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136 王子様たちの逡巡 その2




 軽く外壁を叩く音がして、はっとクインは我に返る。非常に申し訳なさそうな顔をしたダニエルが、開け放たれたままの入り口から顔を覗かせ、真摯な声で謝罪の言葉を口にした。


「クインさま、大変申し訳ございませんでした。どうしても式次第通りに進める必要があったんです。イザベラさまは本当にほんっとうに何もご存じなかったんですよ。エラもこういうことになるとは知らされていなかったんです。そこだけは先にお伝えしておきます。……あ、いらっしゃいましたね」


 ダニエルが一歩下がって横にずれると同時に、「クインっ」と焦った声で名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「怖かったわよね。もう大丈夫よ!」


 入り口をくぐって中へ入ってきたイザベラは、急いで走って来たのか息は切れて顔も真っ赤だった。袋詰めにされているクインの隣に腰を下ろすと、両手を肩の上に置いて青い目を覗き込む。


「今からみんなで船に乗ってオーロラを見に行くのよ! 旅行なんて本当に久しぶりだわ。とっても楽しみね! クインのお洋服とドレスも新調しましょうね」

 

 輝くような笑顔を向けられたクインは、パチパチを目を瞬いた。イザベラは外套を羽織り帽子を被って、片手に大きなトランクを持っている。まさに、今から旅行に出かけるというようないで立ちだ。


 今クインがいるこの場所は、窓のない箱馬車の中だということはまず間違いない。間もなく船が停泊している港に向かって出発するのだろう。オーロラを見に行くという船の上では何らかの儀式が執り行われるようだ。その儀式においてクインは『海賊に攫われたお姫様』であり、攫われたクインを取り戻すために、ヒューゴが海賊と戦うことになるらしい。――すべては式次第通りに。


「おかあさま……ヒューゴさまが、地図の謎を解いて、海賊を倒すそう……です……」


 震える声でクインが告げると、イザベラは笑顔を顔に張り付けたまま、ギギギ……と音がしそうな感じでダニエルを振り返った。大きなトランクを座席に積み上げているダニエルが、一旦手を止めて神妙な表情で頷く。

 イザベラは一度天井を見上げてから、眉間に深い皺を寄せ目を閉じる。そして、右手の人差し指と中指で、こめかみをぐりぐりと強く押しはじめた。……ダニエルの言う通り、本当に何も知らされていなかったようだ。


「イザベラおばさま。わたし、ちゃんと言えたんだよ!」


 小さな海賊の少女が、イザベラの外套を掴んでひっぱりながら、それはもう嬉しそうに報告する、はっと我に返って慌てて口角を持ち上げたイザベラは、身を乗り出して少女をぎゅっと抱きしめた。


「そう、大変よくがんばりました!」


 少女は頬を真っ赤にして満足そうに笑っている。大変心和む光景なのだが、クインの気持ちは晴れない。


「……あ、クイン、紹介するわね」


 海賊の少女から体を離したイザベラは、彼女を自分の隣に座らせると、落ち着きを取り戻した様子でクインに向き直った。


「あのね、この子は、兄の父の幼馴染の息子の叔母の死別した旦那さんとの間にできた息子の息子の娘さんなの」


 詰まることなく言い切って満足げな表情を浮かべたイザベラを、クインはぼんやりとした目で見つめた。


 今これを早口で言う必要はあるのだろうか……


 表面的には平常心を取り戻しているように見えるが、かなり混乱しているのかもしれない。


(兄の父の息子。叔母の息子。の、息子。の、娘)


 もう何回も耳にしているのでパターンを覚えてしまっている。イザベラが「息子」と言った数は三回。つまり先程と同じなので、単純に考えればあの緑色の目をした少女の妹、ということになる。


「先ほどの方の、妹さん……ですか?」


「ええっと、そういう訳ではないのよね……」


 イザベラが困ったように眉尻を下げて、片手を頬にあてた。


「先程の大変可愛らしい、お……嬢さん……? の、従姉妹、らしいですよ」


 次々荷物を積み込みながら、ダニエルが補足説明を加えた。何故かまた『お嬢さん?』と不自然に語尾を上げている。


「お姫様、あのねあのねっ、オーガスタお姉さまは、十二歳のお姉さんなんだよ!」


「掛ける三」


 海賊の少女が発した無邪気な声に隠すように、青年がそう言ったのを確かにクインは聞いてしまった。意味が分からずクインは思わず首を傾げる。


「余計な事言わないで下さいっ」


 ダニエルがこの世の終わりを見たような顔になって、持っていた鞄を床に落とす。そして明らかに挙動不審になって背後を振り返った。


「い……いいいいい、一刻も早く逃げ……じゃない、出発しましょう。荷物これで全部ですかイザベラさまっ」


 何を見たのか、しきりに背後を気にしながら早口でイザベラに尋ねる。座席と床に積み上げられた鞄の数を確認したイザベラが頷くのを待って、ドアを閉めようとしていたのだが……


「待て、ダニエル」


 クインの目の前に座る青年から厳かな声で制止をかけられ、びくうっと大きく肩を震わせて手を止めた。中途半端に閉められたドアが風にあおられて再び大きく開く。


「御者台じゃなくてここに座ろうね。これは命令ね。――君、僕とルークをオーガスタに売ったね?」


 青年はにーっこりとエメラルドグリーンの瞳を細めて問う。ダニエルはしばらく目を泳がせていたが、観念したように項垂れた。


「しょうがないじゃないですか、妹を人質に取られてるんですから。殿下だって、アレンさま売りましたよね? で、時間を買ったとか言ってましたよね?」


 力なく言い返しながら、馬車に乗り込みドアを閉め、「失礼します」と一言断ってから青年の隣に腰を下ろす。そして、コンコンと横の壁を叩いた。

 ガタン一度大きく揺れてから馬車が動き始める。その後はさほど揺れることもなく、防音が施されているのか音もそれほど気にならない。五人乗っていても、まだ座席に余裕がある大きな馬車だ。窓がないため、どのくらいの速さで走っていのかわからない。一体何頭の馬で引いているのだろうか。


「今回に限り許してあげるから、まだしばらくアレンのお世話係よろしくね」


 その一言で、ダニエルの目から光が失われた。がっくりと肩を落として彼は力なく笑う。


「いや、ほんと連帯責任って何なんですかね。全部アレンさまが悪いのに、なんで私まで罰受けないとけいないんですか?」


「だからそれが連帯責任なんだよ」


 青年は重いため息をつくと、物憂げな表情で壁に凭れ掛かる。


「こんな風に巻き込まれるのが嫌だったから、さっさとダージャ領に放り込むつもりだったのになぁ……」


「自分だけ助かろうとしないで下さい」


「身内が何か不祥事起こす度に、王子様ってだけで僕が責任取らされてるんだけど?」


 じっとりとした目を向けられたダニエルは、さりげなく顔を背けて上着の胸ポケットから小さなメモを取り出し読み上げ始めた。


「まずは大聖堂に向かって、結婚許可書をもらうみたいですよ。その流れでホテルに寄ってウェディングドレスを受け取ったら、王宮でアイザックさま拾うみたいですね。で、離宮に移動して立会人の聖職者を回収すると」


「大聖堂も登記所もとっくに閉まっているよね」


「王子様が訪ねて行けば、あけるんじゃないですか?」


 クインの目の前では投げやりな会話が繰り広げられている。その様子を見るともなく眺めていると、遠慮がちに袋の端を引っ張られた。視線を横に向けると、海賊の少女が話しかけたくてうずうずしているといった様子でクインを見上げている。


「お姫様は、ヒューゴお兄さまのことが好きなの?」


 期待に輝く目で尋ねられたクインは、返す言葉を見つけられずにおろおろと視線を彷徨わせた。

 じわじわと顔に熱が集まってくるのがわかる。真っ赤に染まった頬を隠そうにも手は袋の中だ。


「うん……わかった。すごくすごーく好きなんだね。じゃあ、わたしと一緒だね。わたしもヒューゴお兄さま大好き! でも、そう言うと、みんななんか変な顔をするの。とーさまは、将来が心配だとか言うし」


 いつしか馬車の中はしんと静まり返っていた。会話をしていたはずの青年とダニエル、そしてイザベラまでもが、どことなく悲しそうな目をして機嫌よく喋り続けている少女を見つめている。これが彼女の言う『なんか変な顔』なのだろうな。と、クインは納得した。

 ヒューゴには申し訳ないが、困惑する周囲の気持ちも理解できなくは……ない。


「確かにヒューゴお兄さまは弱いし、走るの遅いし、体力もないし、腕力もないし、自分の身も守れないし、食べ物の好き嫌いも多いし、泳げないし、船酔いもするけど、すっごく優しいんだよ! それでね、お花の名前をいーっぱい知ってて……」


「あ、ああああ、あの……」


 楽しそうに喋っている少女の邪魔をするのは気が引けるのだが、クインは思わず声をあげる。


「なぁに? お姫様」


 特に気分を害した様子もなく、少女は首を傾げた。それに安堵しながら恐る恐る尋ねる。


「ええと、ヒューゴさまは、船酔いされるのですか?」


「うん! すぐに酔っちゃうの。本当は馬車も苦手なんだって」


「寝不足だったり体調悪いと、ほんとあっという間に酔うよね……」


 青年の言葉に同意するようにイザベラが難しい顔をして頷いている。


「……船酔いするなら、海賊を倒すのは無理なのでは、ないでしょうか」


 俯いて少し考え込むようなそぶりを見せた後、海賊の少女は表情を引き締め顔を上げた。


「でも、海賊倒さないとおよめさんもらえないの。そういう決まりだから……お姫様と結婚するためには、お兄さま、がんばって海賊を倒すしかないの!」


 まるで雷に打たれたかのように、クインの体が震える。


 ――家族を養うためには、海賊を倒さないといけない。ここではそういう決まりなんだ……うん。……それ以上は、今は……言えない……まだ……

 

 ヒューゴが海賊を倒したがっている理由はこれだったのか。そう気付いた瞬間、貧血を起こしたように頭がくらっとした。



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