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33 三階の怪談 その3



 ――呼び鈴が鳴る。


 燭台を持ったジャックがドアを開けて対応している。明かりがついていない玄関ホールは真っ暗だ。

 朝が早い伯爵家は、いかにも没落していますというように今夜も闇に沈んでいた。イザベラは親しくしている友人の晩餐会に招かれ、アレンとダニエルは夜勤。住人達もそろそろ就寝の準備に入る時間……

 

 入って来たのは怪しすぎる来客だ。真っ黒な外套を着て片手に大きなトランクを持った男はボーラーハットをジャックに渡すと、ふっと大階段を見上げた。小さな明かりが勢いよく階段を滑り降りて来て、客人の正面で止まり顔を照らした。


「……ああ、リリィの方か」


「……なんだ、ウォルターか」


 二人は納得して頷き合う。

 ウォルター・キリアルト。ロバートの弟だがあまり似ていない。並んで立つとルークの方が弟に見られることが多いくらいだ。短く刈った茶色の髪、目の色は水色。眼つきが鋭く一見とっつきにくそうな印象を周囲に与える。彼は没落したガルトダット伯爵家を物置か何かのように思っていた。数年に一度くらいの頻度でふらっと伯爵家にやって来ては余計なものを置いてゆく。


「ドレス姿は初めて見たな」


「ねーねーそれ暑くないの?」


 それぞれが好き勝手に話し始める。相手に返事を求めていないから、全く会話は成立しない。ウォルターは脱いだ外套をジャックに預けると、しげしげと目の前の少女を眺めた。


「良く似合ってるぞ? コルセットはきつく締めすぎるなよ。骨や内臓に負担がかかる」


 彼は趣味で心霊現象を研究している外科医だ。幽霊に会いたい気持ちが強すぎて、死んだら化けて出てくれと患者にお願いして回っている。「私だったらそんな医者に命を預けるのは絶対嫌だわ」とリリィがよく言っていた。


「キリアからわざわざ来たの? 汽車で?」


「ルークはいないのか? リリアは元気か? とうとう結婚するらしいなあいつら」


「そういえば、レナードって元気なの? キリアにいるの? 手紙はくれるんだけどもう一年以上顔見てない。ウォルターは会ってるの?」


「なんかよくわからんが、改装でもするのか? 例の幽霊まだ出るから何とかしろと言われてな。引き取ってやれればいいんだが、これ以上は屋敷の者が嫌がるから、もうしばらくここに置いてもらいたいんだがな」


「ウォルター来たってことはロバートも来るの? ルークの機嫌悪くなるなぁ。そういえば今キリアからお客さん来てるの。パーシュレティ商会って知ってる? 結構大きいところだってロバート言ってたけど」


 両方が同時に捲し立てているので、何を言っているのかわからない。ジャックが顔を引きつらせて少しずつ後ずさっている。


「最近忙しくて明日には帰らないといけない。趣味に没頭すると本業を疎かにするなと怒られるんだ。面白そうな事象が起きてもゆっくり調査している時間がない。ここは幽霊の宝庫だから長期滞在して調査したいんだがな。幽霊のためにまだ生きている患者を放り出す訳にもいかない。悩ましいな。……とりあえず、リリィは元気そうだな。安心した」


「エミリーさんって言うの。すっごい美少女なの。で、そのエミリーさんのご両親が持ってきてくれたお菓子がすごく美味しかったのよね。キリアで最近人気のお店だって言ってた。何て名前だったかなぁ……まぁいいや。ウォルターも元気そうでよかったわ」


 唐突に二人は口を閉じた。満足げな顔をしていた。


「挨拶終わりましたか?」


 また何かを思いついて自分勝手に話し始める前に声をかける。


「……ああなんだルークいたのか。リリアも久しぶりだな」


 リリアは嬉しそうに顔を輝かせてウォルターの元に駆け寄るが口を開かない。全然関係ない言葉が返って来る上に一方的に喋られて圧倒されるからだ。ウォルターはリリアの肩をポンポンと叩いた。


「とうとう結婚するのか。一度キリアにも遊びに来い。オーガスタやレナードも会いたがっていた」


 ウォルターはにこにこ笑っている。リリアも嬉しそうに笑っている。二人は頷き合った。そしてリリアはまたくるっと踵を返してルークの元に戻ると腕にひっついた。こうして二人の再会の挨拶は終わった。


「あ、キリアにいるのね、レナード」


 ロバートは四人兄弟だ。一番上が姉のオーガスタ。ロバートが長男でウォルターは次男、一番下のレナードがルークよりひとつ年上になる。


「いや、相変わらず所在不明だな」


「生きてはいるんだ」


「三日前に、春先までの生存は確認されましたね。その後は知りませんけど」


 ルークがどうでも良さそうにそう言うと、ウォルターが後を引き継いだ。


「一年前くらいに前に大怪我をしてキリアに戻って来ていたんだ。その時はさすがにちょっと心が弱っていたみたいで、おまえたちに会いたがっていたんだがな。オーガスタが、借金返すまでは絶対に会わせないと言い放った」


「……大丈夫だったの?」


「大怪我と言っても、急所は外れていましたから、命の危機という程ではなかったですね」


「……何でルークが知ってるの?」


 大怪我と聞いてリリィは不安になったようだ。落ち着かない様子でルークを振り返った。


「道に転がっていたのを拾ったの私なので。放っておこうかとも思ったんですけどね。借金返してから旅立ってもらわないと困るのでちゃんと助けましたよ。……誰にも感謝されませんでしたけど」


「ルークありがとう! 無事なら良かった。……まだお金返してもらってないし!」


 リリィが心底安堵したように微笑む。最後に付け加えられた言葉を聞いて、ルークは呆れ顔になった。


「何であんなのに貸したんですか」


「……可哀想だったから? でもちゃんと金利も設定して貸し付けてあるから大丈夫よ。後で帳簿見る? お金もってそうな時にまとめて請求するわ。でも、お金ある時はレナードうちには来ないか」


 リリィはちょっと考えてから明るくそう答えた。


「……子供のお小遣いまで巻き上げたのかあいつ」


 ウォルターの眉間に深い皺が寄る。ルークは嫌な予感がして、腕にひっついているリリアを見下ろした。


「リリアさまはいくら貸したんですか……?」


「持ってたお金全部。そんなにたくさんではないですよ? 困っているなら別に返してくれなくてもいいとは伝えておきました」


 何も悪いことはしていませんよという顔をして、リリアはあっさり白状した。ということは、芋虫になった理由は別なのだ。……何をやったのだあいつは。聞くとリリアの精神の安定が崩れる気がするので今は聞かないが。


「……」


「……」


 口を開くと、罵詈雑言しか出てこない気がする。ルークとウォルターは押し黙った。玄関ホールの闇が深くなり、ジャックが帽子と外套を持ってそそくさと去って行った。


「ルークさん、お客様って……」


 入れ替わるように玄関ホールに顔を覗かせたキースが、ウォルターに気付いた途端に顔色を変えた。その場から逃げようとするが、あっさり腕を掴まれ捕獲される。


「キース久しぶりだな良い所に来た。三階だったな? さっさと終わらせる」


 じたばたしているキースをウォルターが無理矢理ずるずると引きずり始める。


「痛いですって」


「本当にあの小さかったのが、大きく育ったな。喜ばしいことだ。じゃあ行くか」


「なんで俺―」


「一番怖がりだからだ。要するに餌だ」


 ウォルターはキースの腕を掴んだまま階段をのぼり始めた。二階ではトマスが待っていた。その背後にはエミリーとジェシカとエラが立っている。事前にトマスから取り扱い説明を受けたようで誰も口を開かない。


「トマスも久しぶりだな。そして後ろにいるのがキリアからのお客人か。パーシュレティ商会はちょっとややこしいことになっているな。でもロバートとオーガスタが目を光らせているから、そんなに心配はいらない」


 一方的に喋りながら、どんどん階段をのぼってゆく。キースが救いを求める目をトマスに向けるが、主は笑顔で手を振った。


「あまり見て楽しい姿ではないので、二階で待っていて下さい。気になるかもしれませんが、できるだけ三階は見上げないようにお願いしますね」


 ルークがエミリーたちにそう説明すると、三人は神妙な顔で頷いていた。


「……いやだ行きたくない……いやだ行きたくない」


 ウォルターに素直に連行されているキースは、それでもぶつぶつ口の中で呟いている。キリアルト家の人間は基本的に鍛えているので抵抗しても無駄だと知っているのだ。


「一緒に行きますから」


 リリアを腕にひっつけたままのルークがさらにその後に続いていた。その後ろを少し楽し気な顔をしてリリィが追いかけている。久しぶりにウォルターに会えて嬉しいのだろう。明日彼が帰るまでに幽霊や医療に関する様々な話を聞き出すつもりに違いない。


「なんだリリアも来るのか? 下で待っていた方が良いんじゃないのか? 顔真っ青だぞ。怖いなら無理をするな」


 負けず嫌いのリリアはぎゅっとルークの腕にしがみ付いてふるふると首を横に振った。


「ウォルター何確認するの?」


「原因になっている遺物を特定したい。ロバートが船で運んでいる時には特に問題なかったんだから、伯爵家と相性がいいのかもしれん。磁場とか或いは相互作用か、なんだろうな。見てみないとわからん。この場所が気に入ったんだと思うんだが」


 三階へ上がると明かりを消すようにウォルターがルークに命じた。周囲は真っ暗だ。ウォルターがトランクを床に置いて開く。中には柔らかそうな黒い布に包まれた見慣れない楽器が入っていた。異国の弦楽器だろうか。卵を半分に割ったような形だ。抱えるようにして演奏するものかもしれない。


「何それ。ウォルター弾けるの」


 目を輝かせたリリィが、しゃがみ込んでトランクの中を覗き込む。


「時間があれば是非文献取り寄せてこれの弾き方も研究したいんだがな。残念ながら正式な鳴らし方すらわからん。でもこれをこうやって爪で弾くと煩いらしくてな」


 ウォルターが、トランクに入れたまま楽器の弦を爪で弾く。想像していたより低い音だ。びぃんという余韻がいつまでも響く。空気がうねるのが見えるようだ。やがて静寂。そしてもう一度同じ弦を爪弾く。

 バキバキッとどこかで何かが鳴った。ドンドンと何かを叩く音が近付いてくる。まるでうるさいからやめろとでもいうように。キースが体を震わせて落ち着きなく周囲を見渡す。ウォルターがもう一度弦を鳴らそうとしたときに、それは起こった。


 しゃがみ込んだウォルターの頭上に、白く透き通った何か。

 ボロボロのドレス姿で首と両手の先が……

 一瞬現れて消えた。


「……相変わらずあんまり見て楽しいものじゃないわね」


 リリィは平然と感想を述べた。確かに、あの姿よりも、彼女(?)がああいう姿になった背景を考えほうがずっと恐ろしい。


「何で平気なんですかーっ」


 キースが涙目になりながら叫んだ。リリアも見てしまったらしく、ルークに抱き着いて震えていた。仕方がないのでルークはリリアを抱き上げて階段をおりる。


「キースも下におりていいぞ。どれだろうな。色々保管してあるのはあっちの部屋だったか。ルーク、鍵は開いてるのか? 服の感じでだいたいの時代はわかるが、どうなんだろうな」


 ウォルターは独り言なのかどうかわからないことを喋りながら、すくい上げるように楽器をトランクから取り出した。そして、弦を鳴らしながらゆっくりと廊下を歩き始める。ウォルターの後を追いかけようとしたリリィの手をキースが引っ掴み、「えー」と不満そうな顔をする少女を無理やり引っ張って階段をおりた。


「怖いんだったらキース一人で逃げればいじゃない」


 二階に戻されたリリィは非常に不満そうだ。


「あの部屋入って呪われたりしたらどうするんですかっ」


 キースは信じられない! とでも言いたげな表情だ。


「どうするもこうするも、生まれる前から私たち呪われてるわよ。今更新しい呪いがひとつ加わるくらい何ともない」


「そういう問題じゃないですよ。……でも無事ならそれでいいです」


 キースは床に座り込んで、疲れたようにそう言った。


「キースさん、何か怖いもの見ちゃったんですね……」


「リリィさまは平気なんですね。でもキースさん、これだけ怖がってても、ちゃんと逃げる時はリリィさまを一緒に連れて来るんですね……流石ですね」


 エラとジェシカが気の毒そうにキースを見下ろしている横で、エミリーが不思議そうな顔をしてトマスに尋ねた。


「私、一ヶ月近くここにお世話になっていますが、一度も見たことがないです、幽霊」


「二階は出ないんだよ。ここのお屋敷の幽霊は基本的にみんなお行儀が良いから。たまにいたずらはするけどね。それでもちょっと脅かす程度。基本的に住民の安眠の邪魔はしない」


 トマスは二階を見渡しながら、三人を安心させるように微笑んだ。


「幽霊からみれば、私たちなんて少し滞在して去って行くお客みたいなものなのよきっと」


 リリィの言葉に、エミリーは「確かにそうですね」と呟いた。そういう考え方もあるのかと驚いた様子だ。

 三階にいるウォルターが断続的に楽器を鳴らしている。その度にバキバキやらドンドンやら謎の音がしている。


「ああ、多分これだな。由来なんかはロバートの方が詳しいからそっちに聞いてくれ。持って帰りたいが怒られるだろうな……悪いがもうしばらく預かってくれ。勝手に祓魔師とかに依頼するなよ。場所ができたら引き取る。……せっかく来たから色々見て回る。大階段の幽霊が出るのはもう少し後か」


 とても楽しそうな声が聞こえて来た。キースが「いや原因わかったなら持って帰って」と顔を引きつらせている。


「……清々しいくらい自分本位だよねぇ」


 トマスが苦笑しながら三階を見上げた。基本的にキリアルト家の人間は自由だ。『自由に生きなさい』というちいさな王女さまの遺言を、それぞれが都合よく解釈して好き勝手に生きている。


「キース、よく頑張ったね。もういいよー寝ておいでー」


 トマスはしゃがみ込むと、未だ座り込んでいるキースの頭を撫ぜた。


「あんなん見せられて、寝られる訳ないじゃないですかーっ。何なんですか。何であの人あんな楽しそうなんですかー腹立つなー全部あの人のせいじゃないですかー」


 キースの怒りが大爆発した。「あーよしよしがんばったねー」と言いながらトマスがキースの頭撫ぜ続けている。


「キリアルト家の人はね……ほら、なんというのか、みんな天才肌だからさ……常人には理解できない世界で生きてるんだよ」


 トマスがルークをちらっと一瞥してそう言った。


「歴代変人ばっかりですね。自分でいうのも何ですが、関わると碌なことになりませんよ。その中でも特にレナードは最低ですね。……二人ともお金貸してませんよね?」


 ルークがにっこり笑ってそう尋ねると、トマスが手を止めて困惑した顔つきになった。


「……貸してはないよ。本当に困ってそうな時は援助してる」


「大抵返してくれてますよ。別にいいって言ってるんですけどね」


 拗ねた顔のままキースもそう答えた。


「えー私のは戻ってきてないわよ。請求もしてないけど。六年くらい前からだから、積み重なって結構いってるなぁ」


 リリィがしきりに首を傾げている。


「因みに金利どのくらいに設定したんですか?」


「年利で一割。しかも単利。良心的でしょう?」 


「……返すんで帳簿見せて下さい。リリアさまの分も返しますから。もう絶対あいつが来ても相手にしないで下さいね」


「うーん。でもなんか……可哀想でさ。レナードがうちに来る時って心身ともにボロボロだから。僕たちが援助してあげられるお金なんて本当にちょっとだよ? それでもうちに来るってことは、それ僕たちに返すためにもう一度がんばろうって思えるからなんじゃないの?」


 トマスの言葉に、キースとリリアとリリィも頷いた。ルークはその言葉を聞いて薄く笑う。

 今はっきりと確信した。あれは害獣だ。今すぐに駆除すべきものだ。


「…………わかりました。二度と訪ねて来られないようにします」


 第二王子も探していたのだから丁度いい。鎖で繋いでもらおう。見つけ次第拘束して引き渡す。リリィとリリアに借金があるようだから伯爵家の令嬢に対して詐欺を働いたとことにしてしまえ。叩けばいくらでも埃が出て来るような男だ。


「それも寂しいからやめてあげて。……遠くから眺めている分には面白い人生送ってる人だから」

 

 トマスが曖昧に笑った。遠くを見る目は確実にレナードを憐れんでいた。

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