124 今夜はお城の舞踏会 その7
ファンファーレの余韻が消えて、静寂に包まれる。リリィはカラムに付き添われてビーアトリス妃の後ろを歩いていた。とにかく彼女の真似をしていればいいという話だったので、すっと美しく伸ばされた背中だけを見る。そうしないと足が竦んで一歩も動けなくなりそうだったのだ。
等間隔に並べられた豪華な椅子の前でビーアトリス妃が正面を向く。だからリリィも正面を向く。まず視界に入ったのは、金色の光を振りまく宝石のようなシャンデリアだった。
そこはオペラ座のボックス席のように壁に仕切られた空間だった。目の間にはダンスホールに降りるための広い階段がある。立っている状態ではダンスホールにいる人々の姿が見えないように設計されているようだ。いきなり大勢の人々の姿を見ないで済んだのは大変ありがたい。
この国の王族はあまり踊りたがらない。基本的には招待客たちが踊っている姿を上から眺めるだけだ。
エメラルドグリーンの瞳を持つ王族は全員小柄だ。女性の背の方が高くなるため、子供と踊っているような状態になってしまう。他国の王族から失笑されたり揶揄されたりということもあったらしい。
そんな訳で、できるだけ人前で踊りたくないと考える王族たちのために、王宮のダンスホールにはオペラ座のような観覧席が作られた訳だ。
しかし、貴族たちからすれば、王宮の舞踏会は娘を王族に売り込む数少ない機会だ。王子たちが踊らないとなると参加する目的の大半が失われてしまう。そんな貴族たちからの強い要望を受けて、後の時代に観覧席とダンスホールを行き来できる階段が増設された……と、カラムから説明された。
(そのまま後ろに下がって椅子の前で直立不動!)
横目でビーアトリス妃の動きを確認する。彼女に合わせて後ろに下がり椅子の前で背筋を伸ばす。
ボックス席の中央に国王が立ち、その少し後ろに宰相が控える。有名すぎる肖像画と同じ構図だが、王の隣には緑色の瞳をした王妃の姿がない。
国王の右手側には、高官が立ち並び、左手側に王族たちが並んでいる。第一王子、第一王子妃、リリィ、第三王子、第四王子、サミュエルの順だ。それぞれの背後に護衛騎士と侍従か侍女が控えている。
第一王子の背後には、護衛騎士とクリストファー。ビーアトリス妃の後ろには護衛騎士とポリィ。そして、リリィの後ろには、第二王子の護衛騎士であるカラムと第二王子の専属侍女であるソフィーが並んでいる。
下の方から拍手と共にどよめきが湧き上がってくる。ガルトダット伯爵家の長女が、エメラルドを身に着けて、第一王子妃の横に立っているのに気付いた人々の間で様々な憶測が飛び交っているに違いない。……見えなくてよかった。
――今まさに、リリィは第二王子妃としてこの場でお披露目された。
第二王子本人不在の隙を狙って、既成事実が作り上げられてしまった。
アーサーはリリィを第二王子妃とすることを承諾してはいない……絶対に。
彼はリリィをアレンと一緒にダージャ領に送り込むつもりだった。アーサーの中でそれは確定事項だったはずだ。リリィがあまりに必死に泣きながら抵抗するので、考える時間を与えてくれていただけにすぎない。
大丈夫なんだろうか……ちりっと胸の奥が痛む。リリィにはどうすることもできなかったということは、わかってくれるとは思うけれど……嫌われたら、立ち直れない。
確かにリリィはアーサーの横に立ちたいと思ったけれど、何か違う。
呆れられたり失望されたりしたら……どうしよう。
王族たちを見上げて一斉に一礼した招待客たちが、ゆっくりと壁際に移動を始める。
ビーアトリス妃が椅子に座るのを確認してリリィも椅子に腰を下ろす。それでようやくダンスホールにひしめく人々の姿が見えるようになった。
白いドレスを着た今年のデビュタントがエスコート役の男性に手を引かれて入場し、ダンスホールの中央部に整列した。デビュタントたちは二階の王族に向かって一礼し、音楽が流れ、白い蝶がひらりひらりと舞うような美しい群舞が始まる。
しかし……その初々しいダンスに注目している者はほとんどいなかった。ここからは、ダンスホール全体を見渡すことができる。人々がどこに注目しているのか、どの方向を向いているのか非常にわかりやすいのだ。
観覧席を見上げて扇の影で言葉を交わしている者たちもいる。でも、それ程多くはない。
ふと刺すような視線を感じて、リリィはほんの少しだけ首を横に動かす。未だ立っている母方の祖父がじぃぃぃぃぃぃぃぃっと、リリィを見つめていた。リリィと目が合うと、彼は眉間に深い皺を刻みながら『寝てなさい。寝てなさい。寝てなさい』と大きく何度も唇を動かした。まさに呪いをかけているかのようだ。
喋れない状態にしても、まだ安心できないらしい。最悪昏倒させろとかウォルターに命令してそうで怖い。……ヒューゴのせいで苦労したに違いない。
そのウォルターは、ひっそりと隠れるように壁際に立っている。つまり彼は、宰相の主治医ではなくリリィの監視役としてここにいる……
――全く信用されていないということはよくわかった。
リリィが渋々頷くと、宰相は露骨にほっとした顔になって椅子に座った。
(キースが女装させられたのも同じ理由か。私のせいで、ごめんキース……)
リリィは心の中で軽くキースに謝罪しておく。『……誰もこちらを気にする余裕などないだろうし』と、廊下で祖父は言っていたから、きっとオーガスタに頼み込んだのだろう。
馬が走り回れそうなくらい広いダンスホールの片隅、民族衣装を身に纏った選りすぐりの美男美女たちがずらりと立ち並んでいる。その周囲だけ空間がぽっかり空いているから、彼等の様子はリリィの位置からもはっきりと見ることができた。
まさに『美の祭典』といった趣だ。結局はあれも、人々の関心をリリィに集中させないための対策なのだ。
招待客たちはどうしてもそちらに目をひかれてしまうようで、ダンスホールで行われているデビュタントのダンスの方に一応体は向けながらも、首を捻るようにして立ち並ぶ一団を凝視している。
着飾った淑女たちが、開かれた扇で口元を隠しながら身を寄せ合ってひそひそ話をしていた。言い方は悪いが、誰が一番美しいかを投票で決める品評会のようだ。
立ち並ぶ佳人麗人の中には、当然、エミリーとエラ、ジーンとキースも紛れ込んでいた。一際目をひくのはやはりエミリーだ。凛した佇まいが大変美しい。自分のことではないのに、リリィは誇らしいような気持ちになる。「私の友達なの、すごいでしょう!」と自慢したくてうずうずしてきてしまった。
キースもエミリーに負けず劣らず美しかった。……かわいそうに。
優勝は間違いなくエミリーだろう。……アレンも隣に並べておけば完璧だったのに残念だ。
そのアレンはどこにいるのだろうか。きっと女性たちの視線が集まっている先にいるに違いないと見当をつけて、首を動かさないように注意しながらゆっくりと視線を巡らせる。
リリィから見て右手側の壁際、デビュタントたちに完全に背を向けて一点を凝視している女性が集団を作っている。その先に白い儀礼服姿で立っているアレンを見つけた。
(ほら、やっぱり)
彼が真面目に働いていることに安堵した時だ。視線を感じたという訳でもないのだろうが、偶然にもふっとアレンが顔を上げたのだ。
――目が合った気がしてどきりとした。
アレンがとても悲しそうに笑ったように見えたから。
罪悪感めいたものを感じて慌てて視線を外す。鼓動が少し早いような気がした。
『……しばらくの間、私と一緒にダージャ領で暮らしてみませんか?』
そうリリィに告げた時の緊張した声を思い出して、胸が苦しくなる。
(アレンお兄さま、真面目にお仕事しているのに、運河流されるのか……)
無理矢理そんな風に考えて、リリィは感傷めいたものを誤魔化す。あの時もそうだった。『呪われに行けと?』と、返して、すべてを有耶無耶にしてしまった。
『アレンは、絶対にいつか君を好きになるよ?』
予言のようなアーサーの言葉がぐるぐると頭の中で回りだす。
だけど、重たすぎて受け止めきれないから……気付かないふりをする。
時間はどうしたって進んでゆくのだとわかっているのに。子供のままでいたいと駄々をこねている。子供だからまだ決められないのだと我が儘を言っている。それを「仕方がないね」と笑って許してくれる人のことが、やっぱりどうしてもリリィは好きだ。……ここに彼がいれば迷わないのに。
(……寝よう)
目を開けていると余計な情報ばかりが飛び込んでくる。
もう色々考えるのにも疲れ果てたリリィは現実逃避することに決めた。この国の宰相が寝ていろと言ったのだから……寝る。
――憧れのお城の舞踏会は、想像していた以上に美しい世界だった。
星を集めたような巨大なシャンデリアがいくつも吊り下げられた、贅を凝らしたダンスホールに、鮮やかなドレスが大輪の花のように咲き誇っている。黒の燕尾服がドレスの色をより一層引き立たせていた。この光景がみられただけでもう十分満足だ。
もう体力も気力も使い果たした。だからすぐに眠れ…………
(ああもう本当に鬱陶しいわね!)
思わずぐっと手を握りしめて眉間に皺を寄せてしまう。
目を閉じるとはっきりとわかる。ずっと床と椅子が小刻みに揺れているのだ。隣の椅子に座っている王子様がずっと貧乏ゆすりをしているせいで!
一度気になってしまうともうダメだ。視界まで揺れてきたような気がする。馬車に酔った時のようにだんだん気持ちが悪くなってきた。ちらっと隣の様子を盗み見る。第三王子は怯え切った顔でダンスホールを見回している。どうやら誰かを探しているようだ。
見るからに顔色の悪い第一王子に、乗り物酔い状態で血の気が引いているリリィ。その隣には蒼白な顔で怯えている第三王子。そしてリリィの位置からは見ることができないが、第四王子のエドワードも今頃胃の辺りを押さえているに違いない。
つまりは、並んで座っている王族の六人の内四人が蒼白な顔で震えている状態ということになる。……大丈夫なんだろうかこの国は。
諸外国の大使たちが、自国にどういった報告をするのか少し心配になってくる。
デビュタントたちのダンスが終わり曲調が変わる。白いドレスの少女たちと入れ替わるように、紳士淑女がダンスホールの真ん中へと進み出る。
それでも、アレンの前には女性陣の人だかりができているし、いちばん奥の壁際の美男美女の品評会は続いている。
案外、観覧席にいる王族のことなど、誰も気にしていないのかもしれない。
フェレンドルト公爵は母方です。本当にすみません。
あと壁画ではなく肖像画でした……