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139 お姫様も迷走 その1



 天井が完全に閉じてしまっても辺りはぼんやりと明るかった。


「…………相変わらず全く話が通じない」


 疲れ果てた声でダニエルが呟いている。


 そこは、巨大な螺旋階段の中心部分だった。赤い煉瓦の壁に、金属の板を少しずつずらして差し込んで作られた細い階段が、遥か下の方まで続いている。中心部には深い闇が溜まっているばかりで、目を凝らしても底がどうなっているのかわからない。

 壁に杭を打ち込んで張られたネットは、さながら蜘蛛の巣のようだ。三人分の体重を支えているせいで深く沈み込み、少し身じろぐだけでギシギシという不穏な音を立てる。


「このネットもあの階段も煉瓦も……ほぼ新品だよね」


 一緒に落とされた黒髪の青年は、落ち着き払った声でそう言った。数秒の間にすっかり気持ちを切り替えた様子だ。


「まさかとは思いますが、今日のために、わざわざ作ったんですかね……」


「もともとあった仕掛けを補修したんじゃない? ネットは三重になってるし、だいぶ下の方に、もう一枚張ってあるのが見える。……安全性は何度も確認したんだろうね。本人楽しかったと言っていたし」


 青年は内ポケットからコインを一枚取り出し、ネットの端から下に落とした。数秒後に遥か下の方から、ポチャン……という微かな水の音が聞こえてきた。


「……」


「……」


「……」


 しばらくの間、誰も言葉を発することなく、ただ暗闇に目を凝らしていた。世の中には、知らない方がいいこともあるのだとクインは学んだ。


 ――改めて思う。もう二度と落とされたくない。


「火を燃やせるということは、きちんと換気がされているということですよね。下に行けば出口があるかもしれません。どうなっているか見てきます。もうさっさと出ましょうこんな所」


 気を取り直した……というより、半分自棄になったダニエルが、ぐるりと周囲を見渡して、一番近い位置にある階段の方へ足を向けた。


「怪我をさせるのが目的ではないから、変な仕掛けはないと思うけど、一応気をつけてね」


「嫌な事言わないで下さい……」


 怠そうに抗議してから、とんとんと軽くクインの背中を叩く。


「クインさま、こんな感じでちゃんと背中を支えているので、まだ怖いかもしれませんけど、一度、首から手を離してもらってもいいですか?


「……え?」


 言われて初めて、クインはダニエルにずっとしがみついたままだったことに気付いた。

 クインは袋詰め状態のため、ダニエルは風で飛んできた大きな布に纏わりつかれたようになっている。


「ごごごご……ごめんなさい……」


 消え入りそうな声でそう言って、ぱっと両手を大きく開く。恥ずかしさのあまりクインはぎゅうっと目を閉じた。どうしよう……誰かにしがみついていることに、ためらいを感じなくなっている。


「あ、ああああの、ボク、そ、そろそろ袋から、出たい、です……」


「ん-でも、袋の中にいた方が安全ですからね。次、何が起こるかわかりませんし、転んで怪我をするかもしれません」


 ダニエルが心の底から心配してくれているのだということは十分に伝わってきた。……が、クインは袋から出たいのだ。


「……出たい、です」


 先程よりはっきりとした口調でもう一度繰り返してみたが、ダニエルは幼い子供を見守る眼差しで、ゆっくりと首を横に振った。


「危ないので入っていてください。……あ、でも、気分が悪くなったりしたら、我慢しないですぐに言ってくださいね」

 

 ……あまりに色々あったせいで、ダニエルがクインに対して必要以上に過保護になっていた。


「うん、危ないから、そのまま袋に入っていようね。ダニエルのことは従者だと思えばいい。君はお姫様なんだから」


 隣からは、この状況を完全に面白がっているような声が聞こえてくる。こっちがダメならそっち。という感じで、クインは体を捻って黒髪の青年を見上げた。


「……あの……ボク……お姫様では、ないので……自分の足で、歩きたい、です……」


 そう口に出してしまってから、はっと我に返った。海賊の少女とのやり取りを見ていたせいで、つい自分の方から気安く話しかけてしまったが、これは不敬にあたるのかもしれない……


「……あ、も……もうしわ……」


 さっと顔色を失って謝ろうとしたクインの言葉を遮るように「気にしなくていいよ」ごく軽い口調で言うと、印象的なエメラルドグリーンの瞳を細める。


「目の色のせいで色々誤解されるけど、僕はそんなに偉い人じゃないからね? ダニエルのお兄さんみたいなものだし?」


 ちらっと視線を横に動かすと、ダニエルが非常に嫌そうな顔をして、ぶんぶんと首を横に振っていた。……やっぱり偉い人なのだ。そして、ダニエルにとっては、兄のような存在ではないらしい。


「二番目の王子様です。アーサー殿下。でもまぁ、小さい子供に()()は無条件でお優しい方なので、本人がいいって言ってるなら、そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ。……慣れるために、一度呼んでみましょうか」


「そうだね、最初の一回目はどうしたって緊張するよね。練習のつもりで呼んでみてごらん?」


 本人からも促され、クインは緊張しつつも思い切って口を開いた。

 思い返してみれば、すでにさんざん失礼な態度を取ってしまっている。目の前でいきなり大泣きしたし、面と向かって『王子様いらない』とまで言い放った。今更ガチガチに緊張するのもおかしいのかもしれない。


「ああああ、アーサー殿下。あ、あのああああの、た、助けて下さり、ああの、ありがとう……ございました」


 しどろもどろになりながらも、何とかそれだけ言い終え、まさに判決を待つ罪人のような気持ちで相手の反応を待つ。


「はい。大変よくできました。がんばったね」


 海賊の少女と接していた時と同じように、王子様はクインに向かってにっこり感じよく微笑んでくれた。その反応を見てほっとしつつもクインは確信した。――間違いなく、彼の中でクインは、彼女と同年齢に設定されている。


「……あ、あの、ボク、がんばった……ので、袋……から、外に、出して……ください」


 袋詰め状態からどうしても逃れたかったクインは、思い切ってもう一度お願いしてみる。ダニエルの言うように、彼は子供に対しては無条件で優しい人なのだろう。ならば、子供のふりをして一生懸命お願いしたら出してもらえるかもしれない。そんな淡い期待を抱いたのだ。


 ――が。


「子供はもう寝る時間だよ? 寝袋だと思って目を閉じてごらん?」


 何を言われたのかわからず、クインは思わず「……はい?」と聞き返していた。

 アーサーはにこにこ笑っている。本気で言っているのかどうかはちょっとわからないが、こちらも袋からクインを出すつもりは全くないらしい。


「あの、ごめんなさい……ボク……そんなに、子供じゃ、ない、です……」


 相手を騙す目的で年齢を偽るのは良くないのだと反省したクインは、しょんぼりと項垂れた。


「そうやって袋に入っているとね、身長がわからないから、だいぶ幼く見えるんだよ。……それに、僕からすれば、十六歳なんてまだまだ子供。夜更かししないで早く寝ようね。しっかり寝たら、明日お菓子をあげる」


 ……この状態で眠れる訳がない。くすくすと笑っているアーサーを、クインは恨めしそうに見上げた。


「……もう……このまま……で、いい……です」


 結局クインは折れることにした。ここで意地を張って時間を無駄にするのもどうかと思ったのだ。……決してお菓子につられた訳ではない。


「機嫌治ったんですね」


 ダニエルが呆気に取られたような顔をして、アーサーを見つめていた。


「何か、懐かしくてね。……でも、ちょっと物わかりがよすぎるかな。アレンなんて、泣き叫んででも自分の要求通そうとしたからね。他に甘えられる相手がいなかったからしょうがな……」


 何かを感じたのか、アーサーがはっとした表情で天井を見上げる。ダニエルはクインをしっかりと抱え直した。


「ダニエル、三時の方向へ!」


 アーサーから命じられたダニエルが、クインを抱えたまま壁に向かって大きく飛び退く。同時に天井が開いて斜めに差し込んだ光の中を誰かが落ちてきた。


「もういやだぁぁぁぁっ」


 叫び声に聞き覚えがあったが、確認する余裕は全くない。ネットが激しく揺れて体が大きく上下する。もし弾き飛ばされてネットと階段の隙間から下に落ちてしまったら、確実に命を落とす。『グレイス』だった頃は、死を全く恐れていなかった。……母に会うための最後の手段だと思っていたから。

 でも今は死ぬことがとても怖い。クインはダニエルの肩に額を押し付けて固く目を閉じた。


 揺れがおさまってから、恐る恐る目を開けて顔を上げる。


 ネットの真ん中で蹲っていたのは、赤い異国の服を着て舞踏会に行ったはずのキースだった。

 天井が少しだけ開いて、ぽいっと何やら赤いものが投げ込まれると、またすぐに閉まる。ついでのように放り込まれた赤い髪の鬘は、キースの背中の上にポトリと落ちた。


「……キース?」


 近くまで寄ったアーサーがネットに両ひざをついて声をかけると、丸くなっていたキースの体がびくうっと震えた。


「大丈夫かな? 怪我とかはしていない? どこか捻ったり、口の中を噛んだりとか……」


 肩に向かって伸ばされた腕を、がしっと両手でつかんでキースは顔を上げた。背中から滑り落ちかけた鬘はアーサーがしっかり回収していた。


「う……うぐっ……っ……ぐぅっ……」


 嗚咽を堪えながら、必死に訴えかける目でアーサーを見つめる。言いたいことはたくさんあるのに思いが溢れて言葉にならないといった様子だった。琥珀色の目に涙が盛り上がって今にもこぼれおちそうになっている。


 はあぁぁぁっとばかりにため息をついたアーサーは、観念した表情になった。


「……あーうん。気のすむまで泣いていいよ」


 優しく頭を撫ぜられたことで涙腺が崩壊したキースは、鬘を持ったままのアーサーの腕にしがみついて声を殺して泣き始めた。


 ――彼もまた、相当辛い目にあったようだった。


 ひとしきり泣いて気持ちが落ち着くと、今度は腹が立ってきたらしい。


「この階段おりていくと、壁に出口があって、その先は石の壁で仕切られた迷路みたいになってるんです。ようやく見つけた階段上ってドアを開けたら、笑顔で待ち構えてた司教さまに『残念、外れ』って言われて、またここに落とされたんですけど! もうほんと意味わからんっ」


 ダニエルから手渡された応急処置用の布で顔を拭きながら、キースは一方的に喋り続けている。またいつ上から人が降ってくるかわからないため、全員ネットの上から避難し、階段を椅子代わりにして座っていた。


「そういえば、上の部屋、四つドアがありましたね……」


 ダニエルがうんざりした顔でため息をついている。クインは当然のようにダニエルの膝の上でしっかりと抱えられていた。

 踏み板の幅は人が二人並んで座れるくらいの長さがあるのだが、壁の反対側には手すりも何もない。中心部をうっかり覗いてしまったら、目を逸らすことができずに、闇の中へと引きずり込まれてしまいそうだ。

 一人で座るのも怖いし、階段をおりるのはもっと怖い。クインは大人しく袋に入ったままでいることにした。


「……あ、舞踏会の話、聞きます?」


「どうせイラっとするだけだからいいよもう。マティアスが一緒なら、リリィのことは心配いらない。今はここから出る事だけを考えよう」


 アーサーは面倒くさそうに膝の上に頬杖をついて目瞑っていた。


「『外れ』と言ったってことは、『当たり』があるってことですかね?」


 ダニエルが天井を見上げながらふと気付いたように尋ねると、


「あると思って期待すると裏切られるだけだよ」


 アーサーは瞼を下ろしたまま冷たく笑った。



 遅くなってしまい大変申し訳ございません。再開します……

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