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28 「みんなみんなフられてしまえっ」


「ルークさまは私がヒューゴお兄さまと結婚しても平気なんですっ」


 メイジーによってバスルームに放り込まれ、着替えてベッドに入ってからもリリアの怒りは収まらなかった。


 ドアが開け放たれた部屋で、リリアが怒りながらベッドに横たわり、ベッド脇の椅子に座ったルークが、オイルランプの灯りで書類を読んでいる。


「……そんな事にはなりませんから早く寝て下さい」


 冷静な声でそう返す。書類から目もあげてもらえないリリアは完全に拗ねていた。


「私が結婚申し込まれても平気なんですっ」


「殺人事件が起きそうになっていたので、その部分はその辺りについて考える余裕は全くありませんでした。あのまま後ろに倒れてテーブルの脚に頭でも打ち付けていたら本当に大変なことになって……」


「やっぱり平気なんですっ」


 リリアは全く聞いていなかった。両手の甲で目を覆って泣き出してしまう。ルークは小さく息を吐いた。


「そんなことはありません。……明日も早いんで、泣いてないで早く寝て下さい」


 書類を捲りながらルークは冷たく言い切った。


「……もうさ、添い寝でもしてやったら? 五分もかからず寝るから」


 部屋の外に立っているトマスが迷惑そうな顔をしてそう言った。リリアの叫び声に気付いた兄は、ちゃんと着替えて起きて来た。


「もう色々今更だし、減るもんじゃないんだし」


「睡眠時間が減ります。さすがに疲れているので部屋でちゃんと寝たいんですよ」


「じゃあ部屋で一緒に寝ます」


 いそいそと起き上がろうとするリリアの肩を、ルークが無理矢理押さえ込む。


「ここで寝て下さい」


「こんなことやってる時間が勿体ないって。せめてうるさいからドア閉めて」


「では……」


 書類を揃えて立ち上がり、そのまま部屋を出て去って行こうとするルークをトマスが慌てて引き留める。


「違うから。泣くから。このまま一人であの子放置して寝ないでお願い。……もう許してやりなよ。リリアもひどい目にあったんだしさ」


「言葉より先に足とか拳が出るのは良くないでしょう」


 温度の全く感じられない声でルークが言うと、トマスはこめかみを押さえて頭痛を堪えるような顔をした。


「そうなんだけどさ、確かに僕もそれは思うよ。でも、リリアだって誰にでもあんなことやるわけじゃないよ。……正直、相手は蹴られても仕方ないようなことやった。……うん。僕もその場にいたら絶対殴ったな」


 じっーとルークに見つめられたトマスは、こほんとひとつ咳をして誤魔化した。


「でもやっぱり暴力はよくないからね、リリア。拳と蹴りはやめとこうね。あれはあくまで護身術だからね」


 部屋の外からベッドの中で泣いている妹にトマスは優しく語り掛ける。


「……ごめんなさい。もうしません」


 しょんぼりした声でリリアが謝罪する。


「はい、リリアはちゃんと謝った。もうしないって言った。リリアはもうしないって言ったらしない子です。だからこれでおしまい。みんな疲れて寝てるから、ほんとお願いだから静かにして」


 どんっとルークを部屋の中に押し戻すと、トマスは非常に面倒くさそうな顔でドアを閉めた。ルークは諦めてベッドサイドの椅子に戻ると書類の確認作業に戻る。ひっくひっくとしゃくりあげる声が室内に響く。


「……泣きながら寝ると目が腫れます」


「ルークさま怒ってるもんっ」


 手を止めて目を上げる。リリアは涙に濡れた不安そうな目でルークを見ている。非常に庇護欲を煽る表情だ。だが騙されてはいけない。彼女は蹴り飛ばそうとした自分が悪いとは露ほども思っていないに違いないのだ。


「もう絶対にしないで下さい」


「やっぱり私がヒューゴお兄さまと結婚しても……」


 またそこに戻った。やはり反省していない。


「平気ではないです」


 ルークはきっぱりと言い切った。この会話が延々と繰り返されている。


「嘘だもん」


 ……どうしろと。


「リリア」


「だって、だって……」


「今この状態で何を言っても嘘にするでしょう?」


 小さくため息をつくと、びくっとリリアが肩を震わせる。あ……さらに泣く。ルークは書類の方に意識を戻した。今のリリアは何を言っても受け入れないのはわかっている。落ち着くのを待つしかないのだ。


 大陸共通語で書かれた書類を頭の中で別の言語に翻訳してゆく。元の文章の文法がかなりおかしいので、まずそこから直さなければならない。記載されている日付からして怪しい。日付と曜日と一致しないが大丈夫なのだろうか。作成した人物の心情そのままのようなぐちゃぐちゃな文章だ。嫌がらせにしても高度すぎるし、仕事に私情を挟むような性格でもないから、もう本当に自分で自分を持て余しているのだろうなとは思う。

 その結果が酒を煽っての求婚になる訳で、そのしわ寄せがこちらに来ているのだ。

 明日も早いから本当に体を休めたい。第二王子は不機嫌を顔に貼りつかせ、短気で癇癪持ちの評判そのままに振る舞うに決まっている。何を言い出すか予想もつかない。頭痛がしてきた。早く寝たい。そろそろ何もかもが面倒くさくなってきている。


 ……あ、静かになった。と思って書類から目を上げる。リリアは眉間に皺を寄せて泣きながら眠っていた。相当疲れていたのだろう。怒っていても泣いていても寝る時はすとんと寝てしまう。そういう所は子供の頃と変わらない。


 頬に涙の跡がある。可哀想だとは思うけれど、ここで甘い顔をすれば彼女は絶対に反省しない。

 余程嫌だったんだろうなとは思う。……多分二回目だ。一回目は直接見ていないし、なかったことにされているが、大体何があったかは想像がつく。

 あの時もリリアは悔しくて大泣きしていた。でも……何らかの報復はしている。ヒューゴが女性恐怖症になった原因はひとつではないけれど、リリアも決して無関係ではない。


 ぐちゃぐちゃに絡まった糸のようだ。

 

 書類を置いて立ち上がる。リリアが握りしめていたハンカチで顔を拭いてから、ランタンと書類を持って部屋を出る。廊下の壁に凭れていたトマスがほっとした顔をした。その横でキースが半分寝ている。


「はいお疲れさま」


「あー、やっと寝たぁ」


 キースが欠伸をしながら体を壁から離す。


「お待たせしました。早く休んで下さい」


「信用してない訳ではないからね。責任感じてるだけ。ヒューゴを応接間に放り込めって言ったのは僕だからさ。……あそこまでバカだとは思ってなかった。もう本当にどうしてくれようか」


 トマスの声が地を這うように低い。気持ちはわかる。ルークもアレンに苦労させられてきたから。


「……いや、トマスさまのせいですよね?」


 キースがトマスをまっすぐに見て断言した。


「トマスさまがあんな風に怒るから、ヒューゴさま暴走したんですよ。だから面倒なことになるからやめろって言ったのに。自覚あるから起きて来たんですよねぇ……責任感じてるって言いましたよね……」


 多分トマスの言葉の何かがキースのささくれ立った心を引っ掻いたのだろう。すいっとトマスが目を逸らす。


「……キース君ちょっと落ち着きましょうか」


 ルークが遠慮がちに声をかける。


「ルークさん、この人当主のくせに全部俺に丸投げしたんですけど」


「……そこ当主は関係ないよね」


 何故そこで余計な事を言うのだろうか。


「……もうその辺りは全部明日にして、寝ましょう。今夜は念のためこっちで休みますから……」


 夕食会後にリリアに自室を乗っ取られてしまったので、ルークは客間を借りて休んでいた。その時に着替えなどもそちらに移してある。応接間の酒盛りもさすがにあと一時間くらいで終わるだろう。明日も仕事があるはずだ。


「ルークはヒューゴに甘すぎる!」


 非常に不機嫌そうにトマス言われたルークは、その言葉に素で驚いた。……果たしてそうだろうかと本気で疑問に思った。


「……ヒューゴさまも、トマスさまには言われたくないと思いますけどね」


 キースがぼそりと床に向かって言った。


「僕はあんな態度取らない」


 トマスがむすっとした顔になる。確かに彼は異民族がどうだのは言わない。ただ、「僕にだけ冷たい」とか不平不満は並べ立てる。……勿論トマスにだけ冷たくした覚えはない。


「……どうでしょうね」


 似たり寄ったりだけどな……という心の声は表情に出たのだろう。トマスは不満げに腕を組んだ。


「リリアを叱るなら、ヒューゴもちゃんと叱るべきだ!」


「……酔っ払い相手に何言ってもどうせ明日には覚えてないですからね?」


 疲れているので無駄なことはしたくない。そしてこれ以上ややこしいことになる前に、全員早く寝た方が良い気がする。


「ルークが何も言わないから、誰に対してもあんな態度を取るようになったんだと思うんだよね! ダメ人間製造者なルークが悪いっ」


「……トマスさまだって、いつもそうやって全部ルークさんのせいにするじゃないですか」


 キースがとても静かな声で言った。……何故そこで喧嘩を売る。


 しんっと廊下に沈黙が落ちた。トマスの眉間に皺が寄り、キースは俯いたまま顔を上げない。


 ……面倒くさいことになってきている。やっと一人寝たのに。

 ここで次の兄弟喧嘩が始まるのは非常に困る。


「……深夜に喧嘩はしないで下さい。ヒューゴさまは……仕方ないですよ。繊細な人ですからね。私も悪かったんです。一ヶ月間ここに閉じ込められてたので、様子見に行けなかったんですよね」


「そうだルークが悪い」


 トマスがルークをまっすぐ見てそう結論付けた。完全な八つ当たりだ。眠いなら寝ればいいと思うのだが。何か言わないとどうにも気が済まないようだ。


「……そうですね。もう寝ますよ」


「ルークさんは悪くないです。悪いのはトマスさまです」


 キースが振り返って、何だかよくわからないが一生懸命そう訴えた。本当に彼は真っすぐで誠実で心優しい青年だと思う。でも、どうしてここでトマスを悪者にしたがるのかがわからない。


「ありがとうございます。でもトマスさまも悪くないですよ。基本的に悪いのはヒューゴさまです。二人とも悪くないので寝ましょう。文句は明日直接本人に言って下さい」


 ルークもさすがに笑顔が引きつってくる。ヒューゴには悪いが、こういう場合はその場にいない人間のせいにしておくのが一番平和だ。

 ……だから何故二人ともそんなに不満そうな顔になるのだ。

 

「…………わかりました。明日ちゃんと叱っておきますから」


 仕方がないというようにルークはそう言った。じぃぃぃぃっとトマスとキースが疑わしそうな目を向けて来る。その点に関しては全く信用されていないことがよくわかった。


「……明日、全員で文句を言う場を設けますよ。それなら良いですね? はい、寝る」


 渋々というように二人は頷いた。また余計な仕事が増えたなとルークは思った。

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