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34 子うさぎの舞踏会 その1


「使用人がほんの出来心で嵌めたら取れなくなって、結局斧で……みたいな言い伝えがあるとかないとか聞いたような気はする。でもそれなら首はどうなんだって話だ。詳しい事はわからん。嵌めると外れなくなるらしい。普通に考えればこれ子供用だろ。大人が無理矢理嵌めたら外れないよなぁ」


 ロバートは手に持った小さな腕輪を光に透かして眺めている。三階の幽霊の原因になっているとウォルターが言っていたものだ。彫金細工が美しい銀の腕輪。モチーフは鳥の翼だろうか。


「使用人っぽい服じゃなかったし、ついでに子供でもなかったわよ」


 ドアの外から部屋の中を覗き込む。ロバートが入り口付近にしゃがみ込んでいるため中に入れないのだ。灰色の大きな布がかけられている鏡台の横には、古布にくるまれた人形や絵画が置かれており、その横にはバラバラになった鎧が床に散らばっている。壁際には剣や弓などの武器が立てかけられていた。

 夜になると、人形は喋るし鎧は歩くらしい。肖像画の目は動き、鏡にはそこにないものがうつる。普段鍵がかけられているから、本当かどうかはわからない。時々夜中にバキバキとかドンドンとか音がしているけれど。


「文献漁ればそれらしい伝承とか出て来るんじゃないか? 紋章が入っているから王宮の図書室行けばなんか資料があるかもなー」


 ロバートはちらりとリリィを振り返ったが、室内に入れてくれるつもりはなさそうだった。踏み越えてでも入りたいとは思わないので、大人しく扉の外で待機している。


「あーそれでルークが図書室に用事ができたとか言ってたのね」


 では、王宮に連れて行ってくれるという話はどうなるのだろう。ヒューゴは伯爵家に来てからの記憶が全部飛んでいるようだった。本当に彼は何がしたかったのだろうか。

 ……やめよう。あの従兄に関しては考えるだけ時間の無駄だ。でも、次に思い浮かんだのも考えるだけ時間の無駄な相手の顔だった。気持ちが余計に塞ぐ。


「……そういえば、レナードってどこにいるの? ウォルター来た時に春先までの生存は確認されたとは聞いた」


 ロバートに会ったら聞こうと思っていたのに、昨日は夕食会でそれどころではなかった。ルークやウォルターに聞いても絶対に話してくれないので、レナードのことはロバートに聞くしかないのだ。


「さーな。まー探してる奴は多いだろうな」


 言葉はそっけないが、ウォルターやルークよりは温かみのある声だった。ロバートは立ち上がって、手に持っていた腕輪を鏡台の引き出しの中に戻す。様々な装飾品が引き出しの中にぎっしり並べられているのが見えた。……あんなものばかり集めてウォルターも一体何がやりたいのだろうか。


「去年大怪我してキリアに戻ってたんでしょう?」


「俺は海の上だったんだよ。ルークの話だと路地裏に転がっていたらしいな。見せしめに刺されたんだろうって言ってたが、何をやらかしたのかまでは知らん。聞いても答えないだろうからって誰も聞かなかったらしい。もう何言っても無駄だからほっとけみたいな空気はあるな。いい大人なんだし。……そんな顔するなよリリィさま」


 自分がどんな顔をしているのかリリィにはわからない。何となく両手を頬に当てると、ロバートは困ったように笑っている。目の前の男も海の向こうで様々な目に遭っているから、刺されて路地裏に転がるのも当然経験済みだろう。

 本当によく生きて帰って来られたなと毎回思ったものだ。土産話を聞きながら腕にしがみついて泣いて怒るリリィとリリアを見て、彼は今と同じ顔で笑っていた。

 ロバートは部屋から出てくると鍵をかける。リリィは体を反転させて壁に凭れかかる。


「何やっても長続きしないよね……」


「飽きっぽいからな」


「律儀に手紙は届くんだよねー。今何やってるんだろ」


「賭博師」


「……それは知ってるんだけどね」


「ほっとけほっとけ。その内飽きる」


 ロバートは大して興味もなさそうにそう言った。実際その通りなのだろうなとは思う。

 一時期はチェスにはまり込んでいた。海外を回って腕試しをしていた時期もあった。その後はカードゲームだっただろうか。どちらもある日突然に気持ちが冷めてしまったのだと言っていた。楽しくなくなったらもうやらない。乱暴にリリィの頭を撫ぜながら、そう言って気だるげに笑っていたっけ。

 勝負がついていないチェスの対局譜は途中で止まったまま、もう何年も更新されていない。きっと、彼はエンディングまですべて見通していた……

 ほっとけと言われても、刺されたなどと聞けば心配にもなる。


「……もう五年?」


「あーもうそんなんなるか。……で、今更だがリリィさまここにいて良いのかよ」


 ロバートが廊下の壁に凭れかかって動き出す様子のないリリィに咎めるような目を向ける。あからさまに話題を変えられた。リリィはその視線を避けるようにふいっと横を向いた。


「楽団の到着待ち」


「珍しいな。何拗ねてんだよ」


 ロバートが不思議そうな顔をする。嫌な事があるとリリアは拗ねてリリィはふて寝する。

 でも今は寝る気にもなれない。ダンスホールでエミリーとジェシカはもうダンスの練習を始めているから。そちらに向かわなければならないと頭ではわかっている。


「フられかけたから」


 強がって何でもないふりをしているのに、自分の言葉で泣きそうになっているのだから、もうどうしようもない。


「つまりフられなかったんだろう?」


「まだ利用価値はあるらしく。周囲が無理矢理止めた」


 リリィは呟いて唇を噛む。言ってしまってから、あ、これは可愛くないな、と自己嫌悪に陥った。カラムとソフィーは絶対にそんな意図はなかった。本当はちゃんとわかっている。リリィのために彼らは怒ってくれていた。それなのに……


「そうやってどんどん落ち込んでいくところが、まさしくリリアさまっぽい」


「私あんなに可愛く拗ねられないわよ」


 リリィは目を伏せてため息をついた。胸がじくじくと痛む。本当は今すぐ部屋に戻って泣きたい。

 仕方なさそうに笑って、ロバートはリリィの隣に座って床に足を投げ出した。壁に凭れて天井を見上げる。無理に行かなくてもいいぞとでも言うように。


「利用価値ねぇ……じゃあアレンさまと『大家』領行くのか?」


 ロバートは他の人が言うダージャとは違う発音をした。きっと本来はそれなのだ。ロバートは様々な国の言葉を知っている。


「何でみんなダージャ領行け行け言うのよ。……絶対行かない」


 俯いているリリィの声が一段低くなる。その答えを聞いてロバートは喉の奥で笑った。


「あそこは結構面白いぞ。一度行ってみるといい。数代前の領主が東洋被れだったんだよ。ユエィヤ宮って東洋風の建造物があるんだがな。色々間違ってて、本物見たことあると結構笑える。庭と建造物で参考にした国が違うんだよな」


 少し興味をひかれて、リリィはのろのろと顔を上げた。


「ダージャ領っていうのはその東洋被れの領主がふざけてつけた名前でさ。本来の発音は『大家』だ。元々はラーセルテート領って名前なんだよ。ラーセルテートの死の呪い。面白そうだろ」


 ……いや、全然面白くない。


「また呪い? 最近なんかよく聞くわ。呪いって言葉」


 うんざりしたようにリリィが言うと、ロバートが目を細めて口の端を引き上げた。


「何度創設しても一代で断絶する呪い。後継者が必ず悲惨な最後を迎えるんだ」


 うわぁとリリィは顔を顰めた。ガルトダットの呪いよりずっとたちが悪い。


「例の愛人騒動の時も、ラーセルテートの呪いだ何だと騒がれたんだよな。アレンさまが引き継ぐことが決まった後の話だから関係ないんだが、何でも呪いのせいにされちゃたまったもんじゃないよなぁ」


 作り笑いをやめたロバートが天井を仰いでぼやく。リリィはそれをぼんやり聞き流しながら、ん? と首を傾げた。とういうことは、だ。リリィにダージャ領に行け行け言っている者たちは、リリィにその死の呪いとやらをもらい受けに行けと言っているということになるのでは……


(……ちょっとひどくない?)


 そんな呪いがあるなんて聞いていない。いくら豊かな土地だろうがそんな物騒な話があるなら誰も欲しがらないだろう。


(そもそも、ダージャ領って、おじいさまがちいさな王女さまと再婚する時に与えられたって……)


 リリィは思わず顔を顰める。結婚祝いに死の呪い。そしてそれはリリィかリリアと結婚することによってアレンに引き継がれるのだという。


(どんな嫌がらせよ、それ)


「アレンお兄さまと私が結婚したら、ラーセルテート夫妻になるわけ? で、その死の呪いとかを背負わされるってこと?」


 憮然とした顔で尋ねるリリィを見上げて、


「リリィさまは、ラーセルテート子爵夫人だなおめでとう。ガルトダットの呪いなら、ラーセルテートの呪いに勝てるかもしれない」


 大層明るい声でロバートは言った。一気に話が胡散臭くなってきた。


「ねぇ、根拠あるのそれ?」


 リリィの声が尖る。


「あるわけないだろそんなもの。種明かしをするとだな、そもそも呪いだ何だと言っても、兄弟間で後継者争い勃発して共倒れってのが多い。色々記録が残ってるからちゃんと調べた結果、病気や事故や毒殺を疑われる事例ばかりだったとウォルターが結論付けた。当時はわからなかったんだろうよ」


 ロバートは真顔でそう返した。


「……なんだ。もうびっくりさせないでよ」


 ウォルターが言うのなら間違いないだろう。リリィは胸に手を当てて小さく息をついた。心臓がどきどきしている。

 してやたりというような顔をしてロバートが笑った。誑かされたのだ。ロバートはリリィの気を紛らわそうとしたのかもしれない。


「本当に呪いがあるのなら、リリィさまやリリアさまに行けなんて皆が言う訳ないだろう?」


 それもそうだなと納得して、リリィは気が抜けたように目を瞑った。沈黙が落ちる。

 横に並んでいるロバートが自分の方をじっと見ているのに気付いたリリィは、目を開けて「何?」と首を傾げた。


「アレンさまがラーセルテートの呪いを押し付けられることになったのも、第一王子がアレンさまを執拗に虐げるのも、リリィさまがアーサー殿下にフられかけたのも、アレンさまと一緒にダージャ領に行け行け言われるのも……全部呪いのせいだ」


 え? とリリィが顔を上げると、ロバートが思わせぶりに微笑んだ。まだ呪いの話は続くのか。リリィは疲れたように肩を落とす。

 その呪いは何かの比喩だろうか。それとも都合の悪いことは全部呪いのせいにでもしてしまえ! とでもいう事だろうか。


(何でも呪いのせいににするなみたいなこと言ってたくせに)


 リリィは小さく息をついてから笑った。


「私たちは生まれる前から呪われてるわよ。今更呪いのひとつやふたつ増えたところでなんてことない。同じような顔ばっか生まれて来るし、醜聞に塗れてるし、没落してるし、屋敷には幽霊出るし、髪抜けるし皺増えるし、伝染するし?」


 指を折って数えてみる。こうやって並べてみるとなかなかガルトダットの呪いも強力だ。


「トマスさまのおよめさんになる女性は結構大変だなー」


 ロバートがしみじみとそう言った。確かにこれを全部引き受けなければならないのだから相当の覚悟が必要だろう。そんな気前の良い人が、果たして現れてくれるのだろうか。そんな風に考えると自然に笑いがこみあげてきた。

 くすくす笑っているリリィを見て、ロバートは目を細めて穏やかに笑った。そういう表情をするとやっぱりルークに似ているなと思う。

 ロバートが床に手をついて立ち上がろうとするのを見て、リリィは思いつきで軽く体当たりをした。


「うわっ。だからいきなりはやめろって」


 何か他ごとに気を取られていたのか、ロバートはあっさりと体勢を崩して床に膝をつく。そのまま倒れ込みそうだったので慌てて腕にしがみ付いて引っ張り戻してやる。


「……年取ったわね」


 拍子抜けしたリリィは、思わず憐れみを込めた目でロバートを見下ろした。


「ほっとけ。ったく。……はいはいお願いはなんですか? お姫さま」


 恨みがましい目をしているロバートに手を貸しながら、リリィはちょっと考える。


「昨日の仕返しのつもりだったのよ。ロバートのせいであの後ルーク機嫌悪くなって大変だったから。……でも、そうよね、せっかくだし。何があるかなぁ?」


 まさか素直に倒れてくれるとは思っていなかったので何も考えていなかったのだ。

 リリアだったら絶対に「船に乗せてください!」とねだる。子供の頃から彼女の願い事はずっと同じだった。そしてそれを断るためにロバートがどんな試練を与えるかをリリィは面白がって見ていた……


「そうねぇ、じゃあ、船に乗せ……」


「リリィさまには絶対無理だから諦めろ。客船にしとけ客船に、な?」


 最後まで言わせてもらえなかった。しかも両肩に手を置かれて真剣な顔で諭された。渋々リリィは頷く。もともとどうしても乗りたいと思っていた訳でもないのだが、釈然としない。


「……ほれ、お迎えが来てるぞ」


 ロバートがリリィの両肩を持ったままくるっと反転させようとする。


「……え?」


 視界が横に流れたと思った瞬間大きくよろめいた。咄嗟にロバートの腕を掴もうとして指先が空を切る。肩に何かに当たる。軽くもたれかかるようにしてリリィの体の傾きは止まる。「がんばれよー」と全く気持ちのこもっていない声で告げると、ロバートはあっさり踵を返して去って行く。


「ちょっとロバートまっ……」


 真横に伸ばそうとした手は、途中で別の手に捕まれて胸の前に戻される。


「お話終わったなら、練習しようか」


 頭の上から声がする。ひやっとしてリリィは首を竦める。声は優しいのに怖い。サボっていた自覚があるから余計に。

 反射的に目でロバートを追いかけようとして、そのまま引き寄せられた。視界が黒で埋め尽くされる。


「ダメだよ。今は逃がしてあげられない」


 少し体が離れて、茫然としているリリィの顔を王子様が覗き込む。相手は穏やかに微笑んでいるのに、胃の辺りが冷えた。

 フられかけた挙句、次に会ったら笑顔で威圧された。……悲しい。

 じわっと視界が滲む。えっと言う感じで第二王子の完璧な笑顔が崩れた。


「あーあ、泣いちゃいましたね。意地悪ばっかりするからですよ。大人げない」


 背後に控えていたカラムが、大股に歩み寄るとその場に跪いてにっこり笑った。


「お嬢さま、大丈夫ですよ。この人怒ってないですからね。色々あってちょっとお疲れなんです。顔を洗って、着替えて、私と一緒にダンスの練習しましょう?」


 幼い子供に言い聞かせるような雰囲気だ。リリィは素直に頷いた。カラムは立ち上がると、どうだと言わんばかりの顔でアーサーを見る。


「羨ましいでしょう」


「随分懐かれたね」


 穏やかな声にほっとする。ちらっとアーサーの様子を窺うと「怒ってないよ」と優しく笑ってくれたから嬉しくなる。単純だなと自分でも思うけれど、本当にそれだけで、不安を全部忘れるくらい気持ちが浮き立つのだ。


「昨日の夕食会、初めてにしては上出来だったと報告を受けてる。……よくがんばったね」

 

 初めて昨日の夕食会のことで褒められた。誰も何も言ってくれなかったのだ。その後色々あったせいで……忘れ去られたのだろう。リリィも先程ロバートに会うまで食事会の事などすっかり忘れていた。


「……わ、私、ちゃんとできてましたか?」


 恐る恐るカラムに尋ねると「できてましたよ。大したものです」と頷いてくれた。その途端頬を染めて嬉しそうな顔になったリリィを見て、アーサーが目を細めた。


「だから、ダンスもがんばろうね。大丈夫。この距離が平気なら踊れるから」  

 

「近すぎます。純情な娘さん弄んでないで行きますよ。まぁ、機嫌直ったならいいですけどね」


 カラムが呆れ果てたように言うと、先に立って歩き出した。

 

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