96 お姫様と墓守 その3
リリィは箱を両手で持って、不思議そうに首を傾げた。
「……え? アクセサリーなら売るわよ?」
彼女の言葉に、その場にいた全員が、ぴたりと動きを止めた。
「え? ええ? なんでその反応になるの? 私なんかおかしな事言った?」
リリィは茫然とした顔をしている騎士たちに向かって、焦ったように尋ねた。
「…………いやぁ、……はい。うん。なるほど?」
最初に立ち直ったブレアは腕組みをして、大きくひとつ頷いた。ダニエルとアレンはまだその場で固まっている。
「……で、売ってどうするんです?」
にーっこり笑ってブレアはリリィに尋ねた。
「どこに投資するかは、ルークに相談して決める。レナードの借金減らせるようにがんばる!」
ブレアは驚きに目を瞠った後、困ったなぁというように笑った。
「……さみしくなりましたか」
「刺されたとか聞いたから、このまま一生会えない可能性もあるんだって気付いちゃったのよ。そうしたら不安になっちゃって。元気な姿見ればきっと安心できるんだけど、レナード、借金返さないと私たちには会わせてもらえないことになってるし」
リリィはカードの文字をじっと見つめる。レナードとは二年近く会っていない。最後に会った時の姿はすでに曖昧だ。短い手紙は届くから筆跡はわかる。少年の頃の顔はすぐに思い描ける。
でも、大人になった彼の姿と声は、霧の向こう側にいるかのようにぼんやりとしている……
「……うっわー……最っ低だ。知ってるけど」
ダニエルの言葉が珍しく乱れている。「本っ当にいい勝負だな……」と言ってちらっとアレンを一瞥した。
「アレンお兄さま借金ないわよ? だからレナードと同列に扱ってはいけないと思うわ」
「よかったですねー。アレンさま借金なくてー」
はははははーとダニエルは声だけで笑った。アレンは非常に複雑そうな顔をしてリリィを見ていた。
「……お祝いのアクセサリーより、本人に直接『社交界デビューおめでとう』と言って欲しかったんですね?」
ブレアがリリィの前にしゃがむと、ちいさなちいさな子供に話しかけるように、優しく微笑みかける。だから、リリィも自分が十歳以下の子供になったようなつもりで答えた。
「うん……そろそろ、さみしくなってきたなぁ。どうしたら、会えるんだろう?」
ブレアは軽く首を傾けて唇に指を当てるようにして考え込んだ。その仕草はリリアによく似ていた。
「オーガスタさまに直接頼んでみてはいかがですか? お嬢さまが借金肩代わりする覚悟までしていると聞いたら、速攻見つけ出してボコボコにしてから、ロープでぐるぐる巻き状態にして届けてくれますよ。オーガスタさま、お嬢さまたちだけには優しいですからね」
「……ロープでぐるぐる巻きなのが足元に転がされるのは嫌だなぁ」
その姿を想像して、リリィはふふっと思わず笑ってしまう。
「ボコボコにされるのはいいんですね」
「そうしたい気持ちはわかるもん。……そっか。後でお姉さまに会ったら頼んでみる。これどうしよう?」
リリィが両手で箱を差し出すと、ブレアは頬を掻きながら、すっと視線を外した。
「ルークさまに買い取ってもらってください。そのお金を投資に回せばいいと思いますよ。さすがに売り払うのは……同情を禁じ得ないというか……可哀想かなぁと」
その言葉に、リリィはきょとんとした顔になった。
「レナードが可哀想なのは、今に始まった事じゃないわよ?」
「そうですね。……可哀想すぎてもう笑うしかない……速攻売り払われそうになるって、どうなんだ」
ブレアは横を向いたまま、口元を隠してくすくす笑い出す。
「だって、私にアクセサリー買うお金があるなら、借金返済に充てるべきじゃない? 本人返す気がないなら、しょうがないから、私が手伝ってあげる! 玄関から入って来られるように!」
リリィはそう言ってぎゅっと箱を抱きしめた。贈り物はとても嬉しかったけれど……リリィが欲しいのは箱に入れてリボンをかけられるようなものではないのだ。
「因みに、リリィさま、レナードさんがいくら借金抱えてる……」
恐る恐るといった感じでダニエルが尋ねる。するとブレアは片手を上げて制止をかけて首を横に振った。はっとした顔でダニエルは「いいえ、何でもないです……」と曖昧に笑って誤魔化す。
リリィはレナードの借金がいくらあるのかは知らない。しかも借金したのは十年以上前。金利の設定がどのくらいなっているのかわからないが、利子だけでもとんでもない額になっているだろうなというのは想像がつく。貸し付けているオーガスタは、弟と従弟に対して容赦なく厳しいのだ。
レナードは借金を返すまでは、伯爵家に出入り禁止。
ルークがリリィとリリアに会えるのは、半年に一度だけ。
最終的にそこに落ち着いたのは、アレンの婚約者にリリアが選ばれた頃だったような気がする。
実際はその前から……ふたりの少女が十歳になった頃から、少しずつ少しずつ、時間と距離を離されていった。
『リリィもリリアももうすぐ十歳になるのだから、少しずつ、大人になる準備をしていかなくてはいけないわ。あと何年かしたら、リリィもリリアも他の人のお嫁さんになる。そうなったらもう、レナードやルークと一緒にいられないのはわかるわよね? だから、少しずつ離れる練習をしましょう』
オーガスタは、俯いて必死に涙を堪えている二人に優しく優しくそう言い聞かせた。
ルークは士官学校に入ってからずっと忙しそうだったし、レナードもロバートと一緒に国外に出ていることが多くなった。次第に、『会えない』ということが、当たり前になっていったのだ。
それでも頻繁に二人から手紙は届いていたし、出入り禁止の筈のレナードは、一年に数回何の前触れもなく伯爵家の厨房に出没した。
「今ルークさま、リリアさまと地下にいらっしゃいます。中身鑑定して買い取ってもらえるように交渉してみてはいかがですか?」
ブレアの提案に、リリィの顔がぱっと輝いた。
「そっか……じゃあ行ってくる」
きっとヒューゴの部屋のドアを叩いたり蹴ったりしてうるさかったから、寝ているリリアが起きないように静かな場所に移動させたのだろう。妹が自分の意思で地下に行きたがるとは思えない。
「それが終わったら舞踏会に行く準備を始めましょう」
「うんっ」
箱の中身の価値が気になって仕方がないリリィは、満面の笑顔を浮かべながら、ドアに向かって歩き出した。それを当たり前に追いかけようとしたアレンを、ブレアとダニエルが壁を作って止める。
「アレンさまは、そろそろお仕事に行きましょう。部屋に戻って準備してきて下さい。リリィさまの警護には別の者がつきますので」
ブレアが、拒否することは許さないぞという圧を感じさせる声で、アレンにそう告げていた。
リリィはくるっと後ろを振り返り、輝くような笑顔を向ける。
「アレンお兄さま、今夜は王宮の警備するんでしょう? 騎士なんだから、私を含めた国民の幸せを守るためにがんばって! そして、明日からちゃんとお仕事行ってね」
「そうですね。リリィさまを含む国民の幸せのために働きましょう」
「リリィさまを含む国民の幸せのために、明日から仕事行きましょう」
ブレアとダニエルの声を聞きながら……これでやっと開放される! と、心がふっと軽くなるのを感じた。プレゼントの小箱をしっかりと胸に抱き締めながら、リリィはダンスのステップを踏むような軽やかな足取りで、リリアとルークがいる地下室に向かって歩き出す。
キースが空になった水差しを持って廊下に出ると、少し先をアレンが歩いて行くのが見えた。
「アレンさま、まだそんな恰好してるんですか? そろそろ着替えた方がいいですよ?」
振り返ったアレンを見て、キースは一瞬にして声をかけたことを後悔した。アレンは例の婚約者騒動直後のような暗い目をしていた。……最早面倒事の気配しかしなかった。
仕方がないので、トマスの部屋に招き入れて話を聞く。
「あー、最後に会ってから、そろそろ二年経つかぁ」
シャツのボタンをとめながら、トマスがぼんやりと宙を眺めている。
「私は彼には数回しか会ったことがないんですよ。あまり話したこともないので、どんな人間か知らないんです」
それは、アレンの隣には常にルークがいたからだ。レナードは基本的に、ルークと顔を合わせたがらない。
昔から、二人が一緒にいるのは、オーガスタにそうするように命令された時だけだった。仲が悪いという訳でもない……とも言い切れない。あの二人のことはよくわからない。
数年前からレナードは伯爵家出入り禁止になっているから、ふらっと厨房に現れるのは、伯爵家にキリアルト家の人間が誰もおらず、ブレアが別の任務でリリィとリリアの護衛から外れているという時に限られた。そのタイミングでなければ侵入できなかったという事なのだ。
「……一言で言えば可哀想な人ですね」
キースはウェストコートをトマスに差し出す。
「可哀想な人としか表現しようがないんだよね。残念な人とはまた違うんだよなぁ」
トマスは『残念な人』という時にちらっとアレンを見ていた。
「ルークが、レナードには何ひとつ勝てなかったと言っていたので……『可哀想な人』と言われても、正直よくわからないんですよ」
ウェストコートのボタンをとめたトマスは、近くにあったテーブルに手をついて少し考え込むような目をする。
「ルークがレナードに勝てなかったのって、子供の頃の話だよね。多分今は違う。レナードは、まぁ……『天才』だよね。頭が良すぎるもんだから、飽きるのも早ければ、諦めるのも早い」
そう言って自分の言葉に間違いがないか確認するような時間を取って、大丈夫だなというようにひとつ頷く。そして、姿見で背中を確認しながら、いたって軽い口調で続けた。
「自分ではうちの妹たちを幸せにできないってわかってるから、絶対に手は出してこない。だから安心していいよ?」
「借金言い訳にしてる部分もありますよね」そう補足しながら、トマスに白いタイを手渡す。
「レナードのことは考えるだけ時間の無駄。ほっとけばいい。……それより早く着替えた方がいいんじゃない?」
「騎士団本部の方で着替えるので」
「じゃあ、早く行きなよ。……君、隊長だよね?」
鏡を見ながらタイの位置を整えているトマスが、さらりと言う。アレンは目を伏せて押し黙った。しばらく室内に沈黙が落ちた。
「…………リリィさまにとって、彼はどんな存在なんですか?」
イブニングドレスコートのジャケットを手渡す、受け取る。の状態でキースとトマスは静止する。
そこ気にするのかぁ……。しかも、今聞くのかぁ……
二人はうんざりした顔を見合わせた。ジャケットを羽織らせる、羽織る。の一連の流れを終えてから、並んでアレンの真正面に立つ。
「たまにふらっと現れてはお金借りていく人」
「玄関から入れない人」
笑顔で二人はそう告げた。
「そういうことでは……」
「アレン、今夜君が警戒しなければいけないのは、レナードじゃない」
すうっと目を細めたトマスが、アレンの言葉を強い口調で遮る。はっとした顔になったアレンは、一度目を閉じた。
「そうですね……そろそろ出ます」
夜空のような目を開けた時には、幾分マシな顔付きにはなっていた。
一礼して部屋を出て行くアレンを見送ってから、トマスとキースは貼りつかせていた笑顔の仮面を外す。
「あーもうほんっとめんどくさいなぁ」
トマスは背後のテーブルに両手をついて、お腹の底から絞り出すような声でそう言った。
そのすぐ隣でテーブルに背中を凭れかからせ、心からその言葉に同意しながら、キースは天井を見上げる。
「リリィお嬢さまは、嬉しかったでしょうね。……でも、即、売ろうとするかぁ」
「うち、ずっと生活苦しかったからね。……でも、即、売ろうとするのかぁ」
はあぁぁぁ。二人は同時に深い深いため息をついた。
「どっちだと思う? 本人? それともリリア?」
「さーどっちでしょうねぇ。でも、ルークさんに任せとけばいいんじゃないですかぁ?」
もうすぐ舞踏会だ。面倒なことはもう全部ルークに任せよう。二人はそう心に決めた。
トマスは表情筋を動かさないまま、ポンポンとキースの肩を叩いた。
「キースもそろそろ着替えなー。服あっちに掛けといた。メイジー呼んでおいで。……もう抵抗する気力もなさそうだね」
「早く今日が終わって欲しいので、無駄な抵抗しないで流されると決めました。という訳で、トマスさま……色々がんばって下さいね。遠くから見守ってます」
キースはへらっとトマスに笑いかける。イブニングドレスコートに身を包んだ若き伯爵は、とても悲し気な目をしていた。気持ちはわかる。ヒューゴがこの屋敷に滞在するようになってから、心休まる暇がない。
「全員無事に帰って来られるのかなぁ……」
「帰ってきたら屋敷が燃えてなくなってたとかイヤですねー」
「……呪われてるから絶対に燃えないってー」
トマスが投げやりにそう言った。