24 宿敵④
「これは――」
血が流れる脇腹を片手で抑えながら、ソラがよろよろと立ち上がった。
あまりのまぶしさに、顔をもう一方の腕でかばいながら、うっすらと目を開けて窓の外の光景を仰ぐ。
数万の光の束が雨のように降り注いだかと思えば、その光の束は瞬く前に数を増して広がり、一つの巨大な光となった。
天が地上へ慈悲を与えているかのように、真っ白な光が会場を包みこむ。
会場の真反対からでもはっきりと聞こえた詠唱は、確かに彼女の声だった。
魔法は、強大であればあるほど、それを発動させる詠唱の声が、遥か遠くまで空気を震わせ響き渡るという。
この遠く離れた距離でも詠唱が聞こえたのは初めてだ。
ソラが人生で一度も目にしたことのない規模の極大魔法。
一瞬で膨れ上がった彼女の魔力が、今、光となって会場中を包んでいる。
そしてその光はやがて、地上のあらゆるものに染み込んでいくように、ゆっくりと消えた。
ソラはそこで初めて、自分があまりの大魔法に見とれて息を止めていたことに気づく。
――あいつ、来てたのか……!
アーデルから、怖くて大会は辞退するらしいと聞いて、てっきり彼女は門外地区で留守番するものと思っていた。一体何を考えているのか。
しかし、今はそれを考えている場合ではない。
光が消えた窓の向こうには、不思議そうに周囲を見渡す大勢の人々の姿があった。
ついさっきまで苦しみ悶えていたのが嘘かのように、皆それぞれに、自分の両手を見つめたり、隣の人と顔を見合わせて首を傾げたりしている。
「…え?」
少し遅れて、呆然とするリブラの声がした。
「この魔力…ユーフェ?」
ソラは小さく舌打ちした。
こうなってはさすがにリブラも気づく。
どちらにしろ時間の問題ではあったが――リブラがウォッタリラを出るまで誤魔化す算段だったというのに。
しかし、こうなっては仕方ない。
状況が理解できないリブラは、ぼうっと窓の外を見つめた後、数呼吸ののちに部屋のソファで眠っていたはずの彼女に目をやる。
「…ユーフェは、今、ここに…」
その瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「ソラ!!」
亜麻色の髪に青い目の少年。
その青い目が部屋内を一瞬で見渡し、苦痛に顔を歪めているソラの姿を捉えた。
そして、すぐにソファに寝ている人影に目をやり、ギリッと歯を軋ませる。
「――“悪戯の神”!!」
その少年の怒声に反応し、ソファで眠っていた銀髪の少女が突然むくりと起き上がった。
そして、呆然としているリブラに一瞬で近づいたかと思えば、部屋の壁まで勢いよく蹴り飛ばしてソラから遠ざけた。
壁に打ち付けられて呻き声をあげるリブラを無視して、少年がソラに駆け寄る。
「ソラ…!大丈夫!?」
「飛沫…」
青い目の少年――飛沫が、血まみれの脇腹を抑えるソラを必死に支える。
「ソラ、こんなに血が……」
泣きそうになりながら飛沫がつぶやいた。
「ごめんね……“悪戯の神”は強くて変装も上手だけど……気まぐれで、僕の視界に入ってないと上手く操れなくて……」
その言葉を聞きながら、銀髪の少女が、半透明の男神の姿になり――いたずらっぽくリブラへ向けてにやりと笑ったかと思えば、フッと空気に溶けて消えた。
その瞬間を目の当たりにしたリブラは、すべてを悟って歯ぎしりした。
わなわなと震えながらつぶやく。
「――門外地区…!」
ソラがリブラを裏切り、『ユーレンフェミリア』の影武者を差し出す可能性は、リブラも想定していなかったわけではない。
その対策として、リブラは、尋常ではない量の魔力を有する『ユーレンフェミリア』なら、魔力量を測れば本物かどうか見極められると考えていた。
いくら姿がよく似ていようが、魔力量が常識の範囲内であれば偽物であると。
しかし、魔力量の測定器でエラーが出たのは、魔力量が多すぎたからではなかった。
測定器は人間相手を想定して開発している。
リブラは神族とは遭遇したことがなかったため、そのような類に対する実験などやった試しがない。完全に想定外であった。だからエラーが出たのだ。
だがそもそも、神話や民間伝承にしか出てこない神が召喚され、『ユーレンフェミリア』に化けるなど、想定することが馬鹿馬鹿しいくらい現実味がなかった。
しかし、通常の冒険者は到底使役できないような強力な使い魔を操る、規格外の“召喚士”が、門外地区にいるという噂は聞いたことはあった。
リブラは詳しい情報までは得られていなかったが――今、はっきりと理解する。
「絶滅者…いや、国ごと〈大海溝〉に呑まれたはずの、“ノルドヴィア族”の生き残りですか――。」
つぶやいたリブラの視線の先で、飛沫に支えられたソラが、脇腹の痛みに耐えながらも飛沫の頭を撫でる。
「助かったよ飛沫。」
よろめみながらリブラが立ち上がり、ソラを睨みつける。
「…謀りましたね。ソラ殿」
その言葉を、ソラは馬鹿にするように鼻で笑った。
「こっちのセリフだよ。犯罪者風情が」
ソラは今までの丁寧な口調を捨てて、荒い言葉で応じる。
「お前らが、『ユーレンフェミリア』をあぶりだすために、得体のしれない装置を持ち込んで、何かしでかそうとしてたのはわかってた。」
遺跡の『瘴気』を利用した兵器だとまではわかっていなかったが、ソラは不気味な気配をずっと感知していた。
「だからわざわざ身代わりを用意したってのに、『ユーレンフェミリア』を手中に収めたと思っていながら、それでも実行に移すとはな…」
肩で息をしながらソラは続けた。
歯噛みしたリブラが、ゆらりと一方踏み出す。
「――仕方ありませんね。」
リブラがもう一度、指をパチンと鳴らした。
「何を――」
言いかけて、ソラは硬直する。
会場内では何も起きていない。
会場の外だ。
「このようなことになるとは。屈辱です、ソラ殿。あなたの感知能力なら、この距離でもわかるでしょうね。」
会場の外で、道行く人々の魔力が不気味に変貌しているのを感じる。
会場外の市街地で、同じものが撒かれている。
「言ったでしょう、会場の外にもあると。」
リブラは余裕の笑みを浮かべた。
「さっきの術で、あの子の位置はわかりました。あなたにもう用はありません。
そしていくらあの子でも、あの規模の大魔法は連続して使えません。
――さあ、どうしますか。早く、無関係の民間人を避難させるべきではないですか?」
「――リブラ、てめえ!!」
「ではごきげんよう。――“転移”」
リブラは空間転移魔法でその場から消えた。




