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幕間 キリアルトの憂鬱 その2



 壁際に並べられた椅子に座っているリリアは、ロバートが届けてくれた異国語の童話を一生懸命音読していた。隣の椅子に座っているウォルターが、穏やかな表情でその様子を見守っている。


 ジャラジャラッという金属音が室内に響いて、三人掛けソファーの上に、うつ伏せ状態で転がされていたレナードの目がゆっくりと開く。 

 少しだけ頭を起こしたレナードは、すぐにうんざりした顔になり、力尽きたように肘置きに額を乗せた。だらしなく床に垂れている両手は、鎖のついた手錠で再び拘束されている。


 向かい合う位置にある二人掛けのソファーで本を読んでいたリリィお嬢さまが、音に気付いて、ぱあっと笑顔になる。そして、テーブルの上に開いた状態で置いてあった図鑑を起こしてレナードの方に向けると、無邪気な声で尋ねた。


「ねーねー、レナード、赤ちゃんってどこからお腹の中に入るの?」


 再び少しだけ顔を上げて図鑑を一瞥したレナードが……この世の終わりを見たような顔をして「めんどくせぇ……」とうめいた。


 大きく開かれたページに掲載されていたのは人体解剖図だった。卵のような丸い器の中で膝を抱えて丸まっている胎児の姿が描かれている。


「あ、起きたな。……大丈夫そうだし、俺、閣下から呼び出されてるから行くわ」


「平気そうですね。安心しました。……トマスさまは執務室戻って、当主のお仕事をしましょう。昨日の内に全部ルークさんが片付けといてくれたんで、書類にサインするだけです。簡単なお仕事ですよー、じゃあ、俺、夕食の仕込みの手伝いに行ってきます」


「レナード元気そうだし、ここにいて巻き込まれるのもいやだから、お兄さまお部屋にもどるー。あーやりたくないー」


 ロバートとキースとトマスが、ぞろぞろと居間から出てゆこうとしている。一応レナードの様子が心配だったので、意識が戻るのを確認しておきたかったようだ。


「で、赤ちゃんってどこ……」


「俺に聞くなよ。ウォルターに聞け」


 リリィお嬢さまの言葉を、レナードが強引に遮った。


「ウォルターが、その辺りはレナードの方が詳しいから、レナードに聞きなさいって」


「医者の方が詳しいに決まってるだろうがっ」


「……え? だって、レナード子供いるんでしょう? つまり、どうやってお腹の中に入れるのか当然知ってるんでしょう?」


 何を言っているんだろう? という不思議そうな顔でリリィお嬢さまがレナードを見つめた瞬間――トマスはキースの腕を引っ張って居間から避難した。


「はあぁぁぁぁ?」


 おまえこそ何を言っているんだという顔で、レナードはリリィお嬢さまを見返す。

 ドアを出た所でロバートがぴたりと足を止め、ウォルターは眉間に深い皺を寄せて拳を握りしめた。


 ……あ、リリィお嬢さま、余計な事言ったな、とリリアは思った。室内の空気が一気に張り詰めたのだが、興奮気味のリリィお嬢さまは全く気付いていない様子だ。


「この間、妊婦さんが、騎士団本部に押し掛けてきて大変なことになったって聞いたわよ? しかもレナード、その人に対してルークって名乗ってたって言うじゃない? それはさすがにちょっとどうかと思うわ」


 八歳年下の少女から叱られたレナードは、ほんの一瞬わずかに顔を顰めたのだが、すぐに感情の読めない不思議な笑みを浮かべる。


「……一応聞くが、それ、誰に聞いた?」


「フェレンドルトのおじいさま」


「……そこかよ」


 レナードはがっくりと項垂れた。


「面白おかしく脚色された状態で耳に入るとよくないからって、わざわざ説明しにうちまで来てくれたのよ。……おじいさま泣いてたわよ? 証拠隠滅で大量虐殺が起きる可能性があったって」


 リリィお嬢さまの文句を、レナードは肘置きに突っ伏した状態で適当に聞き流していたが、ふと何かに気付いたように顔を上げた。


「……リリアは、その話、ルークから直接聞いたのか?」


 どうしてそんな事を聞いてくるんだろうと訝しみながら、リリアはしっかりと首を横に振る。


「その日の内に、郵便屋さんが来て全部教えてくれましたよ? その女の人、結局怒り散らして帰っていったって」


 肘を引き寄せて上半身を持ち上げながら、レナードは含みのある笑みを浮かべた。


「なぁ、リリア、それ、本当にルークの子供だったらどう……」


 ゴンッという鈍い音がした。「ぐっ」という苦悶の声と共に、レナードの体がソファーに沈み込む。


「…………それ以上何も言うなよ?」


 いつもの軽薄な雰囲気をかなぐり捨てて、長男が三男を睨みつけていた。ソファーの近くには、彼が投げたのであろう真鍮製の薬入れが落ちている。


「…………下衆が」


 聞いたこともないような暗い声で次男が吐き捨てた。


「可能性としてはゼロじゃねぇだろ。やたらと物投げつけんなよ、子供の教育に良くないだろうがっ」


「……永遠に黙るか?」


「……おまえの存在自体が情緒教育に悪い……消え失せろ」


 目をギラつかせている長男と次男は、背中に深い闇を背負っていた。室内が急に暗くなった気がした。……丁度、日が陰ったのかもしれない。


「ねーねー、そこはもうどうでもいいから、誤魔化さないでちゃんと答えて!」


 そんな異様な空気に気付いていないのか、或いは全く気にしていないのか、我が道をゆくリリィお嬢さまが怒りの声をあげた。拘束された手を持ち上げてレナードは大仰にため息をつく。引き上げられた鎖がジャラリと鳴った。


「まず水銀と硫黄と塩を用意して、混ぜて加熱して冷やすことから……」


「融解してそのまま腐敗しろ」


 地の底から響くような声でウォルターがレナードの言葉を遮った。意味が分からないというように、リリィお嬢さまは目をぱちぱちとさせる。

 次男と三男が睨み合いを始め、声を発するのも躊躇われるような張り詰めた空気が出来上がってしまった。


「その辺にしとけ、ウォルター。どうせ何言っても無駄だ」


 次男に向かってため息交じりにそう言ってから、ロバートは腕組みをしてドア枠に凭れ掛かかり、水色の瞳でリリィお嬢さまを流し見た。


「リリィさまは、さ……」


 ロバートから名前を呼ばれたリリィお嬢さまは、ぷくうっと頬を膨らませながらも、素直に振り返る。


「閣下からその話聞かされた時、どう思ったんだ?」


 目を眇めてロバートがごく軽い口調で尋ねと、リリィお嬢さまは、ふはっと溜めていた息を吐き首を傾げた。


「んー、さすがにそういう嘘つくのはダメなんじゃないかなって思ったわよ?」


「嘘をついたレナードに対しては?」


「…………え? 何か思わないといけないの?」


 心底意味がわからない、という表情をしているリリィお嬢さまを見て、ロバートは困ったような……少しほっとしたような、なんとも言えない複雑な表情になる。


「そこに何か思うようになったらさ、その時に、もう一回同じ質問をしてみるといいぜ……レナードに。ずっと何も思わなければ、それでもいい。本を読んでいればその内正解にたどり着く」


「えー、今、気になるんだけどー」


 眉間に皺を寄せて可愛らしく不貞腐れているリリィお嬢さまを眺めながら、ロバートはふっと優しく微笑んだ。


「もう少しだけ、子供のままでいてほしいんだよ。これは俺らの我が儘なんだけどさ。……な?」


 ――リリアの胸がざわついたのは、その表情がルークとよく似ていたからだ。






 ふとした瞬間にどうしようもなく寂しくなる。そうすると、まるで水の底にいるかのように息が苦しくなってしまう。

 そういう時は、屋根にのぼって空に浮かぶ白い月をぼんやりと眺めた。ルークによって禁止されてしまってからは、使用人頭の最上階にある彼の部屋を訪れた。


 年に数回そこには先客がいて……物憂げな表情でソファーに座って、かつて『本』であった紙の束を眺めていた。

  

 ――つい先日も、何故かそのひとは隠れるようにここにいたのだ。


「錬金術というのは、色々誤魔化すのに便利な言葉なんだ。水銀と硫黄と塩。月と太陽。王と王妃が結婚し、死と再生が繰り返される」


 そんな事を言いながら、ガルトダット伯爵家の図書室に残されていた古い書物と照らし合わせ、バラバラになってしまった頁の順番を差し替えてゆく。

 古い手書きの書物には頁数が書かれていなかった。だから。正解はもう誰にもわからない。

 リリアの見ている前で、頁は何度となく入れ替えられ、元に戻される。いつ終わるとも知れない作業が続けられる……


 それはかつて、この世界に二つとない奥義書だった。謎めいた物語と鮮やかさを失った図版は、『錬金術』の秘術の手順を表しているらしい。

 一般に『錬金術』と呼ばれるものは、ウォルターが、背中に烙印を押されるまでにのめり込んだ『交霊術』とは厳密にいえば全く違うものなのかもしれないが、『仲間内で秘密の組織を作って、古城の地下や、古い神々を祀る古代遺跡などに夜な夜な集まって怪しげな儀式をしている』という点では共通しているのではないだろうか。


「例えば……あの有名な肖像画の中にも錬金術の奥義が隠されていると言われている。王妃の目が緑に描かれているけれど、実際は君が受け継いだその目の色と、同じだったのだそうだよ。国王は最愛の女性の目の色が変えられていることに、最後まで気付くことはなかった」


 リリアの顔を覗き込んで瞳の色を確認すると、そのひとは重いため息をつく。


「……あまり、深入りしてほしくはないんだけどね。でも、何を言っても無駄だろうし」


 そして、窓の外の青空へと視線を移して、淡く微笑んだ。


 ――リリアは心臓の上に手を重ねてあてて、目を閉じた。どうしてか、ひどく胸が締め付けられたのだ。




 チェスをやめた後、時間を持て余したレナードは『カード賭博』と『錬金術』にのめり込んだ。

 さすがに、本気で水銀と硫黄と塩から金を作り出せるとは思ってはいないようだったが、卑金属の見た目を貴金属っぽくして、楽して儲けようとはしていたようだ。未だ捕まってはいないので、メッキを金と誤魔化して売りつけるようなことは多分やっていない……と、信じたい。

 本人曰く、神秘学に傾倒しているような人々とお近づきになるためには、自堕落で倫理観に欠けた人物であることが必要だったらしいのだが……そんなのは後付けの言い訳に決まっていている。

 錬金術で大儲けして笑い止まらないという訳でもなく、確実に、着実に、レナードの借金は膨らみ続けていた。


 ……実際は、賭博師として盛り場を渡り歩きながら、『若返りの秘術』を知るという錬金術師について調べていたようだ。


 レナードからは定期的にリリィお嬢さまとリリアに手紙が届く。その手紙の中に、レナードとリリアだけしか解読法を知らない秘密の暗号が忍ばせてあった。

 若返りのために、お金と時間を惜しげもなくつぎ込めるのは、当然有閑階級の夫人たちだ。情報を得るためには、社交界に出入りできる協力者がどうしても必要だったのだ。


『暗号で指定された人物が、社交の場で誰と親しく話していたか。或いは誰を紹介されていたかを報告すること』


 レナードから頼まれていたのはそれだけだ。調べた結果は、手紙の返事の中にひっそりと隠す。

 ルークは頑なに『半年に一度しか会わない約束』を守り続けていたから、例え薄々気付いていたとしても、直接リリアを問いただすようなことはしなかった。


「錬金術のことはリリィには言うな。あいつは絶対に、現実と虚構の区別がつかなくなる」


 真剣な目をして、レナードがリリアにそう言ったことがあった。

 リリィお嬢さまと錬金術と出あってしまったら最後、怪しげな文献を読み漁り、余計な知識をどんどん身に着け、現実と非現実の区別がつかないまま暴走してキリアルト兄弟を恐怖のどん底に叩き落とすに違いない。そうレナードは確信していた。


 若返りの秘術が()()なのかどうかはわからない。ただ、生贄にされかけたウォルターと同じく、レナードも深入りすれば戻って来られない場所へと向かっていたことは確かだった。

 背中から刺されたのは、これ以上嗅ぎまわるのならば、次は命を取るという警告だったに違いなかった……


「会う度に違う女の人を連れているし、まじめに働く気もなさそうだし。さすがにこの年にもなれば……ちゃんとわかっていますよ?」


 そう言ってしまってから、喪失感と寂しさが胸にこみあげてきて、額をシャツにこすりつけてルークに甘える。ぎゅうっと強く抱きしめてもらえるとほっとする。この手が彼にちゃんと届くことに。


「借金がなければ違う人生を歩んで…………ないですね、きっと」


 残念なことに、リリアには真面目に働くレナードの姿が全く想像できなかった。きっとこの先も彼は放蕩無頼に生きてゆく。


「……ラミアという名前の女性を探しているそうですよ」


 意を決して告げると、ルークの体に緊張が走るのがはっきりとわかった。頭上から深いため息が降ってくる。


「……ウォルターが生贄として捧げられそうになった悪魔です。男の子を攫う化け物とか、或いは若い男性を襲う悪霊とも言われています。名前は違いますが、ラーセテートで信仰されている女神と同じ存在だとも言われています」


 ルークの声が少し低い。……これは怖い話になってゆく気がする。

 一瞬にして眠気はさめた。両手で耳を塞ぎたいがそうすると抱きつけない。。


 レナードが黙っていたのは、怪談めいたことになるとわかっていたら、リリアは絶対に協力しないと踏んだからだろう。


「……女神様なのに、悪魔なのですか?」


「古くから信仰されてきた土着神が悪魔に変えられるというのはよくある話です。聖眼教会の信仰の中では、そのラミアの瞳こそが未来を見通す『聖なる瞳』ということになっていますね。ジョエルの母親が『ラミア』ということになっていたり、色々おかしなところに繋がっているので、リリアさまはこれ以上首を突っ込まないで下さいね。……祓魔師にお世話になることになるかもしれませんよ?」


 明らかにルークは脅しにかかっていた。……そうやって相手の心を縛り付けて支配する。と、いうような事を先程言っていた気がしなくもない。


「関わらないです。お約束します」


 しかし、リリアも今回ばかりは素直にルークの言うことをきくことにした。レナードには申し訳ないが、蹴り飛ばせないものと関わりたくないのだ。


 風に吹かれながら、ぼんやりと遠くを見ていた横顔を思い出す。

 シャツの裾が風に踊っていた。

 会う度に違う香水の香りを纏っていることが、何となく……何となく面白くなかったのだ。他の人に取られたような気がして。

 眉間に皺を寄せてむくれているリリアに気付いても、「お子さまには刺激が強いか」とニヤニヤ笑うばかりで、本当のところは何一つ教えてくれなかった。


「ずっとずっと子供のままで。変わらない関係でいられたらよかった」


 唇から零れ落ちた言葉は、思いが籠りすぎて掠れてしまった。


 ルークが二人の時間を止めるために作ってくれた居心地のいい温室。そこで眠り続けていたお姫様は、鏡に映った自分の姿を見て、背中に美しい翅があると気付いてしまった。

 レナードは、温室からふらりと飛び立った蝶を守るために、外敵すべてを排除するつもりだ。遠くから見守ると決めたのなら、その決断に対してどうこう言う権利など自分にありはしないとわかっている。


 リリアがルークに『兄』であり続けることを求めていたように。

 レナードはリリィお嬢さまとリリアに、ずっと『ちいさな妹』のままでいてほしいと願っていた。


『大人になったら、ずっと一緒にはいられない』


 とうとう現実の時間が、その言葉に追いついてしまった。

 

 レナードは今、あの時リリアと同じ気持ちを味わっているのだろうか。

 それとも、「もう飽きた」といつものように嘯いて、背を向けてしまったのだろうか……


 ――急に大人になってしまった『妹』の姿を見て、少しは焦りや、寂しさを感じてくれたらいいのに。

 


色々ミスがあると思うのですが、更新できるのが今日しかないので、すみません……

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