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番外編 キリアルトの災難 その2



「それなりの報酬は払うと言ってるだろうが。絵のモデルみたいなもんだ。だから脱げ」


 翌日、鎖付きの手錠で拘束されたレナードが、大きな麻袋を頭から被せられた状態で伯爵家に運び込まれてきた。ルークは半年に一度しか伯爵家を訪問しないというオーガスタとの約束を律儀に守っているため、今日ここにはいない。故に、レナードはちゃんと息をしていた。 


「ロバートおまえが脱げ」


 床に座らされているレナードは、手負いの獣のようなギラギラした目で周囲を威嚇していた……が、兄二人は弟の方を見ようともせずに、それぞれ淡々と準備を推し進めている。


 リリィとリリアは並んでお行儀よく居間のソファーに並んで座っていた。久しぶりにレナードと会ったのに、再会を喜び合えるような雰囲気では全くなかった。


「あー話をそこに戻すなー面倒くさい。……うるさいから目と口も塞ぐか」


 そこでようやく、ロバートはいきのいい獲物を見るような目でレナードを一瞥し、足元のトランクを開けて鮮やかな赤いハンカチーフを取り出した。「ちょっと派手かー?」と布の裏表を確認しながら首を傾げている。


「何が社会勉強だ! どっからどう見ても怪しすぎるだろうがっ。子供に見せていい物じゃねーだろ」


「そういう空気にするレナードが悪い」


 淡々と言い返しながら、ウォルターが図鑑をぱらぱらとめくって栞の位置を確認している。キリアルト家の長男と次男は、素行が悪く借金まみれの三男にいつも通り冷たかった。


「怪しい雰囲気になってゆくのは、おまえが抵抗するせいだろーが」


「ふざけんな!」


 激しく暴れ出したレナードの頭を掴むと、ウォルターはそのままころんと横倒しにして、耳の辺りを膝で押さえつけた。


「鎖に繋がれた犬が、必死に吠えかかっているようにしか見えんからやめろ」


「あーウォルター、そのまま押さえといてくれ。目隠しすれば大人しくなるだろ」


 ……それは人間の話だろうか。

 レナードが兄二人にぞんざいに扱われるのはいつもの事なのだが、リリアは涙目になっている。  


 ――こういう扱いを受けるだけのことをレナードはしてきたのだ。


 キリアルト家の人間たちはそう口を揃える。賭博にのめり込み借金を重ね、今よりも更に生活が荒れていた時期があったらしい。


「……ねぇ、だから何でそんな嫌がるの?」


 リリィが尋ねると、絨毯に埋もれ半分顔が潰れたようになっているレナードが睨みつけてきた。凄まれても全く怖くなかった。


「じゃあリリィ、おまえ脱げ!」


「別にいいけど、私が脱ぐ意味ってなくない? レナードが私の絵でも描いてくれるの?」


「貧相な体描いても楽しくないっ」


 レナードがきっぱりと言い切った途端に、ウォルターが「踏むぞ貴様」と低い声で脅しつけた。現時点ですでに踏んでいることになるのでは……とリリィは思った。

 こういう姿を見ると、ウォルターもしっかりと海賊の血を引いているのだなと思うのだが、普段温厚なキリアルト家次男をここまで簡単に怒らせるのはレナードくらいだ。


「ねーねーウォルター、ひんそうって何? まずしいってこと?」


「レナードは心まで貧しいって話だな」


「お金ないもんね。可哀想……」


 しみじみとリリィはそう言って、哀れみを込めた目をレナードに向けた。


「うっせえ。出るとこ出して引っ込むところ引っ込めてから脱ぐとか言え。ぽよぽよふわふわのお腹見せられたってかわいいだけだっ」


 レナードが一息に言い切った。意味がわからないというように、リリィとリリアは揃って同じ角度で首を傾げる。


「……ねぇ、それって褒めてるの? 貶してるの?」


「ほめてるほめてる。うちのお姫さまたちは今日も可愛い。だから心の貧しいヤツの言ったことなんざ、さっさと忘れろ……な?」


 ロバートはリリィとリリアの前に立つと、身を屈めるようにして両手を伸ばし二人の頭を撫ぜた。彼の体が壁になっているせいで見えないが、その向こう側では二人が見てはいけないことが行われているようだった。誰かが痛みに呻きながらのたうち回っている音が聞こえてくる……


「ウォルター、でるとこだしてひっこむとこひっこめるってどうやってやるのー?」


 リリアが唇を噛みしめて泣くのを堪えているので、一応止めてあげた方がいいかなと、三男に制裁を加えているであろう次男に向かってリリィは尋ねてみた。ロバートが二人の前から退くと、ウォルターは立ち上がっており、その足元に転がっているレナードはぐったりと動かなくなっていた。……まぁこれは自業自得だろう。


「十分な睡眠と適度な運動。好き嫌いをしない。おやつを食べすぎない。あと歯もちゃんと磨くこと!」


「うん、睡眠と運動に関しては無理だからすっぱり諦める!」


 笑顔で言い切ったリリィに、レナード以外の視線が集まる。全員何か言いたげな目をしていたが、結局誰一人として口を開かなかった。


 ――リリィはやらないと言ったら、やらない。


「ようやく静かになったなー。……じゃあ始めるか」


 ウォルターがレナードの腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせると、ソファーに座る少女たちに背中を向けさせた。


「ちょっと待て」


 この期に及んでもレナードは体を捩じるように弱々しく抵抗した。


「腕と背中だけだ。正面は大胸筋と腹直筋くらいだから絵を見ればわかる。拘束といてやるから、失言の責任取ってさっさとシャツ脱げ」


「だーかーら、おまえらが脱げよ」


 ロバートがつかつかとレナードに歩み寄ると、ウォルターが掴んでいる腕とは反対側の肩を掴み、親指を捻じ込むようにしてぐっと握った。レナードが顔を顰めて悲鳴を噛み殺しているから、相当痛いようだ。

 ぎゅっと目を瞑って腕にしがみついてきた妹の頭をよしよしと撫ぜてやりながら、何でみんなここまで嫌がるかなーとリリィは純粋に疑問に思った。


「だから報酬出すと言っただろうが。さっさとモデルになれ」


「金の問題じゃないだろう!」


「レナードの口からその言葉を聞く日がくるとはな」


「ルーク連れてこい!」


「次ここに来られるのは半年後だ。……本っ当に余計な事しか言わんよなぁ」


 さらに何か言おうとしたレナードの口を、ロバートが手に持っていたハンカチーフで塞いで頭の後ろで布端を結んだ。非常に手際が良かった。


「ウォルターこいつ一度廊下に出すぞ」


 両側に立った兄二人に引きずられるようにして、強制的にレナードは廊下に運び出された。平然とした顔のリリィと、泣いているリリアは、三人の姿が廊下に消えるまで見送った。入れ替わるようにして、トマスとキースが廊下の方を気にしながら居間に入ってくる。


「後学のために一緒に見とけって、ウォルターが言うから来たんだけどさぁ。……相変わらずレナードかわいそー。キリアルト家こっわー」


「普通に息さえしてればいっか、みたいな事言ってましたね……こわー」


「レナードが可哀想なのはいつものことよ」


「それはそうなんですけど……可哀想です。レナードお兄さま」


「でも、本人にも色々問題あるからさぁ……」


 トマスはしみじみとそう言った後、壁際に置かれていたお気に入りの椅子をキースと二人がかりで持ち上げて、妹たちが座るソファーの横に運び始める。その間も、ドカッやらゲシッやら、バタンやらドサッやら、いかにも不穏な音が聞こえてきていた。


「ルークの言う通り、最初からこうすれば良かったんだよなー」


 上半身裸状態のレナードを背負って室内に戻って来たロバートは、そうぼやきながら、乱暴にソファーに投げおろした。レナードはぴくりとも動かない。血色はそこまで悪くないから息はしているのだろうが、リリィを覗く伯爵家の子供たちは顔を引きつらせていた。これでこの場にルークがいたら、レナードはもっと酷い状態になっていたに違いない。


「本っ当に時間の無駄だったな」 


 レナードをうつ伏せにした後、ウォルターはテーブルの上に開いたままで置かれていた図鑑のページを片手で捲った。図を指差しながら、だらんと力の抜けた腕を持ち上げ、肘を曲げた状態で動かし始める。


「これが肩甲骨。こうすると動く。で、これが僧帽筋、三角筋、上腕三頭筋……」


 リリィが身を乗り出して真剣な顔で図と実物を見比べている横で、トマスとリリア、そしてソファーの後ろに立っているキースは青い顔で震えていた。


「……ねえ、レナード大丈夫なの?」


 トマスがいかにも恐る恐るといった感じで、傍らに立つロバートに尋ねる。


「ん-? 大丈夫だろ。うちじゃよくあることだ。真冬にこの状態で屋外に放置とか普通にある。人間って結構丈夫にできてるんだなーって、オーガスタを怒らせる度に思うんだよなー」


 ロバートは壁の向こうを見通しているような目をしながらうっすらと微笑んだ。ロバートもレナード程ではないが、結構頻繁にオーガスタを激怒させている。


「怒らせなきゃ問題ないんだがな……で、ここが広背筋だな」


 あまり怒らせないウォルターやルークも、連帯責任という謎ルールによって、一緒に罰を受けることがあるらしかった。そんな訳で、キリアルト家におけるレナードの扱いはどんどんぞんざいになってゆく。


「……傷だらけだね」


 リリィがぽつりと呟く。レナードの背中には、皮膚が引きつったような古い傷跡が無数にあった。


「オーガスタ怒らせるからだなー」


 事もなげにロバートは言ったが、その一言でリリィはわかってしまった。……どうして誰も脱ぎたがらなかったのか。


「……ロバートとウォルターが脱ぎたがらないのって、もしかして、ルークと同じで、私たちがショックを受けるような大きな傷があるから?」


 誤魔化しは許さないという目をしてリリィはロバートとウォルターを交互に見つめる。二人は揃って困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。


「俺たちは海賊だから、船を襲ってお姫様を略奪しないといけない。そんな訳で普段から鍛えとく必要があるんだよなー」


「何それ。そういう海賊の掟があるの? 成人の儀みたいな?」


「そ。海賊なら海賊らしく自分の欲しい物は奪い取れって話。でもこいつは、そういうのに向いてないんだよなー」


「宝石とか黄金とかを略奪するとかならやる気出すんじゃない? レナードって、『ずっと価値が変わらないもの』が好きよね」


 ロバートは少し驚いたように目を瞠る。そして、ソファーにうつ伏せで寝かされた弟を見下ろして苦く笑った。

 

「リリィさまは、王子様と宝石、どっちを選ぶんだ?」


「そんなのその場にならなきゃわからないじゃない?」


 リリィは何を言っているんだろう? と訝しみながらロバートを見上げた。


「その時好きな方を選ぶだろうけど、気分次第なんじゃないかなぁ。やっぱり気に入らないってなっても、また選び直せばいいだけのことだし。……ね?」


 妹に同意を求めるが、リリアはよくわからないというように難しい顔をして考え込んでいた。


「……ああでも、王子様を選んでも、嫌がられる可能性もあるのかぁ」 


 リリィの声が暗く沈む。ウォルターが手を伸ばして、しゅんと項垂れた少女の頭を優しく撫ぜた。


「そんな王子様は…………オーガスタが海に沈めるから心配しなくていい」


 声は優しいが、言っていることは怖かった。


「ま、鮫の餌だな、鮫の餌。だから安心していい」


 ロバートも晴れやかな顔で笑っていた――






 目を休めるためにテーブルに突っ伏して……少しの間うとうとしてしまったようだった。リリィは、のろのろと帳簿から顔を上げて、開け放たれたドアに視線を流す。

 集中したいので、トマスに押し付けられた計算の仕事を片付けている間は姿を見せないようにしてくれと頼んである。それでもきっちり十五分毎に休憩させられた。

 これもあと数日、お城の舞踏会までの辛抱だ。


「…………うみにしずめて……さめのえさ」


「何か言いました?」


 ドアの向こうから、アレンの声が聞こえてくる。


「いやなんでも……うん」


 もごもごと口ごもりながら、リリィはテーブルに肘をついて熱を測る時のように額を押さえた。手の冷たさが心地良い。


『……アレンさまは気付いてないだろうけど…………終わったな』


 不意にロバートの言葉が耳に蘇った。


 ……あれってまさか、そういう意味だったのだろうか。思わず口元を押さえてリリィは体を固くする。


「いや、でも、元王族……でもあっちも元王族……血縁者と同じ扱いはさすがに……けど、トマスお兄さまも結構ひどい目にあっているような……」


 動揺のあまり、ぶつぶつと口に出して呟いてしまっていることにもリリィは気付いていなかった。異変を感じたアレンが部屋に入って来る。

 リリィはぎぎぎっと音がしそうな動きで、かつての『王子様』を見上げた。

 よくよく考えてもみれば、お咎めなしというのもかえって怖い。何かの準備が着々と進められていたりしたら、どうしよう……


「どうされました?」


「……うん、きっと考えすぎ! 忘れよう。忘れた! アレンお兄さまお茶にしましょう」


 リリィは明るい声でそう言って、無理矢理自分自身を納得させた。 

 


 ――うん、きっと……多分……だいじょう……ぶ?

 

 



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