、ならなかった子供は置いて行かれた」


 ウォルターの言葉に少しだけ安堵する。でも、女性軍人の顔が厳しいから、楽しい話では終わらないだろうなという想像はついた。


「最近になってわかったんだが、信者たちは子供たちにも秘密でラウダナムを製造していた。原料は海外から船を使って密輸して、教会内で精製を行っていたようだ。足が付くのを警戒して、ひとつの場所に長く留まりすぎないようにしていた」


 ラウダナム。咳止めや下痢止め、そして鎮静剤としてごく一般的に用いられている薬だが、中毒性がある事でも知られている。原材料になるのは芥子の果実だ。


「でも、結局発覚したってことですよね?」


「教祖は自分が生きている間中贅沢な暮らしができればそれで良かったんだよ。自分が死んだ後のことなんか何も考えちゃいなかったんだ。信者たちは神を名乗る教祖に心酔していた。清貧を美徳と考える、穏やかで心優しい人間ばかりだった。教祖にラウダナムを作れと命令されたから、『それが神様の望みならば』と何の疑いもなく製造していた。典型的な詐欺の被害者だな。……で教祖は信者たちが製造したラウダナムを独自の販路で売り払って、そのお金で贅沢三昧だ。要するに『聖ナル眼ノ教会』は宗教団体の姿を取ってはいるが、実質は詐欺師の加害者と被害者で構成されていた訳だ」


 何とも気が滅入る話だ。でもすべて過去形ということは、もう終わった話なのだろう。


「つまり、その詐欺師はもうお亡くなりに?」


「病で数年前に死んだらしい。……信者たちも次々と後を追った」


「……うわぁ」


 ぞっとした。思わずキースは両手で肩の付け根をさすった。


「そこで、話は最初に戻る。数年前からまた『聖ナル眼ノ教会』の信者を名乗る者たちが現れ始めた」


「生き残った信者ということですか?」


「そこまではよくわからないのだよ」 


 フランシスが困ったように微笑んだ。その隣で軍人の彼女が重いため息をつく。


「信者たちは大変優れた精製技術を持っていました。その技術を引き継いだ者がいるのは確かなんです。原材料の入手先も販路も以前と同じ。でも、手口が比べ物にならないくらい悪質になっています。お金になるならどんな犯罪も厭わないといった感じですね」


 フランシスは、軍服を着た女性と目を合わせて頷き合った。

 

「ユラルバルト伯爵家がどうもそいつらと深い関りがあるみたいでね。今回アーサーと一緒に揺さぶりをかけてみたんだよ。鬘疑惑の現当主は帝国から戻って来たとかいう次男なんだ。長男夫婦とその息子は数年前に火事で行方不明になっている。まぁ確かに全く似ていない兄弟ってのもいるけどねぇ……」


 フランシスは曖昧に笑って、そこで言葉を止めた。





 なんか深夜にどっと疲れる話を聞かされた。結局、軍服を着ていた女性の怪我については何も聞けなかった。

 キースはライリーの肖像画が飾られた廊下を通って、二階に上がる。 


「ルークさまルークさま、ちゃんとお手伝いできましたよ?」


 開け放たれた扉から聞こえてきた声はうきうきと弾んでいた。リリアは鏡台の前に座り、幼い頃のように髪をルークに梳いてもらっていた。妹はそれがもう嬉しくて仕方ないのだ。


「そうですね。がんばりましたね。……気が済みましたか?」


 ルークはあくまで優しくそう返している。とりあえずしばらくはリリアを徹底的に甘やかすと決めたようだった。そうしないと妹の不満が大爆発して面倒なことになる。また一ヶ月間ガルトダット伯爵家に閉じ込められる訳にもいかないだろう。


「ちゃんと蹴れました」


 リリアが誇らしげに胸を張る。それは貴族の令嬢として自慢するところなのだろか。リリアをおよめさんにするルークがいいなら別にいいけれど。……野生動物だし。


 キースはたまに考えるのだ、リリアが何故護身術を習おうなどと思ったのだろうかと。

 確かに彼女は社交の場に出る度に相当嫌な思いをしたようだった。でもその度にアーサーや護衛騎士たちがリリアを守っていた筈なのだ。アーサーは相手の男性に対して一切の容赦をしなかったと聞いている。

 だから、きっとリリア直接手を下したかったのはそういった狼藉者たちではない。妹が心の底から蹴り飛ばしたかったのは……うん、やめよう。


「……気が済みましたか?」


 少し強めに確認した声を、リリアは笑顔でやり過ごしていた。


 キースは何も見なかったふりをして隣の部屋に入る。

 客間として使われていた部屋には黒い軍服を着た男たちが五人集まっていた。

 丸テーブルの上にキースは人数分の紅茶を用意する。彼等の夜はまだまだ長い。


「隊長は絶対認めたくないでしょうけど、リリアさま天職ですよね……潜入捜査員」


 幽霊姿のキースと一緒に館内を恐怖のどん底に突き落としていた男が、ぼそりと恐ろしい事を言った。


「ただ、可愛いすぎるんですよね」


 メイド服から黒い軍服に着替えた青年がくすくす笑っている。男性にしては小柄で線が細く声も高めだ。特に特徴のない、どこにでもいるありふれた青年といった風貌。仲良く酒を酌み交わしても翌日会った時にはわからないというような。

 彼の役割は厨房内で最初に派手に倒れてメイドたちを恐慌状態に陥らせることだった。その度厨房から最初に飛び出して廊下で絶叫したのだ。


「蹴りもきれいに決まっていましたからね。お見事です。日ごろの練習の成果ですね。いつか本懐を遂げられる時が……」


「やめてください……」


 そんなことになったら、ヒューゴは女性恐怖症を一生克服できなくなってしまう。

  黒い軍服を着ている彼らはアーサーの私兵だ。妹がいつの間にか同じ軍服を着ていたらどうしよう……。本気でキースは不安になった。

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