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19 「がんばって会いにおいで」 その15


 食後、女性陣は居間に移動して、紅茶を飲み談笑する……ものらしい。

 目の前の女性と友好的な関係は築けそうにないなと、リリィは早々に諦めた。向かい合って座ってはいるが、お互い一言も発しない。着ているドレスが一目で高価なものとわかるので、格式高い家柄のお嬢さまなのだろう。彼女の背後に控えている三人の侍女たちも、文句なしに全員美しい。


 この令嬢はどの辺りに分類されるのだろう。普通だろうか。普通以下だろうか。比較対象がないとわからない。やはり親戚回りなどをして、沢山の令嬢を見てみないと『普通』というものはわからないのかもしれない。

 所作の美しさではリリアの足元にも及ばないなとリリィは思う。彼女の動きには傲慢さが滲み出ていて、丁寧さがない。

 頭を空っぽにして、メイジーが運んできた紅茶を飲む。相手が黙っていてくれるので本当にありがたい。もう脳は疲れ切っている。


 イザベラは壁際のお気に入りのソファーに腰かけて、メイジーに今日の料理の感想を言いながら優雅に紅茶を楽しんでいる。大変満足気だ。やり切ったという達成感に浸っているようだ。頭痛はすっかり治ったらしい。


「いい気なものですわね」


 リリィは紅茶を飲みながら優雅に頷く。いい気なものという言葉の意味がわからないが、そう見えるのならばそうなのだろう。


「没落した家の娘が、あの方に並び立とうなどと。放蕩伯爵の娘は相応しくないと烙印を押されたくせに。側室にもなれないのに妃の座を狙おうなどと厚かましいにも程があるのではなくて?」


 妃とか側室という言葉が出て来る時点で、彼女の言う『あの方』はアレンではない。放蕩伯爵の娘云々の話は知らない。リリィはただ、おっとりと笑う。脳が疲れている。耳から入って来た言葉を理解するまでに時間がかかる。

 目の前の令嬢も疲れているに違いないのに、何か言わないと気が済まないようだ。いや、疲れているからこそイライラするのだろうか。


「呪いの娘のくせに。その髪も目も何もかもがあの方には相応しくない。何故それがわからないのかしら」


(それは引きこもっていたからです)


 リリィは律儀に心の中で答えてみる。余裕ぶった態度に見えたのだろう。相手は激高した。


「男に媚びることしかできない、あさましい娘だと言われているのに気付かないのかしらね。一日も早くどなたかの愛人にでもなって、僻地で朽ち果てて下さることをみんな願っているのよ。あなたみたいなのが我々貴族の品位を下げるのよ。恥を知りなさい。親も親なら娘も娘だことっ。呪いは伝染するのよ。ここにいたら私も呪われるのかしら。ああ嫌だわ」


「みんなってどなたでしょう? 僻地って何処でしょう? 私一人ごときで全体の品位が下がるほど貴族の数って減ってるんでしょうか? 呪いは伝染するのではなく遺伝します。あ、大陸共通語で言いなおした方がよろしいですか? それとも他の言語がお好みで?」


 とりあえず、『無言で睨みつけるのは感じ悪いのでやめましょう』と常々ルークに言われているので、にっこり笑ってちゃんと返事をしておく。相手は女性だ。高圧的な男性でないなら特に怖くはない。

 ……でも、最後のは余計だったか。疲れているせいか口が滑った。


「なっ」


 令嬢が目を見開いて絶句する。ひょっとして言い返されるとは思っていなかったのだろうか。相手に喧嘩を売る場合は、ちゃんと買われる覚悟をしておくべきだろうに。それとも、普通の貴族の娘は言い返したりしないのだろうか。


(……え? 言い返しちゃダメなの?)


 ちらっとイザベラに目をやるが、肩を震わせてメイジーと笑っているから、特に問題はないのだろう。


「ところで、伝染するって、何が伝染するんでしょうか?」


「無礼だわ。弁えなさい」


 令嬢が立ち上がり、平手打ちをしようとしてきたので、体を引いて避ける。……あ、普通の貴族の令嬢もいきなり叩いてくるものなのか。


(リリアってそんなに暴力的ではないのか。これが普通なのか)


 空振りをした令嬢が、信じられないものを見る目でリリィを見た。


「え? 避けちゃだめなの?」


 思わず素の声で尋ねる。運動神経がそんなによろしくないリリィでさえ余裕で避けられるのだから、あえてぶたれてあげるという人以外には当たらないだろう。使用人はあえて当たってあげるのだろうか。大変なお仕事だ。思わず同情的な目で、彼女の背後の侍女たちを見てしまった。そんな目で向けられるとは思っていなかったらしい一人の侍女が目を丸くする。


「弁えなさいと言われましても、何を弁えて良いのやら」


 本当にわからないので、そこはご容赦いただきたい。


「まずその口を閉じなさい」


「不機嫌な顔で黙っているのは一番感じが悪いからやめなさいと、うちの執事が……」


 普通って何だ。どうすれば普通なのかリリィにはわからない。これは状況として間違っているのだろうか。どうなんだろう。誰か教えてくれないだろうか。……しおらしく俯いて、頭の中で歌でも歌っていれば良いのだろうか。


「こういう場合、普通の貴族のお嬢さんって、どうしているのでしょうか? 呪い持ちの私には全くわかりません」


 仕方がないので、リリィは自己申告した。

 

「先程から、呪い持ちのあなたは殿下に相応しくないと教えて差し上げているでしょう?」


 そんなことは聞いていない。面倒くさいなぁもう、と、リリィは小さくため息をついた。

 黙ってやり過ごせば良いのだろうが、疲れているせいなのか、感情が制御できない。

 ようやく話が見えて来た。要するに……目の前の令嬢はリリィと同じく第二王子のお妃志願者なのだ。それでリリィを敵視している。


(意味がわからないわね。ガルトダット家の長女は、アレンお兄さまの婚約者の筈なのだけれど……)


 何故彼女は……リリィが第二王子妃を目指している事を知ってるのだろう?


「私は、ずっとずっと王族に嫁ぐために努力してきたのよ。それなのに、何でこんな口の減らない、品位のかけらもない没落した家の呪い持ちの娘なんかと比べられなくてはならないのよ。私は、あなたと違って特別な存在なのよ。みんなが私の方があの方に相応しいって言っているのに」


 侍女三人を背後に従えた女性は、リリィを見下しながら居丈高に言い放つ。いまいち迫力が足りないなとリリィは白けた目で眺めた。比較対象がヒューゴのせいかもしれないが、これではまるで子供のおままごとだ。こちらを貶めて一人悦に入る様子など、正直間抜けな感じですらある。


(品位がないだの努力が足りないだの、そんなの会う度にヒューゴにごちゃごちゃ言われてるからわかってるわよ)


 何か言い返せば子供の口喧嘩になり果てるだろう。わかっているのだが、自分が今現在どういった状況に置かれているのかがわからなくて、イライラする。きっとリリィよりもアーサーの近くにいる彼女が……羨ましくて。


「私に品位が足りてないのは知ってるわよ。疲れているせいもあるんだろうけど、今のあなたも相当ひどいわよ? 親と家と血筋だけで何とかなるなら、あなたとっくにお妃さまよね。でも今ここにいるってことは、後ろ盾になっている人の力だけでは何ともならなかったということよ。貴族の娘なんて沢山いるんでしょうから、信じられないくらい倍率も高いんでしょうね。私一人蹴落としてもすぐ次の人が目の前に立ち塞がるわよ? その相手が例えば外国のお姫様みたいにあなたより高位の者だった時、どうするつもりなの?」


 もうどうとでもなれと、一気に早口で言い返す。

 リリィは何も持っていない。名前すら自分のものではない。失うものなど何もないのだ。もし彼女が社交界でガルトダット家の娘は品位がないだと口が減らないだの言ったとしても、そんなの今更だ。どうせ男に媚びるしかできないあさましい娘らしいし。


 目の前の女性は、やはり言い返されるとは思っていなかったようだ。自信に満ち溢れていた態度は一瞬にして崩れ、どうして良いのかわからないというように、狼狽した様子で侍女たちに目で助けを求めた。侍女の内のひとりがそっと彼女に耳打ちする。ひとつ頷いた彼女は、再び尊大な態度に戻り、口元に優越感に満ち溢れた微笑を浮かべた。


「あなたなんて、お父様に言って……」。


「だから、そのお父様の力で何ともならなかったから、あなたこんな呪い持ちの家に呼びつけられたの! お父様の力が足りないせいで、あなたは殿下とすんなり結婚できないの。家の力だけじゃなんともならないって、いい加減に気付いたら? あなた、第二王子妃目指してるのよね? 外交もこなさなければならないって殿下はおっしゃってたわ。なのに大陸共通語ひとつ話せなくて大丈夫なの? それに、もう少しマナーをしっかり身に付けないと、殿下の横に並び立った時に粗が目立つわよ? 努力したって言うけど、一体あなた何の努力をしたのよ?」


(リリアに比べたらあなたの努力なんてお遊び程度でしょうよ)


 これは心の中で付け加える。苛立ちのままに一気に捲し立ててふと気付けば、緑色の目の女性は唖然とした顔で立ち竦んでいた。

 ああ……やってしまった、と。長く息を吐いてこめかみを押す。


「ごめん。リリアぁ……」


 妹が必死に積み上げて来たものを、多分今一瞬にしてリリィは全部崩した。


「……何をやってるんだおまえはっ」


 慌てた様子で居間に入って来たのはヒューゴだった。そのままリリィを庇うように、令嬢とリリィの間に立つ。


「廊下まで声が聞こえた。言い方があの男にそっくりだぞ。全く……」


「ヒューゴお兄さま、これは私が悪いの? 謝った方がいいの?」


「……何でお前が謝るんだ?」


「……あの人、泣いてるから」

 

 緑の目をしたお嬢さまは、両手で顔を覆っていた。侍女たちが必死に慰めている。


「勝手に喧嘩売って、勝手に負けて、勝手に泣いてるだけだ、放っておけ」


 え? とリリィは嫌な予感がして従兄を見上げた。顔だけ振り返った従兄の眉間にものすごい皺が寄っている。食事中にはなかった。……これはちょっと危険な兆候なのではなかろうか。


「……さて、私の従妹が何やら聞き捨てならない事を言っていたのだがな。『愛人になって僻地で果てる』だったか? 何故そんな話になった?」


 怒りを押し殺したような低い声。……あ、これはまずい。リリィは恐る恐る、目の前の背中に声をかけた。


「ヒューゴお兄さま、泣いてる女性をこれ以上追い詰めるのはどうかと? ちょっと私も言い過ぎた……」


「おまえはしばらく黙っていろ」


 振り返ってリリィに命じる。低く抑えた声だったのにも関わらず、女性たちが肩を震わせた。


「……はい」


 びくっと肩を震わせて、リリィは素直に頷き引き下がる。……怖い。


「どういう意味かと聞いている。誰でもいい。答えろ」


 どちらかと言えば抑制のきいた静かな口調だ。だが、そこに込められた怒りの感情が、室内の空気をびりびりと震わせている。怯え切って侍女にしがみ付いていた緑の瞳の令嬢が、滑り落ちるように床に座り込んでしまう。侍女たちは彼女を守るように囲んで床に膝をついた。


「……おかあさま、止めた方が良くない?」


「何事も経験よ? わたくしもう今日は色々あって疲れたの。立ち上がるのも面倒」


 イザベラは、ちょっと困ったように微笑んだ。


「ルーク、ヒューゴお兄さま止めて」


 丁度ルークがキースとトマスと共に、居間に入って来る。そして、ヒューゴの様子を一瞥すると、


「好きにさせてやればいい」


 気だるげに微笑んだ。その言葉を聞いたリリィはぞっとして顔色を変えた。


「……敬語、お願い敬語に戻して」


「頭使うのが面倒なんですよね」


「あんな訳のわかんない事やるからよっ。そりゃ疲れるわよ。私だって疲れたわよ」


「ここは大丈夫そうなので、一時間くらい寝ます。……ああ、後でヒューゴさまにお礼を言っておいて下さいね」


 いかにも投げやりな感じでそれだけ言い置いて、ルークは踵を返して出て行ってしまう。ああなるともう使い物にならない。


「私だってもうさっさと寝たいわよっ」


 リリィはこめかみを押さえて眉間に皺を寄せた。


「キースっ! 何とかしなさい」


「えー俺―? もう疲れたんで嫌です。好きにやらせてあげればいいじゃないですかー」


 壁際に控えているキースは心底面倒くさそうな顔だ。


「お兄さまっ」


 お気に入りのソファーに体を沈めたトマスは、小さく息を吐いた。


「僕も疲れてるんだよね。……もう少しやらせてあげなよ。大丈夫大丈夫。リリィが失礼な事言ったなんてもう少しであのお嬢さんの頭の中から吹っ飛ぶから」


「そういう話なの?」


 リリィは顔を強張らせる。


「そういう話だねぇ」


 慌ててリリィは従兄の腕に取り縋った。


「ちょっとヒューゴお兄さまっ、もうやめてっ。私、これからもう自分の言動にはちゃんと責任持つからっ。そうよね、言い過ぎたのよのね。子供じゃないんだから、思ったこと全部口にしてはいけないのよね。よくわかったから。反省してます」


「責任の取り方もわからない奴が、軽はずみに責任なんて言葉使うな」


 すぐに腕を振り払われる。ヒューゴは体を寄せ合って泣いている女性たちを容赦なく威圧していた。


「私が悪かったわ。ごめんなさい。だからもういいからっ。怯えて泣いてるから」


「よくない。誰が僻地になど行かせるかっ」


「行かないわよっ」


 何でそんな話になるんだとリリィは頭を抱えた。一体僻地とはどこだ。


「伯爵家の品位が損なわれるわよ、お兄さまっ」


「そんなもの、もうすでにどこにも残ってなかったから大丈夫」


 薄目を開けた兄は、やる気なさそうに答える。


「社交界で悪い噂が立ったらどうするのよ、おかあさま」


「すでに悪い噂しかないわね。だから気にしなくて大丈夫よ」


 イザベラは優雅に紅茶を飲んでいる。


「ヒューゴお兄さま。とりあえず、一旦落ち着きましょう。どこかわからない僻地についても忘れましょう……」


「この女に何を言われた? どうせあれだけではないんだろう」


 ……人の話を聞け。

 リリィは再びヒューゴの腕を両手で掴む。振り払われそうになるからますます力を込める。従兄を見上げて涙目でもうやめてくれと訴えるが、当然の如くこの従兄には通用しない。


「だから、無闇に異性に触れるなと言っている。おまえは距離が近すぎるんだ。相手を勘違いさせたらどうする。みんなあいつのせいだ。どう責任取るつもりなんだ」


「いくら何でも知らない相手にこんなことしないわよ。リリアはもっとしない。男に媚びることしかできないあさましい娘なんて言われてるとしたら、それは全部私のせいよ」


 リリアが社交界でそう言われているのなら、面白がってリリィが教えたあのあざとい仕草と上目遣いのせいだ。アーサーの言う通りだ。全部リリィのせいであって、リリアは何も悪くない。


「……男に媚びる? あさましい?」


 初めて聞いたというように繰り返して、ヒューゴがゆっくりと、腕にしがみ付くリリィを見下ろした。


「……え? だってみんなそう言ってるって。だからヒューゴお兄さまも当然知ってるんでしょう?」


 だって彼女はみんなって言った。みんなって……みんな?

 目の前でしゃがみ込んでいる侍女たちに目で問うと。うち一人が真っ青な顔をしながら激しく首を振った。


(え? みんなって、誰? 何人くらい?)


 リリィは首を傾げる。リリィにとっての『みんな』は、この伯爵家に暮らす全員のことだ。ひょっとしてその感覚も普通ではないのだろうか。

 あ、ヒューゴが静かになった。そろりと従兄の顔を見上げてリリィは顔色を失った。


「ヒューゴお兄さま、顔、顔が怖いっ」


「男に媚びるあさましい女だと、そう言われたのか?」


 地を這うような声音だった。状況は悪化した。こうなると、もうリリィにはどうしていいのかわからない。緑の目の令嬢は侍女のひとりしがみついて泣いているし、侍女たちは、真っ青な顔でガタガタ震えている。


(どうする……どうしよう……どうしたら)


「ちょっと待って、きっと聞き間違いだから。うんきっと別の場所で聞いたのよ。ごめんなさいヒューゴお兄さま」


 リリアのように可愛らしく小首を傾げてみせるが、正直これで何とかなるとは思っていない。


「おまえが一体どこに出掛けるというんだ?」


 冴え冴えとした青い瞳に見据えられると、足が震えだしてしまう。


「……お芝居……じゃなくて、小説の中の台詞だったかぁ……なぁ?」


「……だから近すぎる。今すぐ手を離せ」

 

 ヒューゴに命令され、リリィは畏縮して涙目になった。

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