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20231129

(警告!)今回は本っ当に、何でも許せる方のみどうぞ。バッドエンドまっしぐらです。



 目の前に聳え立つ壁を見上げた瞬間に、マーガレットの胸は高鳴った。この高揚感はいったいいつ以来だろう。


 いざっ! と手を伸ばして、レリーフを掴み、窓枠に足を掛けようとした瞬間――  


 誰もいないはずの背後から腕が伸びてきて、足が浮いた状態で壁から引き離される。一度地面に足がついたと思ったら再び持ち上げられて、肩に担がれた。


「……え? あれ? どうして?」


「痛い目に遭いたくなければ、大人しくしていてください」


 その声は、肩に乗せられたマーガレットのお腹に重く重く響いた。ひいっ。という悲鳴のような声が口から洩れる。

 すでに言葉の選択がおかしい。これは……間違いなくかなり怒っている。


 抵抗を諦めたマーガレットはかたく目を閉じて、だらんと全身の力を抜く。そうして彼女は、仕留められた野生動物の如く、肩に担がれた状態で運ばれることになった。相手の顔を見なくて済んだのは幸いだった。


 どさっと放り投げられたのは無人の部屋のベッドの上で、貞操の危機なるものを感じる暇すら与えられることなく、ブランケットでぐるぐる巻きにされた。……それにより、マーガレットは全く身動きが取れなくなった。つまり、完全に逃げ場を失った。


「さて……どうしましょうか? リリアさまが、そこまでしてまで空を飛んでみたいのならば、このまま窓から吊るしましょうか?」


 暗い声で耳元で囁かれた瞬間に、全身から一気に血の気が引いた。……言っていることが怖すぎる。


「ごめんなさい。もう二度としません」


 結局、恥も外聞もなく()()()は泣いて謝った。

 


 ――楽しい夢だと思ったのに……悪夢だった。だまされた。とリリアは思った。


 



 事の発端は、廊下の真ん中に落ちていた本だった。



 山積み状態で本を図書室から運んできたリリィお嬢さまかキースが落としていったものだろうか……と、最初リリアは考えた。

 本当に何気なく拾い上げようとしゃがみ込んで手を伸ばした瞬間に、目の前が真っ暗になった。


 ふと目を開けて体を起こす。いつの間にか横になって眠っていたらしい。周囲を見回して、ゆるく首を傾げる。締め切った雨戸の隙間から、細く光が差し込んできていた。


「そろそろ時間よ。起きてる?」


 誰かが部屋のドアを順番にノックしている。


「もう朝……?」


 ぼんやりとした声がして、すぐ隣のベッドで眠っていた女性が、起き上がって大きく伸びをする。


「珍しいね、マーガレットの方が先に起きてるなんて」


 あくび交じりにそう言いながら、彼女はベッドからおりて雨戸を開けた。室内の様子がはっきりと見えるようになる。

 そこはよく知っていると言えば知っている部屋だった。子供のころ、使用人のマーガレットはここでおばあちゃんたちと一緒に寝ていたのだ。


「さっさと着替えよ? 遅れるとまた文句言われる」


 リリアは体を捻るようにして、ベッド脇に置かれたタンスの引き出しを開ける。そこには使用人用のエプロンとキャップが、きれいに畳んでしまわれていた。


 ――どうやらここは夢の中の世界らしい。


 何か妙な力が作用しているのかもしれないが、リリアはごく自然にそう理解していた。

 これは夢だから、いずれ覚めるのだ……と。


 


 この夢の世界で暮らすようになって、すでに一週間が経過している。

 夢の中でのリリアは、ガルトダット伯爵家で働くハウスメイドだった。与えられた役柄を即興で演じることなど、リリアにとっては息をするのと同じくらい容易いことだ。故に、周囲の人々に違和感を与えることなく、使用人マーガレットを完璧に演じ切っていた。


 その日、マーガレットは二週間に一度の半日休みを利用して、気晴らしを兼ねて市場に来ていた。店の並びや店主の顔は同じだなと思いながら、買い物客を装いつつ、ぶらぶらと歩き回る。

 何がどうなっているのかよくわからないのだが、夢の世界では伯爵家は没落しておらず、トマスとリリィお嬢さまは非常に貴族らしい生活をしていた。つまり、ハウスメイドであるマーガレットとの接点は全くなかった。

 使用人の数自体が多いので、彼らがマーガレットの存在を認識しているかは疑わしい。兄のキースは園丁見習いをしており、食事の時にちらっと見かける程度だ。

 愛人の子なのだから、使用人として伯爵家に置いてもらえるだけでも過分なる恩情ということなのだろう。


 ……正直、その辺りはどうでもいいのだ。夢だから。


 一部の同僚から強く当たられていると感じることもあったが、社交界で受けた陰湿極まりない嫌がらせに比べれば、全く大したこともなく……マーガレットはひたすら毎日、だだっ広いガルトダット伯爵家の街屋敷を掃除して回っていた。使用人であるがために、掃除をするという理由がなければ自由に館内を動き回ることもできなかったのだ。


「なぁ、お嬢ちゃん、そこでちょっと遊ばないか?」


 夢だからいつ覚めるかわからない。マーガレットは目覚める前にどうしてもやっておきたいことがある。


「無視するなよ、なぁ」


 少し前から、いかにも何か企んでいそうな薄汚れた髭面の男にまとわりつかれている。彼が正面に回ってきた時を狙って、マーガレットはひざ下を容赦なく蹴りつけた。悲鳴をあげて突然蹲った男に周囲の視線が集まる。その隙に男の脇をすり抜けてさっさとその場を離れた。


 リリアには護衛がつけられているが、マーガレットは一人きりだ。自分の身は自分で守らなければならない。……ここには助けに現れてくれる人はいないのだから。


 寂しい気もするが――目を覚ませば会えるのだから問題はない。

 半年に一度しか会えない期間が長かったため、()と離れて暮らすことに、リリアはある意味慣れきってしまっていた。


 ……故に、人生の選択を完全に間違えた。

 



 翌日、伯爵家では豪華絢爛な舞踏会が開かれていた。

 厨房は戦場と化しており、若く見栄えのするメイドは、普段よりも装飾の多いエプロンやキャップを身に着けて、軽食を運んだり、汚れたお皿を下げたりして慌ただしく動き回っている。

 しかし、庶子であるマーガレットは、招待客の目に触れるのは好ましくないということで、裏口でひとり洗い物を命じられていた。……酔った上流階級の人間の相手をするよりずっと楽な仕事だった。


 足音が近づいてきて、目の前に影が落ちる。のろのろと顔を上げると、夜会服を着たアレンが目の前に立っていた。目元が少し赤いから、お酒に酔っているのかもしれない。酔いを醒まそうと外を歩いている内に、ここに迷い込んだという感じだろうか。


「ああ、確かによく似ているね。……使用のように扱われて可哀想に。君も伯爵の娘であることには違いないのに」


 優し気な言葉に聞こえるけれど、……初対面から見下されている。それが許される立場にあるということなのだろうが、その傲慢さがひどく鼻についた。


「私と一緒においで。君にふさわしい場所に連れて行ってあげる。着飾ればきっと美しく光り輝く宝石になる」


 要約すると、『おまえはつまらなくて哀れな存在だが、見てくれはそこまで悪くないから面倒をみてやろう』……と、そんなところだろうか。


 そこまで考えて、マーガレットは手を止めた。

 これはもしかしたら、『愛人の娘だからと周囲から蔑みの目を向けられ、使用人として扱われてきた可哀想な娘が、王子様に手を差し伸べられて幸せへの一歩を踏み出す場面』なのかもしれない。

 ならば、ここは頬を染めて頷くのが正解ということになる。しかし――


「やです」


 止まっていた手を再び動かしながら、マーガレットは笑顔で断った。木桶の中には大量にお皿が溜まっている。次の汚れものが来る前に、拭きあげるところまでやってしまいたい。


「私は特に自分が可哀想だと思っておりませんので、お構いなく。……お帰りはあちら」


 そう言って庭の方角を手で示す。


 しかし、酒と自分に酔っている様子のアレンは、その言葉を、脳内で自分に都合よく変換したようだった。どうやらマーガレットを思慮深く慎みのある娘だと思い込んだらしい。美しい音楽を聴いてひどく心を揺さぶられたかのように目を輝かせて、ふらふらと覚束ない足取りで歩み寄ってくると、跪いて手を差し伸べた。


「怖がらなくていい。何も心配しなくていいよ。私と一緒に行こう。君に似合うドレスを用意してあげる」


 マーガレットは一瞬考えた。ドレスはどうでもいいが、とにかくこの人をどかさないと、洗い物が進まない。仕方がないので神妙な顔で頷いて、エプロンで手を拭いてから、差し出された手に自らの手を乗せる。

 こうなったら、誰か適当な人を見つけてこの迷惑な酔っ払いを押し付けるしかない。付き人は一体何をやっているのだろうか。


 アレンに誘われるままに立ち上がり、明かりも持たないまま、美しく整えられた庭へと足を踏み入れる。館内の窓から洩れる光のおかげで、周囲はぼんやりと明るい。遠くからワルツの調べが聞こえてくる。アレンはかなり酔っているらしく、曲に合わせてふらふら……ふらふら……と、まるで夢遊病者のように足をふらつかせている。踊っているつもりなのかもしれない。

 下手に蹴り飛ばしたりしたら殺人事件に発展してしまうかもしれないので、その選択肢は捨てることにした。――以前酔っ払いを蹴り飛ばそうとして怒られたので。


 さりげなく東屋に誘導して、椅子に座らせる。そのまま背中に腕が回り胸元に引き寄せられ……かけたので、顎に軽く頭突きをくらわせておいた。拘束が緩んだところで体を引き離して、慎重に距離を取る。


「随分酔っておいでですね? お水をご用意いたします」


 優雅に一礼して踵を返すと、マーガレットは酔っ払いをその場に放置して走り去った。

 きっとその内誰かが見つけて回収してくれることだろう。




 ――天気は上々、風もそれほど強くない。


 ついに待ち望んだ日がきたと、マーガレットは感慨深げに、抜けるような青空を見上げた。

 伯爵家の街屋敷を隅から隅まで掃除をして、現状は確認済みだ。

 やはり夢の世界のガルトダット伯爵家の街屋敷の外壁には、外されたはずの梯子も、撤去されたレリーフも残されていた。足をかけられないように窓枠の外側に格子を取り付けられている様子もない。……現実世界では、園丁と優秀な執事の手によって、屋根によじ登れないようありとあらゆる対策を講じられてしまっているのだ。


 これなら……いける。登れる!


 屋根に登って、そこから使用人棟に飛び移って。そんな事を考えながら、マーガレットは最初のレリーフに手をかけた……まではよかった。



 ――そこから、楽しかった夢は一気に悪夢へと変わった。




「だって、ルークさまいなくて寂しかったんだもん」


「嘘ですよね」


 ばっさりと切り捨てられた。ここで正直に嘘だと言ったら、本当に窓枠から吊るされる気がした。


「探す気すらなかったですよね。一人で自由に出掛けられて、楽しかったですか?」


 にっこり笑って尋ねられると……悪寒がした。気付けばブランケットぐるぐる巻きの状態で、泣きながら寒さに震えているというよくわからないことになっている。


「ルークさまだって、わかっていて声をかけなかったんだから同罪ですっ」


 自分のやらかしたことはすべて棚上げして、リリアは真っ向からルークに言い返した。

 ルークは、リリアが市場で男を蹴り飛ばした時点で、『マーガレット』の中身がリリアであることに気付いていたに違いないのだ。その時に声をかけてくれればよかったのに、彼はずっと隠れてリリアの行動を監視していたのだ。試すようなことをするなんてひどいではないか!


「私だけが悪いわけじゃないもんっ」


 勢いでそう言ってしまった直後に、リリアは心の底から後悔した。雪風が吹き荒れている真っ白な氷漬け地獄の幻覚が見えた。……寒い。


「一人で出掛けるのも、屋根に登るのも危険なので絶対にやめてくださいってずっと言っていますよね? この辺りで一度痛い目にあっておきますか?」


 言葉の選び方が恐ろしすぎる。寒さに凍え切ってがちがちと歯を鳴らしながら、リリアは必死に首を横に振った。


「昼日中に使用人の娘ひとりが忽然と姿を消したとしても……特に誰も気に留めたりはしないでしょうしね?」


 リリアの顔の横にルークが手をつき、ぎしりとベッドが不穏な音を立てる。真っ青な顔で震えているリリアを見下ろして、ルークはそれはそれは優し気な表情で微笑むと、真っ青な頬にそっとキスをした。


 どれだけ必死に泣いても謝っても絶対に許してもらえそうになかった。





「こうして、哀れな使用人の娘は盗賊によって伯爵家から誘拐され、船に乗せられて海を渡り、出口のないお城の中で末永く幸せに暮らしました……?」


 図書室から届けさせた年代物の書物に書かれていたのは、そんな荒唐無稽な物語だった。


 ……めでたしめでたしなんだろうか、これ。


 普通に拉致監禁だろう。……と、遠い目をしながら彼は思った。おとぎ話風にして誤魔化されているが、紛れもなく犯罪だ。――なけなしの道徳心と倫理観はどこにいった。


 登場人物は『使用人の娘』と『王子様』と『盗賊』。名前は設定されていないが、当てはまる人物の名前はすぐに思い浮かぶ。


 錬金術関連の本をと頼んだのに、童話が届くというのもおかしな話なのだが、表紙だけ見て判断したのかもしれないなとも思う。重厚な皮の表紙には、金色の六芒星が描かれていて、見たことのない文字が六つの三角形の中にびっしりと書き込まれていた。


 ……どこからどう見ても、怪しい。


 これは、本来なら地下書庫に封印されていなければならない物かもしれない。


 ――ここは呪いと幽霊の国だ。


 祓魔師によって幾重にも封印を施された地下書庫には、悪魔を召喚するための本やら、読んだら死ぬ本やら、人喰いの本やら、喋る本やら、物騒極まりないものが大量に積み上げられて迷路を作っている。

 そこにあるべきものが、どうして今彼の目の前に存在しているのか……それはさっぱりわからない。先を読み進めれば何かわかるのかもしれないが、とてもその気にはなれない。


 読んで後悔する本というものは、この世に確かに存在するのだ。


 結局、この物語に登場する使用人の娘は優先順位を間違えたのだ。ただ、何をどう選択しても行きつく先は同じだったような気がしなくもない。末永く幸せに暮らしたと書いてあるのだから、少なくともどちらか一方は幸せなのだろう……たぶん。


 ――それより、頭突きをくらわされた『王子様』は生きてお城に戻れたのだろうか……


 両手で挟むようにして本を閉じると、彼は天井を見上げて、深いため息をついた。




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