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121 今夜はお城の舞踏会 その4




 深緑色の落ち着いた色味のドレスが華やかな顔立ちの美女には大変よく似合っていた。


(……脱皮)


 ポリィを伴って部屋に入って来たビーアトリス妃を見たリリィは、もうその言葉しか思い浮かばなかった。まさに蛹が蝶になったという感じだ。


(脱皮というか、羽化?)


 あまりの変貌ぶりに動揺して、失礼極まりない事をぐるぐる考えているリリィの前までやって来ると、麗しき第一王子妃は緑色の目を細めて微笑んだ。


「よく似合っていますよ」


 そう言葉をかけてから、背筋をピンと伸ばして大きく室内を見回す。そして――


「完璧です。素晴らしいわ! 限られた時間の中で最善を尽くしたあなたたちを、わたくしは誇りに思います!」


 ビーアトリス妃は、頭を下げて控えているメイドたちに労いの言葉を与えた。熱量が上がるというのだろうか。室内の空気がぱっと明るくなる。メイドたちの顔付きが一瞬にして引き締まった。第一王子妃の言葉で高揚感と充実感を得た様子だ。

 自信に満ち溢れた美しい横顔を眺めながら、見事な人心掌握術だとリリィは思わず感心してしまった。


 くるっと振り向いたビーアトリス妃から「さあ次はあなたの番よ!」とばかりに目で促され、リリィはたじろいだ。

 ふらつきながら立ち上がり、こわごわ室内を見渡す。


「ええと……綺麗に……して下さり、本当……に、ありがと……うございました」


 誰かと目が合う度に言葉を詰まらせながらそれだけ言うのが精一杯だ。

 リリアが演じていたガルトダット伯爵家のリリィなら……こういった場面でもっと上手く立ち回ることができたに違いない。でも、引きこもりのリリィには、素直にお礼を言うくらいしか思いつかなかった。感謝の気持ちだけはきちんと込めたつもりだ。

 これで大丈夫かと不安げな顔でソフィーとビーアトリス妃を交互に見る。二人がしっかりと頷いてくれたので、リリィは安堵して口元に笑みを浮かべた。


「かわいらしい……」


 ソフィーが手を胸の前で組んで目をキラキラさせている。気付けば、壁際に立つ女性騎士達も周囲のメイドたちも、小動物を見る目をリリィに向けていた。

 カラムとアーサーも毎回そんな感じなので、リリィはこの手の視線を向けられるのにもすっかり慣れた。敵意を向けられるより微笑ましく見守ってもらえる方がずっといいのだが……何故だろう、背中がぞわぞわする。何というのか、愛玩動物を膝に乗せて撫でまわそうと待ち構えている人たちに、取り囲まれているような気がしてならない。逃げ出せないよう見張られているような……


「リリィさまとリリアさまお二人が揃うと、可愛さ倍増なんですよね。お揃いのドレスやアクセサリーを沢山用意しなければいけませんね。お部屋の家具も全部新調いたしましょう。同じものをふたつずつ用意しましょうね。……本当に楽しみですねぇ」


 うっとりした顔でソフィーが不思議な事を言っている。壁際の女性騎士たちが大きく頷き、メイドたちもどこか遠くを見るような目をして口元を緩ませている。

 

 ――お揃いの家具に、お揃いのドレスとアクセサリーとは、一体どういうことだろう?


 疲れているので、難しいことは考えたくないのだが……静電気がどんどん溜まって産毛が逆立つような感じが全身に広がってゆく


「……えっと……舞踏会終わったら、私、帰れるんですよね?」


 不安になったリリィはソフィーに一応聞いてみた。「もちろん帰れますよ」と返してもらえることを期待していたが、ソフィーは微笑を浮かべたまま宙に視線を彷徨わせた。


「あなたは人質なので帰れません」


 ビーアトリス妃はきっぱりと言い切った。その言葉はリリィの右耳から左耳に抜けて行った。最近色々ありすぎたせいで、ガルトダット伯爵家の人間全員、自分にとって都合の悪い言葉を聞き流し、現実から目を背けようとする癖がついてしまっていた。


「やっと手に入れた即戦力を手放してなるものですか! 今日からここがあなたの部屋です。図書室は、明日アイザックに案内してもらいなさいね」


 本は読めるかもしれないけれど、帰れないのは嫌だなとリリィは思った。

 それにしても、一体誰に対する人質なんだろう。没落した伯爵家の引きこもり令嬢であるリリィに、大した価値があるとも思えない。


「あの、人質とは……」


「キリアルトが、結婚してリルド領に引きこもるとか言い出したの。それは、とてもとても困るの。だから、あなたにはここにいてもらいます!」


 ビーアトリス妃は幼い子供に言い聞かせるような口調でリリィにそう説明すると。いたずらっぽくふふっと笑ってみせた。


 ――確かに、ルークは人質に取られたリリィを見捨てたりはしないだろう。絶対に。


(……さようならリルド領)


 リリィは遠い目をして心の中でそっと呟いた。『アレンと結婚した直後に幽霊となって、リルド領の図書室に引きこもる計画』を立てていた頃は平和だった。

 一体どこからリリィの引きこもり人生に狂いが生じたのだろうか。現実逃避ついでにリリィは記憶を探ってみる。例の婚約者騒動のせいだとして、アレンがエミリーと出会って恋に落ちたのが問題だったのだろうか。それとも、アレンがリリアを婚約者に指名した辺りからおかしくなったのだろうか。


 ……いや、違う。そこではない。リリィが初対面でアレンに可愛げのない態度を取って嫌われた。それがすべての始まりだった。あの時かわいらしくにっこり笑って挨拶できていれば、今頃リリィはアレンと一緒にダージャ領で幸せに暮らして――


(ないわね……うん。ないわ)


 当時友好的な関係を築くのに成功したとしても、結局うまくいかなかったに違いない。そんな風に思っている自分に気付いて、リリィはもう戻れない子供時代を惜しむような切ない気持ちになった。


 今思えば……本当に幼い恋だった。何もかも全部が勘違いだった。


 大迷走していた幼い日の自分の姿を思い出すと、頭を抱えて叫びたくなる。さらに、ここ最近、アレンの顔を思い出すとイライラするようになってきてしまった。


(さようなら、幼い私が憧れた素敵な王子様……)


 物悲しい気分を味わいながら、リリィはすべての記憶を無理矢理記憶の底に沈みこませる。しかし、その時ふと閃いたのだ。これはもしかしたら使えるかもしれないと。


「えーっと……私、アレンお兄さまとダージャ領に行かないといけないらしい……」


「行かせないわよ」


 リリィに最後まで言わせることなく、ビーアトリス妃はきっぱりと断言した。そして、椅子に座っているリリィの両手をすくい上げるようにして持つと、真剣な顔をして言ったのだ。


「あなたはアレンよりもわたくしを選んでくれるわよね?」


(いえ、どっちも選びたくないです)


 リリィは反射的に心の中でそう答えていた。さすがにそれをそのまま声に出すことはできなかったため、疲れ切った頭を必死に動かして、当たり障りのない表現を探す。


「あの……ですね……他に選択肢……」


 しかし、遠慮がちな声はビーアトリス妃の耳には届かなかった。


「大丈夫、キリアルトもリリアも一緒ですから不安を感じる必要はありません。リル王女の遺志を継いで、わたくしとあなたでこの王宮に革命を起こすのです! 今に見てなさい。『女は家を守るのが仕事だ』とか『頭のいい女は可愛げがない』とか言うようなやつらに目に物見せてやるわ!」


 リリィの手を開放すると、第一王子妃はぐっと拳を握りしめ高らかに歌い上げるようにそう言った。


「えっと……どうしてそこでリリアの名前が出てくる……」


 リリィの言葉は、メイドたちの拍手によってかき消された。彼女たちは心酔しきった目をビーアトリス妃に向けている。リリィはがっくりと肩を落とした。


 いい加減諦めて現実を受け入れるしかなさそうだった。

 要するに、リリィは再び誘拐されたと……そういうことなのだ。

 リリアもルークと同様に、誘拐され人質に取られたリリィを見捨てたりはできないだろう。


(……ぜんぜん、話が見えない)


 何がしたいのかはわからないが、改革ではなく『革命』という言葉を使っている時点で穏やかではない。何か非常に面倒くさいものに巻き込まれたらしいということはリリィにもわかった。


 第一王子妃は王宮で働く女性たちからの絶大な支持を得ている様子だ。しかも扇動者としての素質もある。


「大丈夫、常にわたくしの後ろに立っていれば何も怖い事は起こりません。後は全部このわたくしに任せておきなさい! 必ずあなたを第二王子妃にしてみせます!」


 メイドたちの「どこまでもついて行きます!」という熱の籠った視線を全身に浴びながら、第一王子妃は使命感に燃える緑色の瞳で未来を力強く見据えていた。どうやらその中でリリィは、第二王子妃という役目を与えられているようだ。


『君はバカじゃない。だから、私を選ぶと確実に茨の道だよ』


 アーサーの声が耳に蘇る。そこには、第一王子妃にこき使われるぞという意味も含まれていたらしい。

 第二王子はリリィをアレンと一緒にダージャ領に行かせたがっていた。「君にとってはその方が楽だよ」と彼は口癖のように言っていたが、その言葉に嘘はなかった。


「……え? ひょっとして、運河流れるのが一番楽なの?」


 リリィは口元を隠して思わず呟いた。



 遅くなって大変申し訳ございませんでした。

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