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24 「がんばって会いにおいで」 その20


「料理の繊細さに対して盛り付けの手抜き感がすごいな。とりあえず乗っけてソースかけときましたよって感じだな……」


 リリィたちが去った食堂のテーブルには、ダニエルとロバートが運んできた料理が並べられていた。

 厨房は相当忙しいのだろう。さすがに温かいものと冷たいものは分けてはあるが……盛り方があまりに雑だ。

 ジェシカが前菜と魚料理を取り分けている横で、ロバートは大鉢に入ったスープをレードルでかき混ぜていた。厨房にスープ皿をもらいに行ったダニエルが戻ってこない。


「無責任な言い方をするが、待つしかできない」


 そんな状況だったので、エミリーとジェシカはロバートが何を言っているのか一瞬わからなかった。きょとんとした顔をした二人を見て、ロバートはおかしそうに笑う。


「スープ皿をですか?」


「ま、スープ皿も、待つしかないなぁ。……お、きたきた」


 「お待たせしました!」と言いながら、ダニエルが食堂に駆け込んでくると、ロバートの前にスープ皿を置いてすぐに踵を返す。


「空いた大皿下さい戻してきます」


 ジェシカが手を止めて、空になった皿をまとめてダニエルに手渡した。


「何か手伝うことは……」


「味見です。それ以外アレンさまにできることはないです。うろうろされると邪魔なんで、座って食べててください」


 遠慮がちに声をかけたアレンにそう返してから、ダニエルは去って行った。


「ほれ、アレンさま、座って味見。……そんな悲し気な顔するなよ。ふんぞり返って座ってるのが仕事の人もいるさ。……しっかし、ダニエル容赦ないな」


 ロバートがスープをアレンの前に置き、続いてエミリーの前に置く。


「冷める前にどうぞ。……お嬢さんたちはキリアの商人の娘だろう? 一度海に出た船が無事に戻ってくるかなんて誰にもわからん。という訳で、今できる事は?」


「きちんと食べて寝ること。無事を祈ること」


 エミリーの口から零れ落ちたのは、いつも祖母が言っていた言葉だ。


 ――私が健康でいなきゃね。あのひとが戻って来た時に笑顔で「おかえりって」言って迎えてやれないからね。


 港町キリアは船乗りの街でもある。陸に暮らす人間は待つことしかできない。夫や子供や恋人が、無事でいるかどうかすぐに知る手立てはない。いつ戻って来るかもわからない。

 祖父は海の上で生きているような人だった。

 待つことは辛い。どうしたって船乗りの夫を持つ女は強く逞しくなる。


「そういうこと。まずは自分が健康でいることだな」


「……そうですね」


 エミリーは無理矢理口角を上げる。エミリーの兄たちは今海の上にいる。ジェシカの父も弟も船乗りだ。だから、待つ事には慣れている……はずだ。


「それがエミリーさまの強みだ。あっちは貴族の娘だろう? だから読み違えた。今そうやって自分の足で立っているなら、今回はエミリーさまの勝ちだ。悔しがってる姿でも想像しておくといい」


「……私の勝ち、ですか?」


 エミリーはパチパチと目を瞬いた。


「そう。……で、それ何のスープだった?」


 尋ねられて慌てて掬って食べてみる。メイジーがスープがとても美味しかったと言っていたのを思い出す。


「わっ……これ、すごくおいしいです。でも何のスープだろう……」


 複雑な味わいだ。色々な材料が溶け込んでいる。


「アレンさま……も、わからないみたいだな」


 ロバートはアレンに視線を移して、スプーンを持ったまま象牙色のスープを見つめて考え込んでいるアレンを見て笑った。


「食べたことない味ですね。とても美味しい。でも、何が入っているのか全くわからない」


「ジェシカさんもそれ配ったら、座って食べな。ポールが張り切ると品数がすごいことになるんだ。恐らくどんどん出て来るぞ」


 ロバートに促されて、ジェシカも席につく。そこにダニエルが走って戻って来た。


「急いで食べて下さい。もうすぐ次の料理がくるみたいです。夕食会用の料理が保温されてるせいで厨房に置き場所がないから、こっちの分の料理は出来上がり次第すぐ届けられるそうです」


「なんだそれ」


 ロバートが呆れ顔になった。


 五人が黙々と目の前の料理を食べている間にも、メイジーが次々に大皿を運んでくる。

 目の前のに置かれた料理の皿覆いを取った途端に、ダニエルが何とも言えないような顔になった。木の葉を模した型で焼かれたふんわりとしたプディングの横に、肉のパイ包み焼きが積み上げられているのだが、ソースが回しかけられているせいで、すでにパイが肉から剥がれかけている。


「これ、取り分けるのかぁ……」


 ダニエルが途方に暮れてた顔をして、サーバースプーンを手に取った。 

 意を決してそっとすくい上げた途端に肉からパイがするりと剥がれ落ちる。「ああっ」とダニエルが悲し気な声をあげた。


「ソースかかってるせいで、絶対崩れますこれ。すみません、早く食べて下さい。パイがソース吸っちゃいます」


「なんで上からかけるかな。夕食会のほう優先で忙しいのはわかるがちょっとひどくないか? 俺たちも一応客だよな……」 


「こっちのステーキ、乗せられてるバターどんどん溶けてます。隣の海老にかけられたソースと混ざりはじめてますよ」


 ジェシカが別の皿覆いを取って焦った声で言う。


「大皿で出すなら何でバター別にしとかないかなぁ。アレンさまは迷子みたいな顔してないで今日は食べろ。大丈夫だ、明日からの食事は一気に質素になる。すぐに痩せられる」


「エミリーさまも食べてて下さい。ステーキ取り分けますね」


「うわぁー、どうやっても剥がれる」


 ダニエルがパイ包みをお皿に移すのに大苦戦している。


「気にするな。もうどうにもならない」


 ロバートがダニエルの手元を覗き込んで半笑いになった。


「あと一個。もうボロボロ。俺これでいいです」


「正直に言うとだな、どれも大差ないしダニエルのせいじゃない」


「そうですよ。これは誰がやっても無理です」


 悲し気な声をあげたダニエルを、ロバートとジェシカが慰める。エミリーの目の前に置かれた皿に乗った料理は、パイ包みではなかった。肉の横にソースを吸った剥がれたパイが添えられているというとても悲しい状態だった。


「あ……美味しいです。でもパイがもうベタベタになってますよ。これ、すぐに食べた方がいいです」


「肉はウズラです……詰め物がしてありますね。確かにこれ早く食べないと。どんどんソース吸いますよ……」


 エミリーとアレンの言葉を聞いて、立っていたロバートたちが慌てて席に座った。


「上からソースかけりゃそうなるってわかりそうだけどな」


「品数多くてソースの種類も多すぎて大混乱してるんです。……あ、これ美味しいですね。見た目ひどいですけど」


 ダニエルが心底残念そうな声を出す。


「多分そんなんばっかだぞ。……なあ、そこのプディングがどんどんしぼんでいってないか?」


 ロバートが視線を向けた先、プディングの側面がどんどんへこんでいっていた。


「急ぎましょう。絶対しぼんだら美味しくないです。固くなります。急がないとステーキも冷めます」


 ジェシカの言葉を聞いて、全員の手の動きが早くなる。


「……何だろう。追い立てられてるような気分になるな」


 ロバートの言葉に全員が頷いた。






 気付けば煽られるように料理を食べ終えていた。ひとつひとつの量は少ないのが品数が多い。協力して大皿から取り分けるのと食べるのに必死で、お喋りを楽しむ余裕は全くなかったが、五人の中に奇妙な連帯感は生まれていた。

 

「……さて、ようやく落ち着いた訳ではあるが」


 ロバートがそう言ったのは、疲れ切った顔をしたリリアがアイスクリームを持って来た後だった。リリアは無言で部屋の角に椅子を持ってゆくと、そこに座って壁に体をもたれ掛からせてうとうとし始める。ダニエルは空になった皿を持って厨房に行ったまま戻ってこない。


「さて、お嬢さん方、何か質問は?」


「はい?」


「質問にはすべて答えて良いとイザベラさまから言われてる。……例えば、あそこで寝ようとしている困ったお姫様のこととか、そこで体重の増加に怯えている王子様のこととか。何でこの二人が結婚するみたいな話になっていたのかとか、色々あるだろう?」


 エミリーとジェシカは顔を見合わせた。色々聞きたいことはある。しかし、いきなり言われるとどれから質問していいのかわからない。リリアのことは本人が少し教えてくれた。アレンのことも……多少本人から聞いている。

 二人の結婚の話について今ここで聞くのは躊躇われた。アレンは今もまだ罪悪感を抱えていて、どうしていいのかわからなくて苦しんでいる。きっと彼は今その話をされたくはないだろう。


「急に言われましても……」


 困惑した目でロバートを見ると、彼は水色の瞳でじっとエミリーを見つめた。菫色の瞳の中に何かを探すかのように。そして、ふっと優しく笑う。そういう表情をすると従弟のルークによく似ているなと思う。リリィとリリアが懐くのがわかる気がした。


「……じゃあ、こっちから質問してもいいか?」


 ロバートの声は優しいのに、どことなく不穏な空気が漂った。エミリーは警戒しながら頷く。


「エミリーさまの従姉について、教えてくれるか?」


「あ……」


 言われた途端、エミリーの体が震えた。隣でジェシカが息を飲む。


「話したくないなら無理にとは言わない。エミリーさまが知っている事だけでいい」


 エミリーは一度目を閉じて、そして目を開けて一度アレンを見て……困ったような顔をする彼に申し訳なく思いながら目を伏せる。


「フェリシティのことは……そうですね、いつまでも黙っている訳にはいきませんよね」


 口元に意味のない笑みが浮かんだ。いつまでも逃げてはいられないだろう。今回の件にも彼女は関わっている。だから、エミリーは話さなければならない……彼女の事を。


「フェリシティは、兄たちにとっては従妹です。父にとっては前妻の妹の娘になります。老男爵と豪商の若い娘の間に生まれた……男爵令嬢ですね。私が初めて会ったのは、六年前くらい?」


 隣のジェシカに尋ねると、難しい顔をしたジェシカが、「七年前ですね」と訂正した。

 ロバートは当然そんなことは調べ上げているだろう。でも、最初から話さないと、エミリーは自分の中にある彼女に対する感情の説明ができない気がした。

 

「火事を出して男爵家を追い出されたんです。母親の実家に戻ろうとしたのですが、受け入れてもらえなかった。それで同じキリアにいる私の父を頼った……と聞いています。ふたりは男爵家で酷い扱いを受けていました。父は二人を離れに住まわせて面倒をみることにしたんです。フェリシティの母親は、父の前妻に顔も性格もよく似ていたらしく、兄たちは二人をとても歓迎していました」


 アイスクリームを口に運びながら、当時を思い出してみる。

 子供の頃には気付かなかったけれど、この年になると見えて来るものが色々あった。

 母は一体どんな気持ちで彼女たちを迎え入れたのだろう。

 母が父と結婚したのは、前妻と死別して五年後のはずだ。ある日突然前の妻とそっくりな女性が娘を連れて訪ねて来て……心中は複雑だったに違いない。


 フェリシティの母親は大人しい人だった。決して出しゃばらず、一日中離れに引きこもって縫物をしていた。

 食事の時だけ娘を連れて本宅にやって来る。いつも申し訳なさそうな様子で小さくなっていた。自分から会話に参加することはほぼなかった。話を振られれば応じる程度。だから、彼女の声は記憶に残っていない。


「貴族として暮らしてきただけあって、フェリシティは言葉遣いも立ち居振る舞いも、キリアの人間とはまるで違いました。使用人にたちに対してしてかなり高慢で厳しい態度で接していて……うちの両親は使用人や従業員をとても大切に扱っていましたから、私は本当にびっくりしたんです。彼女は本物のお姫様なんだなって思いました」


 娘のフェリシティは使用人に対して居丈高に振る舞ったが、母親の方は一切そんなことはなかった。誰に対しても丁寧に接していたし、娘の態度を謝罪していた。

 不興を買わないように、追い出されないように。母親の方はそれに必死だった。エミリーの目にもその姿は痛々しく映った。


「私は、初めて見る貴族のお嬢さまに憧れを抱きました。仲良くしてもらいたかった……」


 声がどんどん沈んでゆくのが自分でもわかる。言葉を続けようとして少しためらって、数回浅く呼吸をした後に、エミリーはアレンを見つめた。

 かつてエミリーの王子様だった人は、とても心配そうな顔をして自分を見つめている。それに少し勇気をもらう。


「……でもフェリシティは、私にだけ、とても冷たかったんです。彼女は、私を、とても……嫌っていました」


 何度か声を詰まらせながら、やっとの事で言い切る。目を閉じて両手で胸を押さえる。鼓動が早い。深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。


 ――嫌われていたのだ。


 言葉にしてしまえばそれだけのこと。


 彼女は家族の中でエミリーにだけ冷たかった。両親や兄たちにはとても丁寧に愛想よく接する。でも、エミリーが話しかけると、あからさまに表情を消して押し黙ってしまう。両親や彼女の母親が何故そんな態度を取るのか尋ねると、


『だってエミリーは何でも持っているのです。優しい両親に兄弟。わたくしは、かわいくてみんなに愛されているエミリーが羨ましくて妬ましい。だから、口を開くと酷い事を言ってしまいそうなのです』


 そう言って泣くのだ。そうなると両親と兄たちはもう何も言えなくなる。彼らはきっと、時間が解決するだろうと思っていた……


「意外と、冷静に思い出せるものですね。そして、今思い返すと、当時はわからなかったことが色々見えてくるものですね」


 エミリーは小さく笑う。ジェシカが心配そうにこちらを見ている。頭の中を整理するために、アイスクリームを口に運ぶ。ロバートは黙って待ってくれている。アイスクリームを食べきって、一息つく。舌に冷たさが残っている気がする。


「彼女は恵まれた立場いる私が目障りだった。ただ、それだけのことだったんですよね」


 目を閉じて、ゆっくり記憶の海をかき混ぜる。澱を浮かび上がらせようとするかのように。


「でも、当時の私は何故家族の中で自分だけが嫌われているのかわからなくて、とても辛かったんです。それまで誰も私に対してそんな態度を取らなかった。私は誰かに『嫌われる』という経験をしたことがなかった。みんなに好かれているのが当たり前だと思っていたんです」

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