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番外編 キリアルトの災難 その1

まだリリィとリリアが子供の頃のお話です。



 ロバートの到着を玄関で待ち構えていた少女は、ドアが開いた瞬間に満面の笑顔で言った。


「ねーねーロバート、とりあえず、脱いで」


 ドアノブを持ったまま、三秒ほど固まっていたロバートはまず、少女の抱え持っている本の表紙を確認し、持っていたトランクをそっと床に置いた。


「それ、ウォルターに借りたのか?」


 疲れ果てた顔でリリィの背後に立っている弟と従弟を一瞥してから尋ねる。


「うん! この間読んだ本に、関節とか筋肉とかの名前が色々出てきたんだけど、よくわかんなくって、ウォルターと一緒に図書室で図鑑を探してきたの! でも、絵だけだとよくわかんないから、脱いでくれる? ウォルターが実物見ながら解説してくれるって言うから!」


 明るい声でリリィがそう言った瞬間に、崩れ落ちるようにしてロバートは額に手を当ててしゃがみ込んだ。駆け寄ったリリィが軽く小首を傾げてから、同じ様にちょこんとしゃがんでロバートの顔を覗き込む。


「……ルークを剥け」


「この間の演習で、山道転がり落ちて全身痣だらけなんだってー」


 ロバートは従弟に思いっきり疑わしそうな目を向けた。


「いやそれ絶対嘘……」


 そこまで言いかけて、ルークの隣に立つリリアが真っ青な顔で泣いているのに気付いて口を噤んだ。リリィとお揃いのエプロンドレスを着たリリアは、両手でスカートを握りしめてひっくひっくとちいさくしゃくりあげていた。


「ジョージに鍵束借りて、着替え中に突撃したら包帯ぐるぐる巻きだったの。止めに来たリリアがそれ見て泣いちゃったのよねー」


「……そりゃまた間の悪いことで」


 ロバートがぼやく。そして、じっとりした目を医者の卵である弟に向けた。


「……ウォルター責任もってお前脱げ」


「解説しないといけないからな」


 ウォルターはしれっとそう言って目を逸らした。そんな会話の間も、ロバートはさりげなく身を捩って、コートを掴もうとするリリィの手から逃れている。だんだん少女の顔がむくれ始めた。


「キースは……うん、追いかけ回されたんだな、可哀想に。お菓子持ってきてやったから機嫌直せ……な? あーだいぶ背伸びたな。もうすぐリリアさま追い越すか」


 リリアの隣には同じく目を真っ赤にしたキースが力なく立っていた。服が乱れたままなのは、リリィにひん剥かれそうになって逃げ回ったせいだった。恐怖のあまり彼は安全圏であるルークのそばから離れられなくなっている。


「で、トマスさまは……逃げたと。……じゃ、俺、先に侯爵様んとこ行くわ」


 立ち上がって、トランクを持ち上げ踵を返したロバートのコートの背中部分をむんずとリリィが掴んだ。


「脱いでから行ってー。それか、倒したらお願いきいてくれる?」


 行かせまいとぐいぐいコートを引っ張るリリィを、無表情で見下ろしたロバートは、のろのろと身内に視線を移した。


「……帰って来たばっかで疲れてんだよなー」


「ロバートがリリィに送りつけた推理小説のせいでこういうことになったんだ。時間が勿体ないからさっさと脱げ。俺は忙しい」


 ウォルターは大仰にため息をつき、ルークは無言のままロバートを睨みつけた。彼は眼鏡をかけると別人のように顔立ちがきつくなる。


「……推理小説なんて入ってたか?」


「帝国語で書かれたペーパーバックが混ざってたのよ」


「あー……あっちに渡すの紛れ込んでたかぁ。リリィさまあれ、最後まで読んだのかよ? 子供には難しかったろ」


「死因を解明するために、解剖しようってなった所で止まってる。専門用語が多すぎて、私の持ってる辞書に載ってない単語が多いのよね。筋肉や関節の名前出てきても、体のどの部分なのか全くわかんないし」


「悪い、それ返してくれ。別で頼まれてたやつだ。猟奇殺人だから結構怖いぞ。夜読んだりすると眠れなくなる。今度、若い女の子向けの本を送る。だから、離してくれ……な?」


 ロバートが縋るような目をしてリリィを見たが、彼女は笑顔で首を横に振った。


「本は返すけど、それとこれとは話が別だから、脱いで」


「……脱ぐのはちょっと色々問題がなー」


「でも、こうなるとリリィお嬢さまはあきらめません……ぜったい」


 泣き腫らした目をしたリリアが、とても悲しそうにそう言った。

 ロバートはどうしたもんかなというように、固く目を閉じて天井を仰いだ。



 ――リリアの言う通り、リリィはやると言ったら、やる。 







 着替えて居間にやってきたロバートは、だらしなくソファーに身を投げ出していた。


「ねーねー、早く脱いで―」


 隣に座ったリリィに袖を引っ張られるままにゆらゆら揺らされながら、光を失った目で壁の模様をぼんやりと眺めている。向かい合って座るウォルターは我関せずといった様子で新聞を流し読みしていた。


「とりあえず、リリィさま、その言い方は淑女としていかがなものだろうか」


「じゃあ、今すぐお脱ぎ下さいお願いします?」


 その瞬間、明らかに室内の空気がぴきっと凍った。ロバートはこの世の終わりを見たかのように青ざめた。


「あーそういうことじゃなくてなぁ……」


「つべこべ言わずにさっさと脱げ。現段階で船首像は確定だな。このままいくと鮫の餌だ」


 新聞から顔を上げたウォルターの目は完全に据わっていた。久しぶりに幽霊屋敷に来たので、さっさとこの話を終わらせて、趣味の方に没頭したいようだった。


「ウォルターが図鑑なんか与えたせいだろうが。何で適当に誤魔化しとかなかったんだよ!」


「そもそもの原因は、ロバートが間違えてリリィに厄介な本を送り付けたことだ!」


 ウォルターとロバートがテーブルを挟んで言い争いを始める。一方壁際では、涙目のリリアとキースを、ルークが懸命に慰めていた。


「リリアさま、大丈夫ですよ、ちょっと怪我をしただけですからすぐ治ります。……キース君も、後はロバートが何とかするんでもう大丈夫ですから」


「うん、よく考えたら筋肉について教えてもらうんだから、そんな鍛えてないキース剥いてもしょうがなかったわよね。ごめんー」


 キースの方を振り返って軽い口調でリリィは謝罪した。ウォルターとロバートはお互い言いかけた言葉を飲み込み、キースは感情を失った顔でへらっと笑った。


「…………という訳で、キースのために脱げ。一人の犠牲で全員助かる。どんどん状況は悪い方へと向かっている。そもそもこの時間が無駄だ」


 ウォルターは苛立ちを抑えようとするかのように、目を閉じて眉間を押さえた。


「あー。筋肉見たいんだろ? ルーク、お友達に頼んでみたらどうだ? あの方鍛えてるから、きっと見ごたえあるぞー」


「船首像か地下牢、今すぐ好きな方を選ぶといい」


 纏う空気を一変させてロバートを睨みつけたルークの声は氷のように冷たかった。室内の温度が明らかに下がった気がして、リリィは思わず身震いした。


「知らない人は怖いからやだ」


 確かにルークの同僚の中には筋肉自慢の男性もいるだろうが、どうしてそこで船首像か地下牢かという選択肢が出てくるのかリリィにはわからなかった。それに、なぜ、キリアルト家の三人がここまで筋肉をリリィに見せる事を嫌がるのかもわからない。


「何で嫌なの? 医療に関するお勉強よ? 全然知らない人に頼むくらいならロバートで良くない?」


 リリィが不思議そうな顔で尋ねた途端に、ロバートがウォルターに目を向け、ウォルターはルークに目を向けた。ルークが軽く腕を振ると、ロバートの背後に飾られていた花瓶に飾られているバラの花が一輪床に落ちる。花首からすっぱりと切り落とされていた。

 ロバートが諦めた様にため息をついて、意を決したように告げた。


「……恥ずかしいから?」


 何故か疑問形だった。いかにも今思いつきましたよという感じだった。


「だから、何で?」


 真顔でリリィに返されたロバートは、言葉を失う。


「リリィさまだって、いきなり脱げって言われたら嫌だろう?」


「今はどうしてロバートは嫌なのか聞いてるの。論点すり替えないで!」


 リリィの眉間に深い皺が寄る。ロバートは玄関ホールの時と同じように、目を閉じて天井を見上げてそのまましばらく動かなくなった。


「…………あーうん。ルーク、おまえこんな風に育てた責任取って脱げ」


「包帯ぐるぐる巻きでよく見えないから、ロバート脱いで!」


「戻って来たばっかで、船首像は遠慮したいんだよなー」


「なんで、医療の勉強なのに、船首像になるならないの話になるのよ?」


「オーガスタが激怒するからだなー」


「だから、何でロバートが脱ぐとオーガスタお姉さまが怒るのよ!」


「なんでだろうなー。何でひん剥かれそうになってる俺らが怒られるんだろうなー」


 袖を引っ張られて揺らされるのに任せて、やる気なさそうにリリィの質問に答えていたロバートは、ふと窓の外に視線を向け、「トマスさまどこ逃げたんだろうなー」と呟いた。


「よく考えてみたら、お兄さまに目の前で脱がれたら私が恥ずかしいかも。うん。ロバートでいいわ。あ、その言い方は失礼ね。ロバート、()、いい」


 リリィがそう言った瞬間、再び室内の空気が凍った。 


「俺に対しても恥ずかしがっていただけませんかねお嬢さま」


「ねぇ、何で? 動物だっていつも裸じゃない。何で恥ずかしいの?」


 不思議そうな顔をするリリィをしばらくぼんやりと見つめてから、ロバートは自嘲気味に笑って目を伏せた。


「………………間違っちゃいないけどさ……何か違わないか?」


 とても悲しげだった。しばし室内に沈黙が落ちた。


「リリィお嬢さま、結局、筋肉さえ見られれば何でもいいんですよね?」


 唐突にルークから尋ねられたリリィは、ゆっくりと首を横に振る。


「ん-? やっぱり知らない人はやだー。できればロバートがいいなぁ」


 リリィはすでに意地になっていた。久しぶりに会ったロバートが素直に言う事をきいてくれないのが非常に面白くない。


「生きてなくてもいいですか?」


 ルークが暗く笑う。一向にリリアが泣き止まないため、この話はさっさと終わらせたいようだった。おかしいなとリリィは思った。今は肌寒くなるような季節ではない筈なのに、室温の低下が止まらない。

 彼は着替えを覗かれた被害者なので、機嫌が悪いのは仕方ない。しかし、着替え途中だと言っても、シャツの前が留まっていない程度だったのだから問題ないはずだ。


「……リリィさま、わかった。なら、レナードを剥け。連れて来てやる」


 ロバートが両手をバンっと膝の上に置いてから呻くようにそう言った。思いがけない事を言われたリリィはパチパチと目を瞬く。


「あいつは借金返すまで伯爵家出入り禁止だ。勝手に会わせたことがオーガスタに知れれば、船首像どころの話じゃなくなるぞ」


 ウォルターは非常に面倒くさそうだった。


「あー、だったらウォルター自分で脱いで自分の体で解説するかー?」


 ロバートもすっかり投げやりになっていた。


「レナード……レナードかぁ。しばらく会ってないなぁ。元気かなぁ」


 あ、それはちょっといいかも、とリリィは思った。だから、ルークとウォルターが苦い物を食べたような顔になっていることにも、目に涙を溜めたリリアとキースが不安げな表情でルークを見上げた事にも気付いていなかった。


「うん、レナードに会いたいなぁ!」


 リリィがぱっと笑顔になる。ロバートはころっと機嫌が直った少女を見て、ははは……と力なく笑った。


「……息していなくてもいいですか?」


 リリィに向かってそう言ったルークは真顔だった。……寒い。


「息はしといてもらいたいなぁ……リリア、ちょっとこっちきてくれる? ロバートそこどいて」 


 リリィは妹を手招くとロバートをソファーから追い出した。涙を手の甲で拭きながらやってきたリリアをロバートが座っていた位置に座らせると、よしよしと頭を撫ぜてやってから、涙に濡れたほっぺをぎゅっと両手で挟む。


「あのねぇリリア、このままだとルーク、会えない間ずーっとリリアの泣き顔ばーっかり思い出すことになるわよ? だから、泣くのはもうおしまいにしましょう! 楽しい気持ちを半分あげる。だから笑って!」


 こつんと額を合わせて目を閉じる。泣いているせいで少し妹の方が体温が高い。顔を離してから「ね?」と笑って栗色の瞳を覗き込むと、リリアはちいさくしゃくり上げながらも、一生懸命泣き止もうと唇を噛んでいた。両手を頬から離してもう一度頭を撫ぜてやる。


「せっかくロバート帰って来たんだし、お顔を洗って、可愛いお洋服に着替えて、おやつにしましょう? お菓子持って来たってさっき言ってたしね! キースお茶淹れてー」


 それで初めて気付いたというように、「あ!」とリリィは口元にを当てて、ソファーの横に立つロバートを見上げた。


「ロバートおかえりなさい。無事に帰って来てくれて嬉しいわ!」


 満面の笑顔でそう言ったリリィを見て、リリアも涙を拭いて一生懸命笑顔を作った。


「ロバートおかえりなさい。ぶじでよかったです」


「じゃ、私たち着替えてくるからここで待ってて! ……リリア、行こ」


 勢いよくソファーから立ち上がったリリィは、妹と手を繋いでドアに向かって歩き出す。


「……はいはい、可愛いお姫様たちのために、美味しいお菓子をご用意しておきますよー」


 がっくりとソファーの背もたれに突っ伏したロバートが、ひらひらと手を振った。



 長くなってしまったので二話に分けました。

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