表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/177

お詫びの品




「むかしむかし」


「ねーねー、むかしって何年くらい前?」


「百年くらいじゃねーの?」


「ふーん」


「……村はずれの森に」


「どの国のどの領地のどの辺りの村?」


「帝国の童話らしいから、帝国のどっか」


「山沿い? 海沿い?」


「それ重要か?」


 リリィに尋ねる声には不機嫌さが声に滲みだしていた。


「例えば、それが平地の農村だとして、土地が肥沃かどうかで、収入に大きな差が出ると思うのよね。そういうのが、主人公の性格や行動や考え方に影響を与え……」


「村はずれの森に、美しい娘が暮らしておりました」


 リリィの主張はしれっと無視された。


「ねーねー娘って何歳くらい?」


「…………話が全っ然すすまねぇ」


 レナードは苛立った様子でリリィを睨みつけた。


「だから、何歳くらい?」


 ベッドの中でクッションを背もたれにして膝を抱えて座っているリリィは、軽く首を傾げてもう一度レナードに尋ねた。


「十歳から十五歳くらいと仮定しとけ」


 ベッドの端に腰かけて童話を読んでいるレナードは苛立ちを通り過ぎて怒り始めていた。


「その五年ってすごく大きいと思うのよね。十歳と十五歳では、身長も語彙力も全然違うわよ?」


「…………隣を見ろ。リリアが飽きて寝た」


 言われて隣を見ると、リリアはちいさめのクッションを抱きしめた状態ですぅすぅと寝息を立てていた。蝋燭の光を頼りにレナードが読み聞かせているのは、短編童話集だ。しかし、ずっとこんな調子でリリィが横から口を挟むせいで話が全く進まない。


「別に飽きて寝たんじゃないと思うのよね。リリアは朝早いから、夜眠くなるのよ。昼間、お勉強したりお庭で遊んだりして疲れているのよね」


 リリィは、近くに畳んで置いてあったピンク色のブランケットを広げて妹にかけてから、よしよしと頭を撫ぜる。そして、改めてレナードに向き直った。


「見習えよ」


「で……その娘さんって何歳?」


 しばし二人は無言で見つめ合う。蝋燭の光がゆらめくと、影が大きく揺れた。


「昔話に興味持てないなら、さっさと寝ろ」


「お昼寝したから眠くない。おなかすいた。のどもかわいた。レナード何か持ってきて」


 レナードの水色の瞳をまっすぐに見つめて、わがままなお姫様にでもなったつもりで言ってみた。ひくっとレナードの頬が引きつる。

 何かを堪えるようにひとつ深呼吸をすると、レナードは本をぽいっとベッドの上に投げ捨てた。たまたま本の角が当たったらしく、勢いよく跳ね返り床に落ちた。昼間だったら気にならない程度の音だったのだろうが、夜なので響いた。


 びっくっとリリアが体を震わせ勢いよく体を起こす。クッションを抱きしめたまま怯え切った表情で周囲を見回した後、彼女はリリィを見て、レナードを見て……じわぁっとその栗色の瞳に涙を滲ませた。


「な……泣くなリリア、今明かりつけるから、ちょっと待ってろ」


 リリアは目にいっぱい涙を溜めながらも唇をきゅっと引き結んで必死に泣くのを堪えていた……が、その時、不運にもパキッと天井付近で音が鳴ったのだ。この屋敷の幽霊はこういう嫌がらせはしないから単なる偶然だろうが、タイミングが悪すぎた。


「ふ……ふぇ……」


 リリアは、肩を震わせながらそれでも泣くまいと、クッションをぎゅうぎゅうと抱き締めて固く目をつむった。


「レナードおにいさま、りりあはだいじょうぶです」


「呼び捨てでいいっていつも言ってるだろ」


 レナードは関係のない話をして、リリアの気を紛らわせながら、テーブルの上に置いてあった小さなベルを鳴らす。そうしてから、両手を伸ばしてリリアを抱き上げ、曲げた腕の上に座らせた。


「レナード、それ、やめたほうが……」


 リリィが慌てて制止をかけたが間に合わない。同じ高さで目が合った瞬間に、リリアはこれじゃないとばかりに顔を歪ませ、頭を撫ぜようとしたレナードの手を反射的に払ってしまったのだ。


「ご……ごめんなさい……ごめんなさい」


 自分で自分の行動に驚いたように一瞬固まった後、妹は血の気が引いた真っ白な顔でレナードに謝り始めた。


「ちがう。今のは俺が悪い」


 レナードが焦った声で言い聞かせるが、リリアは大きく首を横に振り、クッションに顔を埋めて本格的に泣き出してしまう。

 あーあとリリィは内心ため息をついた。こうなってしまうともう、ルークじゃないと無理だ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 すぐさま部屋に駆けこんできたルークは、水仕事の途中だったらしく、腕まくりをして手袋もはめていなかった。ひったくるようにしてリリアを奪い取ると、彼は生ゴミを見るような目でレナードを一瞥してから去って行った。


「…………で、百年前の帝国のどっかの村に住む、年齢十歳から十五歳の娘さんがどうしたの?」


 床に落ちていた本を拾い上げると、レナードはひとつため息をついて再びベッドの端に腰を下ろす。

 リリィは膝で歩くようにして近寄り、手を伸ばしてよしよしと彼の頭を撫ぜてから、隣に座ってこてんと体を凭れかからせた。


 兄のトマスもそうなのだが、人懐っこいリリアからああいう感じに拒絶されると……仕方がないとわかっていても、かなり心が傷付くらしいのだ。

 リリィは妹にしがみつかれることはあっても、跳ね除けられたことはない。だからレナードの気持ちは想像するしかないのだが……うん、これはつらい。


「夜眠れなくなるなら、昼間ちゃんと起きてろ。……子供なんだから」


 ぽんぽんっと軽く頭を叩かれる。レナードは座ったまま上半身を捻って手を伸ばし、ベッドの上に残っていたピンクのブランケットを手繰り寄せると、ぱさりとリリィの頭の上からかけた。視界が暗くなる。


「レナードが会いに来るの、いつも夜だもん」


 ブランケットから頭を出してぷうっと頬を膨らませると、レナードは少し困ったような顔で笑った。


「大人になってからそういう事は言え。子供はちゃんと夜寝てろ。……黙って帰ったりしない」


 乱暴に頭を撫ぜる大きな手を両手でつかまえようとして、するりと逃げられる。再び頭の上におりてきた手をぱっと押さえようとして、また逃げられる。レナードはむくれるリリィを見下ろして声をあげて笑う。ほっとしたリリィも思わず笑顔になる。そんな他愛もない遊びをしばらく繰り返した後、レナードはリリィの背後に落ちていたブランケットを拾い上げ、今度は体にぐるりと巻き付けた。


「何するのよ!」


 腕を抜こうともぞもぞしながら、リリィは抗議の声をあげる。それには答えず立ち上がって、レナードはリリィが背もたれに使っていたクッションの位置を整え始めた。ブランケットぐるぐる巻き状態で怒っている少女を抱え上げ、頭がクッションの上にくるようにそっとおろすと、部屋を照らしていた蝋燭を吹き消してしまう。一瞬にしてリリィの視界は真っ黒に塗りつぶされた。

 腕が動かせないリリィは上手く寝返りをうつこともできない。


「リリィは寝相悪すぎるんだよ……もう遅いから寝るぞ。明日の朝、起きられなくなる」


 目が慣れていないリリィにはまだ何も見えないのだが、ベッドがギシリと音を立てて沈み込んだことで、レナードが隣に寝転がったのがわかった。

 

「初手e4、d5」


 耳の近くで声がした途端に、頭の中にぱっと格子模様が思い浮かんだ。


「白が黒の歩兵を取る。で、黒が女王を動かすのよね」


「白の騎士をc3へ。黒の女王はa5に一旦退く。そこからどう展開する?」


 歩兵が前に出て、白と黒の騎士が動く。黒の女王が睨みを利かせている。

 そこは動くべきではない。そう動かすとキャッスリングの権利を失う。そんな解説を聞いている内に、脳が疲れてくる。疲れてくると眠くなる。何度も欠伸を噛み殺していると「眠いなら寝ろ」という呆れ声と共に、隣で体を起こす気配があった。


「ねると、れなーどかえっちゃうもん。で、せっせとしゃっきんつくるー」


 目を擦りたいのに、腕を動かせない。リリィが不満そうに小さく体を揺らしていると、肩を押さえられ「明日もここにいる。……おやすみ」という優しい声が耳に届いた。


 起きている時はそういう声は聞かせてくれないくせに。リリィは半分寝ながら、拗ねた気持ちになって唇を尖らせた。


 額に、閉じた瞼の上に、唇がそっと押し当てられて離れてゆく。頬に触れている手を捕まえたいのに、もう眠くて指一本動かせない。


 大人になったら、もっと遅い時間まで起きていられる。きっと、どんなに夜遅くにレナードが伯爵家を訪ねて来ても、一番に気付いて出迎えることができる。

 そうすればきっと……寂しくないから。

 


 ――だから、もう少しだけ待っていて?




お詫びの品が遅れるという……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ