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26 「がんばって会いにおいで」 その22


「ぱっと見た目、紅茶みたいにみえるんですよね。香りが違うんですけど」


「不味いからやめて欲しいんだが……」


「……何で飲む前に気付かないのか不思議で仕方がない」


 ダニエルが呆れ顔で言う。


「さて、嫌な話はこれでおしまいにしよう。ちゃんとエミリーさまは知っていることを話したんだから、今まで通りここにいればいい」


 殊更明るい声で言われて、エミリーはいつの間にか目の端に溜まった涙を瞬きで散らす。

 エミリーが今話したことなど、当然ロバートたちはもう調べ上げていた筈だ。彼は、エミリーの知らないこともきっと知っている。結局エミリーが話したのは自分に都合のいい部分だけだ。


「話せることだけでいいて最初に言ったろ。それで十分だ」


優しい目を向けらた瞬間に、こみ上げてくるものがあった。慌てて俯き両手で顔を覆う。


「わた……わたし、どうやってもあの人から逃げられないんでしょうか。あのひとは、わたしがそんなにもにくいのかな。どうしてまわりをまきこむの?」


「衝動なんだろうさ。それを抑えられない。だから理解しようとするだけ無駄。……さて、アレンさまが死にそうな顔になってるから、この話も終わろう。ほれ、あれ見てみろ。自分よりひどい状態の人間を目の当たりにすると、理性が戻る」


 言われてのろのろとアレンを見ると。血の気が引いた顔をしている。

 しまった! とエミリーは我に返った。今の言葉は、彼が幼い頃ずっと胸に抱えていた疑問そのものだ。


「アレンさまー、落ち込むとついつい食べてしまいますからね、体重増加につながります。果物やめておきます? 明日から運動しましょうね。今日食べた分消費するとなるとかなりの運動量が必要となるので、明日の朝、キリアルトさんに模擬戦の相手でもしてもらいます?」


 アレンの前に一旦置かれた皿を取り上げながら、ダニエルが落ち着き払った声で言った。


「……え?」


 ぎぎぎ……という音がしそうな感じで、アレンが蒼白な顔をダニエルに向ける。


「だから模擬戦。私が相手しても良いですけど、手加減できる自信があまりないので、キリアルトさんの方が安全です。私もいつも思うんですよね。どうやってもアレンさまから逃げられないのかなーって。この人なんか私に恨みでもあるのかなー、どうしてこう毎回毎回周囲を巻き込んで問題起すかなー、一回くらい思いっきりざっくりいっても許されるかなーって」


 ダニエルは優し気な眼差しをアレンに向けて、言い聞かせるようにゆっくり告げた。


「……で、どうします? キリアルトさんに頼んでおきましょうか。倒れるまでしごいてくれると思います。それか、今日アイザックさまがいらっしゃっているので、そちらにお願いしてみます? 模擬戦という枠を超えての流血騒動になると思いますけど。ちょっと生命の危機を感じるようなことになるかもしれませんが、上官が殿下なので問題にはなりません」


「……いやだ」


 アレンが子供のように首を横に振る。ますます顔色が悪くなっているが、理由はすでに違うものにすり替わっている。


「……はい、もう大丈夫です。エミリーさまお気になさらずに」


「手慣れたもんだな」


 ロバートが心底感心したように言った。


「何年付き合わされていると思っているんですか。……はい、アレンさま、これ食べて良いですよ。きっと明日は食事も喉を通らなくなるので、今の内に食べておいて下さい。皆さんもどうぞ」


 ダニエルは取り上げた皿をアレンの前に戻す。アレンは黄色い果実を見つめたまま、硬直している。


「食べても食べなくても早朝から模擬戦ですからねー。どっちに頼もうかな」


 止めの一言をダニエルが発した。非常に楽しそうだった。悲しそうな目でアレンがダニエルに何かを訴えかけているが、ダニエルは素知らぬふりを決め込んでいた。


「呼ばれてるようだし、そろそろ行くか。……その前に、あのお姫様だけは何とかするか」


 ロバートはそう言って席を立つと、部屋の壁に凭れて眠っているリリアに向かって歩いて行く。


「あーリリアさま寝ちゃってますね。うわ、幼いですね。かわいいなぁ。妹と同じくらいにみえる。……手出したら犯罪だな」


「淑女の寝顔をじろじろ見るというのは、騎士として褒められた行為ではないですよ」


 ジェシカが少し尖った声で言うと、ダニエルがすっと目を逸らした。


「ダニエルの妹って、確か十歳くらいだよな……。おーい起きろリリアさま、こんなとこで寝るなら部屋戻れ」


 席を立ったロバートはリリアの前まで行くと、リリアの眉間を指でつついた。


「むー、ろうかでちゃだめっていわれたのです」


 むずがるように両手でロバートの手を払いながら、眠たそうな声で言う。


「……なんかかわいい生き物がいる」


「だから、ダニエルさんって、騎士なんですよね?」


 ジェシカから容赦なく冷たい視線を向けられて、ダニエルは素直に顔を背けた。二人は随分打ち解けた様子だ。協力し合ってああでもないこうでもないと大苦戦しながら料理を取り分けていたからだろう。


「こんなとこで寝たら、またヒューゴさまに何言われるかわからんぞ」


「きらい」


 リリアが突然はっきりした声で言い放つ。びっくりして全員がリリアを振り返った。リリアは壁に頭を寄りかからて目を閉じていたが、露骨に不機嫌そうな顔をしている。


「もう条件反射だろそれ」


 ロバートが呆れ顔で、リリアの額を指先でぐりぐりと押した。リリアが眉間に皺を寄せて手を払う。


「リリアさまにここまで嫌われるって……すごいですね」


 ジェシカが目を丸くしたまま、思わずと言った感じで呟いた。


「ヒューゴさま、幼いリリアさまに一目ぼれして暴走したらしいんだよ。リリアさま地面引きずって、止めに入ったルークを引っ叩いた」


 唖然とした顔になったエミリーとジェシカを振り返って、ロバートはやれやれというような顔をした。


「そこから大迷走はじめてな。年に数回ふらっと伯爵家にやって来ては、リリィさまとリリアさまに、『淑女としての自覚がない』だの『貴族の娘として当然の教養が身に付いていない』だの、説教して帰っていくらしい。たまたまそこにルークがいたりすると、『異民族が二人に近寄るな』だのなんだの余計なこと言う。そしてますます二人に嫌われる……最早、呆れを通り越して面白い」

 

「きらいです。ルークさまを異民族呼ばわりするから。だから異民族って言った数だけ本人にきらいって言うの」


 可愛らしい声でリリアが宣言した。まだ寝ぼけているせいか言葉遣いが幼い。


「……そうかー数えてるのかー。そのせいでヒューゴさますっかり女性恐怖症だけどなー」


 ロバートは肩を落として天井を仰ぎ、抑揚のない声でそう言った。

 ちゃんとルールを決めている所がリリアらしいなと、エミリーは思わず笑ってしまう。


「……その方は、リリィさまとリリアさまがきらいという訳ではないのですよね?」


 躊躇いがちにエミリーが質問すると、ロバートは何とも面倒くさそうな顔になった。ヒューゴの事を語る時。誰もが皆同じような顔をするな……と、エミリーは思った。


「リリアさまが嫁にいくという現実が受け入れられなくて、あそこまでぶっ壊れたんだからそうだろうな」


 どこか遠くに視線を向けながら、ロバートがため息をつく。


「……もう絶対どうにもならないでしょうこれ」


 ダニエルがそう言ってから、リリアに呼びかけた。


「……リリアさま、ヒューゴさまのことって」


「きらい」


 ダニエルに最後まで言わせず、リリアが据わった目できっぱりと答える。


「あの、ヒューゴ……」


「きらいです」


「……ほら」


 ダニエルが面白そうに笑うのを、ジェシカが冷たい目を向けて止めた。


「こっちがダメでもさ、ここには、よく似た顔の可愛らしいお姫様がもう一人いるからさ……」


 ロバートが窓の外を眺めながらそんな事を言う。アレンの肩がピクリと動き、ジェシカの目が釣り上がり、エミリーはどこかで聞いた話だなと首を傾げた。


「どっちでもいいって、それ最低ですね!」


 ジェシカが思わずと言った感じで声を荒らげる。ダニエルが半笑いで大きく頷いていた。


「……ジェシカ……ジェシカ……」


 エミリーが小声で名前を呼びながら、憤るジェシカの腕を軽く引っ張った。ジェシカがこちらを見たタイミングで、ちらっとアレンの方に視線を流す。空になった皿を見つめたまま落ち込んでいるアレンに気付いた彼女は、口を押えた。

 アレンは二人の見分けもつけられていなかった。どちらでも良かった人はここにもいた。どちらかといえばより質が悪かった。テーブルに気まずい沈黙が落ちる。


「……そうだね最低だね」


 しみじみとアレンが言った。表情が死んでいた。


「最低でしたね。でもしょうがないですよ。興味なかったんですから」


 ダニエルが真顔で追い打ちをかけた。「ひでぇ」とロバートが呟く。

 ジェシカが不思議そうな顔をしてダニエルとアレンを見比べ、何度か口ごもりながらも、おずおずとロバートに話しかけた。


「……あの……ロバートさん。本当になんでも質問して良いんですか?」


「いいぜ? なんか思いついたか?」


 気安い感じでロバートが答えたため、ジェシカはほっとした顔をして質問を口にする。


「アレンさまってリリアさまの婚約者だったんですよね? でも、どう考えても無理がありますよね。リリアさまって絶対に……えっと……あのその……もっとお似合いの方がいらっしゃいましたよね」


「見事な言葉選びだな。さすが気遣いのできる侍女!」


「ありがとうございます」


 ロバートにおだてられ、ふふんとばかりにジェシカが胸を張る。ダニエルが呆れたような顔をしているのを見て、エミリーは顔を背けて笑いをかみ殺した。ジェシカはだいぶ地が出ている。一緒に食事をすると人の距離というものは随分縮まるもののようだ。


「あー、どっから話すかなー」と、ロバートが目を閉じ腕組みをした。


「アレンさまが将来ガルトダット家の娘と結婚するって決まったのはリリィさまとリリアさまが生まれる前のことだ。要はリルド侯爵がアレンさまの後ろ盾についたぞってことが言いたかった。あと、結婚相手は決まってるから変なちょっかい出してくるなよっていう、周囲への牽制の意味もあった」


「そっからいきますか。長くなりますね……いいんですか? アイザックさまたちほっといて」


 ダニエルがげんなりした顔になる。「ま、がんばって短くしてみるさ」とロバートは肩に手を当て首を左右に伸ばしながら少し考え込んだ。


「……で、アレン様が王家から離脱する時に、正式に婚約させとこうかみたいな話になった。その頃リリィさまたちは四歳くらいだったか。丁度愛人騒動真っ只中だ。それもあって、政略結婚の被害者だったイザベラさまが大っ反対してな。この状況でこんな話持ってくるなと、怒り狂って書状破り捨てたらしい。普通だったら大問題だが、そこは陛下が大爆笑して終わった。だからこの婚約話は陛下は承認しているけれど、議会には提出されないという宙ぶらりんの状態になったんだよ。……そして、ライリーさま対宰相閣下という、孫が可愛くて仕方がないおじいちゃん同士の下らなくも長い戦いがはじまるんだよなー。後はダニエルに聞いてくれ。……まぁた寝てるよこのお姫様」


 ロバートはリリアの頬をつまんで引っ張る。


「いたいー」


 リリアがムッとした顔で目を開ける。「ひどいですー」と一生懸命抗議する姿もただただ可愛らしい。


「だから寝るな」


「…………厨房の様子見に戻ります」


 リリアが渋々といった様子で立ち上がり、ふらふらと歩き出す。


「ああもう、危なっかしいな。アレンさまあのお姫様厨房まで送り届けてくれ、俺は応接間見て来るわ。……ダニエル、知ってる範囲でならすべて答えていい」


 アレンが慌てて立ち上がり、リリアを追いかけて食堂から出てゆく。


「……一度お使いに出すと、色々迷って戻って来るのに時間のかかる人だから、しばらく待機な」


 ロバートがひらひらと手を振ると、アレンとは別のドアから廊下に出て行った。

 それを見送った後、エミリーとジェシカは姿勢を正してダニエルに向き直った。


「えー。面倒くさいんで、明日ロバートさんに聞いて下さい」


 そんなことを言いつつも、ダニエルはエミリーとジェシカの期待を込めた瞳を見た瞬間、仕方なさそうにため息をついた。「あくまで私の知っている範囲ですよ」と前置きをする。


「まず、約束して下さいね。これはアレンさまもお嬢さまたちも知らない話です、絶対にあの三人には言わないで下さい」


「約束します!」


 ジェシカが勢い込んで答える。エミリーも深く頷いた。ここで止められたら気になって眠れなくなってしまう。


 「軽いなぁ……」とダニエルはぼやいたが、小さく息を吐いてから少し押さえた声で話し始めた。


「この婚約話は、今はアレンさまではなくて、二人のお嬢さまを守っているんです。イザベラさまが大反対されても、アレンさまがお二人の婚約者として残されたのは、周囲への牽制のためです。お二人はリル王女さまから百合の名前を引き継いでいらっしゃいますからね、政治的に利用されやすいお立場なんです。現在、ちいさな王女さまと護衛騎士の物語は絶大な人気があります。歌劇として上演され絵本として読み聞かせられている。この国で知らない者はいないでしょうね。例えば……次のお妃さまが緑の瞳じゃなくても、リル王女に縁がある人物となれば、国民は納得するかもしれない。海外にも知られているので外交にも利用できます」


「確かに……お二人はちいさな王女さまのイメージにぴったりですね」

 

 ジェシカが微笑を浮かべて頬に手を当てる。彼女はちいさな王女さまの物語をこよなく愛しているのだ。


「お二人はある意味、現実に飛び出して来た物語の中の登場人物なんですよ。だからものすごく取り扱いが難しいんです。ちいさな王女さまを手に入れたい者はたくさんいます。だから建前上、元王族の婚約者がいるというのは非常に都合が良かった。でもあの人全っ然役に立たなくて、危なっかしくて社交界にも出せなかったんですよね。それで、実質的には第二王子のアーサー殿下がお二人を守っていらっしゃいました。要するに王家のものだから手を出すなってことです。……ああどうしても長くなるな。アレンさま戻ってくるとまずいんだよな」


 ダニエルが、開け放たれたままの厨房へと続くドアの辺りををちらりちらりと気にしている。「じゃあ、さっさと話してくださいっ」とジェシカが先を促した。ダニエルは何とも言えないような顔つきになる。


「アレンさまはまぁ建前上の婚約者です。防護壁です……うっすい。実際には婚約者として何人か候補者がいたんですよ。さっさと伯爵家立て直せと主張するフェレンドルト家と、家より孫の幸せだと主張するリルド家がそれぞれ複数人候補者を擁立してました。そして、それぞれの家からひとつずつ、結婚の条件を出し合った。フェレンドルト家が出した条件は、ガルトダット伯爵家の財政立て直しです」


 ドアの辺りを注視しながら早口で喋るダニエルの話を、エミリーとジェシカが真剣な顔で聞いている。


「アレンさまはフェレンドルト家側、キリアルトさんはリルド家側でした。他の人たちについては今は置いておきます。アレンさまは、王宮を出された時に、食べてゆくのに困らない程度の財産もらってます。あのひと結構お金持ちです。でも、キリアルトさんは、()()()()()何も持っていない。リル王女の遺言でリルド領を相続することは決まっているのですが、リルド領はちいさな土地です。領地収入なんてあってないようなものなんで、次男の息子であるキリアルトさんがリリアさまの婚約者となるためには、フェレンドルト家側を納得させるだけの財産を自力で用意する必要があったんです」


 「えーっ」とジェシカが不満そうな声をあげる。


「えーって言われましてもね。どのみちお金ないとお嫁さん養えませんからね、でも、正直ライリーさまやイザベラさまにしてみれば、一番安心してリリアさまを任せられるのはキリアルトさんだったんですよ」


「当然です!」


 ジェシカが力の籠った声で断言した。ダニエルが呆れたように力なく笑う。

 ジェシカとエラは、ちいさな王女さまの物語をこよなく愛するもの同士だった。物語から飛び出てきたようなリリアとルークに強い憧れを抱いている様子で、仲睦まじい二人の様子を、夢見る少女の目でうっとりと眺めていた。

 ジェシカにしてみれば、リリアの結婚相手はルーク以外絶対に認められないのだろう。

 確かにエミリーからしても、ちょっと他の相手は考えられないかなという気はする。

 特にアレンは……ちょっと……なんというのか、違う。

 

「そうですね……アレンさまはちょっと……違いますね。物語に出て来る護衛騎士って感じではない」


「そうなんですっ。ちいさな王女さまがリリアさまなら、護衛騎士はルークさまなんです。他の人では絶対ダメなんですっ」


 ジェシカが興奮気味に拳でテーブルを叩いている。「はいはいそうですね」と適当に相槌を打ったダニエルは、すべての表情を消し去ったジェシカの顔を見て、「すみません余計なこと言いました」と素直に謝罪した。


「だからライリーさまは、キリアルトさんに、ガルトダット家の財政を立て直すようにお命じになったんです。そうなると忙しくてアレンさまの面倒みていられないので、アレンさまがキリアに飛ばされたんですよ。アレンさまがキリアでのんびり心の傷を癒している間、キリアルトさん死にそうになりながら働いてましたね。そうして出来上がったのが例の水道橋です。海の向こうから技術者探し出して連れて来たのはロバートさんで、事業に投資したのはキリアルト家だったんで、まぁ結局一族総出だった訳なんですけどね」


「これで、ひとつ条件は達成された訳ですね。良かったです」


 手に汗握る話という訳ではないと思うのだが、ジェシカが一息ついて重々しく頷いた。


「でも、もうひとつの、リルド侯爵家の方が出した条件を、キリアルトさんを含めて、誰も達成できなかったんです。そんな難しい話じゃないんですよ。普通のことです。あれがここまで足引っ張るとは誰も思ってなかったんですけどね。……ま、質問に関する答えはこんなもんですか」


「……ものすごい中途半端ですね」

 

 露骨に不服そうな声をあげたジェシカを軽く手で制して、


「リルドの方の条件はちょっと考えればすぐわかりますって。本当に普通のことなんですよ。それよりエミリーさまですよ。落ち込んでますよね」


 ダニエルに心配そうな目を向けられて、エミリーは気まずくなって目を伏せる。

 暗く重苦しい気持ちが胸の中で渦を巻いている。ダニエルはアレンが心を癒していると言ったが、結局自分はルークの邪魔をしていた……


「……あのですね、エミリーさまがいなかったら、リリアさま、アレンさまと結婚していたかもしれません」


 ダニエルが静かな声でそう言った。エミリーが驚いて顔を上げると、ダニエルは困ったように笑った。


「キリアルトさんって、多分誰とも結婚する気なかったんです。ずっと兄の立場で伯爵家のお子さんたちを見守るおつもりだった。でも、キリアで過労死しかけて、さすがに色々気付いたみたいでした。エミリーさまと一緒にいるアレンさまは、とても幸せそうでしたからね。頭の中お花畑で、ものすごく楽しそうでした。でもきっと、リリアさまとアレンさまは二人でいても、幸せそうではなかった。私は、エミリーさまが気付かせたんだと思うんだよなぁ」


 エミリーの心臓が大きく脈打つ。

 分の恋はたくさんの人に迷惑をかけて、みんなを苦しめた。

 それでも……純粋に好きだった。何の打算もなくただただアレンの事が好きで、大切で、幸せにしたいと思った。その気持ちは本物だった。


「……アレンさま、幸せそうでしたか?」

 

 掠れた声で、恐る恐る尋ねる。


「……幸せそうでしたよ。エミリーさまと一緒にいるアレンさま、見たことがない顔で笑ってました。かなり羨ましかったな。あとエミリーさまも幸せそうでした! 私に大切な人ができたら、あの時のエミリーさんみたいに笑っていてほしい」


 そう言っていたずらっぽく笑ったダニエルを、エミリーは茫然と見つめた。


「だから、変な言い方ですけどね、私は血縁者でもないただのキリアルトさんの部下なんで、エミリーさまには感謝しているんです。……だって、あんなに大好きな人と結婚できなかったら可哀想でしょ、リリアさま」

 

 がしっと右手を両手で包まれて、エミリーは驚いてジェシカを見た。


「ジェシカはお嬢さまに一生ついていきます」


 ジェシカが真剣な顔でそんな事を言う。エミリーは握りしめられた右手とジェシカの顔を見比べた。


「紅茶お持ちしましたよ。楽しい食事になりましたか?」


 アレンがメイジーを伴って戻って来た。にこやかにメイジーに尋ねられて、エミリーははっと我に返った。 


「はい、とても。……あの、リリアさまは?」


「使用人棟の方で少し休憩されてますよ。だいぶお疲れのようでしたね」


「あ! わかったかも!」


 エミリーの手を握ったまま黙り込んでいたジェシカが突然大声をあげる。全員が驚いて彼女を見た。


「……何? どうしたの? ジェシカ」


「結局ルークさまは、その条件達成されたんですよね、ダニエルさん」


 ジェシカがアレンをちらっと見てから、部屋の隅に移動してダニエルを手招いた。


「いい笑顔ですね。……え? 何ですか?」


 訝し気な顔をしたダニエルはそれでもジェシカの元に向かい、二人でひそひそ何やら話し始める。エミリーの場所からはダニエルの声しか聞こえない。アレンが元の席に座り、メイジーが紅茶をテーブルの上に並べてゆく。


「……あ、そうですそうです、それ。あーそんなことが。成程。……そうそう、リリィさまも同じ条件ですよ。普通でしょう?」


 頷いてダニエルがそう言うと、ジェシカは満面の笑みを浮かべた。興味を惹かれたらしきメイジーが近寄ってゆき、ジェシカのひそひそ話に耳を傾け目を細めて笑ている。


「そうなんですよ。なかなかこれが大変だったんですよねぇ」


 ジェシカとメイジーが頷き合っている。楽しそうで羨ましい。あちらの仲間に入りたい。


「エミリーさま。がんばって考えて下さい」


 エミリーに向き直ると、ジェシカは晴れ晴れとした顔でそう言った。


「……え? ええ? 教えてくれないの?」


「少し考えればわかりますよ。そっかぁ……そうなんだ……」


 ジェシカが手を胸の前で組んで、キラキラした目で天井を見ている。この置いて行かれたような気持はどこに持って行けば良いのだろう……


「馬車の準備ができたら、お客様がお帰りになります。お部屋にお戻りになっても大丈夫ですよ」


 メイジーがそう言って微笑みながら去って行く。


「朝になったら模擬戦ですからね。明日が楽しみですね」


 ダニエルの言葉に、紅茶を飲んでいたアレンが硬直した。「どうしてもやるの?」と言いたげな目でダニエルを見つめる。声に出すと怒られるので言葉に出せないのだ。

 彼は隊長でダニエルは部下だから、一生懸命アレンはその役目を果たそうとしている。ちょっと周囲が見えていない所があるけれど、それはきっと仕方がない。今彼は十代初めからやり直しているのだろうから。

 そう思うと、心がふっと楽になった。気負いすぎるのもきっとよくない。

 アレンは鏡だから、こちらの気持ちをそのままはね返してしまう。だから、今エミリーが彼に向けられるのは、応援しているという気持ちだけ。


「アレンさま、私、近くで応援してますからね」


「私も応援します!」


 エミリーとジェシカがせっかく応援すると言ったのに、アレンはどんよりとした顔になった。


「……できれば部屋にいて欲しい。それか、せめて遠くからに。本当に危ないから……」


 断固拒否できないところが、いかにも彼らしいなとエミリーは思った。 

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