116 幽霊と墓守と死神 その6
大遅刻です。申し訳ございません。
後で面倒なことになったら、ヘイゼルとマノンは幽霊だったということにしてしまおう。……ここは呪われた幽霊屋敷なのだから。
リリアの護衛についていた隊員に第二王子の部屋の警護を命じてから、ルークは三階の自室へと向かう。当然のように一緒についてきたリリアは、階段をのぼる間不安そうな表情で軍服の左の袖口の辺りをぎゅっと握りしめていた。
「お着替えをされるのですか?」
「執事が軍服を着ているのはおかしいでしょう?」
怖がりな少女のために、室内のランプすべてに火を灯す。 室内が昼間のように明るくなると、リリアは元気を取り戻した。
「お手伝いするのです!」
勝手知った様子で次々に引き出しや戸を開けて、シャツや手袋などを集め始める。……ここはリリィとリリアの部屋でもあるらしいので、彼女たちがどこに何があるのかを完璧に把握していても何ら不思議はない。
「泥がついていないか確認しておいてもらえますか?」
着替え一式と交換で、ルークは脱いだ黒い上着をリリアに手渡した。洋服ブラシをかけてもらっている間に、手早く着替えを済ませる。
「終わりましたよ」
背中を向けているリリアに声をかけるが、集中していて聞こえていないのか、彼女の手は止まらない。
「リリアさま?」
驚かせないように声をかけてから歩み寄り、ブラシを握る小さな手を両手で包み込む。リリアはびくうっと大きく肩ふるわせ、怯え切った顔でルークを振り返った。
――ああ、そういうことだったのかと、その時ようやく気付いた。
リリィのように隠してしまう訳でもないのに、いつも、小さなサインを見逃してしまう。
半年に一度しか会えないから、声に出しても届かなかった。沢山の言葉を飲み込んで諦め続ていたせいで、リリアは伝えるか伝えまいか迷った時に『言わない』を選択してしまいがちだ。
彼女が言葉にできない気持ちすべてを、ルークが察することができればいいのだけれど、忙しいとどうしても見落としてしまう。
――だからいつも寂しい。
力の抜けた手から洋服ブラシを抜き取って、元あった場所に戻す。ぼんやりとした様子で立ち尽くしている少女を、すくい上げるように抱き上げてソファーまで運んだ。ソファーに座ったルークの膝の上に横向きに乗せられたリリアは、驚きを隠せない様子で大きく目を瞠る。
……怒る? 怒るの? とでも言いたげな不安そうな目を向けてくるので、「怒らないですよ」と努めて軽い口調で告げる。
リリアは一旦は安堵したように体の力を抜いた……が、ルークが顔を近付けて栗色の瞳を覗き込んだ途端に、警戒と緊張で彫像のようにかたまった。
栗色の瞳は、昔はもっと低い位置にあった。そんな事を思い出しながらこつんと額を合わせると、みるみるリリアの頬が赤く染まる。子供の頃は同じ事をしても平気で笑っていたのに、今はぎゅっと目をつむって、どうしていいのかわからないというように狼狽えている。
少しだけ顔を離して、真っ赤な顔をじいっと見つめる。しばらくするとリリアは居心地悪そうにそわそわし始め、いかにも恐る恐るといった感じで瞼を持ち上げた。
先程よりは少し距離があるけれど、それでも普段よりもずっと近い位置で目が合う。負けず嫌いな少女は、恥ずかしがりながらも水色の目をまっすぐに見つめ返した。先に目を逸らしたら負けだとでも思っているような気がする。……そういう勝負をしている訳ではないのだが。
「本当は、すごく、怖かったんですよね? ……幽霊が」
ルークが優しく確認するように問いかけると、リリアの瞳が揺れた。
リリアが強気な言動を繰り返していたのは、そうしないと心が恐怖に負けてしまいそうだったからなのだ。『海賊を倒すのです!』と宣言することで、彼女は自分の心を必死に奮い立たせていた。本当は怖くて怖くて仕方がないのに、クインとエラを守るために、彼女は必死で立ち向かった。ジョエル……ではなく、幽霊に。
視線を彷徨わせながら、リリアは唇を震わせて何か言おうとして、やめて、また考え込むということをしばらくの間繰り返す。やがて、喉の奥に何か引っかかっているような掠れた声を絞り出した。
「…………幽霊は怒らせてはいけないのです。怒らせると怖いのです」
「そうですね」
落ち着いた声でルークが同意すると、リリアは胸のつかえが取れたような顔で笑って、こてんとルーク体に凭れかかった。空気ごと包み込むようにゆるく抱きしめる。
「嫌な事を思い出したりはしませんでしたか?」
続けてそう尋ねると、リリアは首を横に振った。
「……あのね、幽霊は怖かったけど、あの人は、怖くなかったのです。……幽霊に比べたら全く大したことなかった。だからもう忘れてしまいました」
表情から暗い翳りのようなものが消え失せ、普段の調子を取り戻してゆく。栗色の瞳がきらきらと輝き始めた。海賊を倒すのだと、高らかに宣言する時のように。
「ルークさま、私、すごくすごーくがんばったのですよ? お姫様たちのために、見事『わるもの』を退治してみせたのです。……だから、怒ってはダメなのです」
結局最後はそこに辿り着くのだなと笑ってしまう。ゆっくりと体を起こしたリリアは嬉しそうにルークを見つめた。
「よくがんばりました。見事に鼻に命中しましたね……靴が」
「……投げたのは幽霊だもん」
リリアはもごもごと口の中で言い訳しながら、落ち着きなく視線を彷徨わせる。再びこつんと額を合わせると首を竦めて目を閉じた。
「か、雷避け~」
「その前に鮫の餌ですね」
「…………ごめんなさい投げました」
観念したようにリリアはとても小さな声で白状した。……怒るよりもこうする方がずっと効果があるようだ。
「そこは本当に怒っていないです。私だけでなく、あの場にいた全員、胸がすっとしたことでしょうね」
靴底が顔面にめり込んだ結果、ジョエルの神秘性は完全に剥ぎ取られた。鼻は腫れあがっているだろうから、骨が無事かどうは、医者に診てもらうまでわからない。今頃不安で気が狂いそうになっていることだろう。
「その内海に投棄させる人間のことはどうでもいいんです。……それより、リリアさま、私に隠していることが色々ありますよね?」
そう告げた途端に逃げようとする気配があったので、肩と腰に腕を回して引き戻す。仰向けに倒れかけたリリアは焦って足をばたつかせた。膝下に腕を差し入れ、反対の腕で背中を支えて体を起こしてやると……一番最初の態勢に戻る。あれ? というように、ルークの膝の上で横向きに座ったリリアは首を傾げた。
「確認しておきたいことがあるんですが、リリィお嬢さまのお部屋にあった、水色のリボンの箱って……」
「知らないのです見たことないです預かってもないのです」
リリアは、最後まで言わせまいとするかのように、一息に言い切った。ルークは目を細めて感情の読めない笑みを浮かべる
リリアは膝からおりたい。しかし、ルークは逃がすつもりはない。
網を被っていなくとも、腕の中にがっちり抱え込まれてしまうと、そう簡単には逃げられない。リリアはどんどん不満顔になっていった。
……今日一日、こんなことばかりやっているような気がする。
「海賊を倒すのは諦めましょうか」
……じたばたじたばた。何とかして膝の上からおりようとリリアは左右に体を捩っていたが、やがて力尽きたように動きを止めた。疲れたらしい。平然とした表情のルークを恨めしそうな目で見て頬を膨らませる。
「頭突きで目や鼻を狙うとか、噛みつくとか、色々方法はありますけどね。……はい、今はやらない」
目の前に勢いよく迫ってきた頭を押し戻すついでに、汗で額にはりついた前髪をそっと払ってやる。頬を軽くつつくと、いやいやと小さく首を振った。
こういう所は幼い頃と変わらないなと思う。屋根にのぼるのはダメだと言った時と全く同じ反応をしていることに、彼女は気付いているだろうか。
「さて、それでさっきの質問の続きなのですが」
ルークは穏やかに微笑んでいるのに、リリアは警戒しきった目を向けてくる。何を聞かれるかはだいたい予想がついているはずだ。
「水色のリボンの箱を、リリィお嬢さまの部屋に置いたのは誰なんですか?」
「……」
「あと、いつアーサー殿下からジョエルへの伝言を預かったんでしょう?」
「……」
「そういえば、裏の畑から大量にクレソンが消えたらしいんですけど、何に使ったんですか?」
「……」
リリアは唇を固く結んでつーんと顔を背けた。それでもすぐにやりすぎたかもしれないと焦った様子で、ちらちらちらっとルークの表情を確認する。
しょうがないなぁというようにルークはリリアを膝の上から下ろすと隣に座らせた。ぎゅうっと左腕にリリアが抱きつく。わがままなお姫様は自分からくっつくの分には躊躇しない。
「……もう、いいんですか?」
不思議そうな顔でルークの目を覗き込む。これも自分からやる分には平気なのだ。
「確認しておきたいところは確認できたので」
リリアは納得がいかないというように眉間に皺を寄せた。
「例えば、そうですね……リリアさま、頬に触ってもいいですか?」
リリアは「どうぞ?」と頬を差し出す。ルークの手が頬に触れると手袋の感触がくすぐったいのか目を細めた。
「おでこに触れますよ?」
小さく頷くのを確認して、もう一度こつんと額と額を合わせると、リリアがあれ? という顔になる。近い距離で目を合わせて微笑んでから、ルークは顔を離した。そのままソファーから立ち上がり、ランプの火を順番に消してゆく。そして、最後のひとつになった段階でリリアを振り返って尋ねた。
「リリアさま、クレソン使って、ヒューゴさまに嫌がらせしようとしてますよね?」
リリアは明らかに挙動不審となって、うろうろと視線を彷徨わせた。
昨日更新する予定が大幅に遅れました。本当にすみません……