幕間 その頃、使用人棟では……
「あれ? 開かない……」
外に出ようとしたらドアが開かなかった。小指の先が通るくらいの隙間があいたところで、外に置かれた家具か何かにぶつかってそれ以上は開かない。全体重をかけるようにして両手でドアを押してみると、ガンっと向かい側の廊下の壁に固いものがぶつかる音がした。
背後から近づいてきた気配に気付いて、ドアノブから手を離して一歩横にずれる。
リリアと交代でドアの前に立ったルークが、片手でそっとドアを押すと、また少し離れた場所からガンッという鈍い音が聞こえてきた。
「倒した家具でドアの前を塞いでいるんだと思います。……脱出する方法はいくつかありますけど、リリアさま、絶対に真似しますよね。なので、開けてもらえるまで大人しく待ちましょう」
ルークはあっさり諦めてドアノブから手を離す。つまりは、廊下の家具を起こすかどかすかしてもらえない限り、外には出られないということだ。
……あ、これはまずいかも。と、リリアは顔を引きつらせる。無意識の内に右腕の付け根を撫ぜていた。何となく肌寒い気がしたのだ。
「と……とりあえず、ルークさま、窓から出ましょう。屋根伝いに屋敷の方に戻れるのではないかと!」
「ここまでやるのだから、当然窓も開かないでしょうね。今夜は鳩がたくさん飛んでいるようですし」
ルークはそのまま三人掛けのソファーに歩み寄り、二つ折り状態で背もたれにかけてあったブランケットを手に取った。
「そこに立っていても、しばらくドアは開きませんよ?」
四つ折りにしたブランケットを座面に置いてから、ドアの前で立ち尽くしているリリアを迎えにくる。そして、びくびくしている少女の脇の下に手を入れてひょいっと持ち上げた。
同じ高さで目が合った瞬間に、リリアは思いっきり顔を背けてしまっていた。これではやましいことがありますと言っているようなものだ。でも、怖くて相手の顔をまともに見られない。
そっぽを向いた状態で持ち運ばれてソファーの上におろされる。壁を見つめながら右手で座面を探り、ブランケットの端をつまんで膝の上まで手繰り寄せた。
どうしようどうしよう……
寝違えてしまった人のように不自然に首を捻りながら、ちらっと横目でルークの表情を伺う。多分怒ってはいない……まだ。
「さて、こういう状況なので…………隠している事、全部お話しして下さいね?」
……ちょっと怒っているかもしれない。
さあっと顔から血の気が引く。指先が冷たくなっている。そろそろ首も痛くなってきていた。
忙しさを理由に何となく見逃されてきていたのだが、ぽっかりと隙間時間ができてしまった。部屋の掃除は行き届いているし、早急に終わらせなければならない仕事は、リリアが地下でお昼寝をしている間に終わっているはずで……
――そうなるともう、尋問以外することがない。
「えっと、ですね、ルークさま、海賊を倒すために……」
「おじいちゃんおばあちゃんたちが寝ているので静かにしましょうね?」
上ずった声で『ドアが開かない部屋でもできること』を提案しようとしたのに、最後まで言わせてすらもらえなかった。殴る蹴るの練習には付き合ってくれないらしい。
頭の上に影が落ちた。リリアは恐る恐る顔を正面に戻す。言い訳も色々準備していたのだが、ルークと目が合った瞬間に全部頭から吹き飛んでしまった。
「私の意識を逸らすために、ヒューゴさまを利用しましたよね。そこまでしてまで隠さなければならないことって一体何ですか?」
リリアに覆いかぶさるようにソファーの背もたれに片手を置いたルークは、感情が全く読めない完璧な笑顔を浮かべている。
視界がどんどん暗くなっていっているような気がする。両手で握りしめたブランケットが小刻みに揺れていた。
「なーんにもかくしてないですよ?」
にっこり笑って、無邪気さを装ってそう答える。
「ほんとうです。かくしごとなんてなにも……」
嘘を重ねるために絞り出した声は、みっともなく震えていた。
大好きな人に嘘ばかりついている。これはルークに対するひどい裏切り行為だ。
罪悪感で息をするのも苦しいくらいなのに、もう後戻りはできない。
――絶対に誰にも言わないと約束した。
今夜はたくさんの鳩が飛び回っている。ここで喋ったことがオーガスタに伝わってしまったら、連帯責任で全員が『雷除け』にされてしまうかもしれない。
(だから言えない……)
自分自身にそう言い聞かせて、下がってきた口角を無理やり持ち上げる。このまま『負けず嫌いで可愛げのない少女』を演じ続けようとしたのに、こつんと額が触れて優しく微笑まれた途端に、決意は揺らいだ。
「あなたがそこまでする価値が、あの男にありますか?」
「例え価値はなくとも、連帯責任という可能性……」
「リリアさまは、『連帯責任』という言葉を、自分自身への言い訳に使っていますよね?」
核心を突かれて、はっと息を飲んだ。
……そんなつもりはない。とは、さすがに言えなかった。
自分以外の誰かのためだと正当化して、自分に対しても周囲の人たちに対しても嘘ばかりついている。今までばら撒いてきた嘘が、いつか手に負えない現実となって戻ってくるかもしれないのに。
ぞっと背筋が凍る。
ほら……向き合う覚悟もないくせに。心の奥底から嘲笑う声が聞こえてきた。罪悪感に押しつぶされそうだ。スカートの上に涙が落ちて丸い染みを作ってゆく。
ルークが背筋を伸ばして体を起こす。咄嗟に袖口をつかんで引き戻そうとしたリリアは、誘われるままに立ち上がって、その腕の中にあっさりと捕らえられてしまった。
頬にふれた指先が、残る涙の跡をくすぐるように逆になぞってゆく。怖くて仕方がないのに、まるで操られているかのように、素直に目を閉じてしまう。
そっと唇が重ねられた。うっかり熱いものに触れてしまった時のように、びくっと大きく体が震える。
「こんな風に、簡単に付け込まれる……」
低くかすれた声が微かに耳に届いて、一度離れた唇が再び重なる。目を閉じた闇の中で、袖を握りしめている手の感覚の方に必死に意識を向けていた。……自分のものではない体温が、まだ怖い。
「オーガスタに知られれば、私も雷除けにされるでしょうね」
目を開けると、ルークは少し困ったような顔でリリアを見下ろしていた。
頭がうまく働かない。体重を預けたまま、もぞもぞと体を横に向ける。胸元に耳を押し当てて、いつものように心臓の音を探す。
「暴力や麻薬を用いなくとも、相手の心を縛り付けて支配することはできます。さすがに心に傷を残すようなことまではしなかったでしょうが、罪悪感を植え付ける。恩を売って見返りを求める。弱みを握って脅迫する。この程度の事はやったはずです。はねのけられるとわかっていて手を伸ばす方が悪いし、『雷除け』にされるから黙っていろというのも脅迫です。ナイフをもらうため交換条件が何だったのかは知りませんが……私には言いたくないことなんですよね?」
ちいさく首を横に振る。両手をルークの背中に回してぎゅうっと抱きしめた。まだ離れたくない。でも、なんだか無性に眠たい。
レナードがリリアの心を縛って都合よく利用したとルークは言うけれど……多分違う。『面倒くせぇ』と文句を言いつつも、彼はいつもリリィお嬢さまとリリアの『お願い』をきいてくれた。
食糧庫に忍び込んだり、トランプのイカサマを教えてもらったり、屋根にこっそりのぼらせてもらったり……
たいていは、大人に見つかったら叱られてしまうような『悪いこと』ばかりだったけれど。
――リリィお嬢さまは、レナードに会えただろうか。
絶対に誰にも言わない。全部黙っている。だから、元気な姿をリリィお嬢さまに見せてあげてほしい。
そう、お願いした。路地裏に倒れていたという話をウォルターから聞かされてから、ずっと……ずっと気にしているようだったから。