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108 青い瞳の王子様 その2




「さて、青い目の王子様が二人だ。どうしようか」


 思いがけず近い位置から声がした。いつの間にやら、ヒューゴのすぐ背後にニールが立って、ふふっと意地悪く笑っていた。足音どころかまったく気配がなかった。

 ニールはヒューゴとジョエルを交互に見て、最後にベールの奥にあるクインの青い瞳をじっと見つめた。


「確かにこの国には、青い目の人間は少ない。でも皆無ではない。つまり、想像力が足りないせいで事故が起きてしまったという訳だ。……ねぇ従妹殿、君がヒューゴを好きなのは、青い目をしているからだよね。青い目をしたヒューゴが君を望まぬ結婚から助け出してくれた。だから彼のことが好き。違う?」


 違うと反射的に答えようとしたとき、突然バンっと窓が閉まった。クインはビクッと体を震わせる。


「でもそれは本来自分の役目だったのだと、こっちの青い目の王子様はおっしゃっている。何故なら君は、青い瞳の人間なら誰でも好きになってしまうという呪いをかけられているから。それを踏まえた上であえて聞くけど、従妹殿はどうしたい?」


 パキンパキンという不穏な音が廊下から聞こえてくるようになった。グレイスは落ち着きなく周囲を見渡す。ニールが何を言っているのかよくわからない。恐怖のせいで、すんなり頭に入ってこないのだ。

 ……もう怖いのは嫌だ。これ以上は耐えられない。この部屋から連れ出してくれるならば、誰にだってついて行くし、その人の瞳の色が何色でも構わない。先程ヒューゴは『一緒に戻ろう』と言ってくれた。しかも彼は幽霊を全く怖がっていない。だからヒューゴと一緒に戻りたい。それは間違っているのだろうか……いや、もう間違っていてもいいからここから出たい。


「今すぐ、お部屋に戻りたいですっ」


 取り繕う余裕などどこにもない。思っていることがそのまま口から出てしまう。

 トントントントンという音。これも廊下に面した壁の方からだ。恐怖のあまり恐慌状態に陥りかけているクインにさらに追い打ちをかけるように、一番出口から遠い窓が勢いよく閉まった。ひっというちいさな悲鳴が唇から落ちる。


「そっか、なら、この部屋から連れ出してくれる王子様と、この部屋から連れ出してあげないといけない王子様、さて、君はどちらと一緒に行きたい?」


 どうしてニールはそれを今聞くのだろうか。わからないけれど、この質問に答えない限り、ここから外には出してもらえないような空気を感じた。だから、回らない頭で必死で考えようとしたのに、ガタガタガタ……ガタガタガタ……壁の鏡が小刻みに揺れ始めて、クインの思考を鈍らせる。

 炎が揺れる。世界が揺れる。もういっそ気を失ってしまいたい。追い詰められたクインは、ヒューゴの頭に両手を回してぎゅうっと首にしがみついた。


 二択の答えは決まっている。選ぶなら絶対に『この部屋から連れ出してくれる王子様』だ。できることならば自分の足で走って逃げ去りたいけれど、床におりればせっかくのドレスが汚れてしまうし、クインはもう自分の足では歩ける気がしない。王子さまを連れ出すなんて絶対に無理だ。


 ――結局ヒューゴに運んでもらうしかないではないか。丁度今クインを抱えているのはヒューゴなのだから。どうしてそれではダメなのだろうか? 一体ニールは何を確かめたいのだろうか。


「ヒューゴさまと一緒にお部屋に戻ります」


 目を瞑ったまま、心に浮かんだままを叫んだ。怖くて怖くてぼろぼろと涙が頬を伝い落ちる。


「そう思うってことは、君はヒューゴのことが好きなのかな? それともきらい?」


「好きです!」


 その質問の意図もわからないが、一刻も早く鏡の間から出たいクインは深く考えることなく即答した。きらいじゃないのだから、好きなのだ。……二択なのだから。


「目を覚ましなさいクラーラ。その気持ちはまがい物だ!」


 怒声が室内に響き渡った。いえ、この気持ちは本物です。とグレイスは心の中で言い返していた。

 誰が発しているのかわかっている大声なら、もう怖くも何ともない。誰かわからない声の方がその何千倍も恐ろしい。沢山の声を集めて混ぜたような不気味な声を思い出して、ぞっと全身の毛が逆立った。二度とあの恐ろしい声を聞きたくない。これ以上、一分一秒だってここにはいたくない! 

 どうして、いつもいつもこの男は、クインに辛い思いや怖い思いばかりを強いるのだろうか。


「グレイス、私と一緒にエルナセッドに戻ろう。生まれ育った家に帰って、そこで私と一緒に幸せに暮らすんだ。いいかい、その男は君を絶対に幸せにはできない。目を開けて彼の目を見るんだ。もう君は何も感じない筈だ。だから私を選びなさい」


 ジョエルは一転して媚びるような甘えるような声音でクインに誘いかけたのだが、クインの心は絶対に嫌だと強く反発した。その声が嫌いだった……ずっとずっと嫌いだった! 


「いやです。ヒューゴさまといっしょに、今すぐお部屋に戻ります」


 またどこかの窓が閉まる音がする。こわくてこわくて体の震えが止まらない。

 この部屋から連れ出してもらえるだけでクインは幸せになれる。今クインはそれ以上のことをヒューゴに望んでいない。


「うん、じゃあこれが最後の質問。ヒューゴのことは好きなんだよね。じゃあこっちの君を迎えに来たという青い目の王子様のことは好き?」


「だいっきらいっ」


 反射的にクインはそう叫んでいた。考えるより先に言葉が外に飛び出していた。悲鳴のような自分の声を聞いて、ずっと長い間、この男によって一方的に心を傷付けられてきたのだと自覚した。


 ――母の葬儀後も、ジョエルは折に触れては()()()()の前に現れるようになった。


 祖父母の葬式の時も彼はいたし、グレイスの髪を切り落とした父の後ろにも立っていた。砂糖菓子を齧りながら絵を描く父の背後にも彼の姿があった。


 従兄がエルナセッドの屋敷にやって来た日、ノーヴェによって棒を首に押し付けられているグレイスを、興味のない品物を見るような目で眺めていた。華美なメイド服を着せられ、下卑た視線の中で給仕しているグレイスの前で、楽しそうに従兄と談笑していた。

 お嬢さまが蹴り倒したバケツの横にも、鞭を振り上げる奥様の隣にも、大声で罵倒する従兄の背後にも――彼はいた。


「かわいそうなグレイス。いつか必ず私が助け出して幸せにしてあげるからね。でも、それは今じゃない。君はもっともっとかわいそうな目に遭わないといけないんだ」


 怪我の手当てが終わった後や、泣き腫らした目で茫然と中空を見つめている時を狙って彼はグレイスのもとにやって来た、そして、ろくに抵抗できない状態のグレイスを抱きしめて甘ったるい声で慰めながらキスをした。


 ――でも、その『必ず助け出す』という言葉は、単なる出まかせだったのだ。それが今ここではっきりした。


「そのひとがボクと一緒に行きたいのは、ひとりだと怖いからですっ。ボクだって怖い。だから一緒に行くの、無理」


「クラーラ!」


 怒鳴られようが暴力をふるわれようが、顔を踏まれようが、できないことはできないし、イヤなものはイヤだ! 


「ボクは、クラーラというひとではないです! この部屋から連れ出してもらいたいなら、ご本人に頼んで下さい。ボクには、絶対に無理ですっ」


「そっか。そろそろヒューゴの腕が限界だろうから、このくらいにしておこう。部屋に戻って休憩しておいで」


 ニールのお許しが出ると同時に、ヒューゴが歩き出す。クインは怖いものを見ないように目を閉じた。


「クラーラ、あの男を止め……」


「私もクラーラではないので、お断りいたします」


 その言葉はクインに向けられたものではなかったようだ。最後まで言わせることなく、エラがきっぱりと断っていた。先程までより、随分彼女の声がしっかりしていることに安堵する。部屋からもうすぐ出られるということで、クインにも心に少し余裕が生まれていた。


「待つんだクラーラ! 私と一緒に来るんだ。その方が君のためなんだよ。君はその男とは決して一緒にはなれないんだ。住んでいる世界が違いすぎるのだからね! 君と彼ではつり合わない。だからおいで、私と一緒ににエルナ……」


「甘い物の食べ過ぎで虫歯になって、痛みにのたうち回ればいいのです!」


 ジョエルの言葉は、リリアの怒声によってかき消された。そして、バシッという、勢いよく何かがぶつかる音が……

 思わず目を開いて顔を上げる。ヒューゴの肩越しに見えたのは、顔を両手で押さえながらよろめいているジョエルの姿だった。


 ――リリアが投げた靴が顔に直撃したに違いなかった。


 一体どうやって網を抜け出したのだろうかと、それが気になって仕方がなかったクインは、ヒューゴの肩に体を乗り上げるようにしてリリアの様子を確認する。両足を大きく開くようにして床を踏みしめて立っている彼女の横で、網を持ったダニエルが力なくしゃがんでがっくりと項垂れていた。


「私は投げてませんっ。全部幽霊の仕業ですっ!」


 ……さすがにそれは無理がある。と、クインは思ったが、口には出さないでおいた。


 ヒューゴの前でドアが自動で開く。二人が廊下に出ると、大きな音を立ててひとりでに閉まった……のではなく、廊下にいた黒い軍服を着た男性がわざと乱暴にドアを閉めた。


 同じ黒い軍服を着た男たちが黙々と、ランプで明るく照らされた廊下を掃除をしている。

 床や壁に飛び散った泥をモップで拭きとり、汚れたらバケツの水で洗っているようだ。その際、モップの先がバケツの底を叩くらしく、トントントントン、トントントントンという音がしていた。


 ドアの開閉担当らしき男性は、今度は足元に置いたバケツから小枝を拾い上げ、パキンパキンと折り始める……


 つまり、廊下から聞こえてきた音に関しては、幽霊の仕業ではなかった。

 舞台裏を目の当たりにしたクインの体から、すべての力が抜け落ちた。



 

思ったより時間がかかってしまいました。申し訳ございませんでした。

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