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12 「がんばって会いにおいで」 その8

「キースはメイジーと交代です」


 廊下に出てきたリリアはそうキースに命じた。


「泣き顔を見られるというのは、恥ずかしいものなのです。じろじろ見てはダメです」


 エミリーとジェシカを背中に隠して、腰に手を当てる。


「じろじろ見てませんよ。……因みにリリアさまついこの間までルークさんにしがみついてずーっと泣いてましたよね」


 キースに意地悪く指摘されて、ふいっとリリアは顔を背ける。


「はいはい。メイジー呼んできますねー。お菓子必要なら用意するので声かけて下さいね」


 キースは笑いながら、軽い口調でそう言って去って行った。


「では、一度お部屋に戻りましょうか。お顔を洗うお水はメイジーが用意してきてくれると思います」


 俯いたままのエミリーとジェシカにそう言って、リリアは大階段へ向かって歩き始める。


「……リリアさまは」


 エミリーが顔を俯けたまま、ちいさな声で呟く。


「いつもお優しいです……」


 初対面の時もそうだった。あの時もリリアは混乱の中にいたエミリーを外に連れ出してくれた。怖がらせないように混乱させないように心を砕いてくれていた。息をするのも痛かったのに、彼女の穏やかな笑顔を見ていたら少しずつ気持ちが落ち着いていった……


「もしそうなら、それは……私ではなくて」


 リリアは少し困ったような顔をして……何か言いかけてやめる。


「……それはきっと、私が色々な方に優しくしてもらったからです。私とキースはとても泣き虫だったので、伯爵家の人たちがそれはもう色んな方法で私たちを泣き止まそうとしたのです。お花をくれた人もいたし、本を読んでくれた人もいたし、辛抱強く話を聞いてくれた人もいました。……慰め方ってその人その人の性格が出ますよね」

 

 大階段の手すりに手をかけて、一度立ち止まる。


「階段です、足元気を付けて下さいね。……私やキースが泣いている時にはそうやって必ず声をかけてくれたのはルークさまですね。キースは食べ物があれば結構すぐに機嫌が直るのですが、私はおかあさまが言った通り根に持つので、結構いつまでもいつまでも気にして泣いてしまうのです。……この間までもそうでしたね」


 リリアが自嘲気味に小さく息をつく。階段を一段あがる度に、その声が少しずつ暗くなってゆくのにエミリーは気付く。


「……私はどうしても自分に自信がないのです。だから、一度落ち込むと不安からなかなか抜け出せない。こうしてここにいていいのか、周りの人に確認せずにはいられない。自分でも面倒くさい人間だなと思います」


 淡々とした話し方に、エミリーは不安を覚える。焦燥感というのだろうか。心臓がどきどきし始める。思わずジェシカを見ると、泣きぬれた顔をしていている彼女も戸惑ったようにリリアを見ている。


「以前、ここは温室だと私に言った方がいらっしゃいました。その通りだと思います。おじいさまやお母さま、トマスさま、それにルークさまが、私たち姉妹を守るために作った温室。……恐らくエミリーさまもジェシカさまもお気づきでしょうね。この家にはとても秘密が多い。キースお兄さまも私もここではどうしても気を抜いてしまうので、何度か言い間違えていました。その度にみなさんは、はらはらしていらっしゃいましたね?」


 まっすぐ前を見たまま、リリアは二人にそう尋ねた。エミリーとジェシカは思わず足を止める。


「……はい」


 エミリーはちいさく息を吐いて、頷いた。

……気付いていた。時々リリアは、リリィの事を『リリィお嬢さま』キースのことを『キースお兄さま』と呼ぶ。そして、キースはリリアのことを『リリア』と親し気に呼び捨てにしていた。

 ……そしてリリアは、トマスのことは『トマスさま』と呼ぶのだ。リリィが『トマスお兄さま』と呼んでいるのに。


 ガルトダット伯爵家には双子の姉妹がいると聞いていた。だが……ここで暮らしていると違和感があったのだ。社交界にデビューしているのは長女のリリィなのに、実際のリリィはマナーの勉強中でダンスもほとんど踊れない。一方次女のリリアは……エミリーから見ても完璧な伯爵令嬢だ。でも彼女は……人を使うことに慣れていない。自分のことは自分でやってしまうし、何かとリリィの世話を焼いている。


「エラさんが一度、ものすごく慌てた顔で言ったことがあったのです『キースさん、さまが抜けてますよ。敬語忘れてますよ』って」


 エミリーも、ジェシカもエラもナトンも、気付いているのに何も言わなかった。絶対に触れてはいけないことだと察していた。


「秘密を暴くことだってできたんです。結婚許可書よりももっと持ち出されて困るものがこの伯爵家には沢山あるのですよ」


 エミリーたちに対しては、いつも朗らかな調子で話す彼女とは思えない程、全く温度の感じられない平坦な声だ。自分の立場を危険に晒すとわかっていて、それでも尚、彼女が何を伝えようとしているのか。……そんなことはさすがに今のエミリーにもわかる。


「リリアさま、信頼して下さっているのはわかりました。ですから、ですからどうかそれ以上はもう!」


 エミリーが切迫した声をあげて、リリアの言葉を止める。これ以上彼女に言わせてはダメだ。


「……では最後にひとつだけ。私も、これが警告だとしてもやはり甘いと思うのです。私とリリィお嬢さまはよく似ているので、言い逃れができない程の証拠を用意できない限りは、正面切って伯爵家を糾弾することは難しいでしょう。でも、証拠になるようなものはこの屋敷の中にしかない。一度外に出てしまったら入手するのは不可能です。エラさんは、私やエミリーさんたちが、この伯爵家にいられなくなる程のことをすることだって本当はできたんです。トマスさまの言葉を借りると『次はどうかはわからない』ということになるのかもしれませんけどね。……ああ、メイジーが待っていますね」


 使用人用の階段を使ったのだろう。エミリーたちが滞在している客間の前で、水差しを持ったメイジーが待っているのが見える。大階段をのぼりきって廊下を歩きドアの前までくると、リリアは、はかなげな表情で微笑んだ。


「メイジーはいつも元気をくれます。彼女は本当にすごいのですよ」


「あらあら、それではご期待に応えなければなりませんね」


 メイジーはリリアの様子がおかしいことに気付いているのに、そこには触れない。


「メイジーのエプロンから炒めた玉ねぎの良い匂いがします」


 リリアがちょっと目を細めた。メイジーはにっこり笑って彼女に告げる。


「スープを一口味見させていただいたのですが、とても美味しかったですよ」


「楽しみですね。……では、ここからは、良い匂いがするメイジーにお任せしますね」


 リリアは優雅にお辞儀をすると、自分の部屋に戻って行く。その姿を見送ってから、メイジーはエミリーとジェシカに向き直った。


「さあ、お顔を拭いて、目を冷やしましょうね。そのままでは明日瞼が腫れあがってしまいますよ。年頃の女性の方には一大事です。エミリーさまはソファーの方へ」


 ジェシカがドアを開けて、エミリーをソファーに誘導する。それを確認してから入室したメイジーは、ジェシカに水差しを差し出した。


「ジェシカさんは、まずは向こうで顔を洗ってきましょう。エミリーさまのお世話はあなたのお仕事よね?」


「……はいっ。ありがとうございます。すぐに戻ってまいります。エミリーさま少しお待ち下さい」


 弾かれたように顔を上げて、水差しを受け取ったジェシカは隣の控えの間に消えた。


「少し待ちましょうね。こういう時は体を動かしている方が気が紛れるものです。どうか……我が儘をたくさん言ってあげて下さい」


 メイジーは柔らかい布をエミリーに手渡してくれる。その言葉にエミリーは、はっとする。

 ジェシカが今何を一番恐れているのか、メイジーに言われてやっと気付いた。……エラとナトンがこういう行動を起こした以上、同僚である自分が疑われても仕方がないとジェシカは思っただろう。本当は怖くて仕方がなかった筈だ。

 エミリーは伯爵家の人々から、猜疑の目を向けられることがたまらなく怖かった。何を言っても信じてもらえず『おまえも仲間だろう』と決めつけられたらどうしようと、そればかり考えていた。「どうしよう、どうしよう」と自分の置かれた立場の危うさに慄くばかりで、他のことまで全く頭が回っていなかったのだ。結局自分のことしか考えていなかった……


 すぐにジェシカは控えの間から戻って来て、新しい布を水に浸して顔を拭いてくれる。


「……ごめんなさいジェシカ、不安だったわよね。お願いだから、キリアに一人で帰るなんて言わないでね」


 一瞬大きく目を見開いてから、泣くまいとぐっと堪えて、ジェシカは唇を震わせながら不器用に笑った。


「当たり前じゃないですか。ジェシカはエミリーさまの侍女なのですから。お嬢さまを置いて帰ったりなどいたしませんよ」


「……私、リリアさまより年上なのよね。……さすがにね、ちょっと恥ずかしい」


「最近ものすごくがんばっていらっしゃいますよ。エラともそう話していたのです。トマスさまの言う通りですね。きっと全部が嘘ではなかった。あの子に私、ハムサンド一つ分の貸しがあるんです。次は払うからって言っていたのに、それを踏み倒して逃げましたね。なかなかの悪女です」


 いつもの調子を取り戻そうとして、ジェシカが無理に明るい声を出す。だからエミリーもそれに合わせる。


「騙されたとしたら腹が立つし、何か理由があるなら、何で言ってくれなかったんだって腹が立つわ」


「そうですよね。エラはぼんやりした所がある子なのでしょうがないにしても、ナトンは許せませんね。エミリーさまが泣くとわかっているくせに。まったく、十年以上一緒にいたのに何も言わずに消えるなんて」


「……ナトンさん、結構本気で歌の練習してましたよね。ピアノまで借りて。多分本気でリリィお嬢さまの前でご披露するつもりだったんでしょうね」


 メイジーがそんなことを言うので、エミリーとジェシカは顔を見合わせる。


「……確かにあれは間違いなく本気でしたね」


「……トマスさまとリリアさまの言う通りね。本当に……本当にまだ何もわからないんだわ」


 エミリーは呟いて、大きく深呼吸する。そうすると、リリアの言った通りメイジーのエプロンからとても美味しそうな匂いがしているのに気付いた。その途端に今まで忘れていた空腹を感じる。……どんなに辛くてもお腹は空くものらしい。


「気持ちが落ち着いたらお腹が空きました! メイジーさんからいい匂いがするんだもの」


 困ったようにエミリーが言うと、メイジーは微笑んで頷いた。


「気持ちが前を向いた証拠ですよ。応接間の方にお菓子を用意しましょう。気分を変えるために着替えて、ちゃんとお化粧もしましょうね。せっかくなので給仕はキースに頼みましょう。やっぱり若い男性が一緒の方が、気持ちに張りがでますでしょう? トマスさまも呼びましょうか。ここはどういう訳だか、見た目の良い男性陣が揃ってるんですよねぇ。……でも全員どこか残念なんですよね」


 確かに、アレンは王子様のような人だけれど、自分に甘い所がある。トマスは完璧そうに見えても執務は嫌いで散々駄々を捏ねているのを見た。キースは色んな人に簡単に餌付されてしまうから困るとリリィが言っていた。確かに残念な人といえばそうなのかもしれない。 


「ルークさまは完璧な気がしますが」


「ここにいると忘れがちですけどね、身内以外には冷淡に振る舞う方ですよ」


「……あ、そうでした」


「本当に別人ですよね」


 エミリーとジェシカが頷いた。キリアで最初に会った時、彼は本当に血が通っているのかと不安になるくらい表情を変えない人だったのだ。


「でも、それはわざとやってらっしゃるのであって、残念というのとは違う気が……」


 エミリーがそう言った途端に、


「……ふっ。ふふふふっ」


 メイジーが耐えかねたように噴き出して、横を向いて笑い出す。その様子にエミリーとジェシカは思わず身を乗り出した。


「ええ? なんですか、気になります」


「私もすごく気になりますっ」


「……他の方の残念さに比べれば、全然大したことではないんですけどね。その内わかりますよ。ルークさまも人間ですからね」


 メイジーはいたずらっぽく笑う。


「ええーっ……教えて下さい」


 エミリーは思わず不満げな声を上げってしまった。そして気がつく、まだ心はじくじく痛むけれど、もう泣き続けようとは思わない。リリアの言う通りだ、メイジーはすごい。


「秘密です。……そうそう、忘れておりましたが、中でも一番残念な方が、今日、伯爵家に来ていらっしゃいましてね。イザベラさまの甥で、お嬢さま方の従兄に当たる方なんですけど。恐らくお二人には会わせないようにトマスさまがなさると思うんです。理由は、面倒くさい人だからです。関わり合ったことを絶対に後悔することになるので、金の髪に青い瞳をした男性を見かけたら、幽霊だと思って、すぐに逃げて下さい。マナーとかは一切気にしなくて大丈夫です。とにかく見かけたら逃げて下さいね。よろしいですね?」


 メイジーが念を押すので、エミリーとジェシカは意味も分からず頷いた。


「幽霊ですからね、必ず逃げて下さいね。ではキースにお菓子を準備させますね」


 メイジーは一礼して去っていった。

 エミリーとジェシカは思わず顔を見合わせる。目は赤いし腫れぼったいけれど、そこにいるのは普段通りの自分たちだ。


「温室って言葉の意味が分かった気がするの。……やっぱりもう少し、私はここにいたい。ここで学びたいことが沢山ある」


「見た目の良い男性陣が揃っていらっしゃいますからね。エラはもったいないことをしましたね」


 ジェシカの言葉にエミリーは笑って、まだちゃんと笑える自分に安堵した。


「そうね、まだ私は何もしていないのだわ。ここで逃げ帰ったら本当に相手の思惑通りなのよね」





 

「……見捨てないでくれ」


「……はい。もう一度そのまま目を閉じましょうね。二時間後にまた起こしに来ますからねー」


 ベッド中から手を伸ばしてきたヒューゴを見下ろしながら、キースは見事な作り笑顔でそう言うと、あっさりと踵を返して部屋を出た。


「悪化してます」


 ドアを閉め、トマスに報告する。外から鍵をかけ、念のために隣の部屋から運び出した棚でドアを塞ぐ。ルークを見習ってここまでやる。あれは危険物だ。部屋の外に出してはいけない。ヒューゴはルークやアレンやリリアと違って二階のベランダをつたって隣の部屋に逃亡したりしないのが救いだ。


「二時間後に起こしましょう」


「ホントめんどくさいな」


 トマスがとうとう表情を変えるのも嫌になったらしく、無表情のまま呟いた。 


「そこまでやったのね。……確かに、今のヒューゴをエミリーさんたちに会わせるのは、あらゆる意味で危険よね」


 大階段を上がってきたイザベラが、廊下に置かれた家具を見てため息をついた。


「泣いて縋られましたよ」


 キースがイザベラに報告した。イザベラの顔がひきつる。


「……大丈夫なのあの子?」


「二時間後にもう一度起こして様子見ます。原因ははっきりしているので大丈夫ですよ。……まぁ、僕らがあっさりしすぎてるんでしょうけどね」


 トマスがちらっとキースを見る。キースはちょっと困ったように笑った。


「こうなることは随分前からわかってたんで、何の違和感もなかったんですけどね……俺は」


「やっぱり同じ従兄という立場だから、余計に思うところがあるんじゃないですか? でも、ヒューゴはリリアには初対面で完っ全に嫌われてますからね」


 トマスがやれやれと肩を竦めた。


「リリア根に持つからな……一生許さないと思いますよ」

 

 ぼそりとキースが言うと、イザベラもこめかみを押さえながら深く頷いた。


「根に持つのよね……でも、あれはなかった。本当にひどかったわ」


 そう言って三人は棚で塞がれたドアを振り返った。そして、当時を思い出し、顔をしかめてため息をついた。


「……そういう所が本当にリリィにそっくりなんですよね。リリィのアレンに対する空回りっぷりもなかなかすごかったですからねー」


「それ以上でしたよ、ヒューゴさま。もう本当に意味わかりませんでしたから」


「……うちの血筋だと言いたいのね」


 イザベラが心の底から嫌そうな顔をして、何かを振り払おうとするかのように首を横に振った。


「……ルーク早く帰って来てくれないかなぁ。今のリリアが今の状態のヒューゴと遭遇すると、なんか恐ろしいことになりそうなんだよね。……何でだろうね。リリィが運河流れたことが遠い過去のように感じられる。ごめんねリリィ、無事でよかったとは思ってるんだよ本当に」


 トマスが天井を見上げて、今ここにはいない妹に謝罪した。


「そういえば、リリィお嬢さま、まだ居間なんですか?」


「アレンがリリィに謝罪がしたいとか言ってたわね。自分が目を離したせいで云々」


「……目を離したんじゃなくて、お仕事行ってたんですよね。相変わらず独特の思考回路をされてますね」


 意味がわからないというようにキースは困惑し、トマスが渋面を作った。


「二人きりで置いて来たんですか?」


「……頭痛くてね。大丈夫よ。今更どうにもなりようがないでしょうあの二人」


「そうかもしれませんけど、なんか……嫌な予感がする……」


 トマスの顔がどんどん強張ってゆく。イザベラは本当に頭が痛いのか、硬く目を瞑って顔をしかめた。


「……後はよろしく。わたくし頭が痛いからちょっと横になるわね。メイジーに二時間後に起こすように伝えて」


 イザベラはさっさと自室に向かって歩き出した。


「二時間後の自分の精神状態が想像できない……」


「ものすごく一日が長い……」


 イザベラを見送りながら、トマスとキースは茫然と呟いた。

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