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3 アレンはエミリーにフられた

タイトルは最終話より。長くなったので分割しました。まだロバートに会いに行っていません。

番外編第一話を本編に入れないと決めた時点で、こちらもお蔵入りとなりました。

需要があるのかどうかわかりませんが、タイトル通りのお話です。


 リリィがアレンを起こしに来るようになったのは、エミリーが滞在するようになって一週間くらい経った頃だろうか。

 最初は驚いて飛び起きた。


「アレンお兄さま、起きて。起きた? 起きたら返事して。返事しないと、ルークから鍵借りて勝手に開ける」


 ドンドン、ドンドン。誰かが扉をノックしている。多分三人くらいで。……うるさい。


「今すぐ起きて。起きないのなら、ダニエルさんとルークと私で十分後に突入するから」


「……リリィお嬢さま本気です。まず窓開けて換気。次に着替えて身だしなみを整える。伯爵令嬢にみっともない姿見られたくなかったら今すぐ起きる」


「……いつもみたいだったら、人間として終わりですからね。すぐに起きて下さいよ」


 ルークとダニエルの声がする。二人は完全に脅しにかかっている。


「お嬢さまはやると言ったらやる人です」


「リリィさまが本気だってのは私にもわかります。使命感に燃えておられます」


「アレンお兄さま、私、嫁入り前の貴族令嬢ですからね」


「うるさいんで本当に早く起きて下さい」


 キースの声までする。どんどんと扉を叩いている音が続いている。


「起きたっ。起きたからっ」


 ベッドから体を起こして、アレンはノックの音に負けないように叫んだ。


「着替えたら食堂に降りてきてください。三十分以内に降りて来なかった場合、ここにいる全員で突入します。リリアさまもいます」


「必ず行きます」


 ……眠気は一瞬にして吹き飛んだ。ベッドから降りて窓を開ける。一体あの扉の向こうに何人いるのだろう。それがものすごく気になった。


 着替えてきちんと身だしなみも整えて食堂に入る。和やかだった室内に沈黙が落ちる。全員が信じられないものを見る目でアレンを見ている。

 確かに昨日までは、ちょっと身だしなみが適当な部分があった。……ボタンがズレていたり、寝癖がついていたり。

 朝から疲れた様子のダニエルが「……それ、女性の前に出てきていい姿じゃない」と呟き、「子供の頃から見慣れてるんで大丈夫ですよね」「私もつい最近まであんな感じだったから、何か言える立場じゃないのよね」「……実家では私もそうでした」と、リリィとリリアとエミリーは顔を見合わせてそんな会話をしていた。


「やればできるんじゃないですか……最初からやれよ……」


 茫然とダニエルが言った。彼はいずれルークからアレンの従僕の仕事を引き継ぐことになっている。明るく礼儀正しい青年なのだが、アレンに対して()()一言多い。


「……きっと昨日まではできなかったんですよ。ここは成長を喜ぶ場面」


 キースは辛辣な物言いがルークに似てきた。ダニエルとキースは年が近いこともあり仲が良い。


 執事のルークが椅子を引き、キースが紅茶をカップに注いだ。


「おはようございますアレンお兄さま。はいこれ朝食」


 にっこり笑ってリリィが手ずからアレンの目の前に置いたのは、ちいさなパン一個と野菜のスープだけだった。


「5キロ痩せましょうね」


 アレンが何か言うより先に、彼女はにっこり笑って釘を刺した。同じ朝食の席についている面々は気の毒そうな顔をしていたが、何も言わなかった。


 ――そして、その日から、リリィによるアレンの徹底的な生活管理が行われることとなった。


「おはようございます、アレンお兄さま」


「……おはようございます」


 三日後、アレンが自ら扉を開けると、リリィはとても驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。


「アレンお兄さま、ちゃんと起きられたんですね。身支度も完璧。よくできました!」


 ……成人男性にかける言葉ではなかったが、そう言われても仕方がない生活を送って来たのも事実だ。リリィの後ろに立っていたダニエルとルークが、なんとも言えないような顔をしていた。「……居候先で、普通に起きただけで褒められる大人ってどうなんでしょうかねぇ」ぼそりとダニエルが言った。


 朝ノックの音がして、それからリリィの声がする。扉を開けると、嬉しそうにリリィが挨拶をしてくれるから、一緒に食堂に向かう。


 その日も、朝自然と目が覚めて、窓を開けて身支度をしてノックの音を待っていた。その時不意に気付いた。


 ――自分は取り返しのつかないことをしたのだと。

 今目の前にある世界は……数週間前とは何もかもが全く違って見える。




 エミリーは、改めてきちんと謝罪させてほしいと部屋を訪ねたアレンを追い返したりはしなかった。部屋には入らずに扉の外側に立ち、部屋の中にいるエミリーと向き合う。

 お互いに気まずくて、忙しさを理由にきちんと話すことを避けていた。こうして向き合って話をするのは、あの鏡の間での出来事以来だ。あれから二週間近く経過している。


「謝罪は必要ありません。私も、自分で自分に酔っていたようなところがあったので……でも、アレンさまは私に対してはとても誠実でしたよ? とても美しい思い出をたくさんもらいました」


 エミリーはアレンを見上げてきっぱりとそう言った。その瞳にはもう恋い慕う気持ちも、恨みの色もない。伯爵家に来てエミリーはずいぶん変わった。

 我が儘で子供っぽかった少女は、今は前を向いて……何かを目指して自分の足で歩き始めている。リリィと一緒に貴婦人となるためのマナーを学び、外国語や商家の経営についての知識を得るために、ルークに家庭教師を紹介してもらっていた。

 年相応の落ち着きを身に付けたエミリーは、もうアレンの知っている彼女ではないような気がする。年下のリリィとリリアを守り、手本となるような存在になりたいのだと、彼女はイザベラの前ではっきりと宣言したのだそうだ。


「正直、ほっとしているのです。この伯爵家に来て、目が覚めたというか……今思い返すと恥ずかしい。私、どうして平気であんなことが出来たんだろうって。婚約者のいる方に、贈り物をしたり、お食事に誘ったり、取り縋ったり……」


 そう言いながら、エミリーは俯いて唇を噛む。


「だから、身勝手だとはわかっておりますが、私はもうアレンさまのことは……」


「あなたが私を見限るのは当然です。私は酷いことばかりしました。あなたの気持ちを踏み躙った……」


 アレンは慌ててエミリーの言葉を遮る。エミリーは俯いて大きく頭を振った。


「……アレンさま、私と一緒にいて、楽しかったですか? 私は本当に楽しかった。毎日すごくドキドキして、ふわふわした甘い夢の中にいるみたいでした。この日々がずっと続くと思っていたんです。本当に幸せだった」


 細い肩が震えている。エミリーの声はとても柔らかい。これはきっと、彼女の中にまだ僅かに残っていた恋心。最後の最後まで彼女はアレンに幸せをくれた……でも、これで本当に終わり。

 

「……あなたと一緒にいると、息をするのがとても楽でした。私が欲しいものをすべて与えてくれたから……ひとつも嫌なことなんてなかった。幸せな思い出ばかりですね」


 目を合わせることなく二人はそれぞれ口元に笑みを浮かべる。きっとこの先も、思い出す度にこんな風に思わず微笑んでしまう。愚かで……でも満ち足りて幸せだった三年間。二人で手を繋いで子供のように遊び回った。まるで夏の休暇のようだった恋。……都合のいい理想像を押し付け合っていたのはお互い様だ。


「ふふっ。アレンさまはやっぱり最後まで王子様ですね。……私、どうしても今、がんばりたいことがあるんです。自分がなりたい理想の姿が目の前にある。今は全力でそれを追いかけたい。今までサボってきた私には、もう恋をしている暇はないんです。……私は絶対に負けたくない」


 涙に濡れた目を上げて、どこか晴れやかな笑顔を浮かべる彼女はとても綺麗だ。


「アレンさまとの恋は、私の宝物です。私をここに連れて来てくれた……」


 でも……と、エミリーは最後に、申し訳なさそうな顔をして言ったのだ。


「私はすべてを思い出に変えてしまえばそれで終わりです。アレンさまはきっとリリィさまの姿を見る度に、一方的にあの方を傷つけたことを後悔するのだと思います。私は罪悪感に苛まれているあなたの姿を見ても、もう何とも思わない。……ごめんなさい。私は身勝手な女です。自分の夢のためにあなたを切り捨てたんです」

 

 先に切り捨てたのは自分の方だとアレンは声に出さずに呟いた。王宮には連れて行かない。キリアに帰った方がいい。まるでそれが彼女のためであるかのように言っていた。でも、今ならわかる。

 アレンは、甘いお菓子のようだったエミリーの気持ちをもらうだけもらって、『甘いものは十分だから、もういらない』とキリアに追い返そうとした。

 リルド侯爵とリリアが激怒し、皆が呆れ果てるのも無理はなかった……



 

「え? ご飯美味しかったから別にいいですよ」 


「うん。別に謝ってくれなくてもいいよ。僕も大人げなかったしさ。リリィも気にしてないし」


「正直に言うと、あなたに娘を渡すつもりはこれっぽっちもなかったのよね」


 リリィを探して、居間を覗くと、それぞれのお気に入りのソファーに座って、トマスとイザベラが手紙の確認をしていた。キースは銀盆を持ってイザベラの後ろに控えている。


 謝罪したいと申し出たアレンに、三人は軽い口調でそう言ったのだ。


「だいたいさ、僕がここで『許さない』とか言っても、あんまり意味がないんだよね。後悔と罪悪感で、息をするのも辛いんだろうなってのはわかる。君、今ひどい顔してるからね。……わかるけど、どうしてあげることもできません」

 

 トマスは肩を竦めてみせる。


「……簡単に許されてしまうというのも、苦しいことなのよ。償いたいという気持ちもわかる。でもあの二人がそれを望んでいないのならば、何をしてもあなたの独りよがりでしかないの。あの子たちが何を望んでいて、どうしてあげれば一番喜ぶのか、一度きちんと考えてみなさい。少し長く生きてきた私からできる助言はこのくらい」


 イザベラはアレンを見上げて、優しく諭すようにそう言った。



 


「いえ、謝っていただく必要は全くないのです」


 ルークと手を繋いでいるリリアは慌てたように首を横に振った。

 リリアは今とても精神的に不安定で、子供の頃のようにルークから離れられなくなっている。そのせいでルークは伯爵家から出られず、長期の休暇を取った。


「私の方が不誠実だったのですから……」


 俯いてリリアが申し訳なさそうにそんな事を言うのだが、アレンには意味がわからない。彼女が不誠実だったことなど一度もない。手紙の件を言っているのであれば、リリィによって隠されていたのだから仕方がないだろう。


「アレンさまは私に対してはいつも優しかったですよ? でも、私はずっと昔からルークさまのことが好きだったんです。そして、ルークさまの手を離すつもりは全くなかった。……ね? 私の方がずっとずっと不誠実なんです」


 リリアは不安そうに傍らに立つ男性を見上げる。ルークと目が合うと彼女は目を潤ませた。……ああ、そういうことか。本当に自分はなにも見えていなかった。


「私に謝罪したら、しばらく口をききませんからね。迷惑かけられるのはいつものことなので、終わったらすぐに忘れるようにしています。……リリアさまに関して言えば、全く手放す気はなかったので、そちらもどうぞお気になさらず」


 ルークは水色の瞳でまっすぐにアレンを見た。その視線の強さにたじろぐ。


「あなたの性格上、今回の件も、アリスさまの時のようにずっと後悔し続けるんだろうと思います。だから、丁度良い機会なので言っておきます。過去は変えられません。『どうしたら許してくれますか』とか叫びながら相手を追いかけ回すのは絶対やめて下さい。正直鬱陶しいだけです。女性には恐怖しか与えません。……とりあえず、リリィさまに謝りたいのなら、もう少しマシな顔ができるようになってからにして下さい」


 ルークに正論を並べられ、アレンは悄然として項垂れる。イザベラとトマスにも同じことを言われた。幼い頃、望まない結果となった現在いまを受け入れられなくて、自暴自棄になって逃げた。また自分はそれをここで繰り返すのだろうか。


 ――取り返しのつかない過去を消し去りたい。あの時に戻ってやり直したいと強く願わずにはいられない。でも、それはエミリーに対してあまりにも失礼だ。……もう、身動きが取れない。


「多分、罰を与えてもらった方が楽なんです。……私がそうでしたから」


 リリアがルークの左手を離し、そのまま彼にしがみつく。震えるちいさな体を、ルークがそっと腕の中に閉じ込めた。


「という訳で、お姫様がまた泣き出してしまったので失礼します」


 仕方がないなぁという顔をして、ルークがリリアを抱え上げ腕に座らせる。しゃくりあげながら首にしがみついているリリアの背中をぼんやりと眺めて、彼女も自分と同じなのだと気付いた。


 ――ただ、不安で、苦しくて、どうしていいのかわからない……

次こそ馬車に……

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