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131 王子様たちの大迷走 その3


 中庭に再び静けさが戻ってきていた。


 改めて思い返してみても、「ゆきだるま」をのぞけば、サミュエルは何一つ間違ったことは言っていなかった。しかし、他国の王族完全無視というのは如何なものなのだろうか。

 ちらりとマティアスの様子を確認すると。彼はよちよち歩きの幼児を見守るような表情でサミュエルを見送っていた。ウォルターがリリィに向けるまなざしによく似ているような気がしたから、きっと国際問題には発展しない。


「これでひとり片付いた」


 カラムが、作り笑いを消してぼそりと呟いた。よくわからないが、片付いたならそれでいい。サミュエルにはこの国の安念のためにがんばって踊って頂くとして、さて、話の続きを……と、リリィが兄の方に向き直ろうとしたタイミングで、


「ご報告申し上げます」


 今度は、思いがけないくらい近い位置から全く知らない声がした。一体いつからそこにいたのか、舞踏会の参加者と思しき正装姿の若い男が馬車の傍らに立っている。男はマティアスに小さな紙片を手渡すと一礼した後に立ち去った。

 そこに何か面白いことでも買いてあったのか、メモを一読したマティアスは楽しそうに微笑む。


「ガルトダット伯爵家に匿われているお姫様を迎えに行った王子様が、顔の中心に靴をぶつけられて退散したようだ。鼻の骨が折れているかもしれないとある」


 ……ん? と、トマスとキースとリリィは揃って眉間に皺を寄せた。


 匿われているお姫様というのは、多分クインのことだ。ならば、王子様というのは、ユラルバルト伯爵家の舞踏会でクインを引きずっていた男のことだろうか。わからないが、すでに退散したということなのだからそこはどうでもいい。

 問題は、投げつけられたのが靴だということだ。ルークは絶対に靴を投げない。


「……まさかと思いますが、その靴投げたのってうちの子ですかぁ?」


 唯一声を出せるトマスが、ガルトダット伯爵家代表として恐る恐る尋ねた。


「幽霊の仕業だと本人は言い張っているそうだ」


 ……いや、それはいくら何でも無理があるだろう。

 靴を投げつけたという犯人に心当たりがある全員がそう思った。


「……なら、自己申告の通り幽霊の仕業です。うちの子は、大人しくて恥ずかしがり屋で引っ込み思案なんで、絶対にそんなことはしません!」


 トマスが引きつった笑顔を浮かべながら、普段より少し高い声で言い切った。


 ……それも無理があるだろう。と全員思った。


(やっちゃったものはしかたがないでしょう)


 ガルトダット伯爵家でお留守番をしている、大人しくて恥ずかしがり屋で引っ込み思案な少女は、「殴ったり蹴ったりがダメなら、投げつければいいんでしょう!」と、開き直ったに違いない。どうせ何を言ったって本人は絶対反省しない。早めに意識を切り替えて、中途半端な所で終わっている話の続きに戻ってほしい。


「どうしてこうなっちゃうかなー。どうして誰も止めてくれなかったのかなー」


 いやだから、そこはもう考えても仕方がないから、さっさと先程の話の続きを……と、リリィは兄を軽く睨んで催促したのだが、兄は虚ろな目をして「ヒューゴは無事なのかなー。あの子、絶対色々嫌がらせしてるんだろうなー」などとぶつぶつ言っているし、その隣では、先程一瞬浮上したかに見えたアレンが、重苦しい雰囲気を纏いながら俯いているし、正面を向き直れば、キースが悪夢にうなされているように目を閉じて顔を顰めている。


 ……本当に何だろうこれ。と、リリィは頭を抱えたくなった。どうしてこう邪魔ばかり入るのだろうか。話の続きが気になりすぎて、なんだか背中がムズムズしてくる。ついでに袋の中に熱が籠って暑い。


「死に至る病。と、いうことだ」


 リリィが落ち着きなく何度も座り直していることに気付いたマティアスが、青い目を少し細めて、謎かけのような言葉を口にした。

 リリィはパチパチと瞬きを繰り返してその言葉を数回心の中で繰り返す。

 人が犬に噛まれたとカラムは言った。そして、それは死に至る病……


(……ああ、そういうことか)


 胸の中に暗い影が差し込んだような気分だった。兄が誤魔化そうとするわけだと、リリィは目を伏せちいさくため息をつく。

 

 ――恐水病。


 動物に噛まれることによってかかる病。進行すると水を怖がるという症状が現れる。水を嚥下しようとすると筋肉が痙攣して痛みに襲われるためだ。犬に噛まれたことによって罹患することが多いため、別の名前で呼ばれることもある。


『初期症状は風邪に似る。進行するに従って、幻視や精神錯乱などの症状が現れ、その後、睡状態に陥り死に至る』


 伯爵家の図書室にあった辞典にはそう書かれていた、その一文を今も正確に思い出すことができるのに……マティアスからヒントを与えられるまで、リリィの中では犬に噛まれたことと恐水病が結びつかなかった。

 あれは遠い過去の出来事で……肖像画がボロボロだから、顔も思い出せない。


(お兄さまたち、気にし過ぎなのよ……)


 リリィは目を伏せて苦笑いを浮かべる。……でも、それはもしかしたら、リリィが素直になれず強がってばかりで、本心を隠し続けてきたせいもあるのかもしれない。


『狩猟を趣味としていた先代のガルトダット伯爵は、野生動物に噛まれて恐水病にかかった』


 表向きにはそういうことになっている。病のせいで虫の大群に襲われる幻覚を見た先代伯爵は、突如奇声を発しながら両手を無茶苦茶に振り回しはじめ……議事堂の階段から足を踏み外した。

 その話を聞いた時……リリィは自分でも驚くくらい何も感じなかった。やっと終わったんだ……と、ただそれだけ。


『向こうにとって計算外だったのは、ガルトダット伯爵が公衆の面前で事故死したことでしょう。誰が見てもあれは事故だった。あの愛人騒動でガルトダット伯爵家は没落しましたが、リルド侯爵やリル王女さまの名前に致命的な傷をつけることはできなかった』


 人通りの多い場所で、しかも日中の出来事だったため、目撃者は大勢いた。

 ダニエルが言っていたように、先代の死をもって守られたものもあったのだ。


「病気のせいで狂暴化したのかどうかまではまだわかっておりません。ですが、何かあれば、ガルトダット伯爵家の呪いだという話にはなるでしょうね」


 カラムの言葉は、リリィの胸に重く響いた。ちらりと当主であるトマスの様子を窺うと、兄は話を聞いているのか聞いていないのかわからないようなぼんやりとした顔で星を眺めている。彼はリリィの視線に気付いて疲れたように微笑むと、「まぁ……そうだろうねぇ……」とため息と共にそう言った。

 

「噛まれたら必ず発病するというものでもなかったはずだが」


「だからこそ、呪いという話になる訳です……ここは呪いと幽霊の国ですからね」


「国が違うと考え方も違うということか。……だが、アイザックは、その犬が恐水病にかかっている可能性はかなり低いとみているのだろう?」


 マティアスが余裕ある口調で尋ねる。誰が猟犬に噛まれたのかということまで予想がついている様子だ。カラムはやれやれと肩を竦めて、諦めたように笑った。


「……ないでしょうね。眼つきが正常だった。だから、最初から全部仕組まれていたような気がしてならないんです。先代伯爵の死因が恐水病とされたのも計画の内で、実行するための条件が揃ったのが今夜だった。……そう考えると辻褄が合う」


「ああ、それで珍しくイライラしているのか」


「手のひらの上で踊らされていたかと思うと、腹が立ちすぎて笑えてきます。我々からすれば先を越されたという感じですね。皆考えることは同じだなと」


 カラムは剣の柄に手をやると吹っ切れたように笑った。深く落ち込んでいたはずのトマスとアレンが、さりげなくカラムから距離を取った。……お願いだから、ここで流血騒ぎを起こすのはやめてほしい。誰に切りつけるつもりかはわからないが。


「呪いを利用して一人ずつ王族を抹殺してゆく……神話や古典的な小説の題材としてはありがちだ」


 ……その呪いが自分に全く関係ないものだったら、きっとリリィもマティアスと同じ感想を持った。


「うちの呪いを利用して、国家転覆企てるのやめてほしいんだけどなー。全国民敵に回すのはいやだなー」


 トマスが夜空を見上げたまま、へらっと笑う。


「ガルトダットの呪いは、悪徳貴族を没落させてくれる呪いとして、市民の間で人気になりつつあるようですよ?」


 リリィとトマスとキースは揃って疑いの目をカラムに向けた。ユラルバルト伯爵家の舞踏会直後は、『墓場に住む伯爵が、死神と墓守連れて来て、幽霊騒動を巻き起こした』などと新聞に書かれて、それこそ、何か悪いことが起こればすべてガルトダット伯爵家のせいにされるような風潮が出来上がっていたのだ。……第三王子が思い描いた通りに。


「ユラルバルト伯爵家の悪行が次々と明るみに出ていますからね。人身売買の他にも、ただの水を万能薬だと言って売りつけたり、架空の事業に出資させたり、ガラス玉を宝石と偽ったりとか。その昔、聖眼教会が帝国でやっていたことを、そのままこちらに持ち込んだという感じなんですが、被害者が貴族ではなく『地方都市で慎ましく暮す人々』や『貧しい農民たち』だということで、善良な市民の皆様は義憤に駆られているようでして」


(成程、そういう風に持っていったのか……)


 貴族が清貧に暮らしている市民や農民に対して悪徳の限りを尽くしていたという部分を強調し、人々の怒りを煽った。情報を上手く操作して印象をすり替えたという訳だ。

 こうなると、ガルトダット伯爵家は、ユラルバルト伯爵家という悪徳貴族から市民を守った正義の味方ということになるのだが……それはそれで、何かちがう。


「……あ、あと、ラーセテートの死の呪いが使えなくなったのは、主にアレンさまのせいですから、文句は直接そちらの方にどうぞ」


 今思い出した! というようにわざとらしくそう付け加えると、笑顔のままのカラムはアレンを目で指した。アレンは全く意味がわからないという顔をしているが、リリィには彼が言わんとすることがわかってしまった。

 アーサーがリリィをアレンと一緒にダージャ領に行かせたがったのは、『ラーセテートの死の呪い』を何かに利用するためだったと、そういうこと……


(私たちが『死の呪い』を使って次々に王族を抹殺してゆく……とかいう最悪のシナリオが用意されていたとか……)


 さすがにそれはないと信じたいが……どうだろう。短気で癇癪持ちで、『死神』とまで呼ばれる人だ。


「ですが、私とソフィーからすると、今は大変好ましい状況です。リリィさま、お部屋を整えてお待ちしております。サミュエルさまもピクニックを大変楽しみにされている様子でした。お嬢さまは約束を守れますよね?」


 自分から約束した訳ではないのだが、「逃げるなよ」とまで言われた手前、ピクニックには行かかねばなるまい。サミュエルはきっと嫌々ながらも七曲踊っているだろうから。


 ふと視線を感じて目を上げる。マティアスが興味深そうな顔でリリィの横顔を見つめていた。さぁ答えをどうぞ、とでも言いたげな目だ。

 未だ声の出せないリリィがぎこちなく唇で刻んだ名前を確認すると、マティアスは満足そうに微笑む。




 ――やはり、第一王子が犬に噛まれたのだ。……わざと噛ませた、のかもしれないが。




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