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122 今夜はお城の舞踏会 その5



「リリィは、泳げるの? 泳げないならあまりオススメしないよぉ?」


 声変わり前の高い声がすぐ隣から聞こえてくる。びくっと肩を震わせたリリィが声の主を振り返ると、大変可愛らしいまんまるふんわりとした王子様がちょこんと隣に立っていた。童話の挿絵に登場するような古典的な宮廷服を着て、長い前髪で目を覆い隠している。外見年齢は十代前半くらいに見えるが、実際はルークより年上のはずだ。


「お花畑……」


「声に出てるよぉ。お疲れだねぇ。災難だったねぇ。大丈夫? 気持ち悪くなぁい?」


 大変失礼な言葉を言い放ったリリィに対して怒る様子もなく、お花畑の王子様は、にこにこ、にこにこ、と、とても感じよく笑っていた。前髪に隠れて目はほとんど見えないが、作り笑いをしている訳ではなさそうだった。彼の纏っている柔和な雰囲気がそう信じさせてくれる。

 

 ――第四王子エドワード。


 エディと呼ばれる王子は曲者揃いの王家の中で一番穏やかな人柄だとトマスから聞いている。故に……酷い胃痛持ちで対人恐怖症気味らしい。よく見れば今も胃の辺りを手でさすっている。

 ようやく話が通じる相手に出会うことが出来た。じわぁっと目に涙を滲ませたリリィを見て、王子様は困ったように笑った。


「うん、泣くと顔が赤くなっちゃうからねぇ。ここはがんばって我慢しようねぇ」


 ゆったりのんびりとした話し方が、混乱気味のリリィの気持ちを少しずつ落ち着かせてゆく。一度深呼吸してからリリィは目を瞬いて涙を散らす。


「……はい」


「うんうん、えらいえらい。リリィはがんばりやさんだねぇ」


 第四王子は大きく頷いて褒めてくれる。彼の身長はリリィの肩くらいまでしかなく声も高い。自分より年下の子供に褒められているようでくすぐったい。笑顔になったリリィを見て、第四王子はほっとした顔になった。


「あのね、僕たちは後から出て行けばいいから、その分ちょっと楽なんだよぉ? 招待客たちは今頃歓談中なんだ。そこに最初から放り込まれるよりは、きっとマシだから、一緒にがんばろうねぇ」


 その言葉通り、にこにこしてはいるが、王子様の顔色はあまり良いとは言えない。胃が痛むのか時折手で強く胃の辺りを押さえている。顔を曇らせたリリィに気が付いて、第四王子は慌てた様子で、


「僕は普段のんびりさせてもらっているからねぇ。どうしても避けられない行事の時だけは、がんばるって決めてるんだぁ。ウォルターからもらった痛み止めもちゃーんと飲んだからね。だから、大丈夫だから心配しないで?」


 その言葉は、リリィの胸にチクリとした痛みをもたらした。よく見ればわかる。お腹をさする手も、そして足も小刻みに震えているのだ。本当は緊張で吐きそうなのかもしれない。


「……ありがとうございます。私、やり遂げます」


 自分より明らか調子の悪そうな王子様からここまで気遣われて、他に何が言えるだろう。リリィはぐっとお腹に力を入れて、精一杯明るく笑ってみせた。


「うん……僕はねぇ、人前に出るのが怖くて怖くて仕方がないんだぁ。でも、何をどう間違ってしまったのか、王子様なんかに生まれちゃったから、息をしている限りはがんばらないとねぇ」


 エドワードの笑顔が僅かに翳りを帯びた。笑った顔以外を見せたことがない。だから『お花畑』なのだと貴族たちは第四王子を陰で嘲笑う。……でも、引きこもって逃げ続けてきたリリィには何となくわかるのだ。きっと、この人はもう、誰の前でも笑顔以外を浮かべられないのだと。


 ――心が弱くて柔らかくて……脆い。


 リリィはアーサーに言われた言葉を思い出す。それがそっくりそのまま目の前の王子様にも当てはまる。


「……お花畑なんて言ってる奴ら、全員運河に流してやりたい。……私も言ったけど」


 とうとう思ったことは全部口に出ようになってしまった。据わった目をして吐き捨てたリリィを見て、第四王子はふっと噴き出した。


「うん。そうだねぇ。想像すると面白いねぇ。でも、リリィは流れちゃダメだよ。溺れたら大変だからねぇ」


 そう答えた声はどこまでも穏やかだった。きっとどんな失礼な事を言われてもこの人は何でも笑って許してしまうのだろう。


 これでリリィは、四人の王子――野心持ち、短気、病弱、お花畑――全員と会った訳ではあるのだが、この中で誰が一番職業『王様』に向いているかと言えば……


「……消去法でゆくとやっぱり野心持ちかなぁ。三番目は論外。なんかやだ」


「うん……声に出てるからねー。そっかぁ……ハロルドすでにそこまで嫌われたかぁ」


「なんか……すごく嫌な人でした。特に眼つきが蛇みたいで気持ち悪かったです」


「うん。気持ちはすごくわかるけどねぇ。思ったこと全部口に出すと危ないから、お外では気をつけようねぇ」


 優しく窘められて、リリィはあっと口元に手を当てる。あまりにも話しやすい雰囲気の人だったために、ごく普通に話しかけてしまったが、相手は第四王子だ。


「僕に対しては別にいいよぉ。畏まられると、僕も緊張しちゃうからねぇ。だから今みたいに喋ってくれた方がいいなぁ」


「……はい。でも、ごめんなさい。気をつけます」


「うん。お外で他の人と話す時は、気をつけようねぇ」


 慰める声はとても優しい。だからこそ余計に落ち込んでしまう。リリィがしゅんと項垂れると、室内に沈黙が落ちた。あれ? とリリィは内心首を傾げる。いつの間にか室内の空気は一変していた。熱弁をふるっていたビーアトリス妃の声も聞こえなければ、熱狂していたメイドたちの拍手も聞こえない。


 ゆっくりと目を上げて周囲を見渡す。全員が……小動物同士の交流を見守るような顔で、リリィと第四王子を眺めていた。

 視線に気付いた第四王子は、怯えた顔になって慌ててリリィの背中に隠れてしまう。リリィは驚きながらも、右、左、と脇腹の辺りを覗き込む。丸っこい王子さまの体はだいぶリリィの体からはみ出してしまっていたため、少しでも自分を大きく見せるために両腕をまっすぐ横に伸ばしてみる。肩越しに振り返ると、王子様は体を丸めて涙目でふるふると震えていた。


 大人の男性に対して使っていい言葉かどうかはわからないが……かわいい。


「へえ…………及第点はあげてもいい。オレは気に入らないけど、エディは気に入ったみたいだから、いじめないでおこうか」


 明確な敵意を感じさせる声だった。入口のドアに凭れかかって腕を組んでいるのは、第四王子とお揃いの豪華な宮廷服を着た青年だった。


「まぁたなんかめんどくさそうなのが……」


 リリィは顔を顰めて思わずため息をついた。せっかく第四王子が心を癒してくれたのに、どうしてこう次々と、よくわからない事を言う人が目の前に現れるのだろうか。


「前言撤回してほしいのか?」


「サミュエル……女の子をいじめちゃダメだよぉ」


 リリィの腕の下から第四王子がちらっと顔を覗かせると、王家の色を持って生まれて来なかった六番目の王子は、見るからに意地が悪そうな笑みを浮かべてみせた。

 彼はエドワードより年下のはずだが、外見年齢は第二王子のアーサーより年上に見える。……第一王子の素顔はまだ見たことがないのでそこはわからない。


「だから、いじめないって……多分」


「あの人が六番目で、五番目がアレンということなのよね」


 声に出すつもりはなかったのに、気付けば口から出ていた。しまったと思った時にはもう遅かった。


「……キミ、頭、大丈夫?」


 バカにしきった目を向けられても、まさにその通りで返す言葉も見つからない。不敬罪で拘禁される前に帰りたい。


「サミィ!」


 第四王子はリリィの腕の下を潜るようにして前に立つと、拳を握りしめて怒った顔で弟を窘めた。それにより、無礼を働いたのはリリィではなく、サミュエルということになった。

 黙って様子を見守っていたビートリアス妃を含めた全員の視線が、一斉に第四王子に集まる。それに気付いたエドワードはびくうっと体を震わせたが、今度はリリィの後ろに隠れることなく、がたがた震えながらもその場に留まり続けた。サミュエルが意外そうに目を瞠る。


「はいはい。……エディがそういうことにしたいなら、それでいい。でも、次はない」


 半分目を閉じて、サミュエルはドア枠に後頭部を押し当てるようにして上を向いた。助かった……とリリィはほっと胸を撫で下ろした。


「うん……思った事をそのまま口に出すのは、よくないわぁ」


 リリィは思わずしみじみとした声でそう言っていた。もしかしたら、思ったことを心の中に留めておくことができない悪い魔法にでもかかっているのかもしれなかった。


「バカなの、キミ」


 そう言った六番目の王子様は顎を上げたまま視線だけを動かして室内を見回し、気まずそうな顔になった。

 ふるふる震えながらリリィを背中に庇っているエドワードも、ビーアトリス妃もソフィーも、メイドや女性騎士達までもが、責めるような目でサミュエルを見ていたのだ。


「何でオレがいじめてるみたいな空気になってるのかが、さっぱりわからん……」


 サミュエルは大きく肩を上下させるようにしてため息をついた。

 ……彼はリリィ同様、思ったことがすぐに口に出る大変素直な人のようだった。






 ――目を開けたまま寝るのが無理ならば、瞼に絵を描けばいい……らしい。


 灰色の儀礼服姿の護衛騎士が等間隔に立ち並ぶ廊下を、第一王子夫妻を先頭にしてリリィたちはゆっくりと歩いていた。


 気にするなと言われても気になる。どうしても気になる。リリィは隣を歩く第四王子の顔を、いけないと思いつつも、ついつい覗き込んでしまう。

 前髪を上げたエドワードの瞼の上には、エメラルドグリーンの瞳が描かれていた。第四王子は薄目を開けて数歩先までの地面を確認すると、目を閉じてしばらく進み、また薄目を開けて周囲と足元を確認するということを繰り返している。


「会場に入ったらちゃんと前だけを見てね。人って一度気になると何度も確認せずにはいられない生き物だから、ちらちら見てるとどんどん注目集めちゃうよぉ? 気になるのはわかるんだけどねぇ。……それとも、緊張してる?」


 薄目を開けた第四王子はリリィを見上げて困ったように笑った。


「すみません……緊張しているというより、あまりに見事なので、つい見入ってしまうんです。この距離から見ても本物っぽいんですねぇ」


「これ、自分では見えないんだよぉ。瞼の上に描かれてるから」


「……成程、見ようとすると瞼を上げないといけない訳ですか」


「うん」


「しっ! 二人とも声が大きい」


 すぐ後ろを歩くサミュエルが体を屈めて苛立った声で二人を叱る。後ろを振り返ったビーアトリス妃が、反省していますというように項垂れている二人を見てくすくす笑い始めた。

 その隣を歩く軍服姿の第一王子は、詰め物をされた結果別人のように丸くなっていた。口の中にも布を詰められているために、声を出すことはできない様子だ。顔色は決して良いとは言えず、目の下の隈もひどい上に、頬袋に木の実をいっぱい詰め込んでいるリスのような顔の形になっている。……絵本の挿絵に描かれた魔物のようだ。不気味としか言いようがない。これは確かにリリアとキースが見たら泣く。


「暑くはないのでしょうか」


 リリィは第四王子に尋ねたのだが、いかにも面倒くさそうに答えたのはサミュエルだった。


「赤く着色された氷水の入った袋で体を冷やしてる。それでも暑いだろうし、口の中に物入ったままなんて、考えただけでも気分悪い。……いつも通り体調不良ですぐに引っ込むつもりだろうな」


「成程、近くで見られると困るの、私だけじゃないんですねぇ」


 第一王子は詰め物で顔を膨らませているし、リリィはリリアと入れ替わっていたことを気付かれる訳にはいかない。そして第四王子は瞼の上に瞳の絵を描いている。全員近くでまじまじと顔を見られると都合が悪い。


「キミ、ちょっと黙ってられない?」


「すみません……魔法にかかったみたいに思った事全部口から出ます。黙って大人しくしているってヒューゴお兄さまと約束したのに、なんでかなぁ」


「バカだからじゃないのか?」


「サミィ!」


 エドワードに窘められたサミュエルは、いかにも不満そうに顔を顰めた。確かに彼だけが怒られるのはおかしい。不敬を働いているのはリリィの方だ。


「……どうしたら口を閉じていられるのでしょうか」


 どうしても口から言葉が出てきてしまう。自分で自分を止める事ができない。泣きそうな顔になったリリィを見て、エドワードとサミュエルは顔を見合わせた。


「リリィは、緊張しているんだよぉ。自分で自分を制御できない状態なんだ。でも、次の角を曲がると、陛下やハロルドがいるはずだから……困ったねぇ」


「まぁ……バカでも緊張はするだろうしな……」


 喧嘩腰だった相手からいきなり同情的な目を向けられると……落ち込む。リリィが暗い表情で俯いた途端に「だーかーら、なんでオレがいじめたみたいなるんだよ」と、焦った声でサミュエルが抗議した。


「リリィ!」


 背後から名前を呼ばれて、リリィははっと振り返る。正装したウォルターが走ってくるのが見えた。その後ろには母方の祖父の姿もある。豪華な衣装に身を包んだ宰相閣下は、数人の文官に背中を押されながら顔を真っ赤にして必死に足を動かしていた。


「ここで座り込んだら、ドレスが皺になるっ!」


 身内の姿を目にした途端に、安堵のあまりその場でへたり込みそうになったリリィの腕を、サミュエルが掴んで無理矢理引っ張り上げる。


「リリィ、口を開けなさい」


 駆け寄って来たウォルターに命じられて、意味も分からずにリリィは口を開けた。


「そのまま飲み込まずに、噛みなさい」


 リリィの口の中に丸薬を放り込んだウォルターは医者としての顔でそう続ける。言われたまま素直に丸薬を噛んだ瞬間……



 ――リリィは思わず声にならない悲鳴をあげたのだった。



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