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11 「がんばって会いにおいで」 その7


 キースに伴われて、真っ青な顔をしたエミリーとジェシカが居間に入って来る。


「……エラが姿を消しました」


 リリィたちが座るソファーの横まで歩いてくると、エミリーが力のない声でそう言った。そのまま蹲りそうになる彼女を、ジェシカが慌てて支える。ジェシカの足も震えていて立っているのがやっとという感じだ。

 リリィは息を飲む。おっとりとした侍女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「……うん。三階の部屋にね、リリアの結婚許可書が隠してあった。偽物だけどね。さっき確認したらそれもなくなっていた」


「申し訳……ございません」


「様子がおかしい気がすると前から話してくれていたよね。そして、その件に関してはこちらに任せてほしいと僕らが言ったんだ。辛い思いをさせてしまってごめんね」


「キリアに……戻ります。これ以上……ご迷惑を、かける訳には……」


 喘ぐように息をしながら、エミリーは俯いたままやっとそれだけ言う。


「もうしばらくここにいればいいよ。キリアがここより安全とは限らない。いかにも海賊っぽい求婚者送り込んでくるような相手だからね」


 トマスが優しい声で諭すが、エミリーは俯いたまま首を横に振る。


「……ごめんなさい。逃げようとしているだけだと、わかっているんです。私は……本当に心が弱い。怖くて……。イザベラさまや、トマスさまみたいに……立ち向かえない……」


 両手を握りしめて震えているエミリーに自分を重ねて、リリィは胸が苦しくなる。もし自分だったら……部屋に鍵をかけて閉じこもる。それでは何の解決にもならないと自分自身を責めながらも、怖くて外には出られない。


「……あのね、さっきソフィーさんは運がこちらに味方したと言ったけど、僕は違うと思うんだ。エラさんもナトンさんも、もっと残酷な方法で裏切ることだってできた。ここで自分たちの立場を明かす必要なんて全くなかったんだよ」


 その言葉を聞いて、リリィが兄を振り返る。トマスは痛みを堪えるような目をして妹を見ていた。リリィの瞳が大きく見開かれる。


「誰も怪我をしなかったよね。警告だとしても、それでもやっぱり甘いんだよ」


 リリィの心臓が嫌な感じで脈打ち始める。

 

「ナトンさん……?」


 掠れた声が唇から落ちた。


「ロバートから伝言があったよ。迎えに行った時にはもう姿を消してたって」


「リリィさまっ、本当に申し訳ございませんっ」


 エミリーが床を見つめたまま悲痛な叫び声を上げた。

 

 内通者がいなければ、この事件は起こせなかった。

 今回のおつかいは、イザベラが一週間くらい前に計画したものだ。ロバートの店を一日貸し切りにするため、店側の都合に合わせる必要があったためだ。リリィが今日あの時間にロバートの店を訪れるということを予め知っていたのは、ごく少数の人間だ。その中に、情報を相手側に流した人間がいた。……それに気付いた時から、覚悟はしていた。でも何かの間違いであってほしかった。


 照れたような顔でお菓子や花をくれた大きな大人の男の人。並んで座って絵本を読んでもらった。歌を歌ってくれると約束したのに。


「きっと……嘘ばっかりじゃなかったんだと思うよ。次に会う時はわからないけどね」


 ……そうか。あの時わざわざナトンは御者を呼んで、リリィたちに伝言を頼んだ。あのまま御者台に座っていたらきっと……突き落とされて大怪我をしていた。


 ――リリィさまはまだお小さいので。


 その声が、耳の中で繰り返す。


「……うん」


 リリィは涙を堪えて頷いた。きっと彼はリリィが小さい子供だから、容赦してくれたのだろう。そんな気がした。


「エラさんもね、すごくわかりやすい証拠を残していったんだ。どうしてなんだろうね?」


 エミリーとジェシカを気遣うように、トマスはゆっくりと話しかける。


「エミリーさんがこのままキリアに帰ったら、もう理由はわからないよ? 相手にとって自分が取るに足らないつまらない存在だったのだと、突き付けられるのが怖いのはわかる。でも確かめないとわからないよね。……もしかしたら、今、どこかで泣いているかもしれない」


 エミリーが諦念と自己嫌悪で強張った顔を上げて、トマスを見つめる。唇を噛みしめて必死で涙を堪えていた彼女は、ひくっと喉を鳴らした。

 ジェシカが両手で顔を覆う。

 

「……僕、立ち向かってないからね。面倒なことはルークが全部何とかしてくれないかなっていつも思ってるよ? でも、妹たちとキースと母上と、この家を守るためなら、ほんのちょっと頑張れるかなぁ。薄い壁くらいにはなれてた?」 


 軽い感じでトマスがキースに尋ねる。キースは少し照れたように顔を背けて、小さな声でぼそっと言った。


「……いつも目の前にはあなたの背中がありました。その後ろにいれば何も怖くなかった」

 

「キースちっちゃくて泣き虫だったからね。年上のお兄さんは、頑張らなきゃって思ったんだよね。……だけど、君を守れた時は、僕はちょっとだけ自分に誇りを持てた。その積み重ねが今の僕を作っている。君と妹たちがいなければ、僕はきっと今の僕にはなれなかった。……いつの間にか大きくなったねぇ。毎日目が溶けそうなくらい泣いてたのに」


 キースを上から下まで眺めてから、トマスはしみじみとそう言って嬉しそうに微笑んだ。キースの顔が真っ赤になる。


「最後余計ですって!」


「……まだ幽霊怖い? またみんなで一緒に寝る?」


 キースは不機嫌そうに目を細めた。


「ああ……そんなこともありましたね」


 ずっと昔、まだ四人がちいさな子供だった頃、うっかり幽霊が出てくる絵本を読んでしまったキースが泣いて怖がったため、一番広いトマスの部屋のベッドで四人で寝たことがあった。


「リリィお嬢さまにベッドから蹴り落とされました。痛かったです」


 恥ずかしい過去を暴露されたキースが、八つ当たり気味にリリィを見た。


「多分リリアよ」


 リリィはその視線から逃れるように、壁際に座るリリアを振り返った。


「……私、そんなに寝相悪くないですよ。朝起きた時に、ベッドに上に残っていたのはお姉さま一人でしたよね?」


 リリアは澄ました顔でそう言った。確かに、朝起きたら兄とキースとリリアはクッションを枕にして床に転がっていたような気がする。何故そうなったのだろう。……今改めて思い返すと謎だ。


 思わずといった感じで、ふふっとソフィーが声を出して笑う。部屋の空気が穏やかなものに変わる。


 一連のやり取りを眺めていたエミリーの顔から、怯えが消えて……何もかも諦めたような目に、光が戻る。遠い昔を懐かしむ顔をした彼女は、顔を大きく歪めて、ジェシカに抱き着いた。

 きっと彼女にも、エラやナトンの過ごした穏やかな日々の思い出がある。アレンを追いかけて王都に行くという時に付き添いを頼んだ三人だ。エミリーにとっては最も信頼できる人間だったのだろう。彼らがどうしてエミリーを裏切るような事をしたのかはわからない。最初からそうだったのかもしれないし……トマスの言うように、今どこかで泣いているのかもしれない。


 イザベラが立ち上がり、エミリーとジェシカの前に歩み寄ると、優しく二人の背中を撫ぜる。傷付いた幼い子供を慰めるように。


「わたくしにもね、泣いて引きこもっていた時期はあったのよ? でも、トマスと同じね。子供達のためなら少しだけがんばれた。そのほんの少しが積み重なって積み重なって今のわたくしを作っている。平気なふりをしてただ立っていただけよ。それで精一杯だった。でもそうね。私の心を守ってくれていたのは子供達だったわ。もう怖くて足が竦んでしまっても、この子たちのためならって思うと、足がちゃんと動いたの。そんな自分に安堵して、毎日そのくり返し」


 イザベラはそう言って、伯爵家の四人の子供たちを見回す。それから、泣いている二人の少女の肩にそっと手を置いた。


「あなたたちは、自分の心を守らないといけない。逃げても良いの。でも、今キリアに戻るのは逃げることにはならない。余計に追い詰められるだけ。ここはキリアより安全だから、ここにいなさい。二人のご両親のことはロバートに頼んであるから大丈夫」


 エミリーとジェシカの体が大きく震えた。大丈夫よ。ともう一度イザベラが繰り返す。


「二人はここにいていいの。わたくしの子供たちはね、本人たちが思っているより図太いのよね。だから罪悪感を感じる必要はないわ。大丈夫よ。リリィなんて運河流れたことなんて明日にはもう忘れてるから」


「さすがに覚えてるわよおかあさま」 


 リリィはむすっとした顔を母親に向けた。


「あのね、あなたは、嫌な事があってもちゃんと発散できさえすれば、すぐに忘れられるタイプなの。リリアの方が甘えん坊で根に持つのよね」


 イザベラに意味ありげな視線を向けられたリリアは、ちょっと気まずそうな顔をして小さくため息をつく。そして、ソファーから立ち上がると、エミリーとジェシカに優しく声をかけた。


「……私、甘い紅茶が飲みたくなりました。エミリーさまとジェシカさんもいかがですか? コックが焼いてくれたパイもありますし、アーサー殿下のお見舞いの焼き菓子もあります。ふふっ、夕食前にお菓子をいただくのはちょっと罪深い感じですね。キース、お茶を淹れてくれますか?」


「では応接間に用意しますね」


 キースは穏やかな声でそう言って部屋を出て行く。


「結論は今日出さなくてもいいの。ゆっくり考えなさい。気が済むまで泣いて、リリアの言う通り、甘いものでも食べて気持ちを落ち着かせると良いわ」


 エミリーとジェシカが泣きながら頷くのを確認すると、イザベラが二人の背中を押して部屋の外まで送り届けた。


「……リリア、ドレスが着られなくなるのは困るわよ」


 居間を出ようとするリリアに、イザベラがすれ違いざまに声をかける。


「着られなくなったら、リリィお姉さまに結婚してもらえば大丈夫ですよ?」


 笑顔でとんでもない事を言い置いてリリアは去って行った。居間に残っている誰もが耳を疑っている中、トマスが肩を震わせて笑い始める。


「……やっぱり、リリアはすごいねぇ。時々とんでもないこと言い出すから本当に面白いよね」


「もうっ。深刻な空気全部吹き飛んだわよ。実際私がルークと結婚するようなことになったらものすごく泣くくせにっ」


 文句を言いながらもついついリリィも笑ってしまう。イザベラはやれやれというような顔をして、再びソファーに腰を下ろした。


「リリアさまらしいですね」


 ソフィーも肩の力が抜けたように微笑んだ。普段の調子を取り戻して、声が随分明るい。


「今わかっていることは以上です。ルークさまが引き続き色々調査されていますから、わかったことがあれば、戻られた時に報告されるでしょう。……あ、あと伝言がございます。『一晩でいいから預かってくれ』だそうですよ。閣下からです」


「え、嫌」


「え、無理」


 反射的にトマスとリリィは答えていた。


「では、お伝えすることは以上なので、私はこれで。仕事が残っておりますので」


 ソフィーは笑顔のまま、そそくさと帰り支度を始めようとする。


「王宮戻るなら、ヒューゴ持って帰……」


「それはちょっと……」


 トマスの言葉を遮って、ソフィーが申し訳なさそうに言った。


「……そんなに嫌われてるのうちの従兄」


 トマスが真面目な顔になってソフィーに尋ねた。ソフィーもトマスにきちんと向き直った。


「……正直に申し上げますと、最近壊れっぷりが酷くて、王宮の侍女の間でも敬遠されてます。頭ごなしに怒鳴ってくるので……」


「……王宮でもそんな状態なの?」


 イザベラが、職場での甥の様子を聞いて顔を引きつらせている。


「それがお仕事だと言えばそうなんでしょうが、ここのところは度を越してひどいことになっておりまして……お疲れなのはわかっておりますけど、普通の時との差が大きすぎるんですよ。お姿を見かけるとみんな逃げますね」


 ソフィーが困惑した様子で説明した。イザベラはまた頭痛がしてきたのか、こめかみをぐりぐりと押さえている。


「困ったことになっているのね……」 


「眉間に皺がない時は大丈夫なんですけど、最近ずっとお顔が怖い……」


「小さい子が見たら泣くよね……」


 思わずと言った感じでトマスが呟くと、ソフィーが気まずそうに実は……と切り出した。


「実際若い新人の子を何人か泣かせてます。先日も髪の毛がちょっと赤みがかった子に難癖付けて、異民族は王宮に入るなとか言って泣かせてしまって。侍女長がこの子は血筋の確かな令嬢ですと説明してその場は治まったんですけどね……」


「……侍女長出て来たのね」


 イザベラががっくりと肩を落とす。


「そういう訳ですので、よろしくお願いいたします。私はヒューゴ様が起きて来られる前に退散いたします」


 まるでヒューゴから逃げるように、ソフィーは去って行ったのだった。

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