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123 今夜はお城の舞踏会 その6


 ビーアトリス妃に抱きしめられたリリィは天井を向いて必死に涙を堪えていた。


 ……声が出ない。舌が痺れたようなっていて動かないのだ。


 噛んだ瞬間、頭の中が真っ白になるくらいの強烈な渋みを感じたことは覚えているのだが、すでに味覚は失われたらしく今はもう何の味も感じない。ただ、ビリビリと痺れている。

 最初の衝撃は過ぎ去り、リリィは少しずつ冷静さを取り戻しつつあった。すでに怒る気力も残っていない。……ただただ帰りたい。


「リリィ、だ、だだだ大丈夫よっ! し、しばらく痺れているだけだから、時間が経てばおさまります。毒性もありませんっ。ヒューゴ見ている限り長期間継続的に服用しても問題なさそうですから安心なさいっ!」


 そう早口でまくしたているビーアトリス妃の方が、リリィよりよっぽど余裕を失っていた。


「なんてことするんだっ、いくら何でも可哀想だろっ」


 サミュエルが掴みかからんばかりの勢いで、ウォルターに食ってかかっている。声が大きくなりすぎないように気を付けてはいるが本気で腹を立てている様子だ。

 第一王子は近くの壁に手をついてがっくりと項垂れ、どう事態の収拾をつけようか思い悩んでおり、エドワードはビーアトリス妃とリリィの周囲をおろおろしながら歩き回っている。


 瞬きで涙を散らしてからゆっくりと首を戻し、リリィは虚ろな瞳をウォルターに向けた。


「これが最善だと思ったんだ。……すまない。後で文句はいくらでも聞く」

 

 ウォルターは一度目を閉じて息を吐いてから、怖いくらい真剣な顔で謝罪の言葉を口にした。

 彼はユラルバルト家の舞踏会でのリリィの様子をいろんな人間から聞いていただろうから……今回もリリィが似たような状態に陥るだろうと予測していたのだろう。


「……リリィ……すまん……」


 続いて、宰相である母方の祖父が、荒い呼吸の合間に絞り出すような声でそう言った。リリィは表情を変えることなく、フェレンドルト公爵に視線を移す。

 幼い頃のリリィは、背が高くて威厳に満ちた母方の祖父が苦手だった。しかし、ヒューゴが伯爵家を訪れてリリィを泣かせる度に、公爵自らお詫びのお菓子を持って謝りに来たため、その内全く平気になった。


(おじいさま……前回会った時より縮んだ気がする……)


 相当疲れているのか一気に老け込んでいる。両脇から支えられて何とか立っているという状態だ。リリィを見つめる青い瞳はただただ悲しげだった。


「……ヒューゴと……リリィは……似た所が……ある……から……」


 つまり、社交の場で余計な事を言い出さないように、ヒューゴはこの痺れ薬を『長期間継続的に服用』させられていた……と、いうことなのだ。

 で、それをそのままリリィに使ったと……


「ヒューゴはちゃんとわかって口にしてたろ! 何の説明もなくいきなり食べさせるなんて、騙し討ちと変わらないじゃないかっ」


 宰相に向かってサミュエルが抗議し、ビーアトリス妃は顔色を悪くしながら何度も大きく頷いている。……が、予め説明されていたらリリィは絶対に口を開けなかった。昔からリリィは薬と名のつくものが大嫌いなのだ。


 リリィはやらないと言ったら絶対にやらない。

 飲まないと言ったら絶対に飲まない。

 これまでさんざん苦労させられてきたから、ウォルターは今回こういう手段に出たのだ。


 リリィはゆっくりと手を伸ばすと、くいくいとサミュエルの袖を引っ張る。何だ? と振り向いた彼の目を見つめながら、「ありがとうございます。もういいです」という気持ちを込めて、静かに首を横に振る

 リリィの言い分はサミュエルがしっかり代弁してくれた。もう十分だ。どうしてここまで怒ってくれているのかはさっぱりわからないが、今ここでこうやって揉めている場合ではないということはリリィにもわかる。


「離せ、皺になる」


 冷たくそう言われて、慌ててリリィは摘まんでいた袖を離す。サミュエルはリリィを睨みつけると、くるっと背中を向けてひとりさっさと歩き出してしまった。……余計に怒らせてしまったようだった。

 頭の上でビーアトリス妃がため息をついている。リリィが涙目で見上げると、彼女は青い顔のまま作り笑いを浮かべた。


「気にしないで……あげて……あなたは……おきなさい……できれば……なにも悪くないから……」


 語順が滅茶苦茶なせいで、何を言いたいのかがよくわからない。


「あ、あのね、リリィ」


 低い位置から呼びかけられて今度は下を向くと、両手を胸の前で握りしめたエドワードが「あの……えっと……あのね……」と、目を泳がせながら、何か言いかけてやめてということをくり返し、やがて、意を決したように顔を上げた。


「サミィは、ちいさくて、かわいくて、まるくて、ふわふわしたものが……その……大好きなんだぁ」


 これもまた、よくわからないぞとリリィはパチパチと瞬きをする。


(……あ、つまり、あなたのことが大好きということですね?)


 リリィは、ちいさくてかわいくてまるくてふわふわした第四王子をじっと見つめて小さく頷いた。


 ……ん? という感じに、第四王子が首を傾げる。


 ……あれ? そういう意味ではない? と、リリィも同じ方向に首を傾げる。しかし、確認しようにも今リリィは喋れない。


「……あ……うん。その、サミィは……かわいいものがすきで……ええっと………ちいさくてかわいいものが、すごく……ね、その……すき……だから、……実は、けっこう楽しみにしてて……」


 ビーアトリス妃と同様に第四王子もしどろもどろになって、同じ言葉をくり返しはじめてしまった。


(お兄さんの事が大好きだって、そういうことですよね?)


 わかっていますよ。と、リリィが不思議そうにもう一度頷くと、「えっと、ええっとね……どうしよう、困ったなぁ……」とエドワードが急に焦り出す。


 項垂れたままだった第一王子が、壁から離した手をエドワードの肩に置き、静かに首を横に振った。第四王子はリリィから目を逸らすと、ぎゅっと唇を噛んで俯いた。

 どうやら見当はずれな反応を返していたらしいと、ようやくそこでリリィは気付いたが……何が間違っていたのかわからない。


「……リリィ……会場に入ったら、大人しく寝てなさい」


 ようやく呼吸を整え終えた宰相が、厳かな声でそう命じた。


(目を開けて寝るという特技は持っていないので無理)


 と、リリィは思った。


「……誰もこちらを気にする余裕などないだろうし」


 ぼそりと宰相は付け加えた。……それはつまり、目を閉じて寝てもいいということだろうか。でも、寝るなら帰って自室でリリィは寝たいのだ。


「時間に遅れるぞ」


 廊下の角の手前で立ち止まって待っていたサミュエルが背を向けたままでそう告げる。声に不機嫌さが滲みだしているのだが、ちゃんと待っていてくれているのだから、やはり彼はちいさくてふんわりしたエドワードのことが大好きなのだ。そこは間違っていないはずだとリリィは確信した。


 第一王子が歩き出し、ビーアトリス妃に促されるようにしてリリィも足を前に進める。ちらりと後ろを振りかえると、宰相だけでなくウォルターもついてきていた。老齢の宰相の主治医として側に控えるということなのかもしれない。一人でも多くの身内が近くにいてくれるのなら、こんなに心強いことはない。


 廊下の角を曲がったところで待機していたカラムを含めた護衛騎士と、メイド服からドレスに着替えたソフィーとポリィが合流する。前方にある両開きの扉の前に、一際煌びやかな一団が立って待っているのが見えた。


 中心に立っている国王が、リリィに気付くとエメラルドグリーンの瞳を細めてにこやかに頷く。しかし、その隣にいた第三王子のハロルドは、国王の視線を辿ってリリィに気付いた瞬間、


 ――幽霊にでも会ったかのように顔色を変えた。


 第三王子に会うのは、幽霊騒動で滅茶苦茶になったユラルバルト伯爵家の舞踏会以来だ。だからそういう反応になったのだろうか。……よくわからない。


 突如ハロルドがゆっくりと腕を持ち上げて、第一王子のハーヴェイの顔をまっすぐに指差した。

 何事だろう。と、全員が大きく震える指先に注目する。


「いち、に……」


 第一王子を指していた指先が、横にずれてビーアトリス妃を指した。


 次にリリィを指差して「さん」。その次自分を指して「し」。さらに、エドワード、サミュエルの順番で、「ご、ろく……」と数えると、この世の終わりをみたような顔になって「ろく……なぜろく……ろく……」とうわ言のように繰り返し始める。


 ぱたんと力なく手を下ろすと、第三王子はふらっと貧血を起こしたようによろめいた。傍らに控えていた緑の儀礼服の護衛が慌ててその体を支える。


 沈黙がその場を支配する。あからさまに怪しすぎて……誰も何も言わない。

 忙しなく瞬きを繰り返している第三王子の額からは、尋常ではない量の汗が噴き出していた。

 何を計画していたかは知らないが、六人いるというのは想定外らしい。

 

 ……多いから問題なのか、少ないから問題なのか、一体どちらなのだろう。


「陛下、ちょっと気分がわる……」


 ばっと第三王子が顔を上げたのと、


「これで全員揃ったから行こうか!」


 国王が明るい声でそう言ったのはほぼ同時だった。

 

 護衛騎士が勢いよく扉を開けると、それを合図にして高らかにファンファーレが鳴り響いた。

 

 


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