2 遺跡の中へ
ポルドゥガの町に着いた数日後。
黒髪紫眼の青年は、早朝誰よりも早く町を出発した。
遺跡があると言われた場所までの険しい山道は常人には決して易しい道のりではなかったが、冒険者の彼にとっては慣れたものだった。
太陽が空の頂点に登る少し前に、草木やツルが奇妙なほどに生い茂る谷にたどり着いた。ここまではカラッとさわやかな広葉樹林が広がっていたが、急に亜熱帯に近いような植生に変わっている。
旧世界時代の遺跡とその周辺は、不思議なことに気候や植生が本来そこにふさわしいはずのものからかけ離れているさまがよく見られる。
そしてその環境に合わせ、生き物も外とは違う進化を遂げるのだろう、「魔物」と呼ばれる特殊な生物が多く生息する。魔物は通常の動物よりもはるかに強く狂暴な場合が多く、人里に向かわないように討伐するのも冒険者の仕事である。
さて、ここからがやっとこの旅の本番だ。彼は改めて装備や物資を確認する。
旧世界時代の遺跡は、別名『ダンジョン』や『迷宮』と呼ばれ、他の時代の遺跡や現代につながる文明とは全く様相が異なり、未知のテクノロジーが使用された魔法道具や武器、建築物が見つかることがある。
それらの遺産は記録を取っただけでも高く評価され、持ち帰れば一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入ることもあるため、冒険者の多くがダンジョンに夢を見て探索に訪れる。
しかし同時に、ダンジョンは冒険者の生還率が最も低い場所だ。加えてここは情報の少ない新発見の遺跡、何が起こるかわからない。
彼は住んでいる都市の冒険者ギルドの依頼でここにきているが、くれぐれも無理はしないようにと念を押されている。
受けた依頼の難易度は極めて高く、達成するための努力はするつもりだが、少しでも身の危険を感じたら即撤退する予定だ。
目指すは遺跡の中心部。
遺跡は外縁部と中心部に分かれており、外縁部は特殊な生態系や魔物が出没する厳しい環境だが、かつての文明を象徴するものが残っていることは稀だ。
対して中心部は多くの建造物が残っており、外縁部とは桁違いに強い魔物も多く生息している、文字通りの『別世界』だと言う。
そこにたどり着くために、まずは遺跡のことをある程度把握し、中心部の方角をつかまなければならない。
まずはどんなものでも構わないから、旧時代の建造物や遺物を見つけなければ。他の冒険者が来れば、魔物との戦闘時に建造物を破壊してしまったり、遺物を持ち帰ったりしてしまって手がかりが無くなっていってしまうので、まだほとんど手が付けられていない今がチャンスなのである。
亜熱帯林の中を、時折現れる魔物を倒しながら進んでいく。これまでに探索した遺跡と特筆すべき違いはないようだ。大きな苦労がない代わりに進展もない。スタミナとの勝負になる。
日が暮れ始めたとき、彼はふと見上げた崖の中腹に洞窟を見つけた。
もともとあった岩が崩れ落ちてできたくぼみだろうか。なかなかの高さがあるが、登れないこともないだろう。夜になってからの行動は危険なため、そろそろ夜を越せる場所を見つけたいと思っていたところだ。
彼は滑り止めのついた手袋をつけて崖をよじ登り始めた。命綱はないが、こういったことには慣れているから臆せず進む。
たどり着いた洞窟は、最初に思った以上の長さがあった。生き物の気配はないが、暗くて先が見えない。
洞窟の入り口で光を灯す魔法道具を取り出してから、洞窟の奥の様子を見に行く。一晩過ごすならば安全確認は万全を期さなければならない。
結局、長さは50メートルほどもあった。不思議な洞窟だ。
生き物はおらず、奥の方に水滴が落ちている箇所がいくつかあった程度。なぜ崖の中腹にこんな場所ができたのかわからないが、とりあえず今夜の宿には使えそうだ。
洞窟の入り口付近に戻って、明かりの前で食事をとり、魔物除けの結界と寝床を用意する。一晩過ごす準備が整って、彼はここまでの道のりを元に暫定的な地図と、地点ごとの移動時間を描き始めた。帰るときに使えるし、ギルドへの報告にも役立つ。
それから彼は明かりを消し、寝床に転がって目を閉じた。
***
どこかで野鳥の鳴く声がする。
夜も終わりが近づき、もう少しで東の空が白んでくるかというころ。
星の明かりがかすかに届くだけの暗い洞窟の中で、青年は跳ね起きて入り口へ剣を向けた。
「何者だ。」
剣を向けられた人物は、両手を挙げてゆっくりと数歩下がった。
「失礼しました。敵意はありません。」
若い女性の声だ。
ローブで全身を覆っており、フードを目深にかぶっているようだ。星明りが逆光となってそれ以外の特徴はわからない。――なんとなくだが、どこかで知っているような気配を感じる。が、魔導士にはこういう背格好の者がよくいるため思い出せない。
「まさかここでお休みの方がいるとは思わず…すみません。」
謝罪の言葉を聞いても、青年は武器を下ろさない。
見た目や言動から強者の雰囲気は感じられないが、彼女が引っかかった感知結界の反応から、彼女が膨大な魔力を隠蔽魔法で隠していることがわかっている。言葉だけで信用すべきではない。
遺跡探索の際、警戒するのは魔物だけではない。
探索者同士で成果を取り合って争うこともあるし、夜盗のように寝ているすきをついて襲ってくる者もいる。パーティ外の人間は常に警戒しなければならないのだ。休む際、通常は交代で見張りを置くものだが、単独行動の彼の場合は感知結界や罠を厳重に貼っていた。
その感知結界の1つに彼女は引っかかったわけだが、それ以外の結界や罠は全て避けられている。つまり、
「ここに人がいることをある程度分かったうえで来ているだろう。他の罠や結界を避けているのがその証拠だ。しかもこんな深夜に、何の真似だ」
「……」
答えはわかっている。おそらく彼女は夜盗の真似事をしにやってきた。
こういう輩に備えて、彼の罠や結界は、見つかりやすいものと厳重な隠形魔法で見つかりにくくしているものを、何段階かに分けていくつも設置している。
わかりやすいトラップをあえて囮として置きつつ、よりわかりにくいものをその影に隠すことで、見落としやすくするためだ。
「一人か。身分証を出せ、後日ポルドゥガの自警団に突き出す。」
「ちょ、ちょっと待ってください。本当に悪意はなかったんです。」
「未遂犯はいつもそう言うんだよ。」
「本当です。確かに、人がここで休んでいるのには気づいていました。さっきの嘘は謝ります。事を荒立てたくなかったんです。ただここを通りたかっただけで。」
「通りたかった?」
彼は鼻で笑った。
「残念だったな、この奥は行き止まりだ。洞窟で休みたかったとか、せめてそういう嘘をつけよ」
「今度は嘘ではありません。この先に私の目的があるのです。」
「目的?」
「はい。」
両手を挙げたままの彼女は困ったように肩を落とした。
「起こしてしまったお詫びに、あなたが欲しい物資があればお譲りしましょう。水でも食べ物でも薬でも。ですのでどうか、ここを通してもらえませんか。」
「目的とはなんだ。」
「…遺跡探索でライバルになるかもしれない人に、話せと?」
「言えないなら身分証をこっちに渡せ。」
「……」
数秒迷った末、彼女は観念していった。
「わかりました。…この奥が、遺跡中心部の入り口になっているのです。私は他の冒険者に荒らされる前に中心部を調査するため、探索にきているんです。」
「中心部の入り口だと?」
遺跡中心部と言えば、彼の目的地であり、彼が命じられた任務も彼女と全く同じものだ。しかし、
「なぜこの先が入り口だと言える?この先に何もなかったことはすでに調べた。」
「それは…すみませんが、言えません。」
「…へえ。」
この夜盗を自警団に突き出したところで、彼女が賞金首でもない限り彼にとってはメリットがない。それより、彼女の言うことが本当なら、彼の任務達成にかなり近づける。
夜盗の言い訳でも信じたくなるほどに、中心部というのはそれだけ情報が少ないのだ。
「本当だというなら、案内してみろ。それなら夜盗じゃないと信じる」
「…あなたを中心部へ連れて行けと?」
「そう言っている。」
彼女はゆっくり首を振った。
「それなら、自警団に突き出してください。夜盗として処分を受けたほうがましです。入り方は、探索者ならばご自分で。」
どこかトゲのある言い方。だが、その理由はなんとなくわかった。純粋な遺跡探索者なら、誰もが危惧することだ。
「俺も同じ目的で来ているから、他の冒険者のように荒らしたりすることはない。十分な記録が取れたら撤退する。」
彼は向けていた剣を下ろし、ギルドカードを見せた。暗い洞窟の中で、たまたま雲間から顔を出した月の光が、彼のカードを銀色に光らせた。
「俺はSランク冒険者のソラ。大陸5大都市が1つ、ウォッタリラのギルドマスターから勅命を与えられ、この任務に就いている。遺跡の価値を損なうような下手な真似はしないよ。委任状もある」
彼女が息を呑む気配がする。
「銀のギルドカード…なるほど。実力のある方だとは思いましたが、5大都市のギルドから委任を受けるほどの方だったとは。失礼しました。」
彼女は剣を下ろした彼に習い、挙げていた両手を下ろした。次いで、ギルドカードと、もう1枚の黒いカードを出した。
「Bランク冒険者のレイです。ギルドの依頼ではなく、個人的な事情で、旅をしながら各地の遺跡を巡っています。」
「へえ…」
彼女の黒いカードを確認し、青年――ソラの目は、好奇心の色を濃くする。
「案内の前に、少し時間をいただけますか。利害が一致しそうですので」
ソラは篝火代わりの魔法道具に明かりをつけ、その横に自分の上着を敷いて指さした。
「いいね、座れよ。お互い出せる範囲で、情報交換と行こう」