表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/177

30 確かにその二人の王子に関しては良い噂が…… その2


「……やっぱりダメなんですね」


 リリィはしゅんとして肩を落とす。鼻の奥がつんとしたが必死に涙を堪える。室内に沈黙が落ちた。

 敢えてぼかした言い方をしているが、気付かないふりができる程リリィは心は強くない。結局『今すぐは無理』というのがリリィに対する今の評価なのだろう。


「落ち込まなくていいですよ。喪中だからって話ですよ。喪が明けたら結婚してくれるって言ってるんです」


 執務室に入って来たのはカラムとソフィーだった。


「信じていませんね? でも本当ですよ。ほら、今すぐは無理って言っただけですから。誤解されるような言い方はよくないですよね」


 いやそれは違うんじゃないかなとリリィは冷静に思ったが、何も言えなかった。カラムは穏やかに微笑んでいるようで……少し怒っているように見えたからだ。

 その隣のソフィーもとても素敵な笑顔だ。……こうして見るとやはり兄妹で笑い方が似ているなと思う。


「そうですよ。喪が明けるのを待ちましょうね。ソフィーはとても楽しみにしております。誤解されるような言い方したアーサーさまが悪いんですよ」


「あの……誤解じゃな……」


「誤解ですからね。大丈夫ですよ。来年にはおよめさんですからね?」


 ふたりからの笑顔の圧に負けて、リリィはおずおずと頷いた。カラムとソフィーは満足げに頷くと、アーサーを振り返ってすっと真顔になった。


「……何ですか? こんな純真なお嬢さんに誤解を招く言い方をして申し訳なかった以外の言葉が言えますか? 最低ですね」


 カラムが軽蔑しきった目でアーサーを見た。


「純粋な気持ちを利用しようとするなんて最低です」


 ソフィーが冷ややかな声で続けた。


「いい年した男が何をやっているんだろうねぇ」


 昨日の夕食会で斜め前に座っていた紳士が執務室に入って来ると、呆れ顔でそんな事を言った。「困ったものだと思わないかい、お嬢さん?」と同意を求められても、リリィには曖昧に笑うことしかできない。

 

「ほんといい年して、若い女の子弄んで泣かすのってどうなんでしょうね。お腹空きすぎておかしくなってるんじゃないですか?」


「そんな妄言吐く程お腹がすいていらっしゃるんですか?」


「……ふたりとも叔父上が後ろにいると随分強気だな」


 カラムとソフィーはかなり失礼な事を言っている気がするのだが、アーサーは壁に背中を預けて腕組みしたまま興味なさげに目を閉じる。


「見た目はこうでも中身は結構年いってる筈なんだけどなぁ。もう少し他にやりようがあるだろうに。情けないね」


 叔父……。アーサーの叔父。イザベラと交流があるなら父方。緑の目の貴族令嬢が顔を知らないのだから、あまり表に出て来ないか或いは、普段国内にはいない人。あと手がかりになりそうなのは年齢か。


(おかあさまと同年代で……幼馴染)


 前国王には五人男子がいた。内エメラルドグリーンの目を持っていたのは三人。そこで二人にまで絞られる。

 考えれば考える程……余計なお世話だろうが、あんな態度を取っていた彼女は大丈夫なのかと心配になってくる。勿論知らなかったに違いないのだが。


(元が付く王族とはいえ、ものすごい所に喧嘩売ったわね彼女……)


 該当するのはリリィが知る限りはひとり。フランシス・リチャード・リアム。

 表向きはただの外交官だ。確かに滅多に表には出て来ない。一定年齢以下の世代には顔も知られていないだろう。もうずっと長い期間帝国で暮らしている筈だ。皇帝の良き友人として。


「そうなると、お嬢さまにアレンさまと結婚しろと今ここで命令することになりますよ。できますか? できませんよねぇ」


 カラムがアーサーに挑発的な目を向けた。アーサーが煩わしそうに目を開けて、


「リリィ、アレンと結婚してダージャ領に行った方が絶対に楽だよ?」


 冷たく笑う。


「いやです」


 現実逃避気味に自分の考えに没頭していたリリィは、それでも迷うことなく即答した。

 結構酷いことをされている。好きな人から、フられた人と結婚しろと平然と告げられている。何か自分は気に障るような事をしてしまったのだろうか。不安で苦しくて、思わず左手で右の二の腕を強く握りしめた。それに気付いたフランシスが「大丈夫だよ」と穏やかな声でリリィに語り掛けた。


「年を取るとね、色々慎重になるのだよ。そうしている間に他の男に搔っ攫われてしまうだろうに。例えばそうだな、……お嬢さん私と一緒に帝国で暮らさないか? お嬢さんは本を読むのが好きだろう? 私の友人の息子さんが読書家でね、今丁度およめさんを探して……」


「少しの間、口閉じておいて下さい」


 アーサーが疲れたような声で遮った。「ほらね」とフランシスはいたずらが成功した子供のような顔をする。


「君は約束を守ったから私も守るよ。……一応聞くけど、フられたらどうするの?」


 アーサーはまっすぐにリリィを見つめた。その瞳には何の感情も浮かんでいない。 


「二度と顔を見せるなと言われるまではがんばります。でも、そう言われてしまったなら……諦めます」


 リリィは必死で笑顔を作った。それはもうずっと前から決めていた。リリィに残されている時間はそんなに長くない。次のシーズンでガルトダット家長女は嫁き遅れ扱いだ。後悔しないようにやれることはやる。

 リリィを真ん中に挟むようにして立っていたカラムとソフィーが責めるような視線をアーサーに向ける。何かまずい事を言ったのだろうかとリリィは二人を見比べる。


「……それ、他の男に絶対言っちゃダメだからね」


 アーサーはやれやれというような顔をして小さく笑った。なんだかよくわからないがダメらしい。


「『甘く見ていると、痛い目みますよ』と言いましたよね?」


 そんな事を言いながら、扉の前まで歩いて来るとルークはフランシスに丁寧に一礼する。「ああ成程、こっちなんですね」とカラムとソフィーが顔を見合わせて頷き合っていた。


「……では、お食事をご用意いたします。キース君、応接間の方にご案内お願いしますね」


 執務室から出たルークは廊下で待っていたリリアに左手を差し出した。ぱあああああっと笑顔になったリリアは嬉しそうにその手を握る。妹はようやく構ってもらえるようだ……というより、食事の支度を手伝うのだろう。


「あ、アーサーさま、リリィお嬢さま踊れないのです。何とかしてください。多分舞踏会への憧れが強すぎるのだと思います」


 去り際にリリアが一瞬だけ顔を覗かせた。声が弾んでいる。嬉しくて嬉しくて仕方がないという感じの妹はとても可愛らしい。逆上すると問答無用で殴りかかってくるようにはとても見えない。


 フランシスがリリアとルークが去って行った方向を見つめながら、遠い昔を思い出したような目をする。「……不思議なものだね。顔が似ているという訳でもないのだけれど」という呟きがリリィの耳に微かに届いた。


「さて……私がいるとアーサーも色々やりにくいだろうからね、大人しく退散してあげよう」


 フランシスは思わせぶりにアーサーを一瞥すると、そのまま執務室から出て行った。

 リリアの一言で重苦しかった空気が一気に緩んでいた。アーサーは腕組みを解いて壁から背中を離す。


「ここってダンスホールあったよね」


「ダンスホールはありますが、うちには舞踏会開くお金がありません」


「出してあげるよ?」


 アーサーはにっこり笑ってトマスにそう返した。


「やめて下さい。無理ですうち没落してますから。うちに来ると呪われます。誰も来るな面倒くさいから」


 兄は執務机の上に両手をついて、断固拒否の姿勢を取った。顔が真剣だった。


「ガルトダット伯爵家に来ると呪われて禿げるって噂は、僕は流してないけどねぇ」


「幽霊に生気を吸われて皺が増えるとかいうのもありますよ」


 キースが補足する。そんな噂が立てばそりゃ誰も来ないだろうなとリリィは思った。どうやら兄は『没落』『呪い』『放蕩伯爵の息子』という言葉を色々便利に使っているようだった。楽をするためだけにやっている訳ではないと信じたい。


(ああ、それで呪われる……)


 昨日の祝福持ちのお嬢さまがそんなようなことを言っていた。毛が抜けるのと皺が増えるのは老化現象だ。これも伝染はしない種類のものだろう。では彼女の言う呪いとは何だったのだろう。呪われるとどうなるのだろうか。ちゃんと聞いておけばよかった。


「ふーんトマスが嫌がるなら仕方ないな。じゃあ喧嘩売りに行こうか。三日後にユラルバルト伯爵家の舞踏会がある。確か招待状来ていた筈だ。ヒューゴのおよめさんを探しつつ、リリアとルークのお披露目をしよう。キリアから来たお嬢さんたちもおいで。アレンとダニエルにエスコートさせる。ソフィー、招待状に返事を。大人数で伺いますとでも書いておけばいい」


 第二王子は今度はとてもいいことを思いついたというように楽しそうに笑った。非常にわざとらしかった。本当に今思い付いたのかはわからない。ただ、トマスとヒューゴは顔を引きつらせた。


「……何故第三王子派の舞踏会に乗り込まねばならないのでしょうかね」


「護衛たくさん引き連れて行けば大丈夫だよ。カラムもルークもダニエルもいる。アレンも自分の身くらいは自分で守れるだろう。あそこの庭は見ごたえがあるよ」


「夜ですよね。庭、見えませんよね」


「ヒューゴのためだよ?」


「……絶対嘘だ」


「そうそう、ユラルバルト家の当主って、鬘なんだよ。自慢の金髪は偽物でね。本当は茶色なんだ」


「……もうほんとどうでもいい情報ありがとうございます」


 トマスは力なく笑った。


「じゃあ、別の人に聞いてみようか。……キリアから来たお嬢さん。君のご両親にも招待状が届いている筈だ。君たちが奪われたものを自分の手で取り返してみるかい? もう二度と手を出してくるなと釘を刺しに行くというなら、ここのみんなは喜んで協力してくれると思うけど」


 はっとしてリリィはエミリーを振り返る。エミリーの顔は強張っていた。ジェシカが心配そうに寄り添っている。奪われたものとは何だろう。気になるけれど今それを尋ねるのは憚られた。


「真っ向勝負するならこちらでドレスは用意するよ。アレンも何とか三日で仕上げさせる」


 エミリーは酷く狼狽していた。顔色がよくない。ぐっと唇を引き結んで何かに耐えている。胸の前で心臓辺りを押さえるように握りしめた拳が震えていた。キースが慌ててエミリーをソファーに誘導する。ヒューゴの隣に座らせるが流石のヒューゴも怯えるより、気遣わしそうな目を向けていた。生真面目で優しい人ではあるのだ。


「……仕上げるって何を?」


 エミリーの様子を気にしながらも、トマスが一応聞いておこうというような感じで質問した。


「どこから見ても完璧な王子様。ちょっと見てみたいだろう?」


「……アレンも初めてですよね、舞踏会。社交界にお披露目して大丈夫なんですか?」


「一曲踊るだけだ。いい加減そろそろ、そのくらいのことはできるようになってもらわないと困るな」


 低く呟いて、エメラルドグリーンの瞳をゆっくりと細めて笑う。強くその姿に目が惹きつけられる。自分の見せ方をよくわかっている人だ。

 怪談に似ている。怖いくせに続きが気になって仕方がない。でも最後まで聞いてしまったら恐怖で眠れなくなる。引き返さなければいけないと思うのに……暗い闇の中に進んでしまう。今ここに、止めてくれる人がいないから。


「そんなに怖がらなくても大丈夫。手札を揃えてからゲームを挑むようなものだからね。向こうは油断している。何が起きているのかわからない内に叩き潰せばいいだけのことだ。二度と立ち上がれないように」


 ……いえ、怖いのはあなたです。とリリィは思った。ピクニックの予定でも立てるような顔をして、この人は頭の中でどんな光景を思い描いているのだろう。


「ソフィー、王宮に行って、楽団とダンス講師とアレンとダニエル借りて来て。ドレスは任せるよ。カラムも一度戻って準備を。人選は任せる。ついでにこっちに護衛も派遣してくれ。ちゃんと踊れるのを数名」


「かしこまりました」


「承知いたしました」


 二人は落ち着いた声音で一礼する。誰もやるとは言っていないのにどんどん話は決まってゆく。


「戻るなら私も……」


 ヒューゴが逃亡を図ろうとしたが、アーサーと目が合った瞬間、石にでもなったかのように固まった。


「ヒューゴはしばらく伯爵家で監禁すると伝えといて。代わりに明日からルークを貸し出す」


 この一言で、伯爵家の子供たちは唯一第二王子に対抗できる人物と引き離された。


「……それは大変喜ばれるだろうねー」


「でしょうねー」


 トマスとキースは、すでに無駄な抵抗はやめたようだった。棒読みだった。


「……さて、がんばろうか、リリィ。踊れない事にはお話にならない。ヒューゴもこの機会に何とかしよう。どうにもならなかったらキースに女装でもさせよう」


 第二王子は断ることを許さない笑顔でそう告げた。すでに踊れませんでは許してもらえない空気が出来上がっていた。キースがソファーの背後からがしっとヒューゴの肩を掴んだ。恐る恐るという感じでヒューゴが背後を振り返る。


「さあ、ヒューゴさま、女性に慣れましょう。エミリーさまとジェシカさんがきっとヒューゴさま踊れるようにして下さいます。ほら、お二人は平手打ちしなかったでしょう? 怖くないですよー」


 ここ数年見たことないくらいにキースは追い詰められた表情をしていた。ヒューゴは引きつった顔をして懸命に首を横に振ったが、キースはまるで呪いをかけるかのように言ったのだ。


「踊れなかったら見捨てます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ