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13 「がんばって会いにおいで」 その9

 イザベラに続いて居間を出ようとしたリリィは、アレンに呼び止められて振り返る。


「謝罪をさせて下さい。私が目を離したせいで……」


 おかしなこと言い出したぞとリリィは眉をひそめた。この人、最近謝罪ばっかりしていないだろうか。アレンはエミリーにフられて精神的に参っているのかもしれない。その原因を作ったのは自分だという自覚があるから、リリィも申し訳ないような気持になる。

 だが、今はアレンに付き合って一緒に落ち込んでいる場合ではない。


(とにかく、ヒューゴお兄さまを何とかしないと)


 エミリーたちに遭遇すれば、またどうせ異民族がどうと言い出すに決まっているし、リリアやリリィを見かければ、ルークに寄るな近付くな的なことをくどくど繰り返すだろう。

 確かにヒューゴの言っていることは間違っていない。ルークは大人の男の人だ。いつまでも子供の頃のように甘えて纏わりついている自分たちと、それを許しているルークに問題があるというヒューゴの言葉も理解できなくはない。


 ……ただ、毎回心の底から思うのだ。まず自分の態度から直せと。


 リリィはため息をついた。ヒューゴは苦手だ、自分とよく似ている部分があるから。

 さすがにあそこまでではないにせよ、リリィのアレンに対する態度も相当ひどかった。消し去ってしまいたい過去を、従兄は目の前でご丁寧に再現してくれるのだ。……もう本当に何であんな余計なものを持って帰ってきたのだトマスとキースは。


(……断わるのも面倒だったんだろうな。さっさと追い返すつもりだったんだろうけど……)


 一晩ここに置いておくことになってしまった。きっと兄たちは数時間前の自分たちの判断を今心の底から悔いているに違いない。


「……おかあさま、夕食まで部屋で少し休んでいて。アレンお兄さまもなんかおかしな事言い出してるけど、ヒューゴお兄さまが起きて来る前に片付けるわ」


「……そうね。ヒューゴの様子見に行った二人も気になるし、二階に上がるわね」

 

 疲れた声でそう言った母を見送ってから、さて、とリリィはアレンを振り返った。努めて明るい声を出す。


「アレンお兄さま、心配してくれてありがとう。見ての通り私は大丈夫。……はい、謝罪は受け取ったからこれでおしまい」


 ね! と念押しして、リリィは笑顔で強引に話を締めくくった。アレンは納得いかないという顔をしているが、彼に何を言われても、リリィは「心配してくれてありがとう」以外の言葉を返すことができない。会話はどうせ平行線を辿るだけだ。


 馬車を乗っ取られてから始まる一連の騒動は、ひきこもりのリリィからすれば、今まで経験したことのない程恐ろしい出来事だった。

 だけど……それがあったからアーサーに会えた。「会えて嬉しい」という優しい言葉もかけてもらえたし、手を繋いでもらった。思い出すと何だか胸がドキドキする。

 イザベラが言う通り、明日には運河を流れたことなんて忘れているだろう。


 今は泣いていたエミリーたちの事が気がかりだ。リリアが上手く連れ出していたから、彼女に任せておけば大丈夫だとは思うのだが……


(ちょっと心配なのよね……)


 侍女を目指していたリリアは細やかな気遣いができる少女だ。だが……自分を必要以上に下に置いて、目の前の相手を優先させてしまうという悪い癖がある。自分が傷つくことには無頓着だ。アレンの婚約者騒動でも、結局彼女は倒れるまで我慢した。今回は大丈夫だろうか……不安だ。


「ごめんなさい、アレンお兄さま、今度ゆっくりお話聞くから。……今はとにかくヒューゴお兄さまを何とかしないといけないのよ」


 ここはリリィが無事でよかったと納得して、アレンには不可解な落ち込みからできるだけ早く回復していただきたい。もうリリィは怖がってもいないし落ち込んでもいないのだから。

 

 ふと見上げると、アレンは憂いを帯びた表情でリリィを見ている。はて、とリリィは首を傾げ……そして気付いた。彼は常に食事制限中なので、いつでもお腹が空いている。


「気が付かなくてごめんなさい。アレンお兄さま、お仕事から帰って来てお腹空いてるわよね。お腹がすくとイライラしたり悲しくなったりするもの。今日のお夕食、いつもより遅い時間になりそうなのよ。ちょっと待ってて。厨房で何か温かいスープでももらってきてあげ…」


 早口でそう言って慌てて居間から出ようとするリリィの腕を、アレンが掴んで止める。そんな自分の行動に驚いたように、アレンが目を見開いて手を離す。


「なに? 甘いものの方がいい? それなら殿下からお見舞いにもらったお菓子があるわよ。それか一緒に厨房に行く?」


「……すみません」


「だから何が?」


 何故かまた暗い顔になったアレンを見てリリィは焦る。


「不用意に触れてしまいました」


「……そんなの良いけど、大丈夫? なんかあった? ものすごく落ち込んでない?」


 リリィは背伸びをして、アレンの顔を覗き込む。夜空のような綺麗な色の瞳が目の前にある。はっとした顔をして、アレンが体を後ろに引く。


「あ、ごめんなさい、近すぎたわよね」


 ついルークに対するような距離まで詰めてしまった。気まずそうにアレンが目を逸らす。どうして悲しそうな上にどんどん落ち込んでゆくんだこの人。……そんなにお腹が空いているのだろうか。


「……怖くは、ありませんでしたか?」


「……何が? どれが? なんの話? ……ああ、馬車乗っ取られて運河流れた話? 怖かったけど、もう忘れちゃった。色々ありすぎてすごく昔のことみたいに思える。今はそれよりヒューゴお兄さまをなんとかしないと。その前に何か食べるもの……」


「ご無事で良かったです」


 アレンが無理矢理微笑んでそう言うから、よくわからないがきっとこれで話は終わりだろう。あとは何か食べさせれば元気が出るはずだ。ひとつ片付いた。


「うん、ありがとうアレンお兄さま。じゃあ、一緒に何か食べ物をもらいに行きましょう」


 そう言ったのに、アレンは動こうとしない。仕方がないので袖を掴んで引っ張る。歩いてくれたことにほっとして、連れ立って居間を出た。少し緊張しているような声が背後からした。


「……次に外出される時は、私の休みの時にして下さい」


「うん。アレンお兄様かルークかダニエルさんが休みの時にする。でもしばらく外には出してもらえない気がするわ」


 アレンをひっぱりながら廊下を歩く。大階段まで来ると、丁度二階から一階におりてこようとしているトマスとキースを見つけた。


「私の休みの時にして下さい。約束して下さいますか?」


 後ろでアレンが何か言っているが、話半分に聞いておく。


「はいはい。……あ、トマスお兄さま、ヒューゴお兄さまどうなったの?」


「二時間後にまた起こして様子見るよ。出て来れないように閉じ込めたら、しばらく大丈夫」


 トマスは、リリィとアレンを見下ろして、なんだか複雑そうな顔をして言った。

 どうやって閉じ込めたのか気になったが、それは後で二階に行けばわかるだろう。しばらくは安全のようだ。今のうちにエミリーたちや、リリアの様子も確認しておかなければならない。


「アレンお兄さまお腹空いたみたいで様子おかしいから、厨房に食べ物もらいに行くの。キース、今厨房ってものすごく忙しのかしら?」


「応接間にお茶の用意が出来てますよ。……リリア呼んできましょうか?」


「アレンお兄さまも応接間行く?」


「リリィ、手」


 階段を下りて来たトマスが視線を下げて何かを目で指す。その先を確認して、リリィはあっと声をあげた。


「袖、皺になっちゃったわね。ごめんなさい」


 ぱっと袖を離して、アレンに謝罪する。アレンは目を伏せて首を横に振る。そして、淡く微笑んで着替えてきますねと言って去って行った。


 その背中を見送りながら、トマスがため息をつく。


「ねぇ、リリィ……アレンは君の兄じゃなくて、婚約者だってこと覚えてる?」


「忘れてることが多いわね」


 あっさりとリリィは答えた。だろうな、というように、兄とキースは顔を見合わせた。


「……自己暗示の効果は絶大ですね……こわいなホント」


「リリィは素直だからね。でもまさか殿下もここまで効果があるとは思ってなかったんじゃないかな。どんどんおかしな方向へ転がってゆくんだけど……どうなるんだこれ」


「おかしな方向ってなに?」


 リリィが尋ねると、トマスは曖昧に笑った。


「ねぇ、リリィ。もし、殿下にフられたらどうする? 素直にアレンとダージャ領に行く?」


 むっとしてリリィは眉をひそめる。不吉なことは言わないで欲しい。でも、今はまだその可能性の方が高いのか。リリィはため息をついた。


「……行かないわよ。私、リルド領に行くもの。おじいさまとおかあさまとルークとリリアと一緒に暮らすの。キースも来る? ああでもそうなると、お兄さま一人になっちゃうわね。お兄さまも来る?」


 トマスとキースがばっと背後を振り返って、廊下に置かれた家具が移動していなことを確認した。アレンもいない。使用人の姿もない。つまり誰も聞いていない。二人は露骨にほっとした顔になった。


「……キース、リリアに声かけてきて、ついでに紅茶用意してくれる? リリィは僕と応接間に移動ね」


 トマスがそう命じるので、リリィは兄と二人で応接間に向かって歩き出した。


「……あのね、アレンと強制的に結婚させられると思うんだけど?」


 物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、トマスがそんな事を言う。


「うん、そうね。でも、そんなの後で何とでもなるじゃない? 私たち病弱だし。だいたいアーサー殿下のお妃さまだって……」


 存在しないのに亡くなったし。と、続けようとしたリリィの口を、慌ててトマスが塞いで、また周囲を警戒する。そして、真剣な目をしてリリィを見つめると、首を横に振る。あ、それって言っちゃダメなのかとリリィは驚いた。あまりに簡単にカラムが教えてくれたから、大したことではないのかと思っていたが、違ったようだ。もう絶対に言わないと深く頷く。

 トマスは警戒しながらも、リリィの口から手を離した。


「幽霊にでもなるつもり?」


 声を潜めて尋ねるトマスに、リリィはどこか楽し気に言葉を返した。


「そう。それでリルド領のお屋敷の図書室に取り憑くの。あそこって、ちいさな王女さまのための、立派な図書室があるのよね。私、幽霊になってもやって行けるわよ。今までもそんなようなものだし?」


「……そういう考えだったか」


 トマスはがっくりと肩を落とした。


「おじいさまとおかあさまには言ってあるわよ」


「……そっかぁ。おじいさま相変わらず孫娘には滅茶苦茶甘いなぁ」


 兄には知らされていなかったようだ。打ちひしがれている。


「アレンお兄さまには二年くらい我慢してもらうことになるけど、そこは仕方がないと諦めてもらうわ。王室婚姻法って、死別後の再婚に関してはそれほど縛りがないってソフィーさんが言ってたから、喪が明けたら、好きな人見つけて再婚すれば良いのよ」


「あーうん。やっぱりそうだよね。一度粉々に砕けたものは……元には戻らないよね」


「そうよね。エミリーさんは難しいと思うわ。私はお似合いだと思うのだけど」


 引きこもりのリリィにもわかる。物語の王子様のようなアレンと釣り合うような美少女なんて、そうそういる訳がない。王宮での美しい再会は、今思い返しても照明の位置が完璧だった。


「エミリーさんがフられたのは私のせいでもあるから、申し訳ないんだけど、アレンお兄さまはやっぱりもう少ししっかりするべきだと思う。何というのか……危なっかしいわよね」


「……うん。全くダメだね。もうルークが『普通』の基準になっている時点で、最初から色々無理があったんだよね……はははっ。あれより上かぁ……一人しか思いつかない」


 兄は何故がリリィを見て、乾いた笑いを浮かべた。


 そのまま無言で歩き、応接間に入る。

 アーサーと初めて会った時のように、テーブルの上には沢山の焼き菓子が用意されていた。リリィがとても美味しかったと手紙に書いたパウンドケーキもちゃんと届いているから……嬉しくなる。


「はい、カード」


 トマスがそう言って、封筒を手渡してくれる。カードには見慣れてきた字で短いメッセージが綴られていた。


『君と、君の大切なひとたちが笑顔になれるように』


 満面の笑顔になった妹を見て、兄は優しく笑う。


「……良かったね」


 リリィは頷いて、大切そうにカードを抱きしめる。


「あのねお兄さま、ダメならダメで仕方がないけど、がんばってみる」


「……そっか」


 仕方なさそうにトマスは笑った。


「で、ダメだったら、私、リリアとルークの子供の乳母になるわ!」


 良い事思いついたというようにリリィが目を輝かせると、トマスはやれやれというように肩を竦める。それでも面白がるように目を細めて、


「……うん。もう好きにすれば良いよ。そうだね、そうなったらみんなでリルド領に引っ越そうか。全員ルークに養ってもらおう。侍女でも乳母でも好きなことやらせてくれると思うよ。小さめのお屋敷を建ててもらって、今いる使用人たちとみんなで移住してのんびり暮らす。それでいいや、もう」


 そう言って気が抜けたように笑った。

   

 落ち着いた色味のジャケットに着替えてきたアレンが応接間に入って来る。楽しそうな兄と妹を見て不思議そうな顔をした。


「何の話をなさっているんですか?」


「んー? みんなでリルド領に押しかけようって話。……ごめん、アレン、うちの妹たち目が肥えすぎてた。この子たちの『普通』の基準はルークなんだよ。つまりあれ以上を求められる訳だ……自分で言ってて辛い。僕だってそんなにダメな方ではないと思うんだけどな」


「お兄さまサボるわよね」


 リリィが冷たい目を向けると、これだもんなぁとトマスが天井を仰いだ。


「……確かにサボるけどさぁ、ルークが持ってくる仕事量もおかしいの。ヒューゴなんて無駄に張り合ってあそこまで壊れるんだからね。ルークは絶対普通じゃない」

 

 サボる理由を正当化するなとリリィは呆れた顔をするが、アレンは神妙な顔で大きく頷いていた。


「……でも多分妹たちは理解できないんだよ。恐ろしい事に」


 トマスはアレンを流し見た。


「……だからさ、さっきリリィにも言ったけど、一度粉々に砕けてしまったものはもう元には戻らない。新しく作り直す必要があるけれど、前と同じ形になるとは限らないよ」

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