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38 子うさぎの舞踏会 その5


 舞踏会は夜が更けた頃に始まる。

 煌々と明かりが灯されたダンスホールには優雅な音楽が流れていた。中心部では、主催者たちがカドリールを踊っている。着飾った招待客たちがぐるりとその周囲を取り囲んでいた。


 ダンスホールの壁には等間隔で風景画が飾られ、椅子やソファーが壁に背をつけるようにして並べられている。磨き上げられた床がシャンデリアから零れ落ちる光をぼんやりと映していた。


「ちっちゃ」


 思わず口に出した瞬間に、腕を貸して隣を歩くヒューゴに軽く睨まれた。

 ユラルバルト伯爵家の街屋敷は、ガルトダット伯爵家の三分の一くらいの大きさしかなかった。ダンスホールも思っていたより小さい。


「……思ってたのとなんか違う」


 不満そうにリリィは呟く。舞踏会というのは、向こう側が見えない程広い会場で、もっと絢爛豪華で、もっとたくさんの人がひしめき合って踊っているものだと思っていた。


「領地にある大邸宅ならまだしも、王都の街屋敷なのだから、これでも広い方だ。普通はもっと狭い」


 がっかりしたリリィは露骨につまらなそうな顔つきになった。


「そうなんだ……」


「言葉遣い」


 小声で窘められて慌てて「そうなのですね」と言い直す。


「もともと今日の舞踏会は、今年デビューしたユラルバルト家の長女の結婚相手を探すためのものだ。王宮で開催されるようなものとは目的も規模も違う」


「……それをぶち壊しに来ている私たちってどうなの?」


 ぼそっとリリィが呟くと、ヒューゴは気まずそうな顔になった。二人とも何となく罪悪感のようなものは感じていた。

 自分の結婚相手を探すための舞踏会だ。今人垣の向こうで踊っているユラルバルト家の母娘は相当気合が入っているだろうに……


 リリィが思っていたより規模が小さかったが、ざっと見回しただけでも百人以上招待客がいる。

 ダンスホールだけではなく、玄関ホールにも廊下も昼間のように明るい。今夜一晩の燃料費だけでもガルトダット伯爵家の何週間分に相当するのだろうか。

 舞踏会は明け方まで続くから、喫茶室に夜食や飲み物をふんだんに用意してあるはずだ。食事が豪華であればあるほど家の評判は高まるから、ケチる訳にはいかない。

 すべては娘の良縁のため……

 

 まだ何もしていないけれど。心が痛い。


「そもそも、ユラルバルト家って第三王子派なんでしょう? なんで第二王子招待したの?」


 そんな余計なことしなければよかったのに、とリリィは重いため息をつく。


「建前として王子全員に送っている筈だ。……でも、まぁ、招待状がないならないで、アーサー殿下は何らかの理由をつけて乗り込んだだろうな。娘の舞踏会に王子が二人参加するなんて滅多にない。名誉なことなんじゃないのか?」


「……きっと……楽しみにしていたわよね」


「……かわいそうにな」


 二人の言葉には、一応同情する響きはあった。

 結局、どうあってもユラルバルト家長女のための舞踏会はぶち壊される運命だったのだ。恨むなら第二王子でなく、一緒に踊っている野薔薇の姫君を恨んでいただきたい。


「……そろそろ言葉遣いを直せ。近くに人が増えてきている」


「ヒューゴお兄さまも人のこと言えないわよ」


 ちらっとリリィがヒューゴを見上げると、ヒューゴは真剣な目をリリィに向けた。


「自分の身を守るために今から慣れておいた方がいい。社交界には、ちいさな言い間違いをあげつらうような人間が大勢いる。……残念ながら若い女性の方が非難の対象にされやすい。私たちがいつでも守ってやれる訳じゃない」


 大変心配されているのだということは伝わった。

 リリィはおずおずと頷いて、そして思った。どうしてこの人は、今までこれができなかったのだろうか、と。……こうやって落ち着いた口調で話してくれていたなら、自分達だってあれほど反発してこなかったのに。

 もしかしたら、慢性的な睡眠不足が解消されたことが多少影響しているのかもしれない。抱えていた仕事をルークが片付けてくれたという安堵感もあるのだろう。

 伯爵家で規則正しい生活を送り、仕事に追われることもなくなり、ヒューゴは心に余裕ができた。……その代わりに、ルークが帰って来られなくなり、リリアが拗ねた。


「よく知らない人間には絶対に話しかけるなよ」


「じゃあ、ヒューゴお兄さまはいいのよね? お兄さまなんだから」


 リリィが明るい笑顔でそう言うと、ヒューゴは頭痛を堪えるような顔になった。


「……なんでそうなるんだ。とにかく今日は大人しくしていろ」


「はいはい」


 隣でヒューゴがため息をついているが気にしない。リリィはダンスホールを大きく見渡してみる。

 人垣の隙間からちらりと第三王子の姿が見えた。遠目から見ても、リリィが王宮で出会った王族の男性ととてもよく似ている。

 深緑色の軍服に金の肩章と赤い大綬が一際目をひいた。確か第三王子は国防軍とは別に、志願者で構成されてた護衛隊を持っているから、その軍服なのだろうか。


「お兄さま、第三王子の私設護衛隊って何というお名前でしたっけ? ちょっと恥ずかしい感じの名前でしたわよね?」


「エメラルド護衛隊。通称みどり虫。どこにでも湧く害虫だ。鬱陶しい」


 真正面を向いたまま、表情は変えないがうんざりとした口調でヒューゴは言い切った。目に入れるのも嫌だと言いたげだ。


「……ヒューゴお兄さま言葉遣いが乱れておりましてよ」


 リリィは呆れ顔で呟いた。『みどり虫』なんて言葉を使われてしまうと、そっちの印象が強すぎてもうそれしか浮かばなくなってしまうではないか。……うっかり口を滑らせてしまったりしたらどうしてくれるのだ。


(一般的なんだろうか、その呼び方……)


 そのみどり虫の王子様と手を繋いでくるくる回っているのが……野薔薇の姫君だろう。ヒューゴのせいでもう『薔薇と害虫』という言葉しか浮かばない。彼女は光沢のある水色のドレスに身を包み、顔の半分を水色のベールで隠している。


(やっぱり水色を選んだのね……)


 リリィは何とも複雑な気分になった。彼女は、冷たく取り澄ました雰囲気のルークを想定したのだろう。落ち着きのある知的で大人っぽい印象のドレスを選んだようだ。


(あのドレスでリリアとルークに向き合うのかぁ……)


 ほろ苦い笑みを浮かべて、リリィはすっとダンスホールから目を逸らした。


 できるだけ目立たないように気をつけながら、壁際を移動する。イブニングドレスコートを着たトマスを先頭にして、リリィとヒューゴ、その後ろにアレンとエミリー、ダニエルがジェシカが続く。リリアとルークは別行動だ。


 ソファーに座る目付け役(シャペロン)の貴婦人や、数人の招待客がリリィたち一団に気付いて目を剥いているが、主催者たちが踊っているため騒ぎ出すこともできない。

 ダンスホールの一番奥の隅。丁度庭に降りるための両開きの扉の前に、見覚えのある護衛騎士たち数人が周囲を威圧するような厳しい表情で立っている。彼等の元に到着するとリリィは小さく息をついた。


 自慢の庭とやらはランプを手に持った護衛騎士たちによって美しく照らし出されていた。長テーブルが置かれ、椅子が用意されているようだ。気だるげにテーブルに頬杖をついていた第二王子がリリィにたちに気付いて微笑むのが見えた。


「綺麗……」


 リリィはうっとりと目を細めてガラスの向こう側を眺めた。刈り込まれた低木が迷路のように花壇を仕切っており、色まではわからないが花々が咲き乱れているのが見える。とてもよく晴れた夜だから、光に照らされた庭に出たらとても気持ちが良いだろう。


「……庭を乗っ取ったのか」


 呆れたようにヒューゴが呟く。窓が鏡のようにリリィたちの姿を映している。ヒューゴはトマス同じくイブニングドレスコート。アレンとダニエルは近衛騎士の正装である白い儀礼服だ。


 扉が開き、夜風と共にカラムがダンスホールに入って来た。カラムを含め、護衛騎士たちは全員灰色の儀礼服姿だ。華美で優雅な宮廷服を思わせる深緑色の軍服とは対照的に、無駄のないすっきりと洗練されたデザイン。隣に立つなら絶対こちらがいい。

 白い儀礼服の方たちには申し訳ない気もするが、護衛騎士の灰色の儀礼服がこの中では一番かっこいい。みどり虫は論外。……これはあくまでリリィの個人的な感想だけれど。


「大変よくお似合いです。お嬢さま」

 

 穏やかに微笑んだカラムに小声で褒めてもらったリリィは、嬉しそうに頬を染める。薄緑色の可愛らしいドレスは第二王子が用意してくれたものだ。

 薄手の生地とレースを幾重にも重ねて段にしたふわふわっとしたスカート。肩から胸元は同じ布で作られたフリルで飾られている。透けるほど薄い布地で作られた丸い袖は、百年くらい前の流行なのだそうだ。


 リリィから少し離れた場所で、エミリーがアレンと寄り添って立っている。エミリーのドレスは、淡いクリーム色だ。リリィと同じくフリルやレースをふんだんに使った可愛らしいデザインで、胸元には金糸で刺繍が施され、光を弾いてキラキラと輝いている。


 大きく開いた襟ぐりの緩いカーブを縁取る純白のフリルは白い翼をイメージしている。

 汚れなき天使のような美少女。間違いなくこの会場で一番彼女が美しい。


 先程会場を移動している時、エミリーの姿を見た途端に目付け役たちの顔が険しくなった。自分の娘を売り込みにきた者たちからすれば、エミリーはとんでもない邪魔者だ。彼女は間違いなくこの会場にいるすべての男性の視線を独占することだろう。

 

 ……リリィは自分のことでもないのに、誇らしいような気持になる。


 本当にエミリーはここ三日間がんばっていた。結局何を取り戻したいのかは教えてもらっていないけれど、最初の頃はフェリシティの名前を出すだけでも顔色を変えていたのに、先程ちらりとその姿を横目で確認した時は、落ち着き払った表情を崩さなかった。


 エミリーの背後には、モーヴ色のドレスを着たジェシカが控えている。

 すらりと背の高い彼女は、光沢のある滑らかな生地で作られた大人っぽいドレスがよく似合う。今夜のジェシカは、同性から見てもドキリとするくらい色っぽい。


 二人が並んで立つことにより、エミリーの純真さがより強調される。


 リリィのドレスが緑色なのも、エミリーのクリーム色のドレスを引き立たせるためだ。大輪の花を映えさせるための緑の葉っぱ。要するに引き立て役。 


 主役はあくまでエミリーだ。今夜の舞踏会で、彼女は虫も殺せないような『か弱い美少女』であるという印象を会場内の人間全員に植え付けなければならない。それができれば、フェリシティを虐げた従妹というイメージとは結び付きにくくなる。  

 

 ――曲調が変わる。


 人々が次々と踊りの輪に加わり始めた。主催者の踊りが終わったため、会場内で人が自由に動き始めたのだ。

 招待客たちは、ダンスホールの隅に陣取る少女たちと、整った容姿を持つ男性陣を目にして、驚愕に目を見開いた。


 リリィたちのドレスは、ダンスホールでにいる若い女性の着ているドレスとは明らかに雰囲気が違う。最近流行しているのは、スカートを大きく横に広げないデザインなのだそうだ。薄い生地の上に光沢のある重めの生地を重ね、後ろの裾を床に長く垂らす。胸元を大きく開けて、袖はあるかないか程度だ。


(実は生地をできるだけ節約しようしているとか……?)


 生地やレースをふんだんに使ったふわっとしたスカートは、年嵩の者たちから見れば懐かしく、若い世代からみれば新鮮に映ることだろう。


 まるで古い絵本から飛び出してきたような、懐古的なドレスを纏った美しいお姫様と、その傍らに立つ素敵な王子様……


 会場中の視線が二人に集まっている。男性はエミリーに魂を奪われ、女性はアレンに見とれている。

 ここまでは計画通りに進んでいる。あとは――


「来るね」


 トマスのちいさな声に、リリィは気持ちを引き締める。


 主催者夫妻が娘とフェリシティを伴って、こちらに歩いて来るのが見えた。トマスとヒューゴがリリィとエミリーを隠すように一歩前に出る。

 ユラルバルト伯爵は、ひょろっとした神経質そうな男性だった。確かにきれいな金色の髪をしている。威圧感がないので怖くない。

 一方、夫人と娘と野薔薇の姫は、この会場の大半の人間と同じ、茶色っぽい金の髪に茶色の瞳の女性だった。三人とも特に印象に残る顔立ちではないなとリリィは思う。圧倒的な美少女であるエミリーと比べれば……普通。リリィやリリアと同じく、普通。


 二人が着ている縦の線を強調したドレスがきっと最先端の流行なのだろう。さりげなく服地を節約している訳ではない。フェリシティは水色で、娘の方はぱっと目を引く濃いピンクだ。二人とも余裕ぶった表情をしている。


(……成程、これが、普通)


 妙に納得してして、リリィは小さく頷いた。きっと明日には忘れる。


「招いた覚えはないのだがね」


 第一声が嫌味だった。小さい男だなとリリィは心の中で思った。少しイラっとした。顔には出てないと思うのに、ヒューゴがリリィを完全に隠すように少し移動した。邪魔なので一歩横にずれて、じっと男性の頭を見る。見れば見る程きれいな金髪だ。だが、鬘だとアーサーは言っていた。

 じぃぃぃぃっとリリィは頭を見る。ヒューゴが慌ててもう一歩さりげなく横に移動してリリィを再び背中に隠した。ヒューゴの髪もきれいな金色だがこれは地毛の筈だ。


(ちょっと見えない!)


 むっとした顔をしてふらふらし始めたリリィを、これ以上動けないようにアレンとダニエルが左右から挟み込む。


「何やってるんですか?」


 アレンが困った顔をして小声で尋ねるので、


「ねぇ……ちょっとズレてない? 耳の上の高さが左右で違わない? ああいうものなの?」


 ユラルバルト伯爵の頭を目で指してリリィが答える。え? とアレンがその視線を追った。


「踊ってズレたんじゃないですかね」


 ダニエルがぼそりとそんな事を言った。……一度気になるとどうしても気になる。さりげなくアレンの腕に捕まって背伸びして、ヒューゴとトマスの肩の隙間から、伯爵の頭を見る。そうなるとアレンも見る。ダニエルも見る。


「何かあるんですか?」


 背後からこそこそとエミリーが尋ねるので「鬘ずれてない?」とリリィはユラルバルト伯爵の頭上を見たまま告げた。え? というように、エミリーが顔を上げる。ジェシカは意味も分からずエミリーの視線を追う。

 少女たちが不自然に仰向きになる。エミリーとアレンに見とれていた人々も、何をみているのか気になるのだろう。ふたりの視線を追い、ユラルバルト家当主の頭に注目する。

 気付けば周囲の人間全員が頭に注目している。そうなると正面に立つヒューゴとトマスも頭を見る。


 ユラルバルト伯爵がそわそわし始めた。少し不安そうな顔になって髪に触れると、傍らに立つ夫人に何か耳打ちしている。夫人は夫の頭を見上げて少し顔を顰め、短く一言何か伝えた。「何ともなっておりませんよ」と言ったのだと思う。


「……ちょっと失礼する」


 しかし、視線に耐えきれなくなったユラルバルト伯爵が踵を返して去って行った。人間やましいことがあると不安に陥りやすくなるものだ。多分彼は鏡を見に行った。……勝った。とリリィは思った。ふふっと小さく笑ってアレンの腕を離す。アレンは仕方がないなぁというように目を細めた。


 ユラルバルト伯爵が去った後には、微妙な空気が流れていた。リリィは確信した。彼の金髪は鬘であるというのは……すでに社交界に知れ渡っている。


「招待状を送った覚えはございませんが」


 伯爵夫人が声を張った。じゃあなんで中に入れたのだという話だが、こうやって正面切って告げることでこちらに恥をかかせたかったのだろう。


「私の連れだ」


 いつもより低く威圧的な声が響いた。いつの間に室内に入って来ていたのだろうか。相変わらず全く気配がなかった。

 夫人とフェリシティは必死で動揺を押し殺したが、娘の方は顔を引きつらせて大きく肩を震わせていた。ダンスホールにざわめきが起こる。

 アーサーはいつも通り黒い軍服を着ていた。そのままトマスの横に歩み寄ると、皮肉気に微笑んだ。


「ダンスを踊れる男性を何人か連れて来ると書いた筈だがな。必要なかったようだ。招待した覚えがないというのならば挨拶はいらないということか。……ダンスを申し込む必要もないようだ」


 その言葉を聞いた途端に、娘が顔色を変える。舞踏会に参加する男性は主催者の娘にダンスの申し込みをするのがマナーの筈だ。彼女はアレンに気付いた時からずっと、ぽーっとした顔で彼を見つめていた。縋るような目をして母親に何事が耳打ちしている。母親がそんな娘の様子に少し考え込んだ。


 ユラルバルト伯爵が第三王子と共に戻って来る。鬘の位置は微妙に修正されていた。第三王子のハロルドは近くで見るとだいぶ小柄な人のようだった。王宮で出会った男性より一回り小さい。その隣のみどり虫……護衛も背が低めの男性だ。第三王子よりは装飾の少ない深緑色の軍服を着ている。


 アーサー以外の全員が第三王子に対して一斉にお辞儀をする。

 音楽を止めるように命じたのだろう。いつの間にやら会場内は静まり返っていた。招待客から使用人に至るまで、このダンスホールにいる全員が、今から始まる会話を一言一句聞き漏らすまいとでも言うように、息を潜め耳を澄ましている。


「久しぶりだなアーサー。何をしに来た?」


 自分を少しでも大きく見せようというのだろうか。胸を張って第三王子が居丈高に声をかけた。そう言って会場内に響いた自分の声に満足したように微笑んだ。


「ちっちゃ!」


 顔を上げた瞬間、リリィの唇から思わずちいさな声が零れ落ちる。しんっとした会場に思いがけず響いた。目の前にあるヒューゴとトマスの背中が小さく震え、左右に立つダニエルとアレンは何かに必死に耐えた。

 幸いにも、背の高い男性陣に完全に囲まれていたため、声の主がリリィだとは身内以外誰も確信が持てなかったようだ。しかも、悪意がなかった。何て可愛いんでしょう! というような感嘆の響きがそこには含まれていた。だからだろうか。誰も不意に聞こえた小さな声について言及しなかった。ここで何か言えば、威厳に満ちていた第三王子の第一声が無駄になる。


 リリィは少し感動していた。顔や体つきがそっくりなのに、リリィが王宮で出会った男性の完全なる劣化版だ。一言で言えば、薄っぺらい。声が心に響かない。こんなに似ているのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。年齢を重ねれば彼もあの人のような深みのある声を持つようになるのだろうか。


「詐欺師に騙されたという、可哀想な野薔薇の姫のために、本物を連れて来てやった」


 アーサーの声はさすがに落ち着き払っていた。リリィの失敗はさりげなくなかったことにされた。


「……成程。フェリシティ、侯爵家の跡取りがわざわざお前に会いに来てくれたようだ」


 第三王子は傍らのフェリシティに微笑みかけた。


「お心遣い痛み入りますわ」


 フェリシティが会場にいる全員に向かってお辞儀をする。確かに声はきれいだ。耳に残る。しかし、所作はあまり美しくない。背筋が曲がっているし、立ち上がる時の動作が早すぎて雑に見える。もう少しがんばるべきだ。


「きっと、ちいさな王女さまの名を引き継ぐに相応しいと言って下さるわよ」


 伯爵夫人が余計な事を言った。フェリシティは嬉しそうに微笑んだ。

 あーあ、可哀想に……とリリィは思った。


 あのお姫様はこれからきっとなにもかも滅茶苦茶にされてしまう。

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