表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/177

99 天使様も暴走 その4


 恥ずかしさといたたまれなさで顔を上げられないクインは、そのままどこかの部屋に運ばれて床におろされた。恐る恐る顔を上げた瞬間に、クインは今さっきまで抱えていた感情をすべてを忘れ去って、「わあっ」と歓声をあげた。

 目の前にお姫様がいたのだ。それも四人も!


 象牙色のドレス姿のリリィと、異国風のドレスを身に纏ったエミリーとジェシカ。そして、こちらも異国風の服を纏った赤い髪の綺麗な……きれいな……


 ……あれ?


 クインは思わず傍らのヒューゴを見上げて少し首を傾げる。


 体の線を隠すようなゆったりしたローブ風の服だった。遠い国の民族衣装なのだろうか、深紅のドレスには金糸で見たことない模様の刺繍が施されていた。

 イブニングドレスコート姿のトマスと並び立っているその人は、目許を強調した化粧を施されていて……一見女性のように見えるけれど、凛としたたたずまいが男性のようにも見えた。トマスの横に立っているからあまり気にならないが、リリィやエミリーに比べるとだいぶ背が高かったように思う。

 赤い服を着た美しい人の背後では、色違いの紫色の衣装を着た青年が床に膝をついて、腰回りを飾っているリボンのような細長い布を真剣な顔で結んでいた。一目で異国の血を濃く受け継いでいるとわかる、謎めいた独特の雰囲気を持つ人だった。


 見間違いだろうか、それとも勘違い……? クインは改めて赤い衣装の美しい人の姿を確認する。


 ……あれ?


 さらに首を傾げて、再びヒューゴを見上げた。


「きれいだろう?」


 何でもない事のようにヒューゴはそう言った。


「……はい」


 ここはきっと、何も詮索せずに素直に頷くべきなのだ。クインはちゃんと空気を読んだ。そして、赤い髪の人からそっと目を離し、リリィとエミリーとジェシカの方に意識を向けると、胸の前で両手を組んだ。


「えっと……とても……とても、とても、すてき、です。よくおにあい……です」


「うん……色々気を使わせてごめんねクイン」


 トマスがさりげなくそう言った。でも顔は半笑いになっていた。


「クインが頑張ってくれたお陰でドレスが間に合ったの。本当にありがとう」


 スカートを持ち上げるようにしてリリィが駆け寄って来ると、クインの両手を取って笑顔でお礼を言ってくれる。象牙色のドレスを着て髪を結い上げたリリィは大人びていて、クインは思わずどきどきしてしまった。


「とても、よく、おにあいです。……エミリーさまも、ジェシカさんも、とっても……すてき……です」


 どうしようありきたりの言葉しか出てこない。頬を赤らめて、それでも精一杯の気持ちを込めた言葉を贈ると、リリィはぱあっと満開の笑顔を浮かべてくれた。


「うん! ありがとう!」


 弾むような声は、やっぱりクインの心を明るくしてくれる。伝えたかった気持ちを受け取ってもらえたのだと嬉しくなる。


「クインさまにそう言ってもらえると、すごくうれしいっ!」


「本当ですね!」


 エミリーとジェシカは、目を合わせて少し恥ずかしそうに笑い合う。二人が着ているのは、胸の下で切り替えのある、ゆったりとしたドレスだった。肩を出すのが主流の王都のドレスと異なり、首元から手首までを透け感のある布で覆っている。二人が腕を動かすと、手首に向かって広がっている袖がひらりひらりと涼し気に揺れて、縫い留められたビーズが輝いた。

 

「その、刺繍……お揃いなんです、ね」


 首元に白い糸で植物の葉を思わせる小さな刺繍が施されている。リリィの胸元を飾るフリルにも、同じものが刺繍されていた。


「エラが刺繍してくれたんです。悪意ある視線から守ってくれるお守りなんですよ!」


 壁際に立っていたメイド服姿のエラが、にこにこ……というよりは、にやにやしながら、エミリーとジェシカを見ていた。


「次はエラもドレス着てね」


「いえ私は、着るより眺める方が好きなので、どうぞどうぞお気遣いなくー。人が多い所は苦手なんですよぅ。お留守番してまーす」


 気ぬけた様子でそう言うと、欠伸を噛み殺すように口元隠して横を向いた。彼女もだいぶ疲れている様子だ。


「私のはね、リリアが刺してくれたの。……でも、今ヒューゴお兄さまとリリアが顔を合わせると面倒なことになるから、ここにはいないのよね」


 クインが知らない間に、ヒューゴとリリアの間で何かあったような口ぶりだった。


「一応あの子も色々反省しているみたいで、後でちゃんと謝るみたいなことは言ってたわよ? 睡眠不足で、もう色々限界だったのよね。だいぶまともな精神状態には戻ってたから、顔見た瞬間にいきなり蹴り飛ばしてきたりはしないから安心していいわ」


 リリアがヒューゴに向かってそう告げると、ヒューゴは気まずそうにふいっと目を逸らした。

 二人の間に何があったのだろうか。不安そうな顔付きになったクインに気付いたリリィは、少し身をかがめて青い瞳を覗き込む。


「クイン、今夜はヒューゴお兄さまとお留守番お願いね! 明日はまた一緒にお茶をしましょう。ピアノの練習もしなくちゃいけないわ。約束ね!」


 こうやって明日の約束をしてもらえることが、何より嬉しい。『明日もここにいてもいいのだ』と、そんな風に思えるから。笑顔になったクインを見て、リリィは、どうだ! とでも言いたげな顔でヒューゴを見上げた。

 途端に目の前に壁が現れる。ヒューゴがクインとリリィの間に立ちはだかったのだ。ヒューゴの後ろでおろおろしているクインを見て、リリィは呆れ果てたというような顔になった。


「まぁ……それも明日までの辛抱だから。クイン、悪いけど、今夜だけはヒューゴに付き合ってやってー」


 トマスの声は非常に投げやりだった。


「できました」


 赤い衣装の袖を整えた異国の青年がおもむろに立ち上がると、壁際まで歩いて行き、真剣な顔で赤い衣装を着た美しい人の着姿を確認し始める。


「……すみません。……正直言って、細かい部分はあまり自信がないんですよ」


「どうせ誰もわかんないってー。間違ってたら間違ってたでいいよ。ご苦労様―。うん、二人ともよく似合ってる」


 ごく軽い調子のトマスの言葉を聞いて、青年は安堵に顔を緩ませた。


「……あんなに長く気絶してなかったら、ここまで時間が押すこともなかったんでしょうけど」


 エミリーが小さな声でぼそりと呟いた。クインの耳にぎりぎり届く程度の声だったので、勿論本人には届いていない。壁際に立っているエラは聞こえなかった様子で平然としているが、ジェシカはやれやれとゆるく首を振っている。

 つまり、あの人が悲鳴をあげていた『容姿に自信がある幼馴染』なのだ。エラとジェシカは『普通』だと言っていたが、クインの感覚からすると、ぱっと目を惹く謎めいたきれいな人という印象だ。

 幼馴染と言ってるのに、エミリーはあからさまに『関わりたくない!』という態度を取っている。エラとジェシカも、相手にすると疲れるとまで言っていたので……もしかしたら一癖ある人なのかもしれない。


「じゃあ、道が混む前に行こうかー。まずは、オーガスタお姉さまと母上がいるホテルに向かいます。…………あーほんっと行きたくないな。めんどくさー」


「トマスさま、その辺にしとかないと。今夜は鳩が沢山飛び回っているので、ぜーんぶ筒抜けです」


 軽いノックの音がして、背後のドアから黒い軍服姿のダニエルが顔を覗かせる。トマスはげんなりした顔になって口を噤んだ。

 鳩? こんな夜に? とクインは不思議に思う。


「迎えの馬車が到着しています。……いやだから、お城の舞踏会なんですから、もうちょっと何というかですね……女性陣以外目が死んでますね」


 ダニエルは男性たちを眺めてそう評した。


「ねーねーダニエル、どう、似合う?」


 リリィが明るい声でダニエルに尋ねると、彼はとても感じよく笑った。


「はい、大変お美しいですよ」


「ブレアさんは?」


「あーブレアさんにも感想求めますか。……リリィさまのドレス姿見たら、あの人泣いちゃいますからね。出てこないと思いますよ」


「そだねー。泣くねー」


 トマスが頷いて、傍らの赤い衣装の美しい人も黙って何度も頷いている。


「何でブレアさんが泣くのよ」 


 不思議そうな顔をしているリリィに曖昧に笑いかけ、「道渋滞するんで早めに出て下さいね」そう言い置いてダニエルは去って行った。


「だから何で……」


 結局答えてもらえなかったリリィが、大変不満そうに頬を膨らましている。


「大変よくお似合いですよ。……大きくなられましたね」


 その時、どこからともなくとても優しい声がした。聞く者の心を温かさで満たすような響きがそこにはあった。


「…………え? ……ゆうれい……さん?」


 きょとんとした顔で、リリィが呟いて、次の瞬間ばっとトマスを振り返った。トマスはダニエルと同じように曖昧に笑って誤魔化すと、


「そろそろ行こうか。……ヒューゴ、お留守番よろしく。お願いだからリリアと喧嘩しないでね。怪我すると明日から仕事行けないからね。お給料もらえないと家族養えないからね。そこちゃんと肝に銘じておいてね」


 真剣そのものの表情でヒューゴに向かってそう言った。これからお城の舞踏会に行くのに、屋敷に残るヒューゴやリリアの事が気になって仕方ない様子だった。


 ……本当に、二人の間で何があったのだろう。






「……あ、本当に泣いてるんですね」


 真っ暗な部屋の中、いつも黒い軍服姿で壁に凭れて窓の外に目を向けているブレアを見て、ダニエルが驚いた声をあげた。丁度ここからは馬車に乗り込むリリィの様子がよく見える。窓辺に立つリリアが、不安そうにカーテンを握りしめている。自分が舞踏会に行くより緊張している様子だ。


 無事に今日を迎えたことへの安堵と、どれだけ押さえ込んでも湧きあがってくる不安と……寂しさと。この部屋にいる全員が同じものを抱えているから、部屋の空気は重く沈み込んでいる。


「今さっき鳩が飛んできました。アレンさま真面目にお仕事してるらしいです」


 ダニエルから受け取ったメモを開いてルークは目を通すとそのまま胸ポケットにしまう。本当は燃やしたいが今ここで火を使う訳にはいかない。


「離宮の方で動きがあるようですね。オーガスタに対抗して出てくるかもしれません。……ブレア、王宮に行くなら許可しますが、どうしますか?」


「戻って来た時にここが荒れ果てていたら、きっと悲しまれます。私は幽霊なので、この屋敷を守らないと。きっと疲れ果てて戻っていらっしゃいますからね」


 喉の奥で笑ってからそう言ったブレアは、いつもの軽い調子を取り戻していた。彼はルークが出会うずっと前からリリィの成長を見守ってきた人だ。彼女が一番孤独だった時期を陰から支えていた。


「それに、王宮の方は、オーガスタさまが何とかして下さると信じているので。……ああ、馬車が出ますね」


 ガラスの向こう側は、煌びやかに飾り立てられたお城の舞踏会に相応しい……星の綺麗な穏やかな夜だ。


 震える手がルークの左手を握る。リリアは祈るような面持ちで馬車が走り去った方角をみつめていた。そして目を閉じて深い呼吸をする。再び目を開けた時には、手の震えも止まり、口元には穏やかな笑みを浮かべていた。


「大丈夫です。リリィお嬢さまはきっと笑顔で帰って来て下さいます。……トマスさまはわかりませんけど」


 ぼそりと不穏な言葉を付け加えるのはやめてほしい。


「ルークさま、クインさまのお食事の準備をしに行きましょう。おばあちゃんたちは、今夜は雨戸を締め切って早めに休むと言っていました」


「……前から疑問だったんですが、伯爵家の街屋敷って、確実に本館より使用人棟の方が安全ですよね?」


 いい機会だから疑問を解消しておこうというような軽い調子で、ダニエルがルークにそんな質問を投げた。


「使用人棟と地下水路と地下牢は同じ時代に造られたものなんです。大昔に要塞だった建物をそのまま利用しているので、壁は厚いし頑丈ですね。雨戸閉め切ってしまえば、おじいちゃんおばあちゃんたちは朝まで安全だと思います」


「後の時代に造られた石垣の方が先に風化して崩れたってことですね。昔の建造物の方が残るって、面白いなぁ」


 そう感想を述べた直後に、ダニエルは微妙な顔つきになった。


「狙われている人たちが、ある意味一番安全じゃない場所にいるんですね。……でも、おじいちゃんおばあちゃんたちを人質に取られる方が危険かぁ」


「皆様が守って下さるので、ここが一番安全ですよ?」


 何の疑いも抱いていない様子できっぱりと言い切ったリリアを見て、ダニエルは言葉に詰まってからふいっと横を向いた。照れているのか落ち着きなく視線を彷徨わせている。ブレアがふふっと軽やかな笑い声をあげた。


「信頼には応えねばなりませんね。……だから、ここは私たちに任せて、リリアさまは大人しくしていて下さいね」


 リリアとも長い付き合いであるブレアは、最後に一言付け加えるのを忘れなかった。そして、リリアがどこか居心地悪そうに左手でエプロンをぎゅっと握るのを、全員見逃さなかった。

 多分それは無意識の行動だ。……何か隠している。


「エプロンのポケットから指貫全部出しましょう」


 繋いだ右手を軽く引っ張って頷くと、リリアはむすっとした顔になった。


「…………刺繍用の鋏だもん」


 ……今それをエプロンのポケットに入れている意味がわからない。

 ルークとブレアとダニエルは、同時に深いため息をついた。


「携帯している目的を、今すぐ、ここにいる全員に説明して下さい」 


「海賊を倒すのです!」


「そっちかぁ」


 止めていた息を吐き出すかのようにダニエルが声をあげる。「てっきりヒューゴさまの髪でも刈るつもりなのかと思った……」と、ブレアが後を続けた。


「ルークさまのお嫁さんになるために、海賊を倒すのです!」


 完全に開き直ったリリアは高らかに宣言した。そう言えば何でも許されると思っている気がしなくもない。

 これも全部レナードがリリアに余計な事を吹きこんだせいだ。ロバートの『〇〇できたら船に乗せてやる』より数段悪質だった。


「とりあえず先に来るものから、順番に片付けるとして……」


 ルークは静かに微笑んだ途端に、ダニエルとブレアが先を争うように部屋から出て行く。


「厨房行って、おばあちゃんたちを手伝って来ます……」


「そろそろ持ち場に戻ります……」


 そう告げた二人の声は、すでに遠い。


「私も厨房に行くのです! おばあちゃんたちのお手伝いをするのですっ」


 繋いでいた手を離して、そのままブレアとダニエルを追いかけてゆこうとするリリアを片手で抱きしめて拘束する。リリアは焦ったように浮いた足をバタバタと動かし始めた。


 こんなに簡単に捕まってしまうのに、どうして彼女は海賊を倒すなどと簡単に口走るのだろうか。


 爪先を必死に伸ばして床につけてから、リリアは恐る恐るという感じでルークを振り返る。左腕を少女のお腹に回したまま、ルークは右手を顔の前に差し出した。


「鋏を」


 声を荒らげたつもりはないのに、リリアは涙目になっていた。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ