おまけ 伯爵家の呪いの焼き菓子 前編
番外編を含めると100話までいきましたよ記念。
長くなったので前後編です。
テーブルに上に広げられた布の上に、焼き菓子の破片が散らばっている。その横には家具の修繕に使うハンマーが置いてあった。
「お菓子作りは、最低限の配合を守らないと必ず失敗します」
リリアが厳かな声でそう言った。
「野菜の皮剥いたり、刻んだりしなくていいから、簡単かなと思ったのよ……」
家政婦室の椅子に座っているリリィお嬢さまは、悲しみに打ちひしがれていた。深く反省している様子だった。
「混ぜる段階で時間をかけすぎてバターが溶けたんでしょうねぇ。あと、水入れすぎて練りましたね? 砂糖の量もレシピよりだいぶ減らされている気が……」
コックには失敗の原因がすべてお見通しだった。
「『卵の大きさや、粉の挽き具合で水の量は変わってくるので、様子を見ながら加えて下さい』って書いてあるのに、水全部一気に入れちゃいましたからね……止める間もなかった……」
レシピ本の朗読係だったキースが、はあっっとため息をついた。
計量までは順調だった。リリアがぴったり横について、丁寧に指導していたからだ。だが、妹が別の用事を頼まれてその場を離れた直後に事故(?)は起きた。『すぐに戻るのでそのまま待っていて下さいね』と強く念押しされたにも関わらず、お嬢さまは待たなかった……本当に一瞬の出来事だった。
「ベタベタになったから粉足して、粉入れすぎてまとまらなったからまた水を足して……それを何度も繰り返しましたね?」
コックに的確に言い当てられて、リリィお嬢さまはさらに俯いた。
……足りない分は足せばいいが、多く入れすぎたものは元に戻せない。
戻って来たリリアは、倍量になったボウルの中身を見て、言葉を失っていた。
泣きそうな顔をしているリリィお嬢さまをちらりと見てから、彼女は目を閉じて深呼吸を繰り返した。言いたいことは沢山あっただろうに妹はぐっと堪えた。キースは心の中で拍手を送った。
もうどんなものが出来上がるのか全く分からない状態になってしまっていたが、材料を無駄にするわけにはいかない。
リリアは裏の畑から適当に積んできたハーブを刻んで生地に混ぜ込み、小指の太さくらいの細長い棒状に切り分けた後に塩を散らしてオーブンに放り込んだ。
――こうして、テーブルに打ち付けるとコンコンという良い音がする焼き菓子が大量に完成した。
見るからに堅そうなので、布で包んでハンマーで細かく砕いてみた。その破片ですら、噛むとガリガリという音がする。
主たる材料は小麦粉とバターと卵と水。それを練って焼いたものだから、食べられなくはない。最後に散らしたハーブが粉臭さを上手く消してくれてはいる。でも、かたい。お年寄りの歯には危険。
……どうしよう、これ。
大量の焼き菓子を、三人はただ黙って見つめていた。
「とりあえず、砕いてスープの浮き実にしましょうかねぇ……日持ちはしそうですし」
コックの言葉に、三人は申し訳なさそうな顔で頷いた。
「このかたさが丁度いいのかもしれない。あとこの塩気とハーブの香りも……」
家政婦室で休憩中のブレアはバリバリガリガリという音を立てながら焼き菓子を齧っている。
リリィお嬢さまが作った(?)焼き菓子は、歯の丈夫な騎士たちには好評だった。屋敷の外を巡回してくれている護衛騎士たちに差し入れたら大変に喜ばれた。これはどこで手に入るのかとまで聞かれたから、手近にあった小さな紙袋に詰められるだけ詰めて手渡した。これで残りは約半分になった。
「ただ、食べる時に大きな音がするのがなぁ……音で見つかっちゃうよね」
「どこで食べることを想定されてますかねぇ?」
紅茶を出しながらキースは一応尋ねる。
「日持ちしそうだし、軽いし、そう簡単に割れないし、これ、いいと思うよ? 一応レシピ残しておいたら?」
ブレアがいたって真面目な顔でそう提案するので、大まかな材料をメモに残しておくことにする。リリアは畑から摘んできたハーブの種類くらいは覚えていた。でも、リリィお嬢さまもキースも、最終的にどのくらいの量の粉と水をボウルの中に放り込んでいたのか全くわからなかった……
「とても好評でしたよ!」
翌日派遣されてきた護衛騎士は、残っていた焼き菓子全部を持って帰ってくれることになった。昨日渡した分は、ガリガリバリバリ食べている音で人が集まり、あっという間になくなったのだそうだ。
大量の焼き菓子が片付いて、リリィお嬢さまもリリアもキースも内心ほっとしていた。
明らかに失敗作なのだが、それでも食べてくれる人がいたなら良かったと、心からそう思った。
――しかし、この話は、これで終わらなかったのだ。
しばらくすると、王都に奇妙な焼き菓子の噂が流れ始めた。
その『呪いの焼き菓子』とやらは、某伯爵家門外不出のレシピで作られるもので、歯の弱い人間には噛み砕けない程堅い。これを嫌いな相手に食べさせると相手は不幸になる。らしい。
因みに、この国に呪われた伯爵家というのはひとつしか存在しない。
実際その焼き菓子を口にした者たちは、確かにちいさな不幸に見舞われたのだそうだ。
新聞に書かれていたその不幸の内容というのはこうだ。
気付いたら服のボタンがひとつなくなっていた。
道を一本間違えて、知らない場所に辿り着いてしまった。
段差に躓いて転びかけてしまった。
犬に追いかけられた。
店で出された紅茶がぬるかった……
……いやそれ、単なる偶然だろう? というものばかりだが、そのちょっとした『不幸』が娯楽に飢えていた人々には丁度良かったようなのだ。
大きな不幸だと笑えないが、この程度の不幸ならば笑い飛ばせてしまう。
本物かどうかわからない『呪いの焼き菓子』のレシピが口伝えで広がり、食べたら自分はこんな目に遭った、とか、贈った相手はこんな目に遭ったとか、面白おかしく人々は自慢し合い、笑い合い、夜の酒場で呪いの焼き菓子を酒のつまみにして、お互いどんな不幸に襲われるかを楽しみに待つという、健全なのか不健全なのかよくわからない遊びが流行した。
これはあまり良くない兆候だった。
このまま噂がどんどん広がってゆけば、辿り着く場所はひとつ。
――『呪いの焼き菓子』を食べた人間が……命を失った。
そうなる前に何とかしなければならない。
リリィお嬢さまは深く傷付いている様子だった。必死に強がって無理に明るく振る舞っているが、時々悲しそうな顔をしてぼんやりとしている。
自分が初めて作った焼き菓子が、なんだかよくわからない内に『呪いの焼き菓子』などというものにされてしまった。
本人は口に出してはいなかったけれど、きっと、リリィお嬢さまは、『手作りの贈り物』というものを一度やってみたかったのだと思う。
その可愛らしい気持ちを、どこぞの誰かが踏み躙った。
「ごめんね。こうなってしまったのは僕のミスだ。手は打ったから、明日には全部終わる」
二日くらいルークが仕事に行ったきり戻ってこないなと思っていたら、裏口からカラムと王子様が入って来た。ここに来るための時間を捻出するために、ルークに仕事を押し付けたに違いない。
当たり前のように居間のソファーに座った王子様は、向かい合う位置に座っているリリィお嬢さまに一枚の広告を手渡した。
「『悪魔の食卓』、ですか?」
お嬢さまの隣に座っているリリアが不思議そうに首を傾げる。
「明日その広告が出て、実際の連載は来週から。あらすじは……そこに書いてある通り」
リリィは壁際に立っているキースにも伝わるように声に出して音読し始めた。
「狐狩りの最中に道に迷った紳士は、夕日が沈むころに古い城に辿り着いた。城には若く美しい娘が年老いた使用人と二人だけで暮らしていた。娘は男に、ここは自分の夫である伯爵さまの城だと告げる。案内された部屋は清潔だったが、男は城のどこかから聞こえて来る男性のうめき声のような音が気になって仕方がない。部屋に案内してくれた老人にあの不気味な音は何かと尋ねても、そんな音は聞いたことがない、お客様の気のせいではありませんかと言われてしまう。部屋の中にはすでに夕食として、食べられない程堅い焼き菓子と薄いスープが用意されていた。だが、うめき声が恐ろしくて、彼はとても食べる気になれない。結局男は飲まず食わずで眠れない一夜を過ごし、翌朝早くに逃げるように城を抜け出す。猟犬の声を頼りに仲間の元に戻ることができた男は、自分の体験したことを彼等に語り、証拠として城から持ち帰った焼き菓子を配る。その翌日から、ひとり、またひとりと仲間が姿を消してゆく。そんなある日、仲間の一人が彼に言った。あの焼き菓子を食べてからずっと、自分の名を呼ぶ若い娘の声が聞こえるのだと……」
あらすじだけ聞くと、面白そうではある。
「その物語に登場する焼き菓子こそが『伯爵家の呪いの焼き菓子』というわけだね。要するに、あの噂は、新聞小説の宣伝だったということにする。人気作家、デイジー・Fの二年振りの新作」
「……え?」
がばっとリリィが身を乗り出し広告を穴が開くほど見つめている。
デイジー・Fは新聞連載という形で作品を発表し続けている覆面作家だ。性別も年齢も不明。デイジーが小説を連載している間は新聞の発行部数が上がるとまで言われている。広告にある『悪魔の食卓』の連載が本当に始まるのなら、大きな話題となるに違いない。
「ええー、本物なんですかぁ?」
疑わしそうな目を向けるキースに対して、アーサーが苦笑した。
「さすがに、読む人が読めばわかるからね。ちゃんと本人に書いてもらっている」
「作家にとっては、とんだとばっちりですけどねぇ」
カラムがどこか遠い場所を見て曖昧に笑った。
「向こうがこういう使い古した嫌がらせをしてくるなら、こちらも全く同じ手を使って仕返しをしてやろうと思ってね。……まぁさすがに『ちいさな王女さま』の物語のようにはいかないだろうけれど、目的はあくまで印象のすり替えだからね」
第二王子はゆっくりとエメラルドグリーンの瞳を細めて、冷たく笑った。
「新聞連載の開始に合わせて『呪いの焼き菓子』も販売される。そちらの準備はオーガスタに任せてある。その広告にも告知してあるだろう?」
キースはソファーに歩み寄ると、背後からリリィお嬢さまが持っている広告を覗き込む。飾り枠で囲まれたあらすじの下には、ラベルに『呪いの焼き菓子』と書かれた瓶入り菓子のイラストが添えられていた。近日発売、とある。
「……ここまで、やる」
茫然とキースは呟いた。リリィお嬢さまとリリアも唖然として言葉を失っている。
「連載開始が楽しみだね。因みに、古い城に住む緑色の瞳をした娘は『ルイゼ』という名前らしいよ」
「非常にわかりやすく誰かを彷彿させようとしてますねー」
ルイゼという女性が手渡す『呪いの焼き菓子』だ。もう毒が入っているとしか思えないではないか。
「でもこの『呪いのお菓子』とやらが、全く売れなかったらどうするんですか?」
キリアルト家が大量に在庫を抱えることになるのではないだろうか。キースが恐る恐る尋ねると、アーサーは背後に控えているカラムを振り返った。
「売れ残ったら騎士団で買い上げることになっています。日持ちしますからね、携帯食として備蓄します」
……と、いう事は、あれと同じようなものを作って販売するつもりなのだろうか。
リリィお嬢さまとリリアとキースは思わず顔を見合わせた。流行作家の販売促進に使われることが嬉しいかと問われると……よくわからない。
でも、不幸を呼ぶお菓子だと面白おかしく扱われるよりはずっといい。
「騎士の皆さんは、歯ごたえのあるものを好まれるのですか?」
リリアの質問に対して、今度はアーサーとカラムが顔を見合わせる。
「かたいもの食べると達成感が得られるというのはあるんでしょうね。よく噛むと満足感も得られますし」
「単純にかたい食料に慣れているっていうのはあるよね。携帯食は保存性が最優先だから、すごく堅いし味は二の次なんだよ……」
そう答えてから、二人はリリィお嬢さまに向き直って笑顔で言った。
「でも、あれは美味しかった」
「ええ、美味しかったですね」
「…………へ?」
大きく目を見開いたリリィお嬢さまの手から、するりと広告が滑り落ちた。
じわじわとその顔が赤く染まってゆく。お嬢さまは突然勢いよく立ち上がると、ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなく一礼して立ち去ろうとして、足をもつれさせてその場で転んだ。
明らかに失敗作のお菓子が、自分の知らない所で、好きな人の目に触れ、こともあろうに口に入っていた訳だ。あの大変堅い焼き菓子が……
恥ずかしくていたたまれなくて逃げだしたくなる気持ちはわかる。だが……
……何故、そこで転ぶかなぁ。
キースは心の中でため息をついた。
毛足の長い絨毯が敷いてあるから、大きな怪我はしていないはずだ。
――でも、かける言葉が見つからない。




