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95 お姫様と墓守 その2


 昼寝から起きたリリィが使用人階段までマーガレットに会いに行くと、彼女は銀の髪をしたとても綺麗な少年に抱きかかえられていた。その隣に立つリルド侯爵は微笑ましい物を見る目で二人の様子を見守っている。


「おじいさま!」


 リリィに気付いた三人が同時に階段を見上げる。ぱあっと妹の顔が輝いた。


「リリィおじょうさま、マーガレットは、王子様をつかまえました!」


 そして、彼女は少年の首に手を回すと、それはもう嬉しそうにぎゅうっと抱きついたのだ。


「……王子様って、つかまえるものなのかしら」


「はい! いっしょに木登りしてくれました。お馬さんにも乗せてくれました」


「……そ、そう……よかったわね」


 妹にとって王子様とは一体どういう存在なのだろう。王子様というのは、お城にいて舞踏会で一緒にワルツを踊ってくれる人なのではないだろうか。……違うのだろうか。一度確認した方がいいかもしれない。


「ルークお兄さまは、リリィおじょうさまとマーガレット、ふたりの王子様なのです。今からお花のかんむりを作ってもらうので。いっしょにお庭に行きましょう!」


 あまりにマーガレットが楽しそうだったから、つられるようにしてリリィも頷く。

 マーガレットがするりとルークからおりて、駆け足で階段をのぼって来る。手を繋いで一緒に階段をおりて、二人で銀の髪の少年の前に立つと、水色の瞳を細めて彼はにっこり感じよく笑った。


「リリィお嬢さま、ルークと申しま……」


 ルークが挨拶しようとしているのに、たたっと彼に駆け寄ったマーガレットは右手を掴んで引っ張り始めた。ルークは言葉を止めてマーガレットを見下ろしながら、何がやりたいのかな? というように見守っている。

 マーガレットはルークの右手を丁度リリィの胸の前あたりに持って来ると、期待に満ちた目でリリィを見つめた。手を繋げということのようだった。


 しかし、急に目の前に差し出された手を見て、リリィはどうしていいのかわからなくなってしまったのだ。気付けば思いきり叩いていた。ルークは手袋をしていたのでそんなに痛くはなかったが、マーガレットの目が驚きでまんまるになっていた。


「驚かせてしまって申し訳ございません。痛くありませんか?」


 優しく問われて……泣きたいような気持になった。それを誤魔化すようにふんっとばかりに顔を背ける。今度は鼻の奥がつんとした。恐る恐る様子を窺うと、ルークは怒っても呆れてもいなかった。とても優しい目でリリィを見つめている。よかったと安堵したのに、何故か「全然痛くなんかないわっ」としかめっ面で言い返していた。


 またやってしまった! 自分で自分が嫌になるくらい可愛くない。どうしてこういう態度しか取れないのだろう。リリィは重い足取りで、傍らに立つリルド侯爵の背中に隠れて、フロックコートにおでこを擦りつけた。


「おやおや」


 それは、祖父のいつもの口癖だ。優しい手が伸びて体を捻るようにして頭を撫ぜてくれるから、リリィは勇気を出して首を伸ばして顔だけ出すと、ルークに「ごめんなさい」ともごもご告げてからふいっと顔を背ける。自分は全く悪くないけど、祖父の手前仕方なく謝ってあげているんだとでも言いたげに。


「はい。私の方こそ突然申し訳ございませんでした」


 何にも悪くないのに、ルークは穏やかな声でリリィに謝罪をしてくれる。きまり悪くなったリリィは、勇気を出して祖父の体の陰から出てくると、両手でスカートをぎゅっと握りしめて俯いた。

 本当はマーガレットみたいに仲良くしてもらいたいのに、どうしていいのかわからない。

 すると、ルークは絵本の中の王子さまのように、跪いて再びリリィに手を差し出してくれたのだ。


「お嬢さま、お手をどうぞ?」


 お姫様扱いが嬉しくて、リリィはぱあっと笑顔になる。

 精一杯背筋を伸ばして、差し出されたルークの手の上に自分の手を重ねた。トマスやキースより大きいけど、祖父よりはちいさな手。


「しょうがないから、いっしょに遊んであげる!」


 弾んだ声でそう言ったリリィを見て、ルークは嬉しそうに水色の目を細めた。もう片方の手を差し出されたマーガレットは何の躊躇いもなくその手を笑顔で握る。


 自分とマーガレット二人の王子様。それはとても素敵なことのような気がした。


 マーガレットと顔を見合わせて頷き合って、銀色の髪の王子様を引っ張って同時に走り出す。

 楽しそうに笑い合いながら、ルークを引っ張って走ってゆく孫たちの様子を、リルド侯爵が穏やかな目で見守っていた。

 

 ――もし、出会う順番が逆だったのなら……そう思った事は、確かにあった。


  でも、今となっては、順番如きではどうにもなかっただろうなと確信している。

 



 ルークに先に会ったのはマーガレットだったけれど、レナードに会ったのはリリィの方が先だった。


 その日は深夜に目が覚めて、そこからなんだか眠れなくなってしまったのだ。リリィは幽霊も平気だし、夜目もきく。夜のお散歩のようなつもりで明かりも持たずに厨房に水を取りに行ったら、見知らぬ少年が壁に凭れてリンゴを齧っていた。

 髪と目の色がルークと同じだったし、素行の悪い従兄がいるとは聞いていたから……彼が誰なのかはすぐにわかった。


「……食べるか?」


 手に持った齧りかけのリンゴをリリィの目の前にずいっと突き出す。


「……うん」


 いきなりそう尋ねられ、リリィは反射的に頷いていた。


「ちょっと待ってな」


 そう言って彼はポケットからナイフを取り出すと、リンゴを手に持ったまま、まだ口をつけていない部分に刃を入れて薄いくさび型に切り取った。


「ほれ、口開けな」


 言われた通りに口を開けると、ぽいっとリンゴが口の中に放り込まれる。


「これで同罪」


 そう言ってにやっと笑う。つまりこれは彼の持ち込んだリンゴではなく伯爵家の食料貯蔵庫にあったものなのだ。

 口の中のリンゴを食べながら、リリィはひとしきりレナードを観察する。声も顔も、あまりルークやロバートには似ていない。顔はウォルターに似ているけれど、喋り方や雰囲気はロバートに近い。


「……おなか空いてるの?」


「まぁな。……とりあえず座りな? 飲み物今用意してやるから」


 レナードは壁際の椅子を持ってきてリリィの横に置くと、勝手知ったる様子で戸棚を開けてコップを取り出した。


「レナードはどろぼうなの?」


「確かに、今やってることは泥棒と変わらないな」


 水差しの水をコップに注いで、素直に椅子に座って待っていたリリィに手渡す。彼も他のキリアルト家の人たち同様、大変面倒見が良い性格をしているようだ。


「ルークに用事なの?」


「いいや? あいつには会いたくない」


 再び壁に凭れてリンゴを齧りながら、彼は無気力に笑う。じゃあどうして彼はここにいるのだろう? わからないことが多すぎて、リリィは混乱していた。


「それ、棋譜?」


 リリィはレナードの足元に散らばっている、数枚の紙を指差した。『白』『黒』と書かれた枠の下に短い文字列がびっしりと書き込まれている。


「よくわかったな……そうか、リリィはチェスをやるんだったか」


 レナードはそう言って、食べ残したリンゴの芯をぽいっと窓から庭に捨てた。

 ややってからコンッという軽い音がして、「いっ」と声をあげてレナードが頭を押さえる。床には今さっき投げ捨てたリンゴの芯が落ちていた。


「あーはいはい、後でちゃんと捨てますよ。思いきり投げつけるか普通……」


 窓の外に向かって面倒くさそうにそう言うと、レナードは芯を拾い上げて調理台の上に置いた。きっと幽霊が怒って投げ返したのだとリリィは思った。ここは幽霊屋敷だから、夜になると色んな幽霊が活動し始めるのだ。

 レナードは手を洗ってから戻って来ると、床に落ちていた紙を拾い集めてリリィに手渡す。そして彼女を椅子から軽々と持ち上げて、椅子に座った自分の膝の上に乗せた。


「眠くなったら寝ろよ。……そういえば、リリィは相当寝相悪いらしいな?」


 びっくりして固まっている少女の手から棋譜の束を取ると、パラパラとめくりながら紙の順番を入れ替え始める。

 ……自分の寝相のことはわからない。ただ、ルークの隣で寝ていた筈なのに、起きた時には頭と足が反対になっていたり、敷物の端ぎりぎりで眠っていたりすることはあった。


「リリィは、ひとりで眠れる。だからはなして」


 リリィはむずがるように体を捻りながら、棋譜を読んでいるレナードを見上げる。甘えん坊の妹はよくこうやってルークに抱きかかえられて寝ているけれど、妹と違って、リリィは自由に身動きが取れない状態はあまり好きではないのだ。


 リリィは一人で眠れるのだ。一人で夜中に厨房に水をもらいに来ることだってできる。

 一人で大丈夫。……ずっとひとりだったから

 キースとマーガレットが屋敷に来るまでは、一人ぼっちの部屋で本を読んで、一人ぼっちで寝るのが当たり前だった。母も他の大人たちも、兄のトマスも、全員とても忙しそうだった……


「んー? 眠たい子供ってあったかいよな」


「レナードは、さむいの?」


「まぁ、色々と傷心なんだよ」


  彼は心ここにあらずといった様子でそう答えた。しょうしんとは、確か、悲しいという意味だった気がする。

 ……なら仕方ないか。とリリィは思った。悲しいと寒いはなんか違うような気がするが、リリィもここまで歩いて来る途中少し肌寒さを感じてはいたのだ。こうして抱きかかえてもらっていると確かに暖かい。

 背中に触れる体温に馴染んでしまうと、もう最初の居心地の悪さをすっかり忘れてしまった。

 リリィは欠伸を噛み殺して目の前の紙面の文字を追おうとするが、文字が濃くなったり薄くなったり、ゆらゆらと揺れたりして、何が書いてあるのか全く読み取れない。


「だから、眠いなら寝ろって」


 レナードは持っていた棋譜をすべて床に落とすと、ぐらぐらとし始めた頭を固定するように、リリィの額を押さえた。言葉は乱暴なのに、その手はとても優しい。


「ひとりでねられるー」


 いやいやをするようにちいさく首を横に振りながらも、レナードの腕の中は暖かくて心地良くて……本当はずっとこうしてほしかったんだと気付かされた。


「……はいはい。わかったから寝ろ」


 ぬいぐるみのようにぎゅうっと抱き込まれる。頭の上に降って来たその声が思いがけず暗くて、リリィはのろのろと瞼を上げた。ルークと同じ水色の瞳がとても近い位置にあった。どうしてだろう、涙を流している訳でもないのに、レナードが泣いているように見えた。


「れなーど、さみしいの?」


「んー? まぁな」


「……じゃあしょうがない」


 このまま、我慢してぬいぐるみになっていてあげようではないか。かわいそうだから。


「なんだそれ」


 レナードが喉の奥で笑うと、リリィの体も揺れる。意識もゆらゆら揺れる。


「あのね、りりぃはね、ひとりで……へいきだけど……ずっとさみしかった……だから……れなーどがいてくれて……よかったぁ……」


 ひとりで厨房に来るのは慣れているけれど、やっぱり寂しかったから。

 優しく頭を撫ぜられてほっとする。そのままリリィはレナードに凭れかかって、眠りの中に落ちて行っく。


 ――あのね、ずっとさみしかった。ずっとずっとさみしかったんだよ。


 意識が浮上する度に、レナードがちゃんといるか確認して、彼の顔を見ると安心してまた目を閉じる。それを何度も何度もくり返していた気がする。





 どうしてそんな事を思い出したのかと言えば、自室のテーブルの上に水色のリボンがかけられたちいさな箱が置かれていたからだ。


 リボンの間に差し込まれたカードには見慣れた文字で『外で寝るなよ』とだけ書かれていた。

 それを見たアレンの顔色がさっと変わる。「絶対に触らないで下さいね」と言い置いて部屋を飛び出していった後、ダニエルを連れて戻って来た。


「本人の字ですね。あの人ならこれくらいの罠、簡単に潜り抜けるでしょうね。腹立つな、ひとつくらい引っかかれば面白いのに。……ブレアさん気付いてました?」


「侵入したとすれば、リリアさま捕獲するために大騒ぎしていた時でしょうね。でも、ずーっと前に預かったものを、リリアさまが隠し持っていて、今日このタイミングに合わせてここに置いた可能性もありますからね。……何とも言えませんね」


 ごく当たり前のように窓から侵入してきたブレアが、やれやれとため息をついた。


「前者だった場合、どうなるんでしょうね。……船首像辺りで許してもらえますかね」


「マストから逆さ吊り……」


 ダニエルは顔色を悪くして項垂れて、ブレアは窓をぼんやり見つめながら半笑いになっていた。


「ねえねえ、これ、もう開けていいの?」


 そわそわしながらリリィが箱を持ち上げて尋ねる。そういえば、リリアが初めて舞踏会に行く時に、ルークから同じような箱が届けられてきていた。中身がなんだったのかバタバタしていて覚えていないけれど。


「わかってると思いますけど、それ、普通に考えて中身アクセサリーです。開けたら、つけるかつけないか、悩むことになりますよ?」


「そのまま見なかったことにして、引き出しにでもしまいましょうね。今夜、その箱の中身つけて舞踏会に行く勇気あります?」


 ダニエルとブレアは真剣な顔で首を横に振った。

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