幕間 キリアルトの憂鬱
ウォルターとレナードはよく似ている。オーガスタが昔そんなことを言っていた。
ふたりとも、趣味に没頭すると周囲が見えなくなって、越えてはいけない領域にまで簡単に足を踏み入れてしまう。
興味のないものには淡泊だが、これとひとつ決めたらのめり込んで執着するというのは、キリアルト家の兄弟に共通している気質、みたいなものなのかもしれない。
ウォルターが交霊会に参加するようになったきっかけは、海難事故で叔父夫婦と双子の従妹を亡くしたことだった。彼は持ち前の探求心からどんどん交霊術にのめり込んでいってしまったのだそうだ。
やがて、知人を介して秘密組織に招き入れられ、そこで麻薬と暴力による洗脳を体験し、最終的には監禁されて生贄として悪魔に捧げられ……かけたところを救出された。
彼が持っている暗示や麻薬に関する知識は、自らの体験から得たものだ。結果的にそれが、クインやエラを暗示から解き放つ役に立った訳だから……何がどこにどう繋がっていたのか、わかったものではない。
今もウォルターの背中には、その時につけられた『生贄の証』が残されている。
そのことをリリアが知ったのは、筋肉の名前を知りたいから、誰でもいいからとりあえず脱げ! と、リリィお嬢さまがトマスとキースを追いかけまわしていた時だった。
居間にはウォルターと、包帯ぐるぐる巻きのルークを見たショックで半泣き状態のリリアだけが取り残されており、トマスとキースは一回の廊下を逃げ回っていた。
二人を追いかけるリリィお嬢さまがうっかり転んで怪我をしないように、ルークが見守り役としてついて回っている。
「絶対にいやだー」
「別にいいじゃない、減るもんじゃなし」
「いやだいやだぜったいにやだーっ」
「じゃあ、お兄さまでもいいから脱いで」
「心がすり減るから、無理!」
「意味わかんない」
「いや、お兄さまは、今のこの状況の意味がわからない」
廊下の方からドタドタという足音と共に賑やかな声が聞こえてきた……と思ったら、再び遠ざかってゆく。
あまり運動が得意ではないリリィお嬢さまの追跡を振り切って逃げ去ることなど、兄二人には造作もないことだろうが、それをやっても根本的な解決にはならない。
リリィお嬢さまはやると言ったらやる。
脱がすと言ったら脱がす。そう簡単に諦めてはくれない。
兄たちはリリィお嬢さまが疲れて果ててお昼寝するまでは、この追いかけっこに付き合ってやるつもりのようだ。お嬢さまが寝ている間に対策を考えればいいし、起きたら全部忘れているということも……ごくたまにある。
「リリア、リリィとキースがいない内に話しておきたいことがあるんだが……」
ウォルターがそう言いながら、未だべそをかいているリリアの前にしゃがむと、少し言いにくそうに切り出した。
「俺の背中には、交霊術の生贄にされかけた時につけられた烙印が残っているんだ。だから、みんなの前でシャツを脱ぐわけにはいかない」
驚きすぎて、一瞬にして涙も引っ込んだ。
「ああなるとリリィは絶対に諦めないだろう? もうすぐロバートが到着するはずだから、それまで時間を稼ごう。リリィが戻ってきたら、図書室に図鑑を探しに行かないかと誘ってみるから、その気になるように、声をかけてみてくれないか? ……それと、背中の烙印の話は二人には内緒にしておいてほしい」
目をぱちぱちしているリリアの肩に手を置いて、ウォルターはそう続けた。
背中の火印がリリィお嬢さまの目に触れれば、『いつどこでだれによって押されたものか』を説明させられることになる。
キースは間違いなく恐怖で夜眠れなくなるし、リリィお嬢さまと『交霊術』なるものが出あってしまったら、怪しげな文献を読み漁って、安易に色々試し、祓魔師を呼ばねばならないような事態を招くかもしれない。
何しろここは、呪われた幽霊屋敷だ。交霊術なるものに頼らなくても、夜になればそこら中幽霊だらけ。怪しげな本に載っている妙な呪文を唱えたり、変な魔法陣を書いたりしたら、それこそ何が出てくるかわかったものではない。
これ以上幽霊が増えると困るだろう? と真顔で問われたリリアは、顔を青ざめさせながら何度も何度も頷いた。ウォルターが冗談を言っているようには見えなかった。
趣味で幽霊について研究している彼が、幽霊が増えるというのなら……きっと増えてしまうのだ。
そして、ウォルターの知り合いの祓魔師は幽霊よりもっと怖い。……顔が。
「ああ、怖がらせてしまったのか、悪かった」
震えながらボロボロ泣いているリリアに気付いたウォルターは、医者としての顔になると、大丈夫だというように、ポンポンと肩を軽く叩いた。
「ダメだな、幽霊が怖いという感覚が俺にはないから。……あと確かにあいつの顔は、怖いな」
苦笑しながらそう言った時だ。
「何でも、いいし、どっちでも、いいから、とにかく、さっさと、脱いで。何で、二人して、逃げるのよーっ」
再び廊下から賑やかな声が聞こえはじめた。リリィお嬢さまはだいぶ疲れてきている様子だ。息が切れている。
「だからイヤなんですっ」
「なんでっ」
「えー、説明いるの、それ……」
「お兄さまでもいい!」
「でもいいって言い方、なんかすごくいや……」
「じゃあ、キース」
「いやだーっ」
「リリィお嬢さま、足元ふらついてますよ。ちゃんと前見て走ってくださいね。転ぶときはまず手をつきましょう」
ルークの言葉が終わって数秒後、「……あっ」というリリィお嬢さまの小さな声がして、不自然に足音が途切れた。
リリアとウォルターは、揃って開け放たれたドアに顔を向けた。
「だから、手…………が、咄嗟に出ないんですね……困りましたね……」
少し間を開けて、憂いを帯びたルークの声が聞こえてきた。
足先を床にひっかけて前のめりにつんのめったリリィお嬢さまは、ルークが抱き留めてくれたおかげで、顔から床に激突しなくてすんだようだ。リリアとウォルターは思わず安堵の息をついた。
リリアの口添えもあって、居間に戻ってきたリリィお嬢さまは図書室に図鑑を探しに行こうというウォルターの提案に渋々同意した。トマスは雲隠れし、危機を脱したキースは、ルークの腕にしがみついて肩を震わせ泣いていた。リリアも反対側の腕にしがみついて泣いた。
ルークは……運動不足が人体に及ぼす影響について真剣に考えていた。このままだと、リリィお嬢さまは転ぶたびに顔から地面に突っ込む。
その後しばらく、リリィお嬢さまは、園丁の監督指導のもとで、顔を打たない上手な転び方の練習をさせられることになった。反射的に手をつけるようになるまでだいぶかかっていたのだが……
――今でもちゃんとできるかどうかは、定かではない。
遅れてしまって申し訳ございません。長くなったので二話にわけます。