43 子うさぎの舞踏会 その10(*)
暴力シーンがありますので、苦手な方はご注意下さい。
フェリシティはジェシカには手を出さなかった。母親を早くに亡くし、船乗りの父親と兄弟を支えるために懸命に働いていた彼女は、一本筋の通ったしっかりした少女だったからだ。
今でもエラは自分の手が握った松明の火の熱を覚えている。
顔を焙れと命じられたのだ。座り込んで怯えている美しい少女の顔を。やらなければ、柱に縛り付けられている男の腹を刺すと言って、フェリシティは躊躇なく彼の腕にナイフを突き刺し皮膚を引き裂いた。シャツの袖が真っ赤に染まって……エラの頭の中は真っ白になってしまった。
その後の事は覚えていない。髪の焦げる嫌な臭いにはっと我に返ると目の前には恐怖と激痛に泣き叫ぶ少女がいた。自分でもどうしてあんな力が出たのかはわからない。
自分を拘束して少女に松明の火を押し付けようとする誰かの手を振り払い、松明を放り投げて火が付いた彼女の金の髪を握った。皮膚が焼ける激痛などほとんど感じなかった。
床に落ちた火が絨毯に燃え移り、燃え広がってゆく。
炎を瞳に映しながら、フェリシティが哄笑していた。エラは燃えた髪と赤く焼けた少女の額を茫然と見つめていることしかできなかった。
「これでもうおまえはこちら側の人間なのよ。その子の顔の傷は一生残るわね。いくら強要されたからといって許される訳がない。おまえが幸せになる権利なんてどこにもないわ。わたくしがおまえの罪を覚えている」
そうエラを脅しつけた後、フェリシティは一転してとても優し気な顔になった。
「だから、わたくしがおまえを守ってあげる。何も心配しなくてもいいわ。優しいエミリーの家族にも、勿論エミリーにもこのことは内緒にしておいてあげる。それにおまえがちゃんとわたくしの命令に従うのなら、この子とこの男の傷の手当てをしてあげる」
歌うように機嫌よくそう告げた声が耳にこびりついている。
あの日からエラはずっと、宙に張られた細い縄の上を歩いているような気がしていた。掌に残った火傷の跡を見る度に、フェリシティの笑い声と自分の罪を思い出す。
自分じゃない。やらされただけ。脅迫されていたから仕方なかった。
でも、覚えている。松明を持っていたのは自分だ。
エラは、ちいさな王女さまの話がとても好きだった。全身に火傷を負っても、心折れることなく強い信念をもって生き続けた王女さまと、その王女さまを愛し守り続けた護衛騎士のお話。
それは、あの子にそうなって欲しいという、独りよがりの願いだった。
そんなことを考える自分が許せなかった。
――それでも大好きだったのだ。あの幸せな結末を迎える優しいおとぎ話が。
顔を焼かれそうになったあの少女は一体どこにいるのだろう。もうこの屋敷にはいないのだろうか……
火傷の跡は間違いなく残ったに違いない。
シェフの怒鳴り声が遠い。意識が朦朧としている。布巾で拭いている皿を落としそうになり、はっと我に返って首を振る。
エラは今、洗い場を担当するスカラリーメイドという最下層のメイドだ。洗い物や食材の下ごしらえや掃除などの重労働を担当する。一番早く起きて火を起こして厨房を掃除し、当然一番最後に就寝する。さらにフェリシティの母親の世話も命じられていたから、ここに来てからまともに睡眠を取っていない。
エラが逃げ出さないように、厨房ではキッチンメイドが見張っているし、地下室では下働きの人相の悪い男たちの監視下におかれている。
今日は舞踏会の準備で朝からずっと立ちっぱなしだ。街屋敷の狭い厨房で招待客に十分行き渡る量の軽食を用意しなければならない。厨房内は早朝から異様な緊張感に包まれていた。シェフは殺気立っており、何か失敗したキッチンメイドは容赦なく怒鳴りつけられる。
日雇いのスカラリーメイドやキッチンメイドもいるため、厨房内の連携がうまくいっていない。それもシェフを苛つかせる要因となっている。
「遅い! 何をやってるんだっ」
「申し訳ございません」
怒鳴り声と共にドンッと足を踏み鳴らす音が厨房内の空気を凍り付かせる。謝罪しているメイドは涙声だ。
「はい、拭き終わったお皿、預かりますね」
囁くような声が耳の横でした。言われるがままに手に持っていた皿を手渡して、エラは硬直する。
「手を止めると怒られますよ?」
茶色い髪を結い上げたとても可愛い顔のスカラリーメイドが、にっこりとエラに笑いかけた。エラから受け取った皿を、隣に積み上げられた皿の山の一番上に乗せて持ち去って行く。
髪の色が違う。きっと鬘なのだ。でも、だって……どうして……
「ぼーっとしてないで手を動かしな!」
汚れた皿を洗い場に運んできた中年のキッチンメイドが目を吊り上げた。
「申し訳ございません」
慌ててエラは次の皿を拭き始める。洗い場の樽の中には軽食室で使われた汚れた皿が次々と放り込まれてゆく。先程拭き上げた皿を運んで行ったスカラリーメイドが戻って来ると、手慣れた様子で木桶の中の皿を洗い始める。エラよりも余程手際が良い。
「あんた見ない顔だね」
「今日だけ雇われたんです。こちらには以前姉がお世話になっていたんですよ」
「ふーん。まだまだどんどん来るよ。その調子でしっかり働いとくれ」
「はーい」
手を止めることなく、にこやかに少女は返事をする。丁寧で無駄のない働きぶりを目の当たりにしたキッチンメイドは、何の疑いも抱かずに立ち去った。
「という訳ですので、一緒にがんばりましょうね」
にっこりと笑顔を向けられて、エラは涙を堪えてぐっと奥歯を噛みしめて頷いた。一気に意識が覚醒した。大きく息を吸って気を引き締める。ここでエラが何か失敗すれば、こちらに視線が集まってしまう。絶対に彼女を大勢の人間の目に晒してはいけない。集中してどんどん皿を拭き上げてゆく。
きゃあああああ……
突然屋敷内でものすごい悲鳴が響き渡り、厨房に緊張が走った。
「外のことは我々には関係ない! 全員手を止めるな!」
シェフが厳しい声で叱責し一旦はメイドたちも平常心を取り戻して仕事に戻るが、その後、連続で悲鳴が聞こえて来ると、不安そうな顔付きで周囲を見渡し始める。
「ちょっと重いですけど、お皿を持ってついてきて下さいね」
まるでそんな悲鳴など聞こえなかったかのように、隣で皿を洗っていたスカラリーメイドは手を止めると、濡れた皿を積み上げてエラに手渡す。エラがしっかりと皿を受け取るのを確認すると、少女はその半量くらいの枚数の皿を持ち歩き出した。エラもその後に続く。全員の注意力が散漫になっているようで、皿を持って厨房から出て行こうとしているスカラリーメイドに誰も気が付かない。
「おいっ、どこに行くんだ!」
しかし、厨房から廊下に出た途端に男性使用人に気付かれた。お仕着せを着た顔が傷だらけの男だ。エラが地下室にいる時必ず見張っている下働きの男でウノと呼ばれていた。
「お皿を届けるように頼まれました」
にっこりと可愛らしく笑ったメイドは、何の躊躇いもなく両手に持った皿の束を頭の上に大きく振り上げると、勢いよく男に投げつけた。
ガシャーン!
派手な音を立てて、男の肩に当たった皿が割れ砕ける。
「……へ?」
目の前で起こったことが信じられず、エラは間抜けな声を出す。
想定外の事態に一瞬怯んだ男に少女は近寄ると、やはりにっこり笑ってから男の膝下を勢いよく蹴った。人が人の足を蹴った音ではないような鈍い音がした。
「ぐわぁぁぁぁっ」
野太い悲鳴をあげて男が悶絶しながら床に崩れ落ちる。蹴られた膝を抱えて、大声で叫びながら痛みにのたうち回る。思わずエラは彼女の足を見る。靴底が少し厚い上に金属っぽく光っている……気がする。
間髪入れず、スカラリーメイドはエラの持っていた皿を廊下の右手奥に向かって投げ始めた。ガシャンガシャンという音が連続で響き渡る。厨房で小さな悲鳴が上がり、バタンと誰かが倒れた音がした。
――その瞬間に、厨房内で限界まで膨れ上がっていた不安と緊張が弾けた。
「きゃああああっ」
「いやぁぁぁぁぁ」
「落ち着け! 落ち着くんだ! 全員その場から動くな!」
コックの怒鳴り声がメイドたちの恐怖をさらに煽った。たちまち厨房内は恐慌状態に陥ったようだ。悲痛な叫び声と人が倒れるドタンという音。そしてまた甲高い悲鳴……
泣きながら厨房から飛び出してきたキッチンメイドが、割れた皿の破片が散らばる廊下で苦痛のうめき声を上げながら転げ回っている男を目の当たりにし、目を真ん丸に見開き声の限りに絶叫した。
「いやぁああああああっ」
その途端、廊下のランプが消えて周囲は真っ暗になる。
「もういやぁ」「きゃあぁぁぁぁー」
次々と廊下に逃げ出して来たメイドたちが喉を潰さんばかりに絶叫する。
真っ暗な中で、エラの手を水で冷やされた手が掴む。誰のものであるのかは明白だ。真っ暗な中を何も見えないまま手を引っ張られて走り出す。その時エラは、はっと気付いた。
「地下にナトンさんがっ」
「大丈夫です。すぐに会えます」
一度手を離されると、エラは冷たい手に肩を抱かれるようにして誘導される。館のあちこちで悲鳴があがっているようだ。一体何が起こっているのだろうか。
「部屋に入ります。壁にぶつからないように気を付けて下さいね」
エラが室内に入るとすぐにドアが閉められた。窓が全開になっているせいで、庭の灯りに照らされて廊下よりも明るい。窓際に背の高い男性の影が見える。エラはスカラリーメイドに肩を抱かれるように窓際まで連れて来られた。
「失礼します」
背の高い男性がエラの体をひょいと持ち上げると、窓の外にいる別の男性に手渡す。ものすごく太った男だ。彼をエラは知っている。
「大丈夫ですよ。こちらも前々からちゃんと準備はしていましたから。二人で裏門に向かって下さい」
ガタガタと震えはじめたエラの耳に、
「……あんたは逃げな。まだ間に合う」
すべてを諦めたような悲し気な声が届いた。
「あなたがエラさんを連れて行くんです。医者がいるんでさっさと診てもらってください。もたもたしてると痛み止め切れますからね。何度も言っていますが足の痛みは中毒症状ではなく肥満による痛風です。痩せれば治ります。そして歯の痛みは単純に虫歯です。抜けば治ります。でも、ここにいたら一生治りません」
冷たい声でそう言ったルークは夜の闇に紛れるような黒い軍服を着ていた。室内にはルークとリリアの二人が残っている。
「隊長、一台目の馬車は出ました。すでに二台目は裏門についています」
ランタンを持って駆け寄って来た男性がルークにそう報告した。
「すぐに招待客たちの馬車で大渋滞になります。彼について行って下さい。渋滞する前に出さえすれば相手は追いつけません」
同じ黒い軍服を着た男がエラを先導するように速足で歩き出す。
地面に下ろされたエラは、躊躇いなく太った男の手を掴む。確かセーロを呼ばれていた。
「今しかないの。今ならあなたはあの女の手の届かない所に安全に逃げられるの。行きましょう!」
エラの言葉に、セーロは零れ落ちんばかりに目を見開いた。
フェリシティは、弱くて優しい人間の心を弄ぶのが好きだ。自分の心を自分で切り刻むような生き方を強いられてボロボロになってゆく様を眺めて愉しむ。
だから、多分彼もエラと同じだ。
「痛み止めの効果、本当にもうすぐ切れるので早めに行ってください。歯が痛いの相当辛いですよ? すぐに抜いてもらってください」
結局ルークのその言葉がセーロの背中を押した。
「あんた……『あの女』って、すごいな」
心底感心するという声でセーロが言った。いつも浮かべていたニヤニヤした嫌な感じの笑いはもうその顔には浮かんでいなかった。体を縮めて不安げに周囲を見渡している。
こうしていると思っていたより小さく見えた。四十代くらいだと思っていたのだが、もう少し若いのかもしれない。
「もっと怖い物を見たの。あれに比べればあの女なんて全然大したことなかった。あなたは痩せてしまえば別人よ。絶対に見つからない。正直羨ましい」
「でも俺は……」
急に右手が重くなりエラは振り返る。セーロはものすごく苦い物を食べたような顔をしていた。その瞳に光がない。朝、鏡を覗き込んだ時に映っている自分の顔と同じだとエラは思った。
「私は、子供の顔を松明で焙ったの。脅迫されていた。後ろから手を掴まれて無理矢理だった。でも、私がやったの。その子は顔に一生残るひどい火傷を負った。そんな私となら一緒に行ける?」
声はみっともないくらい震えた。顔がくしゃくしゃになっているのが自分でもわかる。彼の手首を掴んでいる右の手のひらには火傷のあとがある。決して消えない罪の烙印のように。
「………」
セーロは一瞬言葉を失っているようだったが、突然よろよろと走り出した。いきなり逃げることに前向きになったセーロに、エラは驚愕の目を向ける。
「逃げるぞ! あんたがあの時の少女なら、あいつはあんたを絶対に見逃さない」
「あいつ?」
エラが尋ねると、セーロは必死に足を動かしながら声を潜めた。
「頭のおかしいユラルバルト家の長男だよ。あいつは離れから望遠鏡を使って屋敷内をずっと監視してるから、今も見られている可能性がある。お互い捕まったら生きながら焼かれるか切り刻まれるかだっ」
セーロの顔は恐怖に青ざめていた。最後の衝撃的な一言に涙も引っ込む。
エラはここ数日間、スカラリーメイドとして睡眠時間もほとんど与えられないような状態でこき使われていた。そんな中でも必死に耳で情報を集めていたのだが、娘の話は聞いたことがあるが息子の話は一度も聞いたことがない。でも、今のセーロが嘘をついているようにはどうしても見えなかった。
やがて裏門が見えて来る。黒い軍服を着た数人の男たちが駆け寄ってきて、全員でセーロを背中を押しそのまま屋根なしの馬車に押し込んだ。丸々とした体を座席に横たえると、上からボロ布をかけて覆い隠す。
進行方向に背を向ける側の座席に、エラも横たわりボロ布を被る。荷物を運んでいる無人の馬車を装うようだ。
すぐに馬車は走り出す。やがて向かい側の席からうめき声が聞こえて来る。そういえばルークがもうすぐ痛み止めが切れると言っていた。セーロの顔は苦痛に歪み脂汗をかきはじめていた。
エラは転がり落ちるようにして床におりると、座席に横たわるセーロの体に覆いかぶさり頭から布を被った。
「もっと急いであげて下さいっ。私、支えてるので大丈夫です」
エラは御者にそう声をかけた。鞭の音がして一気に馬車の速度が上がる。エラは必死にセーロの体を座席に押し付けた。
呪われていると言われていたガルトダット伯爵家の中は、穏やかで優しい温室のような世界だった。やっと……やっと普通に息ができるような気がした。
それはきっとエミリーもジェシカも同じだっただろう。皆どこかフェリシティの影に怯えていたから。
「せっかく王都に来たのだから、色々見物して回りましょうね。でもやっぱり、場所によってはある程度のマナーは要求されるから、ちょっと練習しましょう。最終的には舞踏会に参加できるくらいを目標としましょうね!」
イザベラは優しい声でそう言って、キリアからきた三人に勉強する機会を与えてくれた。
エミリーは資産家の娘とはいえ平民で、その侍女であるエラもジェシカも当然平民だ。それなのに、リリィの勉強に一緒に付き合ってやってね! と、貴族の令嬢が学ぶようなマナーから、商人に必要とされるような知識、外国語まで幅広く伯爵家で学ばせてもらえることになった。
家庭教師は厳しく勉強もかなり難しかったから、ついていくだけで必死だった。余計な事を考えている余裕などどこにもなかった。
……でも、楽しかったのだ。
今まで生きていた中で間違いなく一番幸せだった。本当に夢のような時間だった。
みんなで王都見物に言ったり歌劇を見たり、買い物にも行った。何もかもがキラキラと輝いていて、満ち足りていて、胸が苦しかった。感極まって時々泣いてしまってエミリーやジェシカに心配された。
幸せになるなんて許されない。そんな事はわかっている。
この時間はシーズンと共に終わる。だから今だけは許して欲しいと心の中の少女に詫びた。
フェリシティが海賊のような求婚者を送り込んで来た時に、ガルトダット伯爵家の人たちはあっさりと彼らを追い払ってくれた。その時、ここにいれば、もう本当に大丈夫なのかもしれないと思った――
それでも、フェリシティの影はじわじわと忍び寄ってきていた。
エミリーの両親が尋ねて来る度に、苦し気な顔でエラにフェリシティからの手紙を手渡した。
フェリシティには鋭い嗅覚のようなものがある。確実に恐怖で支配することができる人間を見つけ出しては、逃げられないように脅しつける。
家族を人質を取るのも彼女の常套手段だ。エミリーの両親は息子を人質に取られていた。
エミリーの兄弟の中でも一番優しく穏やかな気質のその人は、エラにもとても優しくしてくれていた。本当の兄のように思っていた。
このままでは……全員の心が壊れてしまう。
――覚悟が決まったのは、三階を彷徨う無残な姿の幽霊を見た時だ。
久しぶりに会ったフェリシティは、マナーも不完全で立ち居振る舞いも雑な田舎貴族の娘だった。
本物と過ごした後で見るフェリシティは、粗悪な模造品でしかなかった。
他人から奪ったもので着飾り、虚構に塗れた世界で生きる彼女の姿は滑稽ですらあった。
イザベラはきっとすべて知っていた。だから、エミリーとエラとジェシカに、フェリシティと対抗するための知恵を与えてくれたのだ。
エラがずっと恐れていた存在は、化け物などではなく同じ人間の女だった。
「すぐに新しい結婚許可書を用意しなければならないわね。いいお手本が手に入ったわ」
エラがガルトダット伯爵家から持ち出してきた結婚許可書を受け取りながら、フェリシティはそんな事を言った。フェリシティは議員たちのサインを偽装して、自分とルークの結婚許可書を作成するつもりだった。
その台詞を聞いた瞬間に、エラの中で何かがブチっと音を立てて切れた。
彼女はエラが大切にしている物語を汚そうとしていた。
自分がちいさな女王さまに成り代わろうと画策していた。
……認めない。認められる訳がない。
リリアはエラたちに言ってくれたのだ。「来年の結婚式には絶対に来てくださいね」と。
仮縫い段階のドレスも見せてもらった。流行の形ではなく、絵本の中でお姫様が着ているような……少女たちの夢を詰め込んだようなウェディングドレスだった。大きく後ろに広がったスカートに、長く長く裾を引く純白のベール。
ドレスを前にしてエラたちの語彙力は完全に失われた。三人とも「すてきです……」という言葉しか出なかった。
二人の結婚式を想像するだけで顔が緩みっぱなしになった「結婚のお祝いは今度みんなで選びに行こうね!」とリリィも約束してくれた。
「お二人の結婚式を見るまでは絶対に絶対に死ねないよね!」
「そうよね、私、どんな辛いことがあっても、来年の結婚式のことを想像したら頑張れる気がする!」
与えられた客間で、向かい合って手を握り合いぴょんぴょん回りながら飛び跳ねているエラとジェシカを、エミリーが少し呆れたような笑みを浮かべて見つめていた。でもエミリーも結婚式に参列するのをとても楽しみにしていたのだ。
「お祝いの品を選ぶときには、リリアさまには内緒で出掛けないといけないわね。どんなものがいいのかしら。……どうしよう。すごく楽しみで、何かお二人の結婚式のことを想像するだけで胸がドキドキしてきた」
「そうですよね! そうですよね!」
「楽しみすぎて、私今夜眠れないかもしれません!」
あの日から、来年の結婚式がエラの生きる支えになっていた。
それなのに……
目の前にいる自意識過剰の勘違い女は、こともあろうに自分がルークの花嫁になろうとしているのだ。
(絶対許さない!)
その瞬間、エラの中から罪の意識も、微かに残っていたフェリシティに対する恐怖もすべて吹き飛んだ。
この女に二人の邪魔はさせん! 必ずここから逃げ出してやる。そしていつか必ず痛い目見せてやる! エラは無表情で俯きながら、胸の中でふつふつと闘志を燃やしていた。
とはいえ、相手はやはり上手だった。三日もまともに食べ物も睡眠も与えられなければ、人間思考力は低下する。監視も厳しく逃げ出すこともできない。それでも心が折れなかったのは、『来年の結婚式を絶対に邪魔させるものか!』という強い意志があったからだ。
――でもまさか、本人たちが助けに来てくれるなんて思っていなかった。
「おい、大丈夫か? 疲れているのはわかるが寝るなよ。最悪転がり落ちた俺に潰されるぞ」
苦し気な声で尋ねられてエラははっと我に返る。一瞬寝てしまっていたようだ。脂汗をかいているセーロがエラの肩を揺らしていた。
「わたし、私絶対に来年の初夏までは生き延びます!」
目を上げた瞬間、ものすごく強い意志を瞳に宿したエラを見て、セーロは一瞬虚をつかれた顔になった。
「……お……おお。……がんばれ?」
「あなたは痩せて下さい。私太りますから」
「……お、おお?」
後に彼は言った。この時一瞬虫歯の痛みも遠ざかり、「この小娘ひょっとして相当頭弱いんじゃないか?」と思ったのだと。
あまり暗くなりすぎない感じで進みます……