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36 子うさぎの舞踏会 その3


 第二王子とカラムは執務室を乗っ取り、イザベラや宿泊客を集めて会議中らしい。入室厳禁。だ、そうである。悪だくみをしているに違いないとトマスは言っていた。

 伯爵家当主はいつも通りないがしろにされていた。


 ダンスホールには絶えることなく音楽が流れ続けている。


 二人きりで踊るワルツだけでなく、カドリールやコティヨンなど複数の組で型を作って踊るダンスも練習しておかなければならない。

 ヒューゴは相手が頻繁に変わるようなダンスは完璧に習得していた。一応彼も貴族の跡取り息子だから舞踏会に参加して何も踊らないという訳にはいかない。最初から最後まで二人きりで踊るようなダンスからは逃げ回って、集団で踊るものには渋々参加していたようだ。

 確かに、次はあっちに移動。次はこっちに移動。次のステップはこれ、と考えながら踊るダンスの方が、リリィからしても気が楽だった。


 一緒に踊ってくれている護衛騎士やドレス姿の女性たちは、常に笑顔を絶やさないで優しい言葉をかけてくれる。それは次のステップや移動先の確認だったり、ちょっとした褒め言葉だったりした。

 音楽に合わせて女性同士で手を繋ぎ、ゆっくり回る。その後パートナーの元に戻って同じように手を繋いでゆっくり回る……


(あ……楽しい、かも)


 軽快で美しい旋律に心が浮き立ってくる。この場にいる全員が、リリィたちが楽しく踊れるように気を使ってくれているから、女王様にでもなったような気分だ。二人きりで踊るのはまだ緊張するけれど、みんなで踊るのは好きかもしれない……


 しかし、楽しいものは習得も早い。あっという間に講師の合格が出てしまった。そこで一旦休憩を言い渡される。


「足痛い……お兄さまごめんちょっと腕貸して」


「大丈夫か……?」


 音楽が止み、一度足を止めてしまうと急に全身に疲れを感じた。普段あまり運動しないリリィの足はもうふらふらだ。怒られるのを覚悟でヒューゴの腕にしがみつくと「よくがんばったな」と労わられた。従兄はリリィが頑張れば褒めてくれる人だった……知らなかった。


「あれだけの人が来てくれてるんだもの、がんばらない訳にはいかないでしょう」


「……そうか」


 ヒューゴに体重を預けて、壁際まで引っ張ってもらう。キースとトマスが椅子を用意して待っていた。


「おかえり。がんばったね。リリィもだいぶ慣れてきたねー」


「ヒューゴお兄さまって、意外とちゃんと踊れるのね」


 まじまじと従兄見上げると、気まずそうに目を逸らされた。


「……昔からダンスはお上手でしたよ。真面目に練習しますからね。……女性と踊れなかっただけで」


 キースがため息をつきながら証言する。そして、「俺、子供この頃ずっと女性役やらされたんで、男性役踊ろうとすると混乱するんですよねー」と遠くを眺めながらぼやいた。


(……やっぱり、いつかリリアと踊りたくて必死に練習したなこの人)


 ヒューゴ少年はキースとワルツを練習しながら、初恋の少女と踊る日を夢見ていたのだろう。そして、大人になってからはそれを自分への言い訳にして舞踏会から逃げ回ったに違いない。大体想像がつくのだ。だって自分がそうだったと気付いてしまったから。


 リリアは先程、ヒューゴの初恋の少女になりきってみせた。大人しくて従順で……少し陰のある表情をする可愛い女の子。その子をヒューゴ少年は深く傷付けてしまった。何をしても裏目に出て、どうしていいのかわからなくて、ヒューゴはずっと苦しかったのかもしれない。あの日壊れそうなくらい泣き叫んでいたリリアの姿を、彼はずっと忘れることができなかったろうから。

 

(……最後の最後に、ヒューゴお兄さまの夢が叶って良かった)


 リリィは小さく微笑む。もうリリアは従順で大人しい伯爵令嬢を演じない。そうすることをルークはリリアに求めないから。


 ――ヒューゴの長きに渡る初恋の物語には、先程きれいな結末が用意されて、めでたしめでたしで終わったのだ。


 今回のことで、さらにリリアに嫌われた可能性もあるが、まぁそれはそれで仕方があるまい。本来のリリアはヒューゴの理想とは真逆な性格をしている。相性は……多分良くない。


(あの子……腹立ちまぎれにドレス姿でどこかよじ登ったりしていないわよね……)

 

 なんだか少し心配だ。リリアは昔から高い所が好きだった……


「……なあ、トマス」


 のろのろと顔を元の位置に戻していた従兄は何かに気付いて顔を顰めた。


「彼女たちは……何かあるのか? 根を詰めすぎている気もする。リリィより前から練習しているだろう? 少し休んだ方がいいだろうに……」


 一見怒っているように見えるが、声はとても心配そうだった。


 エミリーとジェシカは休憩せずにダンスホールで踊り続けている。ダンス講師が困ったような顔をトマスに向けた。鍛えているアレンとダニエルは平気そうだが、エミリーとジェシカはかなり疲れてきている。それでも彼女たちは練習をやめようとしない。


「そうだね、少し休憩させた方がいい。呼んでくるよ。キース、二人分の椅子を用意して」


 トマスはそう言い置いて、二人を迎えに行く。


「……ねえ、キース、取り戻したいものって何? エミリーさんに直接聞いても大丈夫かなぁ」


 椅子を持って来たキースに尋ねると、迷ったように瞳を揺らした。


「そうですね……リリィお嬢さまから聞いてあげた方が、話しやすいかもしれませんね」


「そんなに、深刻な話なのか?」


「……あそこまでお二人が必死になられるくらいには」


 キースが痛みを堪えるように目を伏せた。


「そうか……」


 ヒューゴが静かな声でそう返した。

 疲れた顔をしたエミリーとジェシカが、トマスに先導されてゆっくりと歩いて来る。リリィとヒューゴと向き合う位置に置かれた椅子に、二人はお礼を言ってから腰を下ろした。

 壁に凭れるようにトマスが立ち、その横にキースが控える。


「少し休憩しよう。ここで足を痛めてしまったら何の意味もないよ。……大丈夫。僕たちも一緒に行くから。先に言っておくけど、迷惑なんかじゃないからね。リリィとヒューゴがこのおかげでダンス踊れるようになったんだから、こちらとしてはありがたい限りです」


 兄の声はそれこそ幼い子供に向けるように優しい。ふたりは泣きそうな顔になっている。疲れ切っていて、感情を上手く制御できないようだ。


「私も迷惑なんて絶対思わない」


「……私も思って……ない」


 ヒューゴが恐る恐ると言う感じで二人に声をかけた。のろのろとヒューゴの方を見たエミリーもジェシカも必死で泣くのを堪えている。その様子はとても痛々しい。ヒューゴも胸を突かれたのだろう。どうしていいのかわからなくなったらしく、急に焦り始める。


「……わ、私の方こそ色々迷惑をかけてしまったから、きちんと誠意を持ってつぐな……」


「重いから」


 何やら見当はずれな事を言い出したヒューゴをトマスが黙らせた。一瞬戸惑ったような顔をしたエミリーとジェシカは、泣き笑いの表情になった。


「あの……ありがとうございます」


「お気遣い痛み入ります」


「……なっ……」


 穏やかな声でお礼を言われたヒューゴは、ばっと口を押えて顔を背ける。何か反射的に言い返しそうになるのをぐっと堪えたのだ。従兄は成長していた。

 エミリーとジェシカも、そろそろこの従兄が『面倒くさい人』と言われる理由がわかってきたことだろう。


「一番頑張ってもらわないといけないこっちの二人がやる気になるように、今話せる範囲でいいから説明してやって? ヒューゴとリリィはね、頑張る理由がないと頑張れない、大変困った人たちなんだ」


「否定はしないけどね……言い方がね……」


 リリィは苦笑して兄を見上げる。それから、迷っているように唇を噛んでいるエミリーをじっと見つめた。


「あのね、エミリーさんたちはどうしてそんなに必死なの? ユラルバルトに何かあるの? きっと私たちには知られたくないことなんだろうなってことはわかるの。……だから、話せるところまででいいから、教えてくれると嬉しい」


 エラとナトンのこともある。今二人の心はものすごく不安定だろうから、できるだけ優しい声になるように気をつける。こういう時、リリアやメイジーならどうするだろう。心が重く沈み込んでいる時に、彼女たちはいつでも、そっと寄り添って心の重荷を少しだけ引き受けてくれる。


「私も二人と一緒にがんばりたいの。それでね……それで、舞踏会終わったら、がんばったご褒美に、また一緒にお買い物に行ってくれる? みんなで一緒にアレンお兄さまへのプレゼント選んだのがすごく楽しかったの! あれまたやりたい。私、今までお世話になった人たちに贈り物をしたいの。百貨店に行って色々見てみたいなぁ。ちゃんとヒューゴお兄さまの分も用意するから安心してね。私ね、貸してたお金が返って来たから、今お金持ちなの! だからいっぱい色々買っても大丈夫!」


 これは大変良い思い付きだとリリィは目をキラキラさせる。話を聞いている周囲の人間の顔がだんだん焦り始めた。


「……リリィ、気持ちは嬉しい。嬉しいが、お金というものはな、使えば一瞬でなくなる」


 ヒューゴが言い聞かせるようにそう言った。何故かとても切羽詰まった顔をしていた。


「年利一割で、単利だったのに結構増えたわよ? ……あ、そっか、これを元手にレナードが来た時貸し付ければいいんだ。次複利にしてみようかしら。そうしたらもっと早く増えるわよね。次レナードいつ来るかなぁ」


 明るい声でそう言ったのに、ヒューゴは言葉を失ったように固まった。


「……この感じ、ちょっと良くない気がしません?」


 キースが不安そうな目をしてトマスに耳打ちする。


「多分、お金が増えて戻って来たから、気持ちが大きくなってるんだよ。あと、同世代の女の子との買い物が楽しかったんだろうね……ほら、自分から本以外のものを欲しがるってことなかったからリリィ」


「リリィさま。あの、えっと、私もつい最近まで自分勝手に浪費してたので、本当にこういうことを言える立場ではないのですが。……その、ですね。その場の勢いでお金をどんどん使うのはきっとよくない……わよね? ジェシカ」


 エミリーがジェシカに助けを求める視線を向ける。ジェシカはきつく目を閉じて何やら考え込んだ後、


「貴族の方が身に付けるべき金銭感覚って、私にはわからないです」


 と言って曖昧に笑って誤魔化した。微妙に論点をすり替えていた。


「お金ってない時には使えないから、ある時に使っておいた方が良くない? なくなったら増やす方法考えればいいし」


 リリィが心底不思議そうな顔でトマスに尋ねる。


「一応聞くけど、どうやって増やすの?」


「とりあえず、オーガスタお姉さまの会社に投資する! きっとまた何か新しい事業を始めようと準備しているに決まってるもの。国債とかって今どうなのかなぁ……」


「……どうしてこうなった?」


 ヒューゴがどんよりとした顔でトマスを見上げる。


「貴族の箱入り娘ってこんなもんなんじゃないのー?」


 兄は大変投げやりだった。


「エミリーさん。話がおかしな方に行く前に、本筋に戻っておこうか。このままだとリリィがとんでもない事を言い出しそうで怖い。多分勢いに乗った方が楽だよ」


 エミリーは、一瞬虚を突かれたような顔になったが、気を取り直したように、慌てて話し始めた。


「あ、はい。ユラルバルト伯爵家には、私の従姉がお世話になっているんです。血のつながりはないのですが……名前はフェリシティ。シークカルト男爵の娘です」


「ああ、あれ、か」


 ヒューゴが露骨に嫌そうな顔になった。あれ、とはなかなか酷い言いようだ。


「……やはりご存知ですか」


「野薔薇の姫とかなんとか第三王子は呼んでいるな。顔に火傷があるからと顔の右半分をベールで隠している。そういう理由で有名ではあるな」


「その火傷を負わせた従妹というのが……私なんです」


 ぐっと覚悟を決めるように目を閉じて頷いてから、エミリーがそう口にした。意味がわからなくてリリィが首を傾げる。 


「成程、やはり火傷の話は嘘なのか」


 間も置かずにヒューゴはあっさりとそう言った。エミリーとジェシカがぽかんとした顔をする。


「……え?」


「もともと胡散臭い話ではあったからな。第一、あなたは嫌がらせで顔に松明を突き付けるような人間ではないだろう?」


 ヒューゴが当然のようにさらりと言い切った。驚愕のあまりその場にいた全員が大きく目を見開いた。


「……なんだその反応は」


「うわぁ……まともなのが久々すぎて、何かこの人悪い物でも食べたんじゃないかみたいに感じてしまう自分が怖い」


 キースは幽霊を見た時と同じ顔になっていた。


「ああ、迷惑をかけたのだな。すまなかった」


 ヒューゴはそう言って穏やかに微笑んだ。間違いなく全員がイラっとした。その迷惑をかけた内容をこの男はきれいさっぱり忘れ去っているのだ。迷惑をかけられた方だけが覚えている。


「何でこんな損した気分にならないといけないのかしらね……」


「何ででしょうね……」


 リリィとキースとトマスが深いため息をつく。この従兄のおかげで、どんなに暗い話題に発展していったとしても、深刻な雰囲気にはなりそうになかった。


「でも、そうか……その従姉は今度の舞踏会に出て来るだろう。そこに乗り込めという殿下も……相変わらず厳しいな。恐らく何らかの手は打っていらっしゃると思うのだが」


「……どういうこと?」


 リリィが尋ねると、ヒューゴはリリィに向き直った。


「その男爵令嬢は、美しい従妹にひどくいじめられていたと吹聴して回っているんだ。虐げられ松明を突き付けられて顔に火傷まで負わされたと涙ながらに周囲の人間に訴えて同情を集めている」


「そんな目に遭っても、従妹を恨まず、顔を隠してまでも教会の奉仕活動に参加し続ける、心根の美しい娘なんだってー」


「いや、恨んでないなら何で社交界で従妹にいじめられたって涙ながらに言いふらすのよ」


「不思議ですねー」


 キースが何の感情もこもらない声でそう返した。


「第三王子派の言い分によるとね、彼女こそが、ちいさな女王様の遺志を受け継いだ存在なんだって。……で、その天使のような心を持つご令嬢がね、『リルド侯爵の後継者がおよめさんに欲しいと言ってきた』とか何とか、とんでもない嘘を社交界にばら撒いてくれたんだよね」


 はぁ? とばかりにリリィは顔を顰める。

 意味がわからないという顔をする妹に対して、「まぁ貴族の間ではよくある話」とトマスは苦笑いした。


「僕が誰それに求婚したなんて噂も、山ほどあるからね。嘘か本当かはどうでもいいんだ。そうすると箔が付くだろう? 僕はいちいち否定するのもバカらしいから放置してあるけどさ」


「『わたくし没落貴族に求婚されたのよ、すごいでしょ』って……自慢になるの?」


 素朴な疑問をエミリーにぶつけると、


「え? 勿論自慢になります。羨ましがられますよ。だって、トマスさまですよ?」


 と、当たり前のように言われて、リリィは首を傾げる。


「……だから、なんで?」


「……え?」


 心の底から不思議がっているリリィを見て、エミリーとジェシカがぽかんとした顔になる。しばしの沈黙の後に、「ま、まぁ身内の評価は辛くなりがちですよね……」とジェシカが呟き、「そ、そうよね」とエミリーが頷いた。


「ありがとう、二人とも気にしないで。……妹の中で僕の評価が低いのは今に始まったことじゃないから」

 

「大丈夫ですよ。トマスさまだけじゃなくて、俺の評価も似たようなものですから」


 トマスとキースは吹っ切れたような笑顔だった。


「リリィの中で『普通』の基準はルークなんだよね。だから……無理だから」


「……ああ……成程……」


「……それは……はい……」


 エミリーとジェシカは、兄やキースと同様に何かを諦めたようだった。


「で、話戻すけどさ、まぁ僕の場合は噂だけで済んでるんだけど、彼女は本気でルークと結婚したかったみたいで、結婚許可書まで用意して議会の承認をもらおうとしたんだ。でも、それより一足先に、リリアとルークの結婚許可書が先に議会で承認された。それは彼女にとっては完全に想定外だった筈だ。そのせいで、彼女たちが提出した許可書のサインが偽装だと露見してしまったからね。彼女の言い訳は『詐欺師に騙された』だった。それは新聞にも載った。こんな詐欺があるので気をつけましょうって」


「……もし万が一彼女の方の結婚許可書が承認されていたとしても、陛下は承認しないだろうし。当然ルークはそんなもの認めないわよね」


「それでも、彼女は必ずルークに結婚を認めさせる自信があったんだよ。……目的のためなら手段を選ばない所がある人のようだから」


 さらりとトマスはそう言ったが、リリィは背中がひやりとした。一気にエミリーの顔から血の気が引いてゆく。慌ててリリィは椅子から立ち上がって手を伸ばして、膝の上に置かれたエミリーの手を握った。そのまましゃがみ込んで「だいじょうぶ?」と尋ねる。


「あのね、昨日こうして両手を握ってもらったら、私、すごく落ち着いたの」


「……誰に?」

 

 低い声を出したのはヒューゴだった。また距離が近いだの、はしたないだのと言い出しそうな予感がしたので、


「リリアよ」


 つんと澄ました声でそう答える。そうしておいてから、エミリーとジェシカに向かっていたずらっぽく笑いかけた。察したらしい二人が目を細める。……リリアとも昨日の夜こうして手を繋いだから、嘘はついていないのだ。

 キースがリリィの椅子をエミリーの横に移動させる。エミリーの片手をジェシカに預けて、リリィは反対側の手を握ったまま椅子に座った。三人で手を繋いで微笑み合う。


「トマスお兄さま、もう大丈夫だから続けて?」


「ルークはね、入隊してからは、うちとはあまり関わりを持たないようにしていたんだよ。勿論『表向きには』って言葉はつくんだけどね。……アレンの近侍であるルークと、アレンの婚約者である伯爵家の娘たちが親しいなんてことになったら、また変に勘繰る奴らが出てくる。だから、ルークは外では見た目の雰囲気まで変えてかなり気を付けてた。手紙のやり取りはするけれど、直接会いに来るのは半年に一度。しかも食事もせずにさっさと帰ってく。女嫌いで有名だったし、外から見る限りは、ルーク・キリアルトがガルトダット家の娘といきなり結婚するようにはとても見えなかったはずなんだ……」


 そこで一旦トマスは言葉を切り、先程までリリィが座っていた椅子があった位置まで歩いて来ると、思わせぶりに目を細めた。 


「……さて、ここで質問です。エミリーさんたちが、キリアで見たルークって、どんな人だった? 今いないから正直な所教えてくれる?」


 尋ねられたエミリーとジェシカは顔を見合わせた。少し言葉を探すような素振りを見せたが、やがて諦めたように小さな声で、


「ええと、ものすごく冷たい目をされていましたね。表情が全然変わらなくて……怖くてまともに顔見られませんでした。今思い返すと、同じ人とは思えない」


「あまりに淡々としていらっしゃるので、この人、本当に生きてるのかな、感情ってものがあるのかなとか思いました。……別人でしたね」


「じゃあさ、その、野薔薇のお姫様が執着しているルーク・キリアルトとは、一体どんな人物なんだろうね?」


 エミリーが「……あっ」と言ってトマスを見上げた。ジェシカの方は、あいた手を口元に当てて大きく目を見開いている。


「それにさ、昨日リリィが運河流れる原因となったグレイスって女は間違いなくその男爵令嬢だ。でも、どうして彼女がリリィを狙って来たのか、その理由がわからない。普通に考えると、狙われるのはルークと結婚したリリアなんじゃないの?」


「……ひょっとして、私、また間違えられたの?」


 リリィはがっくりと肩を落とす。ガルトダット家には長女リリィが二人いるから、そういう事態が起こっても不思議はないのだ。例えばもしナトンとエラが誘拐に関わっていたとしたら……


(あれ?)


 ふと何か強烈な違和感を感じた。……しかし一瞬胸をざわめかした予感めいたものは、トマスの声に打ち消されてしまう。


「かもしれないよね。そこら辺は野薔薇の姫君本人に聞かなきゃわかんないんだけどさ。……でも、もし全部が彼女の勘違いだったのだとしたら、彼女は本当のルークとリリアを見て、どんな反応を示すのかなぁ。そう考えるとちょっと面白そうじゃない?」


 トマスは悪戯っぽい目をして、三人の少女を見回した。最初あれだけ嫌がっていたくせにやけに乗り気になっていた。


「彼女は短気で癇癪持ちな王子様を本気で怒らせてしまったからね。向こうにとっても、楽しい舞踏会にはなりそうにないよねぇ」


「人生初の舞踏会がそんなのって……ちょっと嫌だ」


 リリィは思わず天井を仰いだ。

 足が痛くなるほど練習しているのに、せっかくワルツも踊れるようになったのに……

 リリィたちは舞踏会にダンスをしに行くのではなく、本当に喧嘩を売りにいくらしい。

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