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41 子うさぎの舞踏会 その8(*)

*絶対に真似しないで下さい。


 フェリシティは険しい顔のまま足早に廊下を歩く。


 想定外の事が立て続けに起こっている。頭がガンガンして吐き気がする。目を血走らせて廊下を走るフェリシティを見て、使用人たちが慌てて道を開ける。


 気に入らない。何もかもが。


 自分に与えられた部屋に駆け込み乱暴にドアを閉める。真っ暗な部屋の中で、拳を握りしめて歯を食いしばる。体が怒りで震え、歯ぎしりの異様な音が室内に響く。相当頭に血が上っている。このまま死んでしまうのではないかと思うくらい腹が立っている。自分の吐く息が熱い。


 本当は衝動のままに暴れ回りたいが、まだ舞踏会は終わっていない。

 荒い呼吸を繰り返しながら、喉の奥から言葉を絞り出す。


「……まだ負けた訳じゃない」


 まるで王族をもてなすために用意されたような美しい客間だ。天蓋付きのベッドに繊細な装飾が施された調度品。シャンデリアがいくつも天井から下がり、壁にはぐるりと絵画が飾り付けられている


 ここがフェリシティの部屋。彼女の好きなものだけを集めたお城。


 繊細な装飾が施された机の引き出しを荒々しく開けてマッチを取り出し、テーブルの上の燭台に火を灯す。

 引き出しの奥に隠してあった小さな紙箱を乱暴に引っ張り出すと、手前に入れられていた手紙が数枚床に散らばった。ちいさな紙箱の中には、咳止め薬として売られている『鎮静剤』が練り込まれた美しい砂糖菓子が入っている。箱に残っている砂糖菓子をどんどん口の中に放り込む。


「まだ負けた訳じゃない、まだ負けた訳じゃない……」


 揺れる炎を見つめながら呪文のように繰りし自らに言い聞かせる。炎のゆらめきに意識を集中する。口の中が甘ったるくて少し苦い。


 炎が伸び上がってすべてを焼き尽くすところを想像してみる。この部屋から大きく燃え広がった炎がこの街屋敷全体を包み込む様を。部屋が燃える。屋敷が燃える。ダンスホールが燃える。

 炎の中で美しく着飾った人々が踊っている。第三王子と伯爵夫妻と娘が炎の中で楽しそうに踊っている。燃えている事に誰も気付かないまま……


 みんなみんな燃えてしまえばいい。


 その炎はフェリシティ自身だ。自分が燃える炎になってすべてを好き勝手に呑み込んでゆく。

 この部屋の中にあるものも、この街屋敷の中にあるものも、全部全部すべて自分のものだ。

 炎を見つめて浅い呼吸を繰り返していると、少しずつ気分が落ち着いて来る。少しずつ息を吸う量を増やしてゆく。吸って吐いて吸って吐く。徐々にゆっくりと。


「ここにあるものは全部全部わたくしのもの。わたくしが自分の手で取り返したもの」


 自分の耳に自分の声で言い聞かせる。


 幸せになれないなら、生きている意味なんてない。やっとここまで来たのだ。ここで負ける訳にはいかない。絶対に!

 生まれた時からフェリシティは不幸せだった。周囲には気に入らないものしかなかった。だから自分には、欲しい物を手に入れる権利がある。そうでなければ、この世の中はあまりに不平等だ。


「今までだってうまくやってきた。これからもうまくやれる!」


 目を閉じて、瞼の裏の炎の残像に告げる。力強くはっきりと。

 口元に無理やり笑みを浮かべる。瞳に炎を映しながら呼吸を繰り返す。強張っていた顔から余計な力が抜けてゆく。


「わたくしは自分が手に入れる筈だったものを、取り戻さなければならない」


 大きく息を吸って吐く。歌うようにそう言って、改めていつもの微笑を浮かべる。再び開いた瞳は落ち着きを取り戻している。……ほら、もう大丈夫。


 揺れる炎は本当に美しい。


 鎮静剤が効いて来たのか、だんだん眠りに落ちる時のように、自分がどこにいるのか曖昧になってくる。もう自分が立っているのか座っているのかわからない。体から心が抜け出して、高い所から自分を見下ろしている。


「わたくしは幸せになるの……全部取り戻して幸せになるの」


 気持ちが高揚してゆく。自分はこの世界の中心にいる。すべてを飲み込み一体化している。今夜の不快な出来事など、子犬に吠えられた程度のことだ。

 低俗な輩の相手をする必要などない。フェリシティは彼等よりずっとずっと高い場所にいるのだから。


 ゆらゆら揺れる炎の中に、一人の男性の姿が浮かぶ。

 銀の髪に水色の目をした優し気な男性だった。彼はまさにフェリシティが憧れ続けた理想の王子様だ。やっと見つけた。一体今までどこに隠れていたのだろう。

 キリアで最初に見かけた時とはまるで印象が違った。あの時はまったく表情の変わらない人形のような人だった。特に女性に対しては全くの無関心を貫いていた。でも本当は違ったのだ。それがとても嬉しい。


「あの人が欲しい」


 不意に唇から零れ落ちた言葉を耳が拾う。その途端胸の奥が疼いた。甘苦しいような不思議な感覚に支配される。


 彼の事を考えると、胸が高鳴る。唇には自然と笑みが浮かぶ。背中がむず痒いような、何となく落ち着かないような気持になる。じっとしていられなくて無意味にかかとを鳴らしてしまう。


 彼は自分が愛する人にだけ優しくできる人なのだ。すっかり騙されていた!


 誰にでも優しい人間は嫌いだ。自分だけを大切にしてくれる、自分にだけ優しい人がいい。そういう人にただ一人の女性として愛されるのなら、この胸の奥にくすぶり続ける苛立ちは跡形もなく消え去るに違いない。

 あの水色の瞳に自分だけを映して、自分だけにわかる言葉で、自分だけに愛を囁いてもらえたなら……そう考えるだけで、心臓が急にドキドキと走り始める。


「あの人はわたしくしのもの。だから返してもらわないといけない」


 フェリシティは頬を染めて、揺れる炎を見つめながら夢見るようにうっとりと微笑む。


「わたくしは彼に出会うために生まれて来たのだわ」


 やっと見つけた。やっと出会えた。だからこれは運命なのだ。あの人は隣に並び立つのは自分でなければならない。彼と二人で好きなものにだけ囲まれて暮らすのだ。


 惨めなのは嫌。毎日泣いて暮らすなんて冗談じゃない。自分は母親のようには絶対にならない。そのためにずっとずっと努力してきた。だから、何の努力もしていない者たちがのうのうと幸せを手に入れるのは我慢ならない。

 欲しいものはいつだって別の誰かのものだ。でも、きっとそれは、神様だか何かの手違いでフェリシティの手から零れ落ちてしまったもの。自分が本来手に入れる筈だった『幸せ』を、他の誰かが勝手に拾って、いい思いをしているだけ。


「……彼女には、一刻も早く消えてもらわないと」


 幸せそうに腕の中に閉じ込められていた娘。彼女には速やかに退場してもらわなければならない。今までもう十分に幸せな思いをしたのだから、今度は彼女が不幸になる番。

 そう決めたなら一刻も早い方がいい。今彼はここにいる。この機会を逃したらそう簡単には会えないだろう。

 この部屋にあるものも、この屋敷にあるものも全部もう要らない。何もかもが一瞬にして何の魅力もないガラクタに変わり果てた。

 すべてを引き換えにしても、今すぐにあの人が欲しい。そわそわと落ち着きなく体を揺らし始めたフェリシティの顔が、キラキラと輝き始める。


「あの人はわたくしのもの。あの人はわたくしのものなの」


 そう言って自分の体をそっと抱きしめる。わたくしのもの。その言葉を繰り返すごとに一層恋しさが募る。体だけでは足りない。彼の心も欲しい。全部自分のものにしなければ気が済まない。


「待っていて、あなたを必ず取り戻すから」


 自分の心が自分の体の中に戻って来るのを感じる。頭が冷静に働き始める。すっきりした気分でフェリシティはゆっくりと瞬きをした。


 邪魔なものをどんどん排除しなければならない。まずは小賢しいガルトダット伯爵家の長女を第三王子に引き渡さなければ。

 社交界で完璧な令嬢と言われていた長女のリリィ。庇護欲を刺激する従順そうな少女。第二王子の単なる戯れを信じて頬を染めて俯いた無垢な少女に、周囲の男性陣だけでなく、ハロルドまでもが思わずと言った感じで目を奪われていた。

 運河を流れていたのは雰囲気からして間違いなく長女の方だ。

 当たり前のように生まれた時から幸せな少女。大切に守られて何の苦も無くすべてを手に入れて来たと思うと……地面に這いつくばらせて泥水を啜らせたくなる。


 あの女は絶対に許せない。


 その時、バタバタ足音が近付いてくる音が聞こえた。


「お嬢さま」


 ノックもせずに駆け込んできたノーヴェは息を切らしている。


「グレイスが逃げるぞ」


「あらあら、あの子にそんな大それたことできるのかしらねぇ」


 くすくすとフェリシティが笑う。その楽し気な表情にノーヴェは顔をしかめた。間に合わなかったかと苦々しく呟く。


「……やっぱり薬に頼ったか。あんた本当にどうしようもなく運のない女だな」


「どこにでも売ってるただの鎮静剤よ」


「ただの鎮静剤でも多量摂取すれば中毒症状は出んだよ。しかも、教会に売りつけてるあんたのそれは純度が高い。一度に全部食べたのかよ。商売品に手を付けるとか、バカだろ」


「今は気分が良いから、何を言っても許して差し上げるわ。グレイスは逃げないわよ。あの子が父親を置いて逃げられる訳がない」


「……子は親を捨てるぜ。親が子を捨てるようにな。でも、あんたにはわかんないんだろうな」


 ノーヴェは重々しくため息をついた。


「グレイスはもうどうでもいいわ。高く売れたもの。エラの『旦那様』も探してあげないといけないわねぇ。そろそろお披露目しようかしら。今夜は無理でも次の晩餐会の時にでも……」


「いい加減現実を見ろっつても無理か」


「ここには奪われて困るものなんて何もないわ。あなただってここでのんびりしてるじゃない」


 会話が噛み合わない事にノーヴェは苛立った様子だが、フェリシティは今とても気分がいい。だって運命の王子様が迎えに来てくれた。


「お嬢さまがこれ以上バカな真似しでかさないように見張ってんだよ」


「庭に出るわ。わたくしの夫となる方にご挨拶に行かないと。さあ、火をつけて船に戻りましょう」


 フェリシティは何の躊躇いもなく燭台をテーブルの上に倒す。冷静にノーヴェは燭台を元の位置に戻した。炎はテーブルを少し焦がしただけだ。


「会場に戻るぞお嬢さま。そこから庭も見える」


 ノーヴェが低く脅しつけるような声を出すが、フェリシティには小鳥のさえずりのように意味のない音でしかない。


「このテーブル汚れてしまったからもう要らないわ。新しい物を用意して頂戴。グレイスは逃げてもいずれ戻って来るわ。第二位王子は放っておきなさいな。何を調べようともここからは何も出て来ないし、地下には病人が寝てるだけ。ああ……病弱な方の王子様は母親の所に逃げ帰ったのかしら?」


「もう王宮に着いてんじゃないか?」


「ふっふふふっ……元王族ちょっと見ただけでっ、みっともないこと。第二王子とは大違いっ」


 フェリシティは肩を震わせて笑い出す。爆発的な笑いの発作に襲われたように。体を二つ折りにしてお腹を抱えて、涙まで浮かべて笑い続ける。

 その様子を憐れむような目で見ていたノーヴェは、ふっと皮肉気に笑って天井を仰いだ。


「……もうダメだな」


 目を細めて静かに呟く。


「あんたが緑の目だったら、あんたの世界はまるで違ったんだろうに。……ほんと運のない女」


 その言葉はフェリシティの胸を刺し貫いた。

 冷や水を浴びせられた気分だった。フェリシティは一瞬呼吸の仕方を忘れる。苦し気に喉を抑えながら、ノーヴェを振り返る。ふわふわとした心地良さは一瞬にして霧散した。途端に耐え難い吐き気に襲われる。鎮静剤の副作用だ。何度か経験がある。


 びぃぃぃぃぃん……


 その時、聞いたこともないような奇妙な音が響き渡った。ノーヴェが廊下に飛び出す。フェリシティもつられるようにふわふわとした足取りで廊下に出る。先程歩いていた時には明かりが灯されていた廊下はいつの間にか闇に沈んでいる。

 前方に人の気配がするが、目が慣れていないため、何も見えない。ノーヴェが緊張するのがわかった。お仕着せの中に隠していたナイフを手に持つ。


 ころころと何かが二人の足元に転がって来る。


 ノーヴェが警戒しながら拾い上げる。透かし彫りが美しい銀の腕輪だ。


 びぃぃぃぃぃん……


 またあの音だ。窓ガラスを振動させるような不気味な音。

 頭に響く。気持ちが悪い。思わず両手で耳を塞いだフェリシティの目前に、


 ()()は、現れた。


 これが、少し未来のおまえの姿だとでも言うように。

薬も火も取り扱いを間違えると大変危険です。

ロウソクを灯す場合は、火の始末をお忘れなく!

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