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114 幽霊と墓守と死神 その4



 水浴びと着替えを終えた王子様たちには、今頃あたたかいスープが振る舞われている筈だ。その後、ダンスホールにて行われる弁護士による説明会に参加してもらうことになる。

 彼等には『エルナセッド子爵の娘は、青い瞳と金の髪ではなかった』と、裁判で証言してもらわねばならない。


 庭の落とし穴は、手入れが行き届かず増えすぎた木を取り去って作ったものだ。後日新しい土を持ってきて埋め直し、バラや球根や宿根草を植えつけることになっている。きっと見事な庭に生まれ変わる事だろう。クインの部屋から見下ろせる場所には、明るい色の花を沢山植えるのだとフィンとマーゴがはりきっていた。


 庭は穴だらけ、屋敷が泥だらけになったが、ある程度の成果は得られた。第二王子の言う通り、あれだけの大恥をかかされたのだから、ジョエルもしばらくは大人しくしているだろうし。


 今夜は人手がある。おばあちゃんたちに任せるには危険な高い場所や狭い場所等、普段手が回らない部分までしっかり掃除できるいい機会だ。 

 そう考えれば……この今回のこの襲撃も悪い事ばかりでもなかったなとルークは思った。


 廊下側から開け放たれたドア近くの壁を軽く叩く音がした。鏡の間に入って来たのは、結婚許可書に燃え移った火を必死に踏んで消していた中年紳士と、アフタヌーンドレス姿の女性だった。

 ニールが、彼等と入れ替わりで鏡の間から出て行く。すれ違う際に、ニールは女性の方とちいさく目配せを交わした。


「……あ、スミスさん火傷大丈夫でしたか?」


 ダニエルに声をかけられて大きく頷いた男は、無気力に歩いていた時とは別人のような引き締まった表情をしていた。

 彼は、花婿に依頼されて花嫁を取り戻すために伯爵家を訪れ――リリアに脛を蹴られた浮気調査専門の探偵だ。スミスというのは偽名で、職業柄いくつもの名前を使い分けてるらしい。


「靴底は燃えたけど軽い火傷ですんだ。歩けないことはないから行ってくる。とうとう俺の仕事が世間から認められる時が来た。可哀想な娘さんたちを助けるためにがんばってくるよ。……ここにいても、掃除手伝えとか言われそうだし」


 軽い調子で冗談を付け加えながらも、その声は緊張のせいで震えていた。リリアに怯えているという訳ではない。……多分。


 探偵の傍らに立っていたアフタヌーンドレスを着た女性がエラに歩み寄る。そして、そっと彼女の肩に片手を置いた。


「エラ……よく頑張ったね。もう大丈夫。エラの悪夢は私がちゃんと今夜終わらせるから、セーロの看病よろしくね」


 女性にしては少し低めの声だ。カルラは『私の旦那様』とか何とか歌っていたブレアが着ていたものと全く同じドレス姿だった。軍服姿の時よりも顔に残る痣が痛々しく見える。

 ルークはカルラに歩み寄ると、手に持っていた『朽ちた蕾』の香りを閉じ込めた小さな薬瓶を手渡した。


「ご協力に感謝いたします」


 落ち着いた声でそう言った後、カルラはドレスのスカートを持って一礼する。怪我の療養のため休暇を取っている彼女は、現在フランシスの庇護下にあった。


「ジョエルはどうやら二つの香りを使い分けていたようです。ユラルバルトの屋敷でレナードが置いていった香水は、睡眠状態に陥らせるためのもののようですね。それでもある程度の暗示はかけられますが、それよりさらに深い意識に命令を刷り込ませるのには、別の香りを使っていた。片方だけでは完全ではない。……そうなると、本物は一体どれだけの香りを使い分けていたのかという話になる」


 ルークの説明を聞いているカルラの表情は次第に翳りを帯びてゆく。

 恐らく『神様』は、暗示ごとに数種類の香りを組み合わせを変えて使っていた。ジョエルは、実験を繰り返す過程で香りを二種類にまで絞り込んだのだ。それ以上は扱い切れなかったか、或いは香りが二種類しか残されていなかったか……それはわからない。


 ――これだけでは、帝国が探し求めている『答え』には到底辿り着けない。


「これ以上ジョエルから得られるものはない。……それが今回はっきりした。それで充分」


 ちいさな瓶を目の前でゆっくりと振ってからカルラは一度目を閉じた。そして、再びその瞼を開いた時、彼女は軍人らしい好戦的な目をして笑っていた。


「諜報部の人間が私の行動をずっと監視しています。私が動けば必ず彼等は追ってくる。……容赦なく顔を殴ってくれたお礼をしなくては」


「……カルラ?」


 不安そうな声を出したセーロに向き直って、彼女はふふっと含み笑いをした。


「随分男前になったねセーロ。エラにしっかり看病してもらうといいよ。役得だね! 砂糖菓子をすり替えた事、黙っていて悪かったと思ってる。でも君はすぐに顔に出てしまうから内緒にしといてくれと君のお友達から頼まれてた。……長かった君たちの夜も、もうすぐ明けると私は信じてる。痩せた姿を是非見せにきてほしいな。楽しみに待ってるよ」


 セーロの肩を軽く叩きながら明るい声でそれだけ言うと、カルラはそのまま踵を返して足早に部屋から出ていく。廊下に出たところで一度だけ振り返って、彼女はエラとセーロに微笑みかけた。……それが、別れの挨拶の代わりだった。

 反射的に彼女に向かって手を伸ばしかけたセーロは、そのまま手のひらを握りしめゆっくりと下ろす。エラはセーロの腕にしがみついてぐっと涙を堪えていた。カルラにはカルラの立場がある。だから言葉にできないことは沢山あるのだと二人とも理解している。


「どこの国でも大抵そうなんだけど、軍の中にもやっぱり権力闘争みたいなものはあって、結構ごたごたしてるんだよ。帝国の諜報部が実験に使われた娘たちを手に入れたがっているみたいでね。カルラが囮になって彼等を引き付けてくれている間に、こちらで保護する。今夜はお城の舞踏会で、ユラルバルト伯爵家に出入りしていた貴族たちは王宮に集まっている。使用人たちにしてみれば、主が舞踏会から戻って来るまでに少しでも体を休めておきたいといったところだろう。屋敷に忍び込むにはもってこいの夜だ」


 セーロが零れ落ちんばかりに目を見開く。「でも……居場所が……どうやって……」と彼は掠れた声で呟いた。


「彼は、浮気調査が専門の探偵さんなんだよ。さすが専門職だけあって、あっという間に見つけ出した。見事だったね」


 第二王子に褒められた探偵は「蛇の道は蛇ってやつですよ」と、曖昧に笑って、頬を指でかきながら視線を彷徨わせた。


「この仕事長くやってるんで、経験からくる勘みたいなもんが働くんです。自慢できることじゃないですが、需要はありますねぇ……」


「王子様も生まれた場所で決まるだけだから自慢できることじゃないけど、どういう訳だか需要と責任だけはあるねぇ」


 アーサーがエメラルドグリーンの瞳を細めて笑うと室内の空気が凍った。どうしてこの人は掃除をしている部下たちの気力を削ぐようなことばかり口にするのだろうか。ルークはちいさくため息をついた。


「そこ同じにしてはいけない気がしますがね。そろそろ行きます……」


 引きつった笑みを浮かべた探偵は、毒気に充てられよろめきながら鏡の間から出ていった。すっかり第二王子に気に入られてしまった彼は、この先いいように利用され続けることになるに違いなかった。ダニエルが憐れみと同情を込めた目で男の背中を見送っていた……


「寝て起きたら全部終わってるだろうから、今夜はゆっくり休むといいよ。引き留めて悪かったね」


 セーロはどういう表情を浮かべていいのかわからないというように、震える唇を無理矢理持ち上げて笑っているような表情を浮かべていた。希望と不安が次々と押し寄せて心の中はぐちゃぐちゃになっているのだ。


「あ……あと、これは十キロくらい痩せた経験者からの助言なんだけどね、皮膚引き締めるためには適度な運動も必要だよ。一気に体重落としすぎると本当に弛むから気を付けてね」


 ついでのように付け加えられた余計な一言によって、セーロの目から一瞬にして生気が失われた。一方、エラが元気を取り戻してぱあっと笑顔になる。


「承知いたしました。しっかり運動もさせます!」


 目をキラキラと輝かせ、エラはセーロの腕を離して丁寧に一礼する。その様子が『海賊を倒すのです!』と宣言する時のリリアによく似ている気がした。


 何だか嫌な予感がして、ルークは思わずリリアの姿を探す。鏡を拭いていた少女はルークの視線に気付いて手を止めて振り向いた。何でしょう? というように可愛らしく首を傾げる。


 エラは最近リリアに影響されてきている気がする。

 上手に痩せさせるという使命感に燃えている彼女は――セーロを部屋に監禁するかもしれない。


「セーロさんにお夜食食べさせたら、戻って来てお掃除のお手伝いしますね!」

  

 再びセーロの腕を掴んでずるずると引きずり出したエラは、楽し気な様子で鏡の間から出て行った。


「すみません。無理矢理食べさせようとするときは……止めてあげて下さい」


 ルークの言葉に、フィンとマーゴは目を伏せて首を横に振った。


「いつも無理矢理です……」


 ……何となくそんな気はしていた。


「一応止めるんですが、笑顔で押し切られてしまうんですよ」


 ……リリアも毎回そんな感じだなと、ルークは思った。


 老夫婦は神妙な面持ちで一礼した後、エラを追って鏡の間から去っていった。

 再びルークはリリアに視線を向ける。再び少女は不思議そうに首を傾げた。

 

 ――きちんと一度、話し合うべきかもしれない。




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