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14 「がんばって会いにおいで」 その10


 夏の初めだったろうか。アレンとルークがいたから、夏季休暇が始まったばかりの頃だ。

 リリィとリリアは八歳で、ルークと離れて暮らすことに……やっと二人の少女が慣れたあたり。

 イザベラの生家であるフェレンドルト家のピクニックに、ガルトダット伯爵家の子供たちは招かれていた。


 ――伯爵家の子供達全員で出かけた、最初で最後のピクニック。悪夢のようだった一日。


 木陰に巨大な布が広げられていて、様々な料理や焼き菓子が詰め込まれたバスケットが置かれていた。湖畔で着飾った大人たちが談笑している。一際高い声を出しているのが、イザベラよりも濃い金の髪をした、青い目の女性だ。

 イザベラの兄の妻だというその女性は、イザベラに対して友好的ではなかった。伯爵家の子供達をあからさまに見下し、値踏みするような目を向ける一方で、アレンのことは大げさに褒めたたえた。


 イザベラは、実姉やその取り巻きの女性たちと湖畔に置かれたテーブルの周りに座って優雅にお茶を楽しんでいる。彼女は美しい微笑を浮かべて頷きながらも、常に子供たちの様子を気にしていた。

 トマスとアレンは数人の女の子に取り囲まれている。トマスがちらちらとリリアの様子を気にかけるのが不満だったのか、ひとりの大柄な少女が壁のように立ち塞がってしまう。もう二人の姿はリリアから見えない。リリアの前には、従兄のヒューゴが座っている。


「これも食べろ」


「ありがとうございます」


 メイドがリリアの皿に、ヒューゴが指し示した焼き菓子を取り分ける。本当はもうお腹が一杯だ。でも目の前に座る従兄は尊大な態度で食べろと命令してくる。


「どうせ、没落したお前の家ではお菓子もろくに食べられないのだろうからな」


 ヒューゴはそう言って目を細める。リリアはただ頷いて、味ももうわからないお菓子を無理矢理飲み込んでいる。リリアの横にはキースが不思議そうな顔をして座っていた。


 ヒューゴは最初に紹介された時から、リリィとリリアに嫌味しか言ってこなかった。まず二人が一番気に入っている水色のワンピースに文句をつけた。栗色の髪に水色は似合わないと言われて、笑顔がひきつりそうになった。

 リリアは長い髪を緩い三つ編みにして水色のリボンで留めていたのだが、そのリボンも先程、似合わないと無理矢理解かれ、遠くへ投げ捨てられてしまった。リリアが俯く度に髪が顔にかかり、辛そうな表情を隠す。


「仕方がないから今日は一日私が相手をしてやる。没落した家の娘を相手にするようなもの好きはいないだろうからな。その異民族の使用人も私に感謝しろよ。普段なら正しい血筋のものしか招かないのだからな」


 キースは何を言ってるんだこの人はという訝し気な表情を隠そうともしない。リリアはヒューゴと初対面だが、トマスとキースは面識があるはずだ。兄はいつもこんな目に遭っていたのだろうか。


「ありがとうございます」


 何の感情もこもらない声で、リリアはただそう繰り返した。目の前の少年は満足そうに笑うから、これで良いのだろう。

 一体自分はここで何をしているのだろう。ぼんやりとそんなことを思う。……そうだった。イザベラの迷惑にならないように良い子にしているのだ。逆らわず、大人しく笑っていればいい。誰にも文句を言わせないようにお行儀よくしていなければならないのだ。


 リリィお嬢さまは木陰で座って本を読んでいるルークの横で、ブランケットにくるまれて気持ちよさそうに眠っている。ヒューゴに嫌味を言われた途端に、お辞儀だけしてさっさとルークを引っ張って木陰に行き、そのまますぐに寝てしまったのだ。


 アレンとトマスを取り囲んでいる少女たちは、最初ルークにも熱心に声をかけていたのだが、ルークが本に視線を落としたまま完全無視を決めこんだため、ほどなく諦めたようだった。

 トマスはどんな相手だろうと、これが仕事と割り切って笑顔で丁寧に接するし、アレンは誰に対しても分け隔てなく優しい。しかし、リリィお嬢さまとリリアにはとことん優しいルークは、他の少女たちに笑顔ひとつ見せず、目も合わせようとはしなかった。……そのことにリリアはほっとしている。


 ルークは本を開いてはいるが、先程からずっと水色の瞳はリリアとキースに向けられている。

 本当はあちらに行きたい。ルークと一緒がいい。でも、社交でこの場に来ているイザベラに迷惑をかける訳にはいかない。ヒューゴは主催者の息子だ。我慢しなくては。リリアは自分に言い聞かせて無理矢理口角を上げる。


 ヒューゴの背後で、あからさまに人を馬鹿にしているのだとわかる嫌な笑い声が起こる。夏の明るい陽射しを受けてきらきらと輝く湖の側で、日傘をさして談笑する着飾った夫人達。時々イザベラを振り返って扇の陰で何かこそこそ話している集団の中心にヒューゴの母親がいる。彼女がこちらに気付いて近寄って来るのが見えて、リリアは警戒して目を伏せた。


「あら、ヒューゴ、リリアの相手をしてやっているのね」


 甲高く甘えるような不快な声。目を瞑ってすべての感情を心の奥底に沈める。イザベラのように美しく笑っているだろうか。


「はい。誰にも相手をされずかわいそうだったので」


「ありがとうございます」


 目を伏せ、口元には微笑を。


「優しい子に育ってくれて嬉しいわ。せっかくだから仲良くしてしてあげなさい。そうね、あなたの言う通り、他に相手をしてくれる子はいないでしょうからね」


「お心遣いに感謝いたします」


 リリアは立ちあがり、夫人に向けて優雅にお辞儀をする。没落した家の娘はお辞儀ひとつまともにできないと、文句をつけたければ、つけてみせればいい。


「……焼き菓子は美味しかったかしら?」


 少しイラついたような声で夫人が尋ねる。


「はい」


「普段なかなか食べられないでしょうからね、沢山食べて良いのよ。ああ、ガルトダット家は長男のために異民族のこんな子供しか雇えないのね。歴史ある名家が残念なことだわ……不吉な色だこと」


 リリアは目を伏せたままだ。しかし、目の前の女性がとても意地悪な顔をしているだろうことは容易に想像がつく。


「お菓子は十分にいただきました。ありがとうございました」


 リリアが丁寧にそう言うと、「本当に可愛げのない子ね」と聞こえよがしに呟いて踵を返し、湖畔に戻っていった。可愛げのないリリアの悪口を並べ立てて、イザベラを貶めるつもりなのだろう。


「もういいのか。小食だな。ではこの辺りを案内してやる。私は何度か来たことがあるからな。そこの異民族もついてこい」


 目の前に手が差し出される。反射的に体が後ろに逃げた。それを遠慮だと取ったヒューゴは無理矢理リリアの手首を掴む。痛みに顔をしかめそうになるが、必死にこらえる。キースが心配そうな顔で後をついてくる。


 ヒューゴはトマスと同い年の筈だ。リリアとは背の高さが違う。足が速すぎてリリアは小走りになる。お菓子を食べすぎたせいで気持ち悪い。強引に引っ張られているリリアを見兼ねたのだろう。イザベラが駆け寄って来る。


「おかあさま。この辺りを案内していただけるそうです」


「リリア、顔色が悪いわ」


 しゃがみ込んだイザベラが、リリアの頬に両手を当てて顔を覗き込む。


「リリアは大丈夫です、おかあさま。どうぞみなさまのところにお戻りください」


 リリアは泣きたい気持ちを押さえて、必死に笑顔を浮かべる。イザベラはトマスとリリィお嬢さまのためにここに来ている。必死に伯爵家を守っている。だからリリアは絶対に足を引っ張ってはいけない。ヒューゴの機嫌を損なうようなことがあってはならないのだ。


「おまえ、気分でも悪いのか?」


 ヒューゴが戸惑ったように尋ねてくる。


「リリアは大丈夫です。ご案内お願いいたしますヒューゴさま」


「では行くぞ」


 ヒューゴは機嫌よさげに頷くと、またリリアの腕を強く引っ張って歩き出そうとする。リリアは痛みに顔をしかめた。リリアたちの歩調に合わせてゆっくりゆっくり歩いてくれる大好きな人の事を思い出して、目に涙が溢れる。その途端、イザベラがヒューゴの肩に手を置いた。


「リリアは痛がっています。手を離してやって?」


 その言葉にはっとした顔をして、ヒューゴは慌ててリリアの手を離した。気まずそうに顔を背ける。


「リリィとリリアはとても病弱なのです。いつもの発作いつが起きるかわかりません。そろそろ連れて帰ります。……お義姉さま本日はお招きありがとうございました」


 イザベラは凛とした声で周囲にそう告げる。そして、リリアが見惚れてしまうくらいのそれは美しいお辞儀をしたのだ。


「病弱な娘が二人もいると大変ねぇ」


 夫人の言葉に、日傘を差した女性たちがくすくすと嫌な笑い声をあげる。


「王女さまから百合の名を引き継がせていただいた自慢の娘たちですわ。……行きましょう」


 誇らしげな顔で、イザベラは「自慢の娘」という言葉を口にする。王女さまという言葉に夫人の顔が悔し気に歪んだ。その背後でイザベラの姉が顔を背けて肩を震わせ笑っていた。


「リリィを起こしてトマスたちも呼んで来ないといけないわね。リリアはキースと一緒にここで待っていて」


 足早に木陰へ向かったイザベラを見送っていたリリアは、突然ヒューゴに肩を掴まれ後ろに引っ張られた。大きくよろめいて振り返ったリリアを、ヒューゴは唇を震わせながら睨みつける。


「……気分が悪いならここで休んで行けばいい。まだ帰るなっ」


 怒ったようにそう命令すると、再びリリアの右手首を掴んで、その場から逃げるように走り出してしまう。リリアは突然のことに驚きつつも、それでもしばらくは引っ張られるままなんとかついて走っていたが、やはり体格が違いすぎる。すぐに息が苦しくなり足がもつれてリリアは転倒してた。咄嗟に左腕で顔を庇うが、膝に鋭い痛みが走った。


「さっさと立て。行くぞ」


 リリアはうつ伏せで地面に倒れているのに、ヒューゴは両手でリリアの手を引っ張って無理矢理引きずり始める。口を開くと土が入りそうで、リリアは腕で顔を庇いながら必死に痛みに耐える。


「ヒューゴさま! やめてくださいっ。何やってるんですか」


 二人を追いかけて来たキースが叫ぶ。


「リリア!」


 イザベラが振り返って、ずるずる地面を引きずられているリリアに気付く。切羽詰まった声に驚いた周囲の視線が、リリアたちに集まる。夫人たちが悲鳴を上げた。


「ヒューゴ、あなたなにやってるのっ」


 母親の声にはっと我に返ったヒューゴがリリアの手を慌てて離す。


「リリアさまっ」


 耳に馴染んだ声がすぐ背ろから聞こえた。リリアは必死に立ち上がって、


「ルークお兄さまっ、ルークお兄さまっ」


 痛む足を引き得るようにしてルークに駆け寄ろうとするが、うまく走れない。

 息を切らして走ってきたルークが、リリアの小さな体をしっかりと抱きしめる。


「ルークお兄さまっ、ルークお兄さまぁ……」


 リリアはルークにしがみついて泣き出してしまう。


「なんで……」


 茫然としたヒューゴの声。それが次の瞬間怒りに変わる。


「なんでだよっ」


「いたっ。いたいぃっ」


 リリアが泣き叫ぶ。ヒューゴが腕を伸ばし、リリアの髪を掴んで引っ張ったのだ。


「なんでこんな異民族の男にひっつくんだ。今すぐに離れろっ」


「ヒューゴさま、やめてくださいっ。リリア痛がってますっ」


 キースが悲鳴のような声を上げてヒューゴの腕を掴み、リリアの髪から手を離させる。小柄な少年は体当たりするように、妹からヒューゴを遠ざけようとした。それでもヒューゴはルークにしがみついて怯えるリリアに向かって手を伸ばす。肩に向かって伸ばされたヒューゴの手をルークが払った。


「触るなっ」


 普段の彼からは想像できない程の、激しい怒りが込められた声。耳のそばでパンっという軽い音がした。


「おまえ。私を誰だとっ」


 今度は頭の上で先ほどより鋭い音がした。驚いて顔を上げると、ルークの頬が赤くなっている。叩かれたのだ、そう思った瞬間にリリアの頭は真っ白になった。


「いやぁぁぁぁぁっ」


 感情が爆発する。怖い。耳の中で鞭が壁を叩く音が鳴る。


「リリアさまっ」


 絶叫して激しく泣き出したリリアをルークが強く抱きしめる。慌てて駆け寄ってきた数人のメイドたちによって、ルークに掴みかかろうとしていたヒューゴは二人から引き離された。


「大丈夫です、リリアさま。大丈夫ですから」


「もういやっ。ここはいや。ここはキライ。帰る。ルークお兄さまと帰る。かえるの。もういやっ。こんなところにいたくない」


「リリアさまっ。リリアさまっ」


 声の限りに叫び続けるリリアに、ルークが必死に呼びかける。


「もういやっ。きらいきらいきらいきらいだいきらい。ここはこわいっ。ルークお兄さまとかえる」


「……なんでだよ。なんでっ」


 食いしばった歯の間から絞りだすような声。ヒューゴは納得がいかないというように、何度も同じ言葉を繰り返す。


「リリア、リリア、どうしたの? 大丈夫?」


 騒ぎに目を覚まして駆け寄ってきたリリィお嬢さまが声をかけるが、リリアの耳には届かない。少し遅れてリリアの元に辿り着いたイザベラが、しゃがみ込んで膝の怪我を確認する。


「擦りむいているわ。すぐに手当てを」


 地面を引きずられたせいで、リリアの服は土で汚れ、膝には擦り傷ができていた。今は袖に隠れているが、恐らく顔を庇った腕にも傷ができてしまっている筈だ。

 リリアはルークの胸に頭をこすりつけるようにして激しく首を横に振る。


「もういや、もうここはいや……こわい」


 使用人がひとりの紳士を連れて来る。彼は声もなく泣いているキースに気付くと、ちいさな少年を抱きしめて背中を優しく撫ぜた。


「……そうね、帰りましょう。……テオ、リリアを馬車まで運んでくれるかしら、お願い」


 テオと呼ばれたその男性は、キースの頭を撫でからイザベラに託す。

 

「リリアお嬢さま、ほんの少しだけ我慢して下さい」


 リリアの腕の下に手を入れて無理矢理リリアをルークから引き離して抱き上げ、走り出した。


「ルークは彼について行って。リリアのことを頼むわ」


「いやぁっ! ルークお兄さまっ、ルークお兄さまっ」


 リリアが手を宙に伸ばし、また声の限りに泣き叫び始める。


 林を抜けると、馬車の窓を拭いていた年嵩の御者が、泣き叫ぶリリアの声に気付いて、慌てて扉を開けた。先に乗り込んだルークがリリアを受け取ると膝に乗せて抱きしめる。ようやくリリアは叫ぶのをやめて、ルークにしがみついた。


「リリアさま! 何が……」


「すぐに出せる準備を。イザベラさまたちもこちらに向かっているので」


「かしこまりました」


 テオにそう言われた御者は大慌てで、少し離れた場所でのんびり草の匂いを嗅いでいる馬を迎えにゆく。

 

 叫びすぎてコホコホと咳をするリリアの背中をルークが優しく撫ぜる。


「大丈夫。大丈夫ですから。側にいますから」


 ルークは言い聞かせるように何度も何度も繰り返し、リリアの頭を自分の胸に凭れかからせる。咳がおさまるとルークの心臓の音が聞こえてくる。泣いている時に、いつもリリアを安心させてくれる音。

ルークがハンカチでそっとリリアの涙を押さえる。叫び続けた喉も、擦りむいた膝も腕もどこもかしこも痛い。


「ルークお兄さま、いたい……」


 ルークを見上げて掠れた声で訴える。ルークの頬がまだ赤く腫れているから、新しい涙がまた溢れ出しててしまう。


「……ルークお兄さまも、いたい?」


 少し体を起こして、震える指を伸ばす。熱を持つ頬に触れると痛かったのか、ルークの顔が泣きそうに歪む。それでも彼は無理矢理微笑んで、土で汚れたリリアの手を自分の頬に押し当てた。


「リリアさまにこうしてもらうと、もう痛くないですよ」


 その言葉にリリアは安心する。


「……ルークお兄さまがいたくないなら、リリアもいたくないです」


 リリアがそう言って小さく笑うと、大きく見開かれた水色の瞳に涙が溢れ、零れ落ちた雫がリリアの指先を濡らした。リリアは驚きのあまり一瞬すべての痛みも忘れてしまう。


「……私が泣くのはおかしいですね。……ああ、頬が痛い訳ではないですよ?」


 震える声でそう言って、顔を背け袖で乱暴に涙を拭ってしまうと、リリアの耳の辺りを優しく押して、再び小さな体を自分に寄りかからせた。ルークはリリアの頭の上にひとつキスを落とす。夜寝る前にいつも二人にしてくれるように。


「おやすみなさい?」


「大好きです。大切です。……もう、二度と遠くへ連れて行かれてしまわないように」


 頭の上から、優しい声が降って来る。きっとルークは泣いている。慰めなければと思うのに、あたたかい腕の中で頭を撫ぜてもらっているのが心地良くて、リリアは大好きな人の心臓の音を聞きながら目を閉じた。

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