表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
137/177

119 今夜はお城の舞踏会 その2



 王宮のどこかだろうなと思うのだ。……多分。


「違う、そっちは後でいい、出国はこっちが先だ!」


「この書類の続きは今どこにあるんだっ。誰か答えろ」


「おいっ、真ん中のページが抜けてるぞ、ちゃんとこれ確認したのか!」


 殺気立った人々が怒鳴り合っている。……怖いから帰りたい。

 広い部屋に事務的な机が並び、女性タイピストたちの指が目にも留まらぬ速さで動いている。次々に部屋に飛び込んでくる事務官たちは、机の隙間を縫うようにして駆けずり回って必要な書類をかき集めると部屋から飛び出してゆく。


 迎えに来たというカラムによって、フェレンドルト家の紋章がついた立派な馬車に乗せられたリリィは、あれこれ考える間もなくどこかに連れて来られ、どこを歩いているのかさっぱりわからないままここまで連行された。


 ――そして、カラムが椅子を引くから素直に座った。


 訳も分からず椅子に腰を下ろした直後、「今すぐにこれを共通語と自国語に訳しなさい」という声と共に、目の前に差し出されたのは帝国語で書かれた一枚の紙だった。


「それが終わったら次こっち。三か国語に書き直してありますから確認して。間違いがあれば、二重線で消して余白にメモする。誤字脱字がないか見て、数字の確認もしておくように……さすがに字はきれいね。褒めてあげます」


 リリィの傍らに立って書類を捲っているのは、亜麻色の髪を無造作に頭の後ろでひとつに束ねた知的な美女だ。背が高くすらっとした彼女には上等なラウンジスーツがよく似合っている。眼鏡の奥の瞳は美しい緑色だった。


 非常に偉そうな態度と言葉遣いだが、それが許される立場の人なのだ。


 ユラルバルトの舞踏会に参加が決まった頃から、リリィはこの国の貴族たちの名前を必死になって頭に叩き込んだ。王族の肖像画やら有名どころの貴族の顔はすべて覚えた……が、あまりに彼女の姿は肖像画とかけ離れていたので、最初は誰だかわからなかった。


 第一王子の正妃。名前はビーアトリス。


 社交的で明るい美女……と世間一般には認識されている。リリィの聞いた話でもそうなっていた。でも、実物に会ってみたら全然違った。

 まだ名乗ってないし名乗られてもいないが、「お前に名乗る名前などない!」という話ではなく、「周りを見て察しなさい!」ということなのだ。

 時間との戦いだというのは、怒りに任せて叩きつけているようなタイプライターの音からもわかる、余計なことは詮索するな。文句を言わずにさっさと言われた事をやれ。というような無言の圧力に押しつぶされそうだ……もう本当に帰りたい。


「あの、な、ビィ……その……忙しい時に申し訳ないんだが……一応私がその子を預かるようにとアーサーから頼まれているから……返してもらえないだろうか……」


 開け放たれたドアの向こう側から遠慮がちな声がかかる。が、彼女は相手に目を向けることもない。

 リリィが翻訳し終えた紙を、高速でタイプライターを叩いている女性に手渡すと、手が空くのを待ち構えていた事務官から書類の束を受け取り、ざっと目を通してひとつ頷く。そして、事務官に混ざって書類を回収しているメイド服の女性に鋭い声で指示を飛ばした。


「ポリィ、殿下邪魔だからさっさと向こうに持って行って肉付けしておきなさい。口の中にも詰め物をするのを忘れないように!」


「はいっ! 今すぐに!」


 場違いな程明るい声でそう答えた侍女の顔には確かに見覚えがあった。だが、どこで会ったのか思い出している余裕はない。カタカタカタカタと、途切れることなく鳴り続けるタイプライターの音が「余計な事を考えてないでさっさとやれ!」と容赦なくリリィを追い立てる。


「では、出来上がったものから届けて参ります。殿下さぁさぁお着替えいたしましょうね」


 ポリィは集めた書類をきれいに束ねると、所在なさげに立っている第一王子のもとに駆け寄ってゆく。

 野心家で癇癪持ちの小柄な王子様は、今日もフード付きのマントですっぽり全身を隠していた。顔は隠れて見えないが、前回伯爵家に突然やって来た時より格段に血色はいい。だた、あの時よりも背が小さく見えるのは、畏縮しているせいなのか……


「ビィ……だから、その子はアーサーからの預かりもので……」


「オーガスタの許可はもらいました。優秀な通訳の代わりにこき使っていいと言われております! あと、そこにぼーっと立っていられると、邪魔っ!」


 夫のほうに視線を向けることもなく、ビーアトリス妃はぴしゃりと言い切った。一瞬時間がとまったかのように部屋が静まり返ったが、すぐに元の喧騒を取り戻した。


 一分一秒が惜しいのはわかるが、第一王子の扱いが雑すぎやしないだろうか。いや……自分は何も見ていないし聞いていない。手を止めたら絶対に怒られる。

 リリィが確認するよう命じられたのは、今夜の舞踏会に招待された大使や、来賓が持ってきた祝辞に対するお礼の手紙だろうと推察された。外交関連は第一王子の管轄だ。

 つまり、今目の前にある下書き状態の手紙は、舞踏会が終わって来賓たちが国に帰る前に作成し終えて、持って帰ってもらわないといけないものなのだ。

 ……これ、もっと前に片付けておくべき仕事なのではないだろうか。

 リリィはそんなささやかな疑問を持っていたのだが、『優秀な通訳の代わりに』という言葉を耳にした瞬間に気付いてしまった。


 ――こうなった元凶は……リリアだ。リリアがルークを一ヶ月間監禁した影響が出ているのだ。


 ヒューゴが睡眠不足で壊れたのも、ルークが最近帰りが遅かったのも、全部がそこに繋がっている……。


(ここでこき使われても文句を言える立場じゃないってことは、わかった)


 リリィには与えられた仕事をこなす以外の選択肢は用意されていない。迎えに来た馬車がフェレンドルト家のものだったのだから、当然宰相も了承済み……

 視線を感じてふと横を見る。黒いフードに隠された顔はいつしかリリィに向けられていた。敵意のようなものは一切感じられない。一連の話の流れからして多分心配されている。


「……がんばります」


 そう言って小さく頷く。リリアの姉でありヒューゴの従妹であるリリィは、こうなった責任を取らなければならない……の、かもしれない。


「……そうか」


 ため息と共に、小さく頷き返された。そして……


「できないことはちゃんとできないと言いなさい。ここにいる者たちは誰も怒ったりはしないから!」


 第一王子は、今までとは別人のような威厳に満ちた声でそう告げた。その『命令』は部屋の隅々まで響き渡り、室内の全員の耳に届いた。

 急な大声に驚いたリリィは目をパチパチとさせ、はっと気付いて慌てて「……あ……ありがとうございます」と感謝の言葉を述べる。


「さぁ殿下、仕事丸投げして思う存分ひきこもりましたよね? 穴から出てきて働くお時間ですわ」


 書類の確認作業が終わったビーアトリス妃は、顔を上げて夫に体ごと向き直り、にーっこりと微笑んだ。びくうっと第一王子の体が震える。さすがにこの時点でリリィにもこの夫婦の力関係は察せられた。

 第一王子はポリィに促されてとぼとぼと去って行った。これから肉付けされて口の中にも物を入れられて……ふくよかな王子様に変身しなければならないようだ。

 暑いのに大変なお仕事だなぁと、リリィは思わず手を止めて扉から出て行く第一王子を見送った。……命令が浸透しているためか、誰にも咎められなかった。


 遠ざかる小柄な背中を見送りながらぼんやりと考える。


(……やっぱり何かおかしい気がする)


 ルークが『職業としての王様には一番向いている』と第一王子を評価したことが、ずっと心に引っかかっている。そんな人が、自分が生き残るためだけにアレンを生贄に差し出すような真似をするだろうか。


「リリィさま、ここと、ここ、違っています。どちらも女性名詞ですね」


 リリィの背後に立って書類を眺めていたカラムが、肩の上から腕を伸ばして書類の上に人差し指を滑らせる。はっと我に返り指摘された箇所を確認する。普段使わない美辞麗句が多いため、目が滑るのだ。

 二重線で消して訂正し終えると、カラムは「はい、これで完璧です」と言って書類を手に取った。どのタイピストの手があいているのか確認するために大きく室内を見回して……やれやれとばかりに肩を竦める。


「優秀な通訳に普段頼り切っているからこうなる……」


「それは確かにそうなんだけど、意外とヒューゴの不在も大きいの。殿下の面倒をみてくれる人がいなくてね。……そのくらいしか役に立たないけど、いないと結構不便だってことがわかったわね……」


 独り言のような声を拾い上げたビーアトリス妃が、ため息と共にぼやいた。


(……ひどい言われよう)


 リリィは聞き流そうとして「ん?」と引っかかりを感じて手を止めた。頭の中で二度、三度ビーアトリス妃の言葉を繰り返して何が気になったのかを探るが、よくわからない。何だろう……と、首を傾げているリリィに気付いたカラムがにやりと笑った。


「キリアルトに似ていると思いましたか?」


 ああそれか! と、リリィはカラムの顔を見つめながら、すっきりとした気持ちで何度も頷いた。

 ビーアトリス妃の言葉の選び方は、レナードやロバートに対してイライラいる時のルークに似ているのだ。一度そう考えると類似点が次々に目につき始める。眼鏡の形や着ているスーツもどこか似ているような……

 じーっとリリィに見つめられたビーアトリス妃は、照れたように笑って手に持った書類で赤くなった顔を半分隠した。表情が和らぐとがらりと印象が変わる人だ。そこもルークに似ている。


「私は彼を真似することから入ったから、似ているのは当然なのよ。……それが終わったら、これを帝国語に翻訳してちょうだい。安心なさい。即戦力として大変あなたは役に立ってくれています。期待以上だわ!」


 ここは褒められたことを素直に喜ぶべきなのだろう。しかし……


(王宮でのルークって、こんなに偉そうなんだろうか……)


 リリィにはそちらの方が気になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ