113 幽霊と墓守と死神 その3
サブタイトル変更しました。申し訳ございません。
アーサーはあくまで童話を語るような軽い口調を崩さない。だが、話を聞いているエラとセーロの顔は拭いきれない不安に曇ってゆく。
「帝国産の武器はどんどん海の向こうへ売りつけられる。他国の戦争に軍隊の一部を派遣している訳だから自国の領土は無傷だ。戦争などどこ吹く風で帝国内は好景気にわいた。だけど、戦争が長引けば派遣された兵士の犠牲者も増えてゆく。やがて国内からも戦争反対の声が上がり始め、その声は日に日に大きくなっていったんだ。それを表向きの理由にして、帝国は兵をあっさり引いた。もう十分経済は潤ったし、戦争責任を問われることを回避したかったからね。……やがて、帝国の後ろ盾を失った王子様は自棄を起こしてたちまち自滅する。結果的に彼の死で戦争は終結するんだけど。その王子様は死の間際に、自分の持っているすべてを『神様』に捧げて、自分を見捨てた帝国の滅亡を祈ったんだ」
いきなり出てきた『神様』という言葉に、セーロとエラが目をパチパチとさせる。
「……その男が自らを『聖なる瞳を持つ神』だと名乗り始めるのは戦後しばらくしてからのことです。当時は、帝国軍所属の研究者だった。彼は『眠らない軍隊』やら、『痛みや恐怖を感じない人間兵器』を作り出すために、従軍して人体実験を繰り返していたそうなんです。そしてそれらは完成間近だと言われていました」
ルークが補足を加えると、意味がわからないといった顔をしていたセーロの瞳が限界まで大きく見開かれた。アーサーの言う『神様』が誰で、どこに話が繋がってゆくのか気付いたのだ。
彼はのろのろとエラを見てから、歯を噛みしめようとして……痛みに顔を顰めた。
「その科学者は、皇帝一族の内の一人にとんでもない『暗示』をかけた上で、研究資料を持ち逃げした。三十年経った今でも暗示の効果が切れないし、研究記録や資料も見つかっていない。……それが、帝国軍がジョエルに手を出せない理由」
「ジョエルなら、その暗示を解ける……と?」
怒りが滲む声をセーロは絞り出す。握りしめた拳が小刻みに震えていた。アーサーは目を伏せて首を横に振った。
「まず無理だろうね。『神様』は相当嫉妬深く用心深い男だったと聞いている。秘密は全部自分で抱え込んで誰にも渡さなかったし、彼の死を知るとほとんどの信者は自ら命を絶った。……だから、言い方を変えれば、もうジョエルしか残っていないんだ。彼を見張ることによって、その行動から暗示を解く手掛かりを探ってゆくしかない」
そのためにはある程度、彼を自由にさせておく必要がある。ジョエルは子供の頃のおぼろげな記憶を頼りに、実験と称して娘たちに『暗示』をかけ続ける。しかし、彼のやっていることは、神様を名乗っていた男の見様見真似でしかない。そこに何らかの手掛かりとなるようなものがあるとも思えない。
ウォルターやフランシスは、あれは暗示ではなくて死んだ王子の怨念のせいだとか真面目な顔をして言っているが、帝国はこの国と違って幽霊を信じない国民性のため相手にされないらしい。
ルークはちらりと天井を見上げる。幽霊の存在を証明するという目的でウォルターが集めた曰くつきの品々は、丁度この上の階で今日もガタガタ蠢いていた。……最近意外と役に立ってくれている。
「そ、れじゃっ……まるっでっ」
怒りに任せて叫んだセーロは激しく咳き込む。エラが慌てて背中をさすり始めた。苦しさなのか怒りなのか……それともやるせない気持ちがそうさせるのか、セーロの目から涙が零れ落ちる。
「だからカルラは、知らない方がいいと君に言ったんだ」
落ち着き払った声でアーサーはそう言って、目を閉じて小さく息をついた。
――それじゃまるで、人体実験じゃないか!
セーロは多分そう言いたかったのだろう。彼はいつか帝国軍が『失敗作』として売り払われた娘たちを救い出してくれると信じて、カルラに協力し続けていた。
しかし、実際は、ジョエルと同様に帝国軍にとっても娘たちは都合のいい実験道具にすぎなかったのだ。その一面だけ見れば、セーロが裏切られたような気持になるのは当然のことだ。
「そんな悲観的になる必要はないよ。ガルトダット家の長女が運河を流れた時、カルラを袋叩きにしたのは帝国軍の諜報部の人間だ。あれは、命令違反を繰り返している彼女への警告の意味もあった。彼女はね、自己判断で例の砂糖菓子の一部を無害なものにすり替えていた。だから、砂糖菓子を娘たちの代わりに食べ続けたのに、君は中毒にはならなかった。……虫歯にはなったけどね」
「……砂糖、菓子? たべ……た?」
アーサーの言葉にびくっと反応したエラが、茫然とした声で呟いた。空咳をしながらセーロはさりげなくエラから顔を背ける。ダニエルが掃除道具を床に置くと、水を取りに鏡の間から出ていった。
「ちょっと待ってください、食べたって、食べたってどういう、ことですか? だって、セーロさん捨ててたって言ってましたよね? それ、嘘だったんですか? ……まさか……まさか、私たちの代わりに、自分が食べてたんですかっ!」
混乱した表情で早口でまくし立てたエラの声はどんどん甲高くなり、最後には叫び声になっていた。背中を撫ぜる時に掴んだ腕を乱暴に揺すりはじめる。セーロはただ痛みを堪える顔をして、俯いて黙っているだけだった。
「誰にも見つからずに捨てるというのはね、結構難しいんだよ。だから、セーロは食事を運ぶメイドを脅して口止めをして、砂糖菓子を皿から掠め取ってその場で口に入れていたんだ。食い意地が張っていると周囲に思わせるために太った。常に空腹で、食べ物を買う金に困っていると周囲に印象付ける必要もあった」
エラは表情の抜け落ちた顔ですべての動作を止めて立ち尽くしていたが、やがてかたく目を閉じ……暴走しそうになる自分の感情を抑え込むために深呼吸を始めた。
「…………あ、なるほど、つまり、セーロさんが太った挙句虫歯になったのは私の責任ですね」
再び目を開けたエラは、無理矢理口角を上げて、ことさら明るい声でセーロに向かってそう言った。
「……ちがう」
セーロの顔からざっと血の気が引く。彼は怯えた目をして首を横に振りながら後ずさり始めた。そのタイミングで丁度水の入ったコップを持ってダニエルが戻って来る。
「ほら、水」
目の前に差し出されたコップを受け取って、セーロは恐る恐るという感じで口に含む。染みない事に安堵した後、そのまま一気に飲み干そうとして……刺すような視線を頬に感じるのかコップを口に当てたままで固まった。その姿勢のまま目だけ動かしてダニエルに救いを求める。
ダニエルは作り笑顔でセーロを睨みつけているエラと、怯え切って背中を丸めているセーロを交互に見てから諦めたようにため息をついた。
「……あー、えーっと、そろそろ痛み止め切れる時間なんで、彼、部屋に戻してもいいですか?」
「ルークさま、私が連れて行きます。セーロさんの看病は私が任されおりますので! すべて、全部、丸ごと、このエラにお任せください! きっちりセーロさんの体重管理して、完璧に痩せさせてご覧に入れます」
エラは、逃がすものかというように、がしっとばかりにセーロの腕を引っ掴んだ。コップから水が零れて、セーロの服の胸元を濡らす。ダニエルが慌ててセーロの手からコップを奪い取るが、中の水はほとんど服に吸収されてしまっていた。
エラは嘘をつかれたことに、相当な怒りを感じているらしい。セーロは小さく首を横に振り続けていたのだが、エラはルークの返事も聞かずにセーロを無理矢理引きずって歩き出してしまった。
「さあ、お部屋に戻って、お夜食を食べましょう。お水と着替えも用意いたします。急に痩せるのは良くないですからね!」
掴まれた腕を解こうと弱々しく抵抗する大柄な男を、肩を怒らせた若い娘がずるずると引きずってゆく。普段おっとりとした彼女からは想像できない行動力だった。
「あの、私たちが一緒に行きます」
「ちゃんと……様子を見ておきますので」
見かねたフィンとマーゴがおずおずとルークの前に進み出ると、一礼してからエラとセーロを追いかけ始めた。
「ああそうだ。これだけは言っておかないといけない」
唐突な第二王子の言葉に、エラを含めた全員が一旦足を止めて振り返った。
「ジョエルは二度と君たちに関わってくることはないから、心配しなくていいよ。幽霊に怯えるみっともない姿を見られて、女の子二人にあっさりフられた挙句、昔いじめたことのある女の子に、仕返しで靴を顔にぶつけられたなんて……二度と思い返したくもないだろうからね」
目を細めて喉の奥で笑う王子様から、掃除中の隊員たちがさりげなく距離を取った。