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126 今夜はお城の舞踏会 その9


(私は何も見てない。私は何も見ていない。なにもみていない……ナニモ……)


 リリィは必死に自分に言い聞かせる。ついでに五か国語に変換してみる。一度目なら見間違いで誤魔化せる。だが、これ以上おかしな反応を示せばカラムが不審に思うはずだ。リリィはまだ早鐘を打っている心臓を落ち着かせようと目を閉じる。

 ……ウォルターが戻って来る前でよかった。彼がここにいたなら確実に気付かれた。


(こんな所で、何やってるのよっ)


 最初の衝撃が消え去ると、だんだん腹が立ってきた。リリィは心の中で思いっきり悪態をつく。 

 招待客としてこの場にいるというわけではなさそうだ。


 ――眼鏡をかけていたから、この場にいても怪しまれない従弟を装っている。 


 口の中にあの痺れ薬の苦みが戻ってきたような気分だった。


(……そっか、ルークが眼鏡をかけて前髪を上げてたのって、このためだったんだ)


 ようやくリリィは、フェリシティが犯したという『致命的な失敗』の意味が理解できた。

 第三王子のハロルドは、フェリシティに『ルーク・キリアルト』との結婚許可書を議会で承認させるように命令していた。もし、病弱な王子様の目論見通りに二人の結婚許可書が承認されてしまっていたら……


(キリアルト家は裁判を起こして、フェリシティが議会に提出した結婚許可書のサインが偽造であると証明しなければならなかったんだわ)


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが第三王子ハロルドの目的だったのだ。


 リリィが第二王子妃としてこの場でお披露目されてしまうまで、ガルトダット伯爵家には長女が二人いた。リリィとリリアはよく似ているが、全く同じ顔をしているという訳ではない。しかし、どちらが『長女リリィ』なのかは、あえて曖昧な状態にされていた。……いつでも入れ替われるように。


 それと同じで、ルークとレナードも、どちらがどちらにでもなれる状態になっていたのだ。いや、二人だけではなく、もしかしたら、キリアルト家の兄弟たちは、名前や年齢だけでなく血縁関係すら偽っているのかもしれない。

 この国では髪の色と目の色も登記簿に記載されるので、入れ替われるのはロバートとウォルター、そしてルークとレナードだ。

 ロバートは面倒見がよく先頭を切って歩くタイプだが、外見だけ見るとウォルターの方が年上に見える。そして、従兄弟同士にしては、ロバートとルークは似すぎている。


 ルークの伯父であり、ロバート、ウォルター、レナードの両親であるキリアルト夫妻は、人を驚かせるのが大好きな陽気で明るい人たちだ。夫妻は手掛けていた事業をすべて子供たちに任せて、自由気ままな世界一周旅行を続けている。ここ数年表舞台に顔を出していない。

 キリアルト夫妻に似ているのはロバートとウォルターのどちらなのか……リリィには判断することができない。伯父は髭で顔の下半分を完全に隠しているし、伯母は伯爵家に現れる度毎に髪の色と化粧法が違うせいで印象が安定しない。性格が一番似ているのは長男のロバートだが――そんな風に疑い出したらもうきりがない。


 こうやって今はすべてが曖昧に濁されている。しかし、法廷で名前を呼ばれて返事をした瞬間に、四人の顔と名前は固定されてしまう。


(そこまでしてでも隠さなければならないものがあるってことなのよね……何なのかしら……)


 長男が誰かわからないようにしているということなら、限嗣相続が絡んでいるとも考えられる。

 キリアルト家は商人だが、爵位と全く関りがないという訳ではない。リリィ王女が自らの護衛騎士であったライリーと再婚した際、『リルド侯爵』と『ラーセテート子爵』が与えられているからだ。

 しかし、リルド侯爵の後継者にはルークが指名されている。相続に関してどんな規定があるのかは知る由もないが、リリィ王女の遺言でそうなったのだと聞いたことがあった。


 一方のラーセテート子爵の方は、ガルトダット伯爵家の娘と結婚したアレンに引き継がれることが決まっている。それがアレンが王宮を出るための条件だった訳だが……現時点ですでにラーセテート子爵位が宙に浮き始めている気がしなくもない。


 もしアレンがガルトダット伯爵家の娘と結婚しなかった場合どういうことになるのだろう。

 キリアルト家の誰かが引き継ぐことになるのだろうか。『ラーセテートの死の呪い』とやらを。

 ついでに言ってしまえば、ガルトダット伯爵家の娘と結婚できなかったアレンがどうなるのかもわからない。罰として運河を流されるようだが……問題はその後だ。


 だんだん思考が脇道にそれてゆく。しかも、どちらの爵位にも長男は関係なさそうだった。

 

(……やめよう。頭痛くなってきた。……まだ生きててよかった。……うん)


 リリィはそう自分を納得させて微かに笑う。実はルークかオーガスタによって、すでに息を止められている可能性もゼロではないな……などと、ちょっとだけ思っていたのだ。ルークのフリをしてここで何がしたいのかは全くわからないが、結局は運河を流れる人間がもう一人増えただけのことだ。目的を果たして王宮から無事逃げ出せたとしても、オーガスタが見逃す訳がない。


 まぁ……彼も海賊の末裔だし当然泳げるだろうから問題はない。

 一緒に流れるのはやはり遠慮したい。


(……あ! そうか。母国の方に土地を持っているとか、隠し財産があるとか。そういう可能性もあるのよね)


 それこそ海賊だった頃に世界各国から略奪してきた金銀財宝を無人島に隠していたりするのかもしれない。でも、それを第三王子が狙っているというのは……現実的ではないな。とも思う。


 ……キリアルト家の母国といえば。あの性格が捻じ曲がった青い目の少年は一体どうなったのだろうか。

 もう名前も覚えていないが確か王族だとか言っていたはずだ。何故今になって急にあの時のことを思い出したのかはわからない。リリィは自分の右手にちらりと視線を落とした。


 ――赤黒く染まった女王の駒。


(ルークはレナードがジュースをこぼしたとか言っていたけど、あれ、まず間違いなくレナードの血だった。腕に怪我してたし。……喧嘩でもしたのかしら)


 リリィがお昼寝をしていた間に何があったか、誰も説明してくれなかったのでわからない。伯爵家に遊びに来ていたクラーラが急遽帰国しなければならなくなり、レナードとルークが途中まで彼女を送ってゆくことになった。そして、クラーラに懐いていたリリア拗ねて部屋に閉じこもった。リリィが覚えているのはこの程度だ。


(そういえば、レナードが急にチェスをやめるとか言い出したのも、伯爵家に出入り禁止になったのも、あの日からだった……)


 そんな事をぼんやりと考えていた時だった。キャーという複数の女性の甲高い悲鳴がダンスホールに響き渡った。


(今度は何っ!)


 リリィは心の中で叫びながら、声のした方にばっと視線を向ける。


 ――事件は異国の美男美女が立ち並ぶ辺りで起きていた。


 トマスが男性の腕を容赦なく捻り上げている。その背中に庇われているのは赤い民族衣装を着たキースだ。

 最初から見ていた訳ではないので実際何が起こったのかまでわからない。でも、大体のところはリリィにも想像することはできた。トマスとキースの周囲には、同じ年代の男性ばかり群がっていたから。

 彼等はキースの母親である自称女優に誑かされた男たちだ。キースを一目見た瞬間に彼女の血縁者であると確信し、女優の居場所を教えるように迫ったのだろう。

 カラムの余計な助言のせいで、キースは彼等を無言のまま睨みつけ……その態度に憤慨した男が、暴力をふるおうとしたためトマスが間に入った。そんな所か。


 兄がぱっと手を離すと、男は肩を押さえて崩れ落ちるようにその場で蹲った。トマスが彼に向かって何事かを告げている、取り囲んでいた男たちはいかにも渋々といった様子で立ち去り始めた。……『全員呪ってやる!』とか脅したに決まっている。


 ――そこで終わればよかった。しかし、残念ながら終わらなかった。


 トマスがいきなり、女装しているキースの前に跪いたのだ。兄はキースを見上げて何事か告げると、恭しく片手を取って手の甲にキスを――


(ってお兄さま、一体なにやってんのよーっ)


 リリィは心の中で絶叫する。再び立ち上がりかけたリリィの肩を、今度はカラムとソフィーが二人がかりで押し戻した。

 椅子に座って顔を引きつらせているリリィの視界の中、ふらぁっと貧血を起こしたかのようにキースの体が後ろに倒れる。トマスがその体をしっかりと抱き留めた。……多分鬘が落ちないように。


 リリィからすれば、子供の頃に毎日見た光景だった。ああやって泣いている弟をトマスは毎日慰めていた。だが、今は状況が違う。


 再び若い女性たちの悲鳴がダンスホールに響き渡った。何というのかそれは先程よりずっと悲痛な叫びだった。兄が若い女性の間で人気があるというのは嘘ではなかった。


 何だろう……もう、色々ありすぎて意味がわからない。リリィは死んだ魚のような目になって、兄の奇行を茫然と眺めていることしかできなかった。

 ちらっと宰相の様子を窺うと、子供が見たら泣き出しそうな凶悪な顔でシャンデリアを睨みつけていた。ひどい頭痛に襲われているに違いない。ロバートが昔お土産に持ってきた、異国の悪魔のお面にそっくりだなとリリィは思った。……きっと今頃母も同じ顔をしている。


 そういえば、あの婚約者騒動の時、『キースが女装してアレンと結婚すればすべて解決!』みたいなことを妹が言っていたなーと、リリィは思い出した。


 その時に、兄は思いついてしまったのだ……望まない結婚を回避する方法を。


(……キース……かわいそう……)


 リリィは心の底からキースに同情した。



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